第14話 文化祭 Ⅱ

文字数 52,246文字

「…はーあ、っと」
私はここでふと壁に掛かっていた時計に目を向けた。時刻は夕方の五時を少し過ぎた所だった。
「今日はこんな所にしとこうか?」
と私はアップライトピアノの譜面台に置いていた楽譜を纏めて手に取り、トントンと膝の上で均しつつ声を掛けた。
「そうだね」
と藤花も時計をチラッと見ると、その場で大きく伸びをしながら応えた。
「はーあ、疲れちゃった…」
と藤花はそう言いつつも笑顔を浮かべて、いつも通りに部屋の隅に設置してある、藤花が自分で言ってる”ケアゾーン”に向かうと、そこにある吸入器の前に座り、電源を入れ、モクモクと立ち上る水蒸気に口を当てながら、手元には歌詞と楽譜を同時に眺めていた。
私も慣れたもので、その間に色々と帰り支度を含めた片付けをするのだった。
…さて、当然の如く、毎度の様に後出しになってしまったが、それでも説明はいるだろう。今がいつで、どこにいて、そして何故に藤花と一緒にいるのかを。
まずはいつなのかから。今日は京子を見送ってからその週の土曜日。九月の二週めって所だ。
次にどこか。…どこかについては、もう何となく察している方もおられる事だろう。何せ一度長めに時間をとって話した事があったからだ。そう、ここは藤花の家の中にある練習部屋だった。私の家のと同じ様に、しっかりと防音処理をされていて、大まかな種類の違いはあったがピアノがある所まで同じだったが、後は前に話した通りだ。
さて、ようやく何故こうして藤花の練習部屋にお邪魔してるのか…あ、いや違う、正確に言うならば、何故私が藤花の練習部屋にお邪魔してる事を、わざわざこうして触れる必要があるのかを説明する時が来た。何せ私はこんな風にわざわざ取り上げなくても、多い時で月に何度かここにお邪魔していたから、特段珍しいことでは無かったのだが、でも今回ばかりは、こうして取り上げざるを得ない事が起きてしまったのだ。それを話そうと思う。

話は京子を見送りに行った時より少し遡る。始業式が終わって二、三日後の事だった。
昼休み、この日は久しぶりに私と律の教室にわざわざ裕美、藤花、紫が自分の持参したお弁当を持ってきて、五人揃って空いてる机を向かい合わせにしてランチを摂っていた時、ふと教室の壁に備え付けられていたスピーカーに電源が入れられた雑音が鳴ったかと思うと、淡々とした口調で不意に私の名前が読み上げられた。
「職員室で有村先生がお待ちです。至急職員室までお願いします」
ブツっ
放送が終わった直後、呆気にとられていた私の方を、裕美たちだけでなく、たまたま教室にいた生徒の殆どが一斉に視線を向けてきていた。好奇の眼差しだ。
「何だろ…?ゴメンみんな、ちょっと行ってくるね?」
と私がゆっくり立ち上がると、「琴音、呼び出し食らうなんて何をやらかしたのー?」てな具合に裕美たちから軽口を受けたが、それらは軽くスルーして、多くの視線を受けているのを感じつつ職員室へと向かった。

「何ですか?」
職員室に入り、有村先生…改め”志保ちゃん”の席に着くなり聞いた。何だか小ぢんまりとした空のお弁当箱を丁度しまっている所だったが、私の姿を見るなり、志保ちゃんはその手を止めると、大袈裟な笑顔を浮かべて私を迎え入れてきた。
「あぁー、良く来たわねぇー。さぁさぁ、座って座って」
と誰もいない事をいい事に、隣の机に仕舞われていたキャスター付きの椅子を勧めてきた。
「良いんですか”志保ちゃん”、生徒の私が先生の椅子に座ってしまっても?」
と私が聞くと、志保ちゃんはニコニコしながら「良いの良いの」と如何にも何も考えてない風で返してきたので、何だか力負けした感じでフッと呆れ笑いを浮かべつつ、促されるままに座った。
「しっかし…ふふ」
と私が座った直後、志保ちゃんが笑みを零したので「何ですか?」と聞いた。
すると志保ちゃんは今度は苦笑まじりに答えた。
「だって…望月さん、あなた、私の事を多くの他の子と同じ様に”志保ちゃん”って呼ぶくせに、それでいて”ですます”口調なものだから、何だかそのチグハグさが面白くてねぇ」
「…志保ちゃん」
と私はジト目気味に視線を飛ばしつつ、ため息まじりに返した。
「それ…今更すぎです。大分前から私はこんな風ですよ?」
「知ってるわよそれくらいー」
とここで何故か志保ちゃんは膨れて見せつつ言った。
こんな態度を平気で生徒の前でしちゃう所なんかが、“良い意味”で生徒側に対教師に対してよくある様な緊張を起こさせる事もなく、それ故に絶大な人気を誇っているのだろう。
まぁ…本人としては若干舐められていると思っているらしく、もう少し威厳の様なものを持ちたいと口に出してしまっていたのだが、その度に、特に私から直接「そう口に出して言ってるうちは無理ですよ」と生意気に返されるのだった。
それに対してシュンとして見せるまでが常だ。
「…で?」
と私は目を細めたまま、志保ちゃんに聞いた。
「私に一体何の様ですか?」
すると志保ちゃんはまた苦笑いを浮かべつつ「もーう…あなたって子は本当に生意気なんだからー」と言った後で、ふと自分の机の上に置いてあった一枚のプリントを手に取ると、私に手渡してきた。
私はそのまま素直に受け取って中身を見ると、それは、毎年九月末に催されるこの学園の文化祭のチラシだった。如何にも手作り感が出ているイラストが描かれていた。
「これって…文化祭のじゃないですか?」
と私はプリントから視線を外し、志保ちゃんを見ながら言った。
「これがどうかしたんですか?」
とプリントを返しつつ聞くと、志保ちゃんはそれを受け取りつつ「うん…」と声を漏らすと、イラストの描かれている面を私に向けて言った。
「この文化祭だけれどね?そのー…」
と何故か中々先を話さないので、焦れったくなった私は「何ですか?」と先を促すと、志保ちゃんはふと何か憑き物が落ちた様な笑みを浮かべると、プリントをそのままに言った。
「いや、あのさ…あなたに頼みたい事があるのよ」
「頼みたい事?そのー…文化祭関連でですか?」
「そう!」
「頼みたい事…それって、文化祭の実行委員になれとかですか?」
「え…?」
と志保ちゃんはキョトンとして見せたが、すぐに「あははは!」と明るく笑うと笑顔のまま答えた。
「いやいや、違う違う!…そもそもさぁ、望月さんはそういうの率先してやりたがらないでしょ?」
…流石、二年連続で私の担任をしているだけある。
「はい」
と私がさも当然と悪びれもなく返すと、志保ちゃんはまたケラケラ笑ってから
「いや、あのね?お願いというのは…」
と口にしつつまた私の目の前にさっきのパンフレットを近付けて言った。
「望月さん…文化祭の二日目の午後、つまり後夜祭なんだけれど…そのプログラムの中で、そのー…ピアノを弾いてはくれないかな?」
「…は?」
と私は思わずそう声を漏らしてしまった。我ながら生意気な反応だと思うけど、でもまぁこれも志保ちゃん相手にだから出来る事だった。他の先生相手ではこうはいかない。
志保ちゃんも一々顔をしかめたりせずに、笑顔のままだ。
「なんでまた…?」
と私が聞くと、志保ちゃんはここで初めて苦笑いを浮かべて、チラッと周囲を見渡し、私たちに注意を向けている他の教師がいないことを確認すると、顔を近づけて内緒声で答えた。
「それはねー…ほら、あなた始業式、壇上で挨拶したでしょ?その後での職員会議であなたの話で持ち切りになってね、『そういえば近々文化祭があるんだから、せっかくだし何処かの大舞台で出演してもらって、演奏でも頼めないかなぁ?』って話が出たのよ。それであなたたちの担任である私に、あなたにそう頼む様仰せを仕った…そう次第なんだけれど…どう?」
「どうって…」
私は苦笑を浮かべつつ返した。
いきなりそんなことを言われても困るというのが感想だった。ここまで辛抱強く聞いてくれている方なら分かって頂けるだろう。ただでさえ人前に出るのが、死ぬのとどっちが良いかと真剣に悩むほどなのに、この間までのコンクールの精神的な疲れも残る中、又してもこんな話が湧いてくると、正直なところ、『一度許すとこうして面倒な話に巻き込まれていくんだなぁ』と他人事の様にシミジミと思った次第だった。
「んー…」
と目の前で志保ちゃんが懇願する様な視線を送ってきてるのから目をそらしつつ、ただ声を漏らしていると、志保ちゃんも苦笑を浮かべて言った。
「…まぁ、あなたがこういうのが苦手っていうのは、私なりに分かってるつもりだけれどね?ほら…生徒の中には、人前に出てみたくても、何か特技とか何かを持てないばかりに、その夢が叶わない人も大勢いるんだし…もしさ、何だったらそのー…『こういう条件が整えば、出てみても良い』ってのはない?」
「んー…」
なかなか諦めてくれないなぁ。
と私も苦笑を浮かべつつ、相変わらず口を閉じたまま唸っているのみだったが、ふと志保ちゃんの”条件”という言葉にハッと思いついた。
「…あっ」
「え?何?」
「あ、いや、そうですねぇー…」
私は今思いついた事を自分で咀嚼し直してみて、確かに思いつきの割には良いアイデアだと思い、それを志保ちゃんに言ってみる事にした。
「条件…か。…志保ちゃん」
「は、はい?」
私が意味深な笑みを浮かべつつ言ったのが原因か、何故か丁寧に志保ちゃんが返してきた。
それには一々突っ込まずに、私はその表情のまま言った。
「志保ちゃん…、条件って…何でも良いんですか?」
「な、何でも…って訳にはいかないだろうけれど…」
志保ちゃんは私の言葉にあからさまな警戒を見せつつ答えた。
「まぁ…常識の範囲内だったら、そのー…大丈夫よ?」
「そうですか?…ふふ」
とここで、別に狙った訳ではなかったが、自然と笑みを零しつつ言った。
「今から私が言う条件を許してくれるのなら…出ても良いです」
「え?…ってあら、本当?」
と志保ちゃんが驚きの声とともに笑顔で聞くので「はい」と私も笑顔で返した。
「そう?いやぁー良かったぁ…で?」
とここで急に真顔に戻った志保ちゃんがおずおずと聞いてきた。
「あなたの言うそのー…条件ってなんなの?」
「条件ですか?いやいや、大した話じゃないですよ」
真顔の志保ちゃんとは対照的に、私は笑みを零しつつ言った。
「それって…出るの私だけじゃなくても良いんですかね?」
「へ?どういう事?」
「つまりですね…」
顔中に疑問を浮かべている志保ちゃんを他所に、私はふと天井に向かって指をさしながら答えた。
「ある人と一緒でも良いというのなら、出ても良いって事です」

…とまぁこんなあらすじだ。最初の方をご覧になられた方ならもうお分かりだろう。
「ある人って、この学園の子?」と志保ちゃんが聞いてくるので、「はい」と私が笑顔で答えると、「誰なの?」とまた聞いてくるので、一瞬職員室の時計を眺めて、まだまだ昼休みが終わるまで時間があるのを確認すると、「今連れて来ますよ」と私は志保ちゃんの返答を聞かずに職員室を出た。そして早足で自分のクラスに戻った。
戻るとクラスメイト達は私のことをジロジロと興味深げに見てきていたが、この時の私には眼中に無かった。
「あら、お帰りー」と暢気な調子で、もうお弁当は片付けられていたが、座り位置はそのままに裕美たちはそのままでいた。
「で、どうしたのよ?何の用事だったの?」と裕美が声をかけてきたが、「まぁ、ちょっとね」とだけ短く返すと「藤花?」と声を掛けた。
「なーにー?」と間延び気味に返す藤花の手を取ると、「ちょっと私と来てくれる?」と私はそのまま返答を聞かないままに教室を飛び出していった。
後で聞いた話では、他の三人はしばらくポカンと私たち二人の出て行ったドア辺りを眺めていたらしい。さもありなんだろう。
「ちょっとー琴音ー?一体何なのー?どこに連れてく気ー?」
と無理やり連れ出された割には、その声からはイラつきなどは一切見られなかった。楽しんでる風だ。いつもの事だと言いたげに。無理やり引っ張り出したのは私だから何か言えた義理じゃ無かったけど、手を引っ張りながら何だか釈然としないままに志保ちゃんの前に戻ってきた。
藤花と志保ちゃんはお互いに顔を見合わせていた。
「あ、志保ちゃんだ」と藤花が声をかけていたが、志保ちゃんは意外と言いたげに藤花をジロジロと眺め回していた。
「望月さん…ある人と言うのは、並木さんの事?」
志保ちゃんは顔を私に向けつつ、視線は藤花に流しながら聞いた。
「何?どういう事?」
と藤花が聞いてくるのを流しつつ、「はい、そうです」と答えた。
「もーう、二人で何の話をしているのー?」
と藤花が膨れっ面をして見せつつ腰に手を当てて言うと、志保ちゃんは苦笑いを浮かべつつ私に「え?並木さんは何も知らないの?」と聞いてくるので、私は照れ笑いを浮かべつつ「はい、まぁここまで無理やり連れてきてしまいました」と答えるとその直後に「はい、拉致されちゃいましたぁ」と藤花も答えた。
そんな私たち二人の答えに呆れ笑いを浮かべつつ、志保ちゃんは先ほどまでの経緯を掻い摘んで説明をした。
最初の方は笑顔で聞いていた藤花だったが、次第に顔を曇らせていき、最後には私にずっとジト目を流し続けてきていた。
「とまぁ、そういう訳なんだけれど…?」
「…ちょっと琴音ー?」
志保ちゃんが言い終えるのと同時に、藤花は薄目を私に向けてきつつ言った。
「一体どういうつもり?何でこんな話になってるの?」
「え?あ、うん…」
とここにきて初めて我に帰ったと言うのか、途端に冷静になって、若干…いや、かなり暴走してしまったかと既に反省モードに入っていた。だが、それでも自分のアイデア自体がとても良い案だという身勝手な思いを捨てきれずに、藤花にその思いの丈を話した。
「…あ、あのさ、そのー…こうして急に私の事情に巻き込んでしまって悪いとは思ってるのよ?それは反省してる。後でいくらでも文句を聞くし、それを受け入れるけれども…ただね、ほら、私たち一年生の頃から知り合って、今まで何度もあなたの家で一緒に演奏し合ってきたじゃない?リート(歌曲)を私がピアノを弾いて、あなたが歌って」
「あ、並木さん、あなた…歌やってるのね?」
と志保ちゃんが今更な反応をしてきたが、考えてみたら今更も何も、今初めて知ったのだから、当たり前だった。
「は、はい…まぁ」と藤花は私から視線を外す事なく返していたが、それには構わずに私は続けた。
「志保ちゃんから話を聞いた時にね、正直そんなに乗り気じゃ無かったんだけれど…でもね!」
とここで自分でも不思議なほどに熱が入ってきた。
「ふと藤花、あなたのことを思い出して、そして今までの事も一緒に思い出してきてね?もしあなたと一緒に舞台の上で演奏出来たら、どんなに楽しいだろう、どんなに素敵だろうと真面目に思ったのよ」
「ちょ、ちょっとー」
とここで藤花は私を制するように両手をこちらに向けてきつつ、周囲に目を配っていた。今まで無表情に近い顔を見せていたのに、途端に戸惑いと恥じらいの色を浮かべていた。志保ちゃんはずっと真面目な顔つきで私と藤花の顔を見比べていた。
後になって私も恥ずかしくなったが、この時はただ思いの丈を話すのに夢中で気づかなかった。でもまぁここで藤花に制されるままにテンションを落ち着かせて、
「でまぁ、それが志保ちゃんに出した条件だったんだけど…どう、かな?」
と藤花に問いかけた。藤花は途中からすぐにまた静かな表情に戻していたが、私の話を聞き終えると「んー…」と腕を組みつつ呻き声を漏らしていた。
「…望月さん?それって…絶対に並木さんじゃなきゃ駄目なの?」
とここで志保ちゃんが私に話しかけてきた。
「え?」
「だって…この学園はミッション系というのもあって、合唱部なんかもあるし、もし歌曲を演りたいのなら、その子達でも代役は勤まると思うのよね?あ、いや、並木さんに対してどうの言いたいんじゃなくて、ただ急にこんな話を聞いたら、そりゃ困るだろうし…」
私も急な話だったんだけれど…?
と口にはしなかったが思わず苦笑だけ漏らした。が、その直後には真顔に戻って、今だに唸っている藤花に顔を向けると志保ちゃんに答えた。
「…駄目です、藤花でなくては。だって…我ながら偉そうな言い方ですけど、私が信頼を置いてピアノで伴奏を弾けるのは…藤花以外には考えられません」
と私がハッキリとした口調で言うと、ほんの少し沈黙があった。いつの間にか隣から聞こえていた唸りも消えていたのだ。
と暫くして、クスクスと笑い声が聞こえてきた。隣の藤花からだ。
私と志保ちゃんが同時に藤花を見ると、藤花は何だか呆れとも恥じらいとも何とも言えない笑みを浮かべて、そのままの表情で私に声をかけた。
「…ふふ、ちょっと琴音ー?さっきから黙って聞いてれば、あれやこれやと”恥ずい”セリフを次から次へと吐き散らかしてー…そばで聞いてる本人の身にもなってよー?」
声のトーンはいつもの藤花調に戻っていた。
「志保ちゃんもいるしさー?」
と藤花が志保ちゃんにも笑顔で視線を流したのを見て、私も自然と笑顔が溢れた。
「ふふ、ゴメンね」
「全くだよ、もーう」
「ふふ」
「あはは」
と二人して笑い合っていると、「あのー…」と志保ちゃんが何だか申し訳無さげに声を発した。
「楽しそうなところで悪いけれど…並木さん?」
「はい?」
「そのー…で、どうなのかな?」
「え?んー…」
と藤花はホッペを掻きつつ私に視線を送ったりしていたが、フッと一度短く息を吐くと、
「仕方ないなぁー…はい、いいですよ!折角のご指名ですしね?」
と返していた。言い終えた顔は思いっきりニヤケていた。
「ふふ、ありがとうね藤花」
と私がお礼を言ったその時、ちょうどチャイムが鳴った。昼休み終了の合図だ。
鳴り止むと、志保ちゃんは「よいしょ…」と、まだ三十路にも関わらず年寄り臭い声と共に立ち上がると、私と藤花の背中に手を当てて笑顔で言った。
「よし決まり!二人とも、本番はお願いね?」

…こうして私の強引な、藤花の言う拉致によって、何とか来たる文化祭でのお披露目に、二人揃って演奏するという約束を取り付けたのだった。
とその前に、教室に戻ってからは、もう休み時間が終わっていたというのに、まだ裕美と紫が私と律の教室に残っていて、色々と根掘り葉掘り聞こうとしてきたので、後で話すという確約だけして、取り敢えずのところは引き取って貰った。
藤花を含む三人が去った後で、律にボソッと藤花を無理やり連れだした事について小言を食ったのは言うまでもない。それについても後で説明するからと、取り敢えず引き下がって貰った。
それからその日の放課後、早速裕美たち三人が私と律の教室に入って来たので、この場所では落ち着かないからと、例によって学園近くの小さな公園に行こうと提案した。それには皆してすぐに同意してくれた。
着くとこれまた定位置のベンチの上にカバンを置くと、間髪入れずに私と藤花は質問責めにあった。裕美と紫の口ぶりから察するに、私と同じでまだ中身を話していなかったようだ。まぁ時間も無かったのだから仕方ない。
取り敢えず他の三人を落ち着かせて、私と藤花で分担しながら今までのあらすじを話していった。
話し終えると、裕美と紫は途端にテンション上げてはしゃいで見せた。「夢の共演ね!」だとか何だとか、無駄に大袈裟な言い回しをお互いに言い合っていた。
そんな二人を私と藤花は苦笑いを浮かべて顔を見合わせていたが、ふと律が静かな表情を浮かべて私たちに近づいて来た。
それからは律は、私にチラッと冷たく見えるほどの視線を投げてきつつ、藤花にボソッと声をかけた。
「藤花…いいの?」
「え?何が?」
「何がって…」
藤花が普段と変わらないトーンで返すのに一瞬面を食らっている様子だったが、すぐに気を取り直して律は続けた。
「だって藤花…あなた、自分が歌を歌う事を、あまり人に知られたくないって言ってたじゃない…?」
「え?…ふふ」
と律のセリフを聞いて、藤花は一瞬きょとんとしていたが、その直後にはクスッと笑うと、少し意地悪げな笑みを浮かべつつ返した。
「…それを律が言うー?…誰だっけ、私に内緒で勝手に教会にみんなを連れて来たのは?」
「そ、それは…」
流石の律も急所を突かれたと見えて、たじろいでいたが、そんな様子を面白そうに見ていた藤花だったが、次第に表情を柔らかな笑みに変化していくと静かに言った。
「ふふ…律、ありがとう。…いいのよ。…そりゃー確かに、あまり…特に今の所は学園のみんなに知られるというのは、今も気が進まない事ではあるんだけれど…」
とここで藤花は私に視線を流しつつ続けた。
「昼休みにね、職員室で琴音に立て続けに殺し文句を並べられてね、それに何ていうか…絆されちゃってさ、別にいっかって気持ちになったの。…まぁ、こないだのコンクールでの琴音に影響されちゃったのかもね?」
「藤花…」
そう言いながら、こちらにニコッと笑顔を私に向けてきたので、返す言葉がすぐには見つからず、ただ名前を呟くので精一杯だったが、
「…まぁ、そもそもさ?」
と藤花はまた律を正面に見据えると、ニコッと無邪気な笑顔を浮かべつつ言った。
「舞台の上でさ、琴音と一緒に演奏してみたかったって気持ちは、私”も”ずっと持ってたからね!」
…”も”
「…ふふ」
藤花の言葉に私は思わず笑みを零した。それを見た藤花も少し照れ臭げではあったが、笑みをこちらに向けていた。そんな私たちの様子を律一人が首を傾げて不思議そうにしていたが、フッと力を抜くように笑みをこぼすと
「まぁ…藤花がいいなら、それでいい…」
と言った後、「琴音…」と今度は私に声をかけてきた。
「さっきは…何だか問い詰めちゃったようで、そのー…ごめん」
そう言い終えると軽く頭を下げてきた。
確かに後で説明して云々は言われたが、問い詰められたというのは身に覚えがなかったので、こんな風に軽くとはいえ頭を下げられると、相手が友達でも恐縮せざるを得なかったが、私は何とか微笑みつつ
「良いってばー」
と口調は冗談交じりに返した。それを聞いた律は顔を上げると、微笑みを浮かべる私と藤花の顔を交互に見た後に、小さく微笑み返すのだった。
「なになにー?何の話をしてるの?」
とここで、ずっと何だか二人で盛り上がっていた裕美と紫が合流して来たが、まぁ二人には悪いけれども、この間の会話は私たち三人だけの物にしよう…と思ったのは私だけでは無かったらしく、藤花と律も私と顔を見合わせると、笑顔で誤魔化すのだった。
それを見た裕美と紫は、少し膨れて見せた後、苦笑を浮かべるのだった。

…過去にないほどに長い振り返りをしたが、こういった経緯があって、まだ二度目と少ないが、藤花の家の中の練習部屋で、文化祭に向けた特訓をして、それで終わったという初めに戻る。
「ご飯食べてくでしょー?」
ケアを終えた藤花が部屋のドアの取っ手に手を掛けて声を掛けてきた。
「え、えぇ…」
と私は苦笑いを浮かべて返した。最近は藤花の家に来ると、毎回とまではいかないがよく夕食に招待されていた。慣れない私はその誘いに対してどう態度を示せば良いのか分からず、取り敢えず苦笑をして見せる他に無かった。
「じゃあ早く行こう?もうお腹ペコペコだよー」
と藤花は腰を軽く曲げるとお腹辺りをさすって見せた。
「ふふ」と私は藤花が部屋を出るのに続いた。
「はぁ…ん?」
と、部屋を出た瞬間、突然鼻腔が良い香りに気付かされた。来た時にはしていなかった香りだ。まるで森林の中にいると錯覚させる様な、爽やかで清涼感のあるものだった。
あぁ、良い香りね…落ち着く…ってあれ?
とここで私はふと、何だかこの香りに”鼻覚え”(?)とでも言うのだろうか、どこかで嗅いだことがあるのに気づいた。ただ今時点ではすぐに思い出せなかった。
それでも何とか思い出そうと足を止めて頭を巡らせていると、「琴音?」と声を掛けられた。見ると、廊下の先で藤花が不思議そうな表情を浮かべてこちらを見ていた。
「どうしたの?」
「え?あ、いや…」
と私は何だか気恥ずかしそうに藤花に近寄って言った。
「今この家で匂ってるこの香りがさ、そのー…良い匂いだなって思って」
「あぁ、確かに」
と藤花は軽く顔を上げて、鼻をスンスン鳴らして見せてから返した。「良い匂いだよねぇ」
「えぇ、それでね?何だかどこかで嗅いだことがある様な無いような…それが思い出せなくて、それでちょっと足を止めてたの」
「あぁ、それでかー…って琴音、嗅いだことがあるような無いようなってさぁ…そりゃあるよぉ」
と何故か藤花は呆れ気味に目を細めて見せつつ口調も合わせて言った。
「だってさぁー…これって、私の通う教会の匂いだもん」
「…え?教会?」
思いも寄らなかった言葉に私が目を大きくしながら返すと、藤花は少し誇らしげに胸を張って言った。
「そうよー?なんて言ったっけなぁ…あ、そうそう、”乳香”って香料の匂いなんだって」
「へぇー、そうなんだ…って、そもそもなんで藤花のお家が教会の匂いで満たされているのよ?」
と私が問うと、藤花はますます自慢げな笑みを浮かべつつ、どこか悪戯っ子を潜ませたような表情で返してきた。
「ふっふー、それはね…後でお母さんに聞いて?」

…まぁ何だか取り留めのない会話だったが、これを少しだけ延長させて貰おう。
食事の席で藤花のお母さんに聞いたところによると、この日がたまたま藤花たち家族の通う教会の神父が来ていたらしく、それでこれも珍しい事のようだが儀式の一環として香を焚いたらしい。それを放課後真っ直ぐに来て部屋に籠ってしまっていた私たちには気付けなかったという事のようだった。一月か二ヶ月に一片というペースらしく、結構頻繁にお邪魔している私でも今まですれ違う事すら出来ていなかったらしい。
で、何故その教会特有の乳香の香りで今満たされているのかを聞いてみると、それにもすんなり答えてくれた。
そもそもこの乳香の香りというのは、キリスト教において結構重要な、私なりの俗な言い方で言えば三点セットのうちの一つらしい。
私が質問した事で気を良くしたらしく、食事を摂りながら藤花のお母さんが事細やかに教えてくれた。
何でも聖書に書かれている内容が起源のようで、マタイの福音書に出てくる、イエスが生まれたというので、いわゆる”東方の三博士”がわざわざ出向いて、それぞれが持参した宝物をそれぞれ渡したという所から来てるらしい。ちなみにそれらを紹介すると、”黄金”、”没薬”、そして”乳香”の三品だ。それぞれに意味があるらしく、黄金には”王権の象徴、青年の姿の賢者”、没薬には”将来の受難である死の象徴、老人の姿の賢者”、そして乳香には”神性の象徴、壮年の姿の賢者”ってな具合なようだ。
またここで藤花のお母さんはテンション高めに色々と詳しく話してくれたが、ここでは乳香についてのみ触れてみようと思う。乳香についての解釈を少し掘り進めると、『神への供物、礼拝を象徴するもの』となるらしい。少なくとも、藤花の通うカトリック教会ではそのようだ。イエスが『神から油を注がれた者(キリスト)』であり、聖別されている者であることを意味してて、さらに、イエス自身が崇拝を受ける存在、『神』であることも現すとの事だ。
「へぇー」
今まで私は大まかな話なら、そう、義一と何度かした事はあったが、ここまで実際の信者の人からこういった宗教的な話を聞いた事が無かったので、とても興味深く聞いている中、私の隣で藤花は何だか居心地が悪そうにしていた。
それからはいつも通りといった感じで、夕食のお礼を言い、そのまま帰り支度をして、そして普段着に着替えた藤花に駅まで見送って貰った。
駅までの道中で、「ごめんね琴音、私のお母さんたら、あまり他の人にこの手の質問をされたりした経験が少なかったせいか、こんなに話し込んじゃって」と言うので、私は「んーん」と笑顔で返した。
「とても面白かったよ」
「そーお?本当にー?」
と藤花は何故か疑いの目を向けてきたので、「本当だってー」と苦笑まじりに返した。
これは本心だった。ついさっきも感想を言ったが、それに軽く付け加えると、義一とも会話した事のある旨を言ったが、それというのも、私が義一に借りてよく読んでいた一九世紀の小説なり何なりといった本の中身が、結構キリスト教の事について書かれていたからだった。 それも別にキリスト教圏だからって理由だけではなく、そもそも十九世紀の時点で、キリスト教自体が欧州で弱ってきてるのが顕著になってきていた時期で、それに対してどう対処したら良いのかという苦悶と煩悶の物語ばかりだった。その悩み方が子供ながらに読んでいて鬼気迫る気迫を感じて、徐々に興味が湧き、それで話が戻るが、義一と何度か会話をしたのだった。とはいっても、結局は机上学問と言うのか、二人揃って宗教が門外漢だったので、何だかフワフワとした議論しかできなかったのは否めなく、この日こうして直接”実際家”から話を聞けたのは、大袈裟ではなくとても良い機会だった。正直早く直接義一に会って、今日聞いた話を早くしてみたくてウズウズしていた。
私の返答に対して、藤花は『この子、気を使ってくれてるのね』という風に都合良く解釈をしてくれたらしく、私とはまた別の意味で軽く上機嫌になっていた。
それから私は藤花に送ってくれた事にお礼を言うと、改札の中に入り、そして一度また振り返り、お互いに手を振ると、それからは振り返らずにホームへと向かった。


文化祭当日。の初日。
今年も去年と同様に屋外にて校長が校庭の壇上に上がって、文化祭を開催するに当たっての注意事項を述べていた。その退屈な話を聞き流す中、私はふと顔を上げてまだ残暑の残る陽射しの下、青空を見上げた。
…確か去年は曇り空だったのに、今年は良い天気ねぇ
などといった呑気な感想を思っていると、校長の話が終わったと見えて、これまた去年と同様に唐突にファンファーレが鳴り響いた。紫の所属する管弦楽同好会の面々が、この軽く暑い中、ビシッと決まった去年と同様の、白のワイシャツに黒のスキニーパンツ、それに赤と黒のチェック柄ベストを羽織っていた。トランペットを吹き鳴らす紫の堂々とした姿も見えた。話では去年と同じ様に、文化祭の一日目で体育館で生演奏をする予定になっていた。当然、他の皆で聴きに行く予定だ。以前もついでにと話してしまったが、律も二日目に他校との親善試合があるらしい。これも当然観戦に行く予定だ。とまぁ、前回とさほど違いは無いのだが、一つ、言うまでもなく全く違う点は、私と藤花に予定があるという点だった。そう、後夜祭でのリートのお披露目会だ。
この朝礼の時、退屈していた私はキョロキョロと視線を流していたのだが、ふと隣のクラスだというので、違うクラスでも近くにいた藤花と目が合った。暫くそのまま見つめ合ったが、どちらともなく苦笑を浮かべ合った。…その苦笑を浮かべた理由は、直接は後になっても聞いては無いが、おそらく同じだっただろう。
というのも、我が学園の文化祭、開催一週間前あたりに担任から祭りのパンフレットを貰うのだが、そこに書かれていたプログラムを見てぎょっとしてしまった。私と藤花の出演は、てっきり軽くどこか隙間にポッと入るくらいだろうと思っていたのだが、後夜祭箇所を見てみると、何と最後も最後、大トリに出番がなっていた。私たちの前には、お祭りらしく、中高合わせた生徒たちの催し物がズラッと並べられていたのだが、それらを差し置いての、しつこい様だが大トリなのだ。
文化祭準備期間という、授業も短縮してまで準備をする期間に入っていたせいで、その日は各クラスの準備を手伝った後、いつもの喫茶店に集ってこの話をした。去年と同じ様に”出す”側の紫と、そして律までが面白がってきた。その反応に対して私と藤花は、時折顔を見合わせて苦笑いを浮かべつつ返していると、一人だけポツーンとつまらなそうにしている者がいた。…者がいたというほどでも無いか、それは当然裕美だった。それもそうだろう。裕美は学園内の部活には所属していなかったので、自分のクラスの出し物以外では、他の四人と違って、言ってはなんだが暇になる予定なのだ。…いや、キチンと今言った様にクラスの出し物があるのだから、その準備や当日も働かなくちゃいけないというので、暇という言葉はふさわしくないのかも知れない。…知れないが、この言葉自体が裕美の口から吐かれたものだったのだ。「私だけ何も無いじゃなーい」と拗ねて見せる裕美に、私が今言った様なことを言って慰めたのだが、それでも機嫌を直さなかった。さっきまで私と藤花を冷やかすのを楽しんでいた紫と律も、苦笑まじりに慰めるのに加わったが、状況は変わらなかった。しかしまぁ最終的には、裕美は顔いっぱいに悪戯っぽいニヤケ面を浮かべると、「こうなったら、アンタ達全員を思いっきり冷やかして、面白がって、そして精一杯応援してあげるんだから!」と、励ましなのか何なのかよく分からない、いかにも裕美らしい言葉を聞いて、私たち他の四人は顔を見合わせると明るく笑い合うのだった。

…と、途中からいつの間にかまた回想に入っていたが、まぁついでに一つ付け加えさせて貰うと、裕美のクラスだけじゃなく、私と律のクラスも出し物があったのだが、私と律、加えて紫と藤花もやる事があったので、準備は当然手が空いてたらという条件付きで手伝ったが、本番当日は免除されていた。
…まぁ、見方によってはどっちが面白そうか変わりそうな所だ。実際には準備や、当日に色々と役割分担をして全うするというのは、退屈でつまらない事と思う所も当事者ならあるのかも知れないが、私は横目で彼らのことを見ていて、心なしか羨ましかった。藤花と練習しなくちゃいけない日は早めに準備を抜けたのだが、とても熱気のあるその空間から、とても去りがたい心持ちにさせられていた。後ろ髪を引かれる感覚だった。まぁ…それだけだ。話を戻そう。

午前中は裕美はクラスの出し物、紫はリハーサルに行っていたので、私、藤花、律の三人で校舎内を当てもなくフラフラとしていた。早くも暇になってしまった私たち三人は、『来ても面白く無いから』と、ある種釘を刺されていたのだが、逆に気になっていた裕美たちの教室に行くことにした。教室の前に着くと、いかにも手作りな看板にデカデカと『実写版プリシー』と書かれていた。
何のこっちゃ?と思って受付の子たちに何の出し物なのか聞くと、藤花のクラスメイト達だったので、ニヤニヤと笑みを浮かべつつ、のらりくらりと躱されてしまい、結局は「入ってからのお楽しみー」と流されてしまった。仕方ないとため息を漏らしつつ、言われるままに受付で手続きをすませると、軽いノリのまま中に入った。
入ると何のことは無い、生徒たちは皆して各々色んな仮装をしていた。見た瞬間に何のキャラクターだか分かるものから、よく見ても分からないものまで多種多様だった。後は、教室をベニア板で何分割か区切られており、外側からはチラッと三脚の上に置かれたカメラが見えていた。
珍しげに藤花以外の他クラスである私と律が辺りを見渡していると、「…あっ、アンタ達」と声をかけられた。その方を見ると、Tシャツに下はジャージ姿の、良く言えば動きやすそうなラフな格好をした裕美が、両手でカメラを持ってこちらを見ていた。
「来ちゃったかぁ」と照れ臭そうに笑って言うので、「うん、来ちゃった」と私は、漫画的表現なら語尾にハートマークを付けるようなノリで、ニヤケながら返した。
「そっかぁー。まぁ来たものはしょうがない、まぁ楽しんでってよ」
「えぇ、そのつもりだけど…ところで」
と私はまた一度部屋を見渡しながら聞いた。
「ここは一体なんなの?何するところ?」
とそう言うと、私は今度は手に持っていたパンフレットを開いて、今いる箇所を探し出し、そこに書いてあるのを読み上げながら続けた。
「”実写版プリシー、記念が欲しければまずここへ”…ってさぁ、全く説明になってないんだけれど?」
と最終的には笑いつつそう聞くと、裕美も何だか可笑しそうに笑みを浮かべつつ返した。
「あははは、確かに説明になってないよねぇ?まぁ、その説明になってないのが狙いではあるんだけれど…藤花?」
と裕美はニヤケながら藤花に話しかけた。
「私たちのクラスの約束事、キチンと守っているようね?」
「うん、もちろん!」
と藤花が明るく笑みを零しつつ返すと、
「約束事?」
とここで律がボソッと口を挟んだ。すると裕美は明るい笑みを浮かべながら答えた。
「うん、そう!店名だけ聞いたら、何が何だか分からないでしょ?だったらいっその事、全てを曖昧にして、それで興味を持ったお客さんに足を運んでもらおうっていう魂胆なのよ!」
「…ふふ」
裕美が何だか自信満々にそう言い放ち、他の生徒達に同意を求めて、それに皆して笑顔で同調するのを見て、その息のあった様子が微笑ましく感じて和かに見ていたのだが、私の持ったが病で意地悪く突っ込まざるを得なかった。
「魂胆ねぇー…ヒントがまるで無いのに興味を持つというのは無理があると思うけど?」
「あ、ツッコんだわねー?」
そう返す裕美は挑戦的な視線を私に向けてきつつ、口元は緩めたまま返した。
「だからアンタは毒吐きプリンセスって言われるのよ」
「…今初めて言われたんですけど?」
「うん、今作った」
と何故かここで無邪気な笑みを浮かべたので、やれやれと藤花と律の方を向くと、何と二人して、律まで一緒になって裕美と似たような笑みをこちらに向けてきていたので、「やれやれ…」と直接口にしつつ苦笑いをする他に無かった。
「…で?」
と私は気を取り直して裕美に聞いた。
「実写版プリシーって一体なんの事なの?」
「フッフー、良くぞ聞いてくれました」
私たちが入った直後は何だか迷惑がっていた人とは、同一人物とは思えないほどに、裕美は何だかノリノリになっていた。
「そもそもね、ネタバラシをしちゃうとさ、私たちのクラスの出し物はねぇ…言うなれば実写版のプリクラなのよ」
「プリクラ?」
「そう、プリクラ」
裕美は辺りをぐるっと見渡しながら続けた。
「ほら、いくつか小部屋が設けられてるでしょ?あの一つ一つが要はプリクラマシーンなのよ。でね、それぞれにテーマがあって、映画のワンシーンだったり、ホラーだったり、アニメの一コマだったり、まぁそんな風景をバックに写真を撮る…で、近くのパソコンで好きな字を書き込んで貰って、最後にプリントアウトする…どう?プリクラそのものじゃない?」
「へぇー…アイディアとしては面白いじゃない?」
と私は素直に感心して見せた。
「本当にアンタは姫らしく、上から目線なんだからー」
と言う裕美の軽口をスルーしつつ、
「それは良くわかったけれどさぁ…それで何で名前が実写版プリシーなの?実写版っていうのは今の説明で分かったけれど、プリシーの意味がまるで分からないよ」
と聞くと、裕美は急にパンっと両手を打ったかと思うと、満面の笑みを浮かべつつ答えた。
「待ってました!…ふっふー、それはね、こういう訳だよ。この案で固まった時に、名前をどうしようかって話になったんだけれど、発案者の子がね、ある雑学を教えてくれたの。そもそもね、プリクラっていうのは”プリント倶楽部”の略な訳だけれど、初めてその機械を作った会社がその呼び方を商標登録しているらしくて、厳密にはその名前を使えないらしいの。それでそれ以外のメーカーは、”プリントシール機”って名称を使ってるんだけれど、その”プリントシール機”を略して…」
「プリシーになった訳ね?」
と私が返すと、「その通りー!」と裕美は私にビシッと指をさしてきた。先ほどから天井知らずにテンションを上げていく裕美に対して、それに中々追いついていけてなかった私はただ苦笑を零したが、ここで今まで静かだった藤花がニヤケつつ口を開いた。
「それだけじゃないよー?勿論プリントシール機の略なんだから後付けなんだけれど…」
とここで一度溜めてから、藤花は得意げに続けた。
「この”プリシー”は、可愛いとかの意味の”プリティー”にもかかってるんだから!ねぇー?」
「ねぇー」
とすぐに裕美も同じ調子で続くと、そこからは波状的に他の子達も「ねぇー」だとか「そうよねぇ」みたいに明るい声で反応を返してきていた。
そんな明るく、また息の合った様子を見せられて、私はふと律と顔を見合わせると、どちらからともなく微笑み合うのだった。
とその時、「裕美ー?いくら客足の少ない午前だからって、そろそろそのお客さん達にも写真撮って貰ってー?」と誰かが声を発すると「うーん」と裕美は間延び気味に答えた。
因みに、文化祭初日は主に内輪に解放するという法になっており、生徒の保護者などの関係者、後は入学希望者の親子連れをもてなすというのがメインだった。だから客足はまだ少ないのだ。私たちの学園は招待券制なので、二日目はその券を持った一般客が来る予定だ。お祭りらしさは、どちらかというと二日目の方がある。
「さてお客さん方?」
と裕美が急に店員モードに入って、いつの間に持っていたのか、メニュー表のような物を渡してきつつ話しかけてきた。
「どのモードにします?」
「え?そうねぇ…」
手渡されたメニューを、律と藤花が脇から覗き込むように見てきた。そこには四、五種類ほどのパターンが写真付きで載っていた。
「どれにする?」
と私がメニューの目を落としつつ聞くと、
「うーん、どうしよう?」
「んー…」
藤花と律も決め兼ねていたが、そんな私たちの様子を笑顔で見ていた裕美がふと何か思いついた風な声を上げると言った。
「…あ、じゃあさ、私のオススメにしない?なーに、悪いようにはしないからさ?ね?」
とヤケにグイグイくるのは気になったが、この時はまぁいっかと、私たち三人は裕美の案に乗った。
すると裕美はテンション高く私たち三人をある一角に連れて行ったかと思うと、
「ちょっと二人は先に入ってて?私はこの子にちょっと細工をするから」
「え?ちょ、ちょっとー?」
藤花と律に声をかけたかと思うと、裕美は私の手を強引に引っ張り、部屋の隅に連れて行った。
連れていかれる間際、呆然としている律とは対照的に、何かを察したようにニヤケていた藤花の笑みが印象的だった。
「…はい、お待たせー」
と裕美が声を上げて私を藤花達の前に連れ出した。
私の姿を見た瞬間、「おぉー」と、藤花と律は声を漏らしたが、それと同時に口元は凄くニヤケていた。
藤花達が先に入っていた部屋には鏡が一枚壁にかけられていたのだが、そこに映っていたのは、ラインストーンが散りばめられていたティアラを頭に乗せた、むすっと膨れている私の姿だった。
「おぉーじゃないわよ…」
と声のトーンを落として不満げに声を上げたが、他の三人は露ほども気にしてくれない。
「ふふ、似合ってるわよ?プリンセス?」
と裕美が腰に手を掛けながらニヤケつつ言った。
「…今日一日、その”プリンセス”で通すじゃないでしょうね…?」
と私がジト目を向けつつ聞くと、
「いーや、それはどうだろう?」
と裕美は目を閉じつつ頭を振った。
「どういう意味よ?」
想像していた返答をしてこなかった裕美に対して、何だか拍子抜けになり聞き返すと、裕美は途端にニターッと意地悪げに笑いつつ答えた。
「…ふふ、もしかしたら、今日一日だけじゃなく…以降、定着するかも?」
「勘弁して…」
と私が力無くボソッと言うと、途端に他の三人は明るく笑い合うのだった。それを見た私も釣られるようにして、苦笑いで混ざった。

それからは何枚か、仏頂ズラの私を中心に据えて、御伽の国風の絵が描かれていた壁をバックに、何パターンか写真を撮り、小部屋を出てすぐ脇にあるパソコン画面に映し出された、撮ったばかりの写真にカラフルな色で言葉を書き入れた。
皆テンション高く色々と書いているのを私は眺めていたが、まぁ…何だかんだ言って楽しんでしまった。私の負けだ。…勝ち負けがあればだけど。

そんなこんなしていると、丁度正午になった。
ようやくシフトを外れた裕美と、リハーサルの済んだ紫と合流して、昼食がわりに屋台の出ている校庭に出て、色々な屋台飯を買い漁ると、せっかく天気が良いんだからといって学園の屋上に行った。空中庭園の体をなしている様な、花壇が植えられたりしているアソコだ。少しばかり人がいたが、それでも普段ほどでは無い。昼時などは皆してここに出て来ようとするので、とてもじゃないが落ち着く事が出来なかった。…っと、そういえば去年もこんな話をした記憶がある。いかんいかん。
食事を摂りながら、先ほど撮った”プリティー”な”プリシー”を紫にも見せた。紫は初めの方では面白げに見ていたが、徐々に軽く不機嫌になっていった。「私も行きたかったぁ」ってな調子だ。想定内だ。
表面上はやれやれと言いつつも、ハナからそのつもりだったので、食事を終えるとそのまま直接また裕美達のクラスに戻った。 そして今度は裕美も入れての”プリシー”を撮ったのだった。
…まぁ、撮った後のペン入れを含んで、また楽しんだっちゃあ楽しんだのだが、まさか再度ティアラを乗せられた仏頂ズラの私を、また中心に置いて撮る事になろうとは思ってもみなかった…。これは想定外だった。

…っと、まぁこれ以上話すとキリがなくなるので、初日の話はこの辺にしておこう。勿論この後は紫たち管弦楽団の演奏を体育館で聞いたのだったが、誤解を恐れずに言えば、取り立てて話す事も無かったので割愛させて頂く。別につまらなかったとか、そんな理由ではない。むしろ去年と同じく心から楽しめた。…そう、去年と大体同じだったから、割愛させていただく、それだけの話だ。
夕方五時になると、文化祭初日の終わりを告げる放送が流された。
その後私たち五人は、紫に感想を述べつつ仲良く駅まで行くと、「また明日」と笑顔で別れた。少し気持ちが高ぶっていたから、どこかで軽くお茶をしても良かったのだが、明日は律の試合、そして私と藤花の本番もあるというので、裕美と紫が忖度をしてくれてこう相成った。

文化祭二日目。今日も快晴だ。
実は昨日もそうだったのだが、今日も裕美と待ち合わせて学校に向かった。地元の駅までの道すがら、当然の様に話題は文化祭関係に終始した。
「今日ってシフト入ってないのよね?」
「え、えぇ…。昨日の午前中に出ずっぱりで頑張ったからねー」裕美はそう明るげに返してきていたが、視線はチラチラと、私が肩に下げていた大きめのトートバッグに向けていた。私はその視線に気付きつつも、気付かないフリを続けていたが、ついに我慢が出来なくなったか、裕美は焦ったそうに声をかけてきた。
「ところでさ…その肩に下げている大きなバッグは何なの?」
「あ、あぁ…これ?」
と私はバッグのハンドル…いわゆる持ち手部分に指を引っ掛けて見せながら…思わず苦笑を漏らしつつ返した。
「これはね…ふふ、今日の本番で着る、そのー…衣装よ」
「へ?衣装…?それって、こないだコンクールで着ていた様な?」
と裕美は、外からじゃ分からないだろうにジロジロとカバンを眺めながら言った。
「そう」
「…へぇー」
とここで裕美は上体を軽く屈めつつ、私の顔を下から覗き込む様にしながら、ニヤケつつ言った。
「珍しいわねぇー?アンタが自分から、わざわざそんな衣装を引っ張り出してくるなんて。そんなサービス精神なんか、アンタ持ってたっけ?どんな風の吹きまさし?」
「うるさいなぁ…ふふ、サービス精神って何よ?」
大体思った通りの反応を示してきたので、私は一度裕美の言い回しにクスリと笑みを零してから、思いっきりウンザリだと体全体で表現しながら答えた。
「…違うのよ、ほら、志保ちゃんいるでしょ?志保ちゃんにさぁー…頼まれちゃってねぇ…。『頼み事を飲んでくれた所で悪いんだけれど、ついでにもう一つ頼まれてくれない?』ってね。その要望っていうのが…」
と私はここで自分の肩の”お荷物”に目をくれながら言った。
「『どうせだったら、衣装もコンクール仕様で演ってくれないかな?』だったのよ…」
「へぇー、なるほどねぇ」
と裕美は心なしか声のトーンを明るくしつつ、またジロジロと今度は興味深げにバッグを眺めていた。
「じゃあこの中には、あの時の衣装が入っているのね?」
「え?あ、まぁ…うーん、そう…だね」
私はハッキリと訂正を入れようか入れまいか悩んだ末に、こんな煮え切らない返答をしてしまった。それに気付かない裕美ではない。
早速私に質問してきた。
「…なーにー?その歯に何かが挟まった様な言い方は?何、違うの?」
「違うって訳じゃないのよ…」
自分の事なのに、こんな言い方は可笑しいが、そもそもの訳を知る私としては、我ながらとても気恥ずかしく言う他に無かった。
「まぁ軽く話すとね、それをお母さんに言ったらさ、言い方が難しいけれど、あの時に着ていた衣装って結構高い服だったからさ、てっきり文化祭でちょろっと弾くくらいの事で着るんじゃないって言われるのかと思ってたんだけれど…何だか凄く乗り気になってねー…」
「あはは、その時のおばさんの様子が目に浮かぶ様だわ」
「…ふふ、でね、『どの時の衣装にする?』って話になったの。…あ、ほら、あなたなら分かるでしょ?本選と決勝を観に来てくれたから。毎回毎回衣装を変えてたからね、要は予選の物も含めると三着あるのよ」
「あぁ、それで全て着る訳にもいかないからって、それで選ぶと…で?」
とここで裕美は心から不思議と言いたげに首を軽く傾げつつ聞いた。「その事で、何でアンタはそんなに言い辛そうにしていたの?」
「それはね…」
とここでまた私はカバンに目を向けつつ、少しまた気恥ずかしさが戻ってきたので、それを誤魔化しながら答えた。
「ほ、ほら…みんなはまず決勝の時の衣装は見てるでしょ?だからそれはまず候補から抜いたの。…でね、後の二択。本選のと予選の衣装…。私の好みとしては、予選の時よりも本選の時の方が好みだったんだけれど結局…」
とここで私はカバンの外から軽くパンパンと叩いてから裕美に顔を向けて言った。
「予選時のに決めたんだ」
「…え?それって…」
と流石の長い付き合いで私の特質を知る裕美は気付いたのだろう、見る見るうちに苦悶にも似た表情を浮かび上がらせてきていたが、私はそれに構わずに照れ笑いを浮かべつつ言った。
「ま、まぁ…せっかくだし…ね?『そういえば裕美は、私の予選の時の衣装を見てもらって無かったなぁ』って思い出してさ?それでそのー…まぁ、こうなったのよ」
と言い終えると、またパンパンとカバンを叩いて見せた。
裕美は今は呆気にとられた表情を浮かべていたが、途端に顔中に先ほどの苦悶を浮かべて見せたが、今回はそれに負けじと劣らずの笑顔を器用に練り込みつつ言った。
「…相変わらず、なかなか手の込んだ気の使い方を恥ずかしげも無くしてくるんだからなぁー…”恥ずい”ったらないわよ。でもまぁ…」とここで裕美は照れた時の癖、首筋を何度か掻いて見せつつ、私と同じ様な照れ笑いを浮かべて言った。
「ありがとう…と言っておくわ。そのー…”手間”に対してね?」
「ふふ、どういたしまして」
と私がわざとらしく胸を張って尊大に返すと、それからはまたいつもの様に軽口を言い合いつつ駅へと向かうのだった。

普段通りに途中の秋葉原で紫と合流し、紫にもカバンの中身について軽く説明する中で学園の最寄駅である四ツ谷に着くと、これまたいつもの様に地下鉄連絡口の側で藤花と律に会った。五人揃って学園に向かう途中、文化祭についてお喋りしていたが、そもそも駅までの距離が徒歩五分圏内だったので、あっという間に着いてしまった。
それからは私、藤花と律、裕美と紫といった具合に二手に分かれた。私と藤花は、本番に使う体育館の壇上に用意されているはずのピアノを含む機材チェックを、律は練習試合を体育館で行うというのでそのミーティング、裕美と紫は今日はフリーだったので、本人たち曰く「友達が来るのを待ってるよ」と言っていた。
…ここで一応、この学園の文化祭の仕組みの一つ、招待券制について軽く触れようと思う。いつだか話したかもしれないが、この学園、ただでさえ女子校というのもあったが、それに加えて世間的にはお嬢様校だと目されているのが関係しているのか、普通の女子校よりもまた一段とセキュリティーにうるさい…らしい。あくまで噂だ。
他校がどうだか知らないが、この学園に限って言うと、まず生徒一人あたりにつき、招待券は最大で八枚支給される。これだけ聞くと、中々に多いと、初めて聞いた時には思ったものだったが、ここからが面倒くさい。何せ招待する人について、老若男女問わず、色々と素性の分かる物の用意だとか、学生なら生徒手帳なり何なりの提示が義務付けられていた。予めそれらのコピーを貰い、それを各クラスの担任に渡すまである。最後まで聞くと、それだけで私はグロッキーになってしまい、それと同時に外部に厳しく、内部にとっても手間の多いこのシステムで、そんなに来客を多く望めるのかと漠然と思っていたのだったが、それは杞憂に終わった。去年からこの学園の文化祭の実態を知ってる訳だが、その経験から話すと、この一般向けの二日目は、どこに行っても人、人、人で埋め尽くされていたからだった。色々思うところがあったが、まぁ単純に言えば『結構みんな”マメ”なんだなぁ』といった素朴なものだった。
…と、何故今こうしてこの招待券制について説明をしたのか、それは…今回話す上で便宜上必要だと判断したからだった。
一年生時点でも招待して良かったのだが、他のグループは知らないが、私たち五人に限って言うと、誰も外部の人を招待していなかった。それは、前回の話を聞いてくださった方なら分かると思う。去年は自分の親が来たくらいだった。言ったように、保護者は入り口で誰某の親だとか言えば、その場で全校生徒の名簿の中で確認を取られて、それで無事通過するので、招待券はいらないのだ。
今年も正直誰も誘うつもりは無かったのだが、私の出たコンクールに裕美たちがゾロっと応援に来てくれたあの時、紫たちはあの時初めて私と裕美の学園以外の友達、絵里とヒロを見た訳だったが、それ以降、何だか私たちの間に流れる空気に微妙な変化が訪れた。というのも、あれから取り分け藤花と律だったが、もし他にも友達なり知り合いがいるのなら、是非にとも紹介して欲しいと…まぁ直接口には出さなかったが、会話の端々にそんな心内が見え隠れしていた。藤花と律は初めの方で話した様に、小学校からずっとこの学園の中で過ごしてきた事もあって、二人が言う”外部”にとても興味がそそられる様なのだ。まぁ何と無くだが二人の気持ちも分かるというので、結局そこからナァナァと、私、裕美、紫で、文化祭の日に暇な人を招待するという約束が出来上がってしまったのだった。
で、その流れで、一種のゲームにしようという話になり、まぁまぁ面白そうだと私を含めてその案に乗った。
招待出来る人数は、八人以内だったら上限は無しだとかそういったルールが決まる中、最後に藤花と律の二人から、ゲーム性をより満たす為に、とある条件が言い渡された。その条件は紫には適応されないので、実質私と裕美に対してのものだった。それは…お互いに誰を招待するのか相談したりせず、誰が来るのかは当日にならないと分からない様にしようといったものだった。聞いた瞬間は、私と裕美も面白そうだとその案にも乗ったが、後になって、少なくとも私は困ってしまった。
まぁ裕美は小学校ではみんなの中心にいたし、今だに彼らと付き合いがあるから、その中で選定しなくちゃいけないってんで、それで苦労するだろうけれど…私はなぁ…。
といった具合に、アレコレと頭を悩ます材料が少ないくせに、いやそれ故か困ってしまったのだった。
これは願望のなせる技か、真っ先に候補として浮かんだのは義一だった。だが一瞬にしてボツになった。一々理由を話すまでも無いだろうとは思うが、敢えて一つ具体的に一番易しい理由を挙げると、お母さんと鉢会う可能性があったからだった。お母さんは私に文化祭の日は実家の呉服屋を手伝うと言ってたので、正直来る可能性は少なかった。何せ、私が後夜祭に出ることを伝えた時に、私の勇姿を見れないと大袈裟に悔しがって見せたほどだったからだ。でもまぁ用心するに越したことはないだろうという訳でナシになった。
次に師匠。後夜祭に出る様に志保ちゃんに頼まれたその晩に、出る事になった旨を伝えると、まるで私と同級生かってくらいのノリではしゃいで面白がってくれた。それで一度藤花と外で会って、師匠の知ってる貸しスタジオに行って、何を演奏したら良いのかを相談したり、実際に見て貰ったりしたのだが、とある練習の後で、師匠を思い切って誘ってみた。
聞いた直後にはとても喜んでくれたが、この日はたまたま何か用事があったとかで無理だという話だった。急ピッチだったが、私と、それに藤花の事も診て貰っていたので、その成果を是非聴いて欲しかったが、師匠が『ゴメンね』と苦笑いを浮かべて謝ってきたので、私は慌てて『気にしないでください』と返すのだった。ただ文化祭とはいえ気を抜かずに、楽しみながら精一杯演る事だけは表明しておいた。
次に候補が挙がったのは絵里。ここで一瞬頭を過ぎったのは裕美の事だった。裕美も当然の様に絵里を誘うだろう事は想像出来たからだ。絵里自身が学園の卒業生だというのも大きい。一か八かと絵里に電話でだが連絡を入れてみると、何と気が抜けるほどに二つ返事でオーケーを貰った。私は思わず「図書館司書って暇なの?」と生意気に聞いてしまったが、「暇を作ってあげるのよー」と軽口で返されてしまった。その後は軽く世間話をしていたが、ふとみんなでゲームをしていることを思い出し、その旨を掻い摘んで絵里に説明した。「…だからね、もし裕美から連絡が来ても、フワッとした感じで断ってくれない?」と頼むと、絵里も面白がって「分かった」と良い返事を貰った。とりあえず一人はゲット出来た。
…正直この時、後々の面倒な手続きのことを考えると、絵里一人でも良いかと思ったが、それだと何だか…特に藤花と律をガッカリさせてしまうかもという、我ながらそんな変な気の回し方をして、他に誰かいないか頭を巡らせた。とその時、ある奴のことがすぐに頭を過った。
…すぐに過ったのが癪だったが、そう、それはヒロだった。まぁ藤花と律とは初対面ではないという、ゲームのお題から逸れちゃうかもと思ったが、とは言ってもまだ一度しか会ってないし、それに、コンクールの時はずっと私はみんながどう過ごしていたのか見ていなかったので詳しくは知らないが、おそらくまだ顔をお互いに知ってる程度の親睦具合だろうと想像していた。『だったらまぁ…良いか』と私は早速ヒロの携帯に電話を入れようとした。が、その時、ふと何だかいつだかの…そう、あの決勝に臨む前、ヒロと軽く会話した時に感じた気恥ずかしさにも似た感覚を覚えた。
…?
と私はまた湧いてきたその得体の知れない感覚に戸惑い、そしてまたそれがいつまで経っても引かないので、その日は電話を止した。
それから数日後に、たまたま地元でヒロに出くわしたので、その時にズバッと勢いで文化祭に来ないか聞いてみた。その時ですら、また気恥ずかしさが湧いてきていたが、勢いのおかげで聞く時の口調は普段通りでいられた。その後が胸の中がその小恥ずかしさに占められて、それによって何だか一人で落ち着かない気分でいたが、ふとヒロの方を見ると、何となくだが、ヒロも私と同じ様な様子を見せていた。何だか落ち着きがなかった。私が聞いた直後には目をまん丸に見開いて見せていたが、その後は何だか視線を泳がし、その後は一人で何やら考え込んでいた。徐々に私の方でも落ち着いてきたので、「どうなのよ?」と自分でも不思議と喧嘩腰になってしまいながら声を掛けた。するとヒロは苦笑まじりに「何でそんなに喧嘩腰なんだよー?」と声を漏らすと、「いやー…」と坊主頭をポリポリと掻いて見せつつ「すまん!せっかくの誘うだけれどよ、その日は先客があるんだわ。…悪いな」と言うので、私は半分ホッとした様な、半分…認めたくはないがガッカリした様な、そんな不思議な感情を覚えつつ「なら仕方ないわねぇー。…せっかく、お嬢様校の文化祭に行けるという貴重な機会なのにぃ」とニヤケつつ言うと、「自分で言うか?普通ー…?」と呆れ笑いを浮かべながら突っ込んできた。それからは一つ間が空いて顔を見合わせていたが、その直後には昔と全く変わらない調子で明るく笑い合うのだった。

それからどうしようと思ったその時、不意に小学生時代、裕美と仲良くする前につるんでいた、あの卒業式の日、教室でお互いに泣きながら抱き合った彼女たちの事を思い出した。こんな言い方で悪いが、特にこれといって取り上げる様な出来事が無かったので、今まで話には出ていなかったが、しょっちゅうとは行かないまでも、多い時で月一くらいの頻度で会ってお喋りしたりしていた。まぁ…さっきは言わなかったが、私もそれなりに、小学校時代の人とまだ繋がりがあったのだが、それを裕美の話をしている時に一緒に出すと、妙な誤解をされそうだったので控えた…まぁそれだけだった。
彼女たちにも話を振ってみると、何人かいる内の二人ばかりが来てくれる事となった。そのうちの一人は、覚えておられるだろうか、そう、少しの間疎遠になる前に、よく一緒に学校まで登校をした子だった。
…とまぁ、話下手なせいでいつもの様に回想が長くなってしまったが、後はまぁ私に限って言えば、アレコレと事務的な手続きを済ませ、計三枚の招待券をそれぞれに渡し、そして当日となった。

私と藤花、律で揃って体育館に着くと、既にバレーボールのネットが張られていた。去年と全く同じだ。と、律を見つけた部員達が「副キャプテーン!」と声をこちらに掛けてきたのに対して、律は軽く手を上げて返すと、「じゃあ…」と部員のもとに行ってしまった。
律は今年から中学バレーボール部の副キャプテン乃至副部長となっていた。律の話では、毎年この文化祭の試合が三年生の引退試合も兼ねているらしく、それと同時に引き継ぎの意味合いもあるというので、今日の試合が終わると次期キャプテンは律になるのだそうだ。
…と、それは置いといて、私と藤花は律の後ろ姿を暫く眺めてから舞台の方へと向かった。
舞台は今は幕が下ろされており、実際の機材は外からは見えない風にしてあった。と、舞台下に志保ちゃんの姿があったので近寄ると、笑顔で迎え入れてくれた。「今日の調子はどう?」だとか、「衣装は忘れずに持ってきた?」といった様な質問を矢継ぎ早に繰り出してきたので、私と藤花は苦笑いを浮かべつつ応対をした。
それからは志保ちゃんに案内されるまま、衣装を着替えるスペースと、次に幕裏に案内して貰って、既に設置されていたグランドピアノに近寄り、蓋を上げ、”A”の音、つまり”ラ”の音を鳴らしてみたり、座る椅子の位置なども確認した。その間、藤花は藤花で、どこに立って歌おうか、マイクスタンドの位置もどこが良いのか、自分なりに拘りがあるらしく、微調整を行なっていた。
先ほど登校する時に触れてなかったが、私とは別の意味で藤花も荷物が多かった。キャリーケースを持ってきていた。当然の様に裕美と紫から突っ込まれていたが、それに対しては「今日着る衣装が入ってるのよ」とだけ答えていた。勿論、衣装が中に入っているのはそうだったが、私は…おそらく律もだろう、中身が一体何なのか、今時点で分かっていた。その中身とは、おそらく藤花の練習部屋に置いてあるのと同じ種類の吸入器だろう。何故それが分かるのか、何となく察する人もいろうとは思うけど、話の種に軽く話そうと思う。
毎月一度の、教会での藤花の独唱の日、ほぼ毎回私、それに師匠も一緒になって聴きに行っていた訳だったが、これも毎度という訳ではなかったが、一緒に帰る時があった。その時に、藤花が今日のと同じキャリーケースを引っ張ってきていたのだ。初めて見た時に、私の事だから当然の様にすぐに質問をぶつけたのだが、藤花は何故か恥ずかしそうにしながら、中身が吸入器だと教えてくれた。
今まで藤花関連の話を聞いてくれた方なら分かると思うが、私から見ても藤花は余りにも完璧主義者な故か、誰よりも臆病なほどに失敗を恐れている様に見えた。その具体例の一つがコレだ。本人曰く、「本当は独唱する前に一度喉を整えるために吸入しときたいんだけれど、ああいう場だからそうもいかないでしょ?まぁせめてというか、教会側のご厚意で、ミサの前に空き部屋を一室貸して貰って、そこで吸入してから臨むのよ。ミサの間は例のハーブティーを飲みつつね」との事だった。練習でのルーティン、それを本番でもしたいという気持ちは、私も痛いほどに分かるので、とても共感したのは言うまでもない。
とまぁ、また話過ぎてしまったが、今日もこうして藤花は”本番仕様”を持ってきていて、それほど場所は取らないお陰か、それらの置き場所は最終的に、舞台裏の連絡通路のような所に、教室で使われなくなった古い机の一つを置いて、その上に設置する事で落ち着いた。因みにその横に音楽室から借りて貰える様に頼んでいたキーボードも真横に置いた。これは私のウォームアップ用のだ。
それら全てをこなしても、精々三十分くらいで済み、志保ちゃんに「じゃあ、また後でね?本番一時間前にここに集合よ?」との言葉に「はーい」と返事をすると、荷物を取り敢えず言われた保管場所に置いて、必要最低限の貴重品類だけ手に取った。と、その時、ふとスマホを見ると、メッセージが表示されていた。見ると、招待した友達からだった。
「今着いたよ」


丁度ミーティングの終わった律とまた合流し、その足でそのまま正門前に向かった。三人でお互いに今日の事について健闘を祈り合って行くと、ふと正門前に見慣れた集団が一塊になっていた。
と、まだ数メートルほど離れていたその時、「あっ!」とその集団の中の一人に声を掛けられた。紫だった。こちらに手招きをしている。
「こっち、こっち!」
「はいはい、今行きますよ」
と私は返しつつ徐々に間を詰めて行った。近づいて見ると、軽く目算して、裕美たちを外すと総勢九から十人ほどの様だった。
裕美、紫の周りを固める様に、一種のグループが出来ているのを見て、まだ紹介をし合っていないのが察せられた。
…まっ、程々に集まったわねぇ
などという感想を抱いていたその時、
「よっ!琴音!遅かったじゃねぇか」
という、何故か聞き慣れた男子の声が聞こえた。私はすぐに察したので、それはスルーして、まず目に付いた招待した友人達に声を掛けた。
「二人とも、よく来てくれたわね」
「うん、まぁね」
「今日はよろしく!」
と二人は揃って笑顔を浮かべて応えた。二人は、日曜日だというのに自分の中学の制服を着て来ていた。地元の中学のだ。上は紺のブレザーに暗い赤と黒で構成された縞々柄のリボンタイ、下はグレーと紺の落ち着いた色合いのチェック柄スカートだった。
ここで一人、後々での便宜のために…と言っては本人に悪いが、軽く名前を紹介しておこうと思う。名前は朋子。彼女はあの時の仲良しグループの中の一人で、裕美と知り合う前に、良く二人で登校していた、私自身は無自覚だったが、私の”変化”に真っ先に気付いた”あの子”だった。何年越しかで、ようやく名前を紹介できた。もう一人も当時の仲良しの一人だったが、この子の事は…また何か話に絡むような事があったら紹介しようと思う。

さて、私、裕美、それに紫と、私たち三人がそれぞれに招待した訳だが、この時はまずその自分の招待客と言葉を交わすのに時間を割いた。
それからは当初決めていた通り、まず紹介をし合う為に、あらかじめ決めていた場所に行こうかと声を発しようとしたその時、
「おいおい、無視すんなよー」
とまた懲りずに声を掛けてきた。
…こいつにここまで引っ張る事もないだろう。そう、察しの通りヒロだった。ヒロも何故か自分の学校指定の制服を着て来ていた。上は紺のブレザーに、下はグレーのズボンだった。首には緩めに、暗い赤と黒で構成された縞々柄のネクタイを締めていた。…まぁこれだけで察する人もいるかも知れないが、一応言うと、私の呼んだ友達とヒロは、同じ中学に通っているのだった。”同中”と言うやつだ。まぁ地元同士だし、同じ小学校を出ているのだから、こうして被るのは何も不思議なことではない。
「…あなたも来てたのね?」
と私はため息交じりに言うと、「おう!」と何故かテンション高めに笑顔で応えた。
「こいつらと一緒にな」
とヒロは私の呼んだ二人に視線を流しつつ言うと
「こいつらって何よ、森田ー?」と、さっきの私と同様なジト目をヒロに向けていた。 それを受けてヒロはただ悪びれもせずに、呑気に笑うのみだった。
「はぁ…ヒロ、あなた、今日は何か用事があるとか言ってなかった?」
「は?…あ、あぁ、用事、用事ね。それはお前もちろん…」
とヒロは不意に地面を指差してから答えた。
「これだよ。アイツに誘われてな」
と視線を流すのでその方向を見ると、今までの会話を聞いていたらしく、裕美がニヤケ面をこっちに向けてきていて、私と目が合うとVサインをしてきた。
「いやぁー、アイツにさぁ」
とまだ私が視線を戻さないうちから、ヒロは口を開いた。
「『琴音を驚かせたいから、もしあの子から誘われても、テキトーに誤魔化してよね』って頼まれてよ、そりゃ面白そうだってんで、あん時も断ったろ?」
「え、えぇ…」
自分と同じことを裕美も考えていたことを知って、面白がって良いのやらどう反応したら良いのやら困っていると、それを都合よく解釈したのか、ヒロは明るく笑いながら
「それでー…どうだ?驚いたか?」
と聞いてきたので、
「驚いたというより…呆れたわよ」
とまた私は、ある種の既視感を覚えるような言葉をため息交じりに返した。
「なんだよー…つまんねぇな」と口では言いつつ、顔には笑顔を浮かべながらふと裕美に顔を向けると「な?」と声をかけた。
「ホントよー」
と裕美も何だか呆れて見せながら笑みを零しつつ言った。
「本当に琴音は、驚かしがいが無いんだからぁ」
「…驚かしがいって、初めて聞いたわ」
と私も負けじと呆れて見せつつ返すと、一瞬間が空いた後で三人同時に笑い合うのだった。ふと私の呼んだ二人を見ると、同様に笑っていた。
しばらくそうしていると突然「ヒロくーん?」と言いながらヒロのブレザーの袖を摘むように触る者がいた。私の知らない女子の声だ。
見ると、ヒロ達と同じ制服を着ていたが、何だかチャラめに着崩していた。朋子達も”中学生デビュー”らしくスカートは膝上にしていたが、それよりもまた少し短めに折っていた。髪型は輪郭を覆うような前下がりボブにしていて、背が若干平均よりも小さいせいか、いわゆる可愛い系の彼女には似合っていた。また、まだこの時は会話すらしていなかったのだが、第一印象を言うと、『キチンと自分がどう見られているのか、分かっているなぁ』というもので、変に感心したりもしていたのだった。
「何をそんなに盛り上がってるのー?”千華”も仲間外れにしないで教えてよー?」
「ち、千華…?」
恐らく”千華”というのがこの子の名前なのだろうが、自分の名前を一人称で使う人を初めて見たので、興味深いのと同時に、そのー…初対面の人相手に悪いが、正直引き気味だった。
と、私が声を漏らすと、不意に彼女はこちらを見て、私の姿を上から下まで目だけでだったが何度も往復させると、何故か薄眼を使ってきたが、その時、「ったく、一々服を摘んでくるなよー」とヒロが手をはらうと、途端にまた無邪気な笑顔を見せて「いいじゃん別にー」と言った。
「昌弘君からかうと、面白いんだもん」
「『面白いんだもん』じゃねぇよ…ったく」
とヒロが声色を真似ているのを見て、ふと朋子達の方に目を合わせると、二人揃って苦笑を浮かべながら肩を竦めて見せた。そんな二人の様子から、何となく察して、私も同様に返すのだった。
「ほら倉田、琴音たちに自己紹介しろよ」
とヒロはその子の背中を軽く押すと、彼女は前に一歩分出てきた。丁度私と裕美の正面だった。
「えぇー自己紹介ー?」とヒロの方を振り返りつつボヤいて見せていたが、「仕方ないなぁ」と言うとまた私たちに顔を戻し、笑顔を作って見せてから言った。
「えぇーっと、私は倉田千華って言います。千華って呼んでいいよ。そこにいる朋子たちも、千華のことそう呼んでるし。んー…あ、あぁ、そうそう!ヒロ君の入ってる野球部でマネージャーをしているの。まぁ、よろしくね」
「よ、よろしく…」
と、今まで近くにいなかったタイプが目の前に現れた事によって、まだ慣れずにただ苦笑いをする他になかった私だったが、ふと隣に来ていた裕美の顔を見て、ほんの少しだが驚いた…というよりも、何だか印象的な表情を浮かべていた。言ってしまえば、とても静かな無表情ってな代物だったが、繰り返すようだが印象的だった。

朋子たちは同じクラスだというので、自己紹介されたお返しに、私と裕美も簡単にした。と、丁度その頃、私たちがそんなやりとりをしている裏で、紫が自分の招待した友達を藤花と律に紹介し終えたようで、順番がグチャグチャになってしまったが、今度こそという事で、あらかじめ決めていた場所に皆して行く事となった。
その場所というのは、普段は使われていない空き教室だった。この学園内には幾つかそのような部屋があり、今日のような文化祭の日には大抵休憩室として使われているのだが、 今私たちが向かっているそこは、休憩室に使うという用途にすら外れた場所だった。
…何故そんな場所を、一生徒の私たちが勝手に使えるのか?…これを話すと色々と”うまくない”ので少しボカすが、まぁ要は、志保ちゃんに便宜を図ってもらった…まぁそれだけの事だった。覚えておられるだろうか、志保ちゃんが私に後夜祭に出るように頼んできた時、ついでにという事で、本番用の衣装を着るように追加注文をしてきた事を。私は見返りに藤花との共演を条件に出したのだが、それに加えて、志保ちゃんが追加で頼むのだったら、私からもと、どこか空き教室を使わせてくれと頼んだのだった。言っても志保ちゃんも一教師に過ぎないから、ダメ元で聞いてみたのだが、案外あっさりと無事通過となった。…まぁついでにまた裏話をすると、この部屋を使うにあたって、その使う主が私だというのが決め手だったらしい。何のことかと言うと、今回コンクールで準優勝したという事実が、中々に効力を発揮したらしい。今だに実感が湧かないのだが、それだけあのコンクールは大きいモノのようだった。その私が使いたいというので、学園側が目を瞑ってくれたらしい。用途は何かと聞かれて、本番に向けての準備だとかテキトーな事を言っておいたのだが、実際はこんな程度の事だったので、まぁ軽く罪悪感があったはあったが、最終的には自分勝手に良しとした。裕美たちの四人に感謝されたのが嬉しかったし、罪悪感が薄れる効果を発揮した事も付け加えさせて頂く。
予め開けられていた空き教室に入ると、まず手分けして、教室の壁際に無造作に積まれていた机と椅子を人数分引っ張り出し、それぞれ向かい合うようにくっ付けて、それから座った。
その直後、不意に紫が立ち上がると司会役をかって出た。
「では改めて、もう済ませた人もいるだろうけど、一応軽めに自己紹介をしようか」
と紫が言うと「いいぞ紫ー」と、これまた知らない女の子がニヤつきながら声を掛けていた。「流石、サマになってるよ」とそれに続いてもう一人の女子も声を上げていた。「はい、そこうるさい」と紫がすかさず、その二人に対して突っ込んでいた。なかなかに息の合ったやり取りだった。
都合上詳しく話せないのが残念だが、この二人というのが、紫が招待した外部生だった。紫の通っていた小学校の時の仲良し二人のようだ。
いつだったか…そうそう、一年生の時の研修旅行で、低学年までは男子と遊んでいたが、ある時から男子から除け者にされる事が増えて、嫌になった時に一緒につるみ始めたのがこの二人という話だった。ついでにこの時に「何で”サマになってる”って言ったの?」と一人に聞くと、どうやら紫は学級委員になったり、副生徒会長になったりしてたらしい。初めて聞いたから「へぇー」と、私だけじゃなく裕美たち三人で紫を見ると、紫は今までに見た事がないほどに動揺して見せた。その様子がおかしくて、その二人と共に笑い合うのだった。
続いて裕美。今まで話には出てこなかったが、実はヒロと千華以外に、もう一人呼んでいた。彼女も都合上軽くしか触れられないのが残念だが、私は実は見覚えがあった。
小学生の頃、裕美と一緒に登下校をしていた時、よくスレ違いざまに裕美に声を掛けていたからだった。
私がその旨を言うと、「私も望月さんのこと、よく知ってたよ」と笑顔で返してきた。「え?」と私が戸惑いつつ返すと、その子は構わずに続けて「前から知ってたし、話しかけたかったけれど、何だか結局声を掛けそびれてね、でもいつからか何がきっかけか知らないけれど、裕美が仲良くしているからさ、だからそのうち私も…って思ってたんだけれど、結局そのまま卒業しちゃうし…もう接点がないかと思ったら、ふふ、何だか急に夢が叶ったよ」と何だか大袈裟に言うので、私はますます戸惑って見せたが「ね?琴音って、こういう奴なのよ」と裕美がやれやれと首を大きく横に振りつつニヤケながら返していた。
この一連の流れに対して、何故だか朋子たちも食い気味に同意して、そこからは私をほったらかしにしつつ、私のことで妙に盛り上がっていた。
その流れで、突然裕美が私がこの学園で”お姫様”と呼ばれているという、根も葉も無いデタラメを話し始めたので、私は慌てて制しようと務めたのだが、無駄だった。この裕美の悪ノリに、紫、藤花、それに律までが乗っかったからだ。周りが乗っかってくるのに冗長した裕美は、鼻息荒く”小学校時代”からそうだったと、紫の招待した友達に教える体で話し出したので、これは話に水をかけるチャンスだと思った私は、すかさずここで突っ込む事にした。
何故なら、今ここには昔の私を知る仲良しグループだった二人がいるから、裕美の話す”デタラメ”について反論をしてくれるものと思ったからだった。しかし…結論から言うと、そのー…あまり芳しく無い結果に終わった。朋子を筆頭に、裕美の招待したもう一人の子も揃って顔を見合わせていたが、フッとお互いの顔を見合わせつつ笑みをこぼすと、何と裕美の話に同調し出したのだった。
「そう言われてみたら、琴音ちゃんは確かに”姫様”って感じだったねー」
「ねー」
「いやいや二人とも、何が『ねー?』なのよ?」
「でしょー?」
「ちょっと裕美、あなたは黙ってなさい」
「…ふふ、琴音」
と一斉に冷やかしてくる、元同じ小学校の面々に対してツッコミを入れていると、紫がふとニヤニヤしながらシミジミと声を掛けてきた。
「あなた…本当にお姫様だったのね」
「はぁ…もう勝手にして」
と私はもう孤軍奮闘するのにも疲れて、ため息交じりにそう呟くと、それからは一斉に他の面々で笑い合うのだった。その中で裕美や朋子などの”同小”の面々が、私に向けて謝るジェスチャーをしてきていたが、皆して満面の笑みを浮かべていて、明らかに謝ってる風では無かったが、まぁこの変なノリにも慣れてしまったらしい私は、膨れながらも笑みを浮かべて見せて”あげた”。
と、ふとヒロの方を見ると、ヒロはヒロでニヤニヤと笑っていたのだが、その隣に座っていた千華は一人、口元は軽く笑顔を作っていたのだが、何だか面白く無さげにしていた。紫の友達も含めて和かにしている中、一人だけそうしているせいか、何だか印象に残ったのだった。
因みにここで一応補足をすると、朋子たちと千華は中学で同じクラスの様だが、裕美の友達は違うクラスらしく、ヒロと同じクラスとの事だった。結論として分かったのは、どうも私と裕美が招待して来た五人というのは、中学一年生の時に同じクラスだったという繋がりとの事だ。
とまぁ裕美が要らない話を振ったせいで順番が狂ってしまったが、この後で藤花と律からも自己紹介が終わると、それからはまた軽く雑談をして、それからは折角の文化祭だというので、今いる空き教室から外に繰り出そうという流れになった。

ゾロゾロとまずは裕美のクラスに行って、何度か分かれながら”プリシー”を撮ったり、隣の私と律の教室を覗いたりした。(私のクラスの出し物は、こう言っちゃ何だが、裕美のクラスのものと比べると地味だったので、割愛させて頂こう)。
それからまた校舎内をブラブラしている時に、ふと朋美が話しかけてきた。
「琴音ちゃーん?」
「え?何?」
と私が聞き返すと、朋美はふと後ろを振り向きつつ言った。
「やっぱり今だに森田と仲が良いんだね」
「え?ヒロの事?」
と私も後ろを振り返ると、ヒロは千華とお喋りをしていた。…いや、何というか、千華に構われていたと言うべきか。見るからに面倒そうな表情を浮かべている。
「やっぱりって何よー?まぁ仲が良いというか…腐れ縁よ」
とそんなヒロの様子を見て自然と苦笑いを浮かべつつ返すと、何かを勘違いした様子で、しかし私と同様の苦笑いを浮かべつつ言った。
「千華ったらね、いつもああなの。まぁ…気にしないでね?」
と朋美が最後に何でか申し訳無さそうに言うので、私は不思議に思ったが、まぁ今はただ練り歩いているわけだし、その訳を聞くのも無粋だと判断した私は、「何を気にするっていうのよー?」と冗談めかして言うのに留めた。
「まぁヒロがあんなに女子に懐かれているのは初めて見るけど…ふふ、ほら見てよ、ヒロのあの困った顔。…ふふ、私は確かにアレと長い付き合いだけれど、あんなヒロを見るのはこれが初めてだわ」
と私が愉快げに言うと、
「琴音ちゃんは…」と朋子は何故か少し表情を暗くしつつ私の名前を言ったが、そこで止めたので「どうしたの?」と私は声を掛けた。
するとまた朋子は口を開けて何かを言いかけたが、その口を一度閉じると、
「…あ、いや、琴音ちゃんがそれで良いなら…それで良いよ」
と何だか奥歯に物が挟まった様な物言いをしてきた。これまた疑問を誘う様子だったので、本来の私だったら即座に突っ込むところだったが、さっきも言った様な理由で自重して「何よもーう」と呆れ笑いで返すのみにしておいた。
それに対して朋美も笑顔を見せるのみだったが、しかしどこか朋美は朋美で納得のいかない風にも見えたのだった。

幾つか他の模擬店を周ると、ここら辺で時刻が正午になったので、校庭に展開されていた屋台郡に行って、思い思いに好きなものを買って、例の空き教室に戻って食べた。
食べ終えてからも少しばかり雑談をしていたのだが、「この後はどうする?」と誰からともなく話が上がったその時、ふとスマホにメッセージが来たという表示が出た。見ると絵里からだった。「もう五分ほどで四ツ谷に着く」といったものだった。
…ここまで聞いていて、何で絵里が出てこないのかと思った方もいるだろう。まぁ理由は単純だ。まだ来ていなかったのだから。
絵里から連絡があったのは、昨日の晩の事だった。当初は午前から来てくれることになっていたのだが、急遽絵里の実家の日舞教室を少し手伝わなければならなくなったとかで、目黒に行かなくてはいけなくなったらしく、でもそれは午前中で終わるというので、なるべく早めに用事を済ませて、そのまま直接行く旨を聞いていたのだった。話では午後には行くと言っていたので、予想よりも早めの到着だった。
「…あ、ごめんみんな」
と私はまず絵里に『分かった。じゃあ正門前で待ってる』と返した後で、その場ですくっと立ち上がり、一度皆を見渡してから声をかけた。
「今ね、招待したもう一人がここに向かっていてさ、私、迎えに行かなきゃだから、そのー…どうしようか?」
「え?」
「あ、まだいるんだ」
と裕美たちが口々に言うのと対照的に
「ふふ、どうしようかって」
と何人かが笑みを浮かべつつ同じ様なリアクションを示していたが、「…あ」とここでボソッと声を漏らした者がいた。律だった。
律は自分のスマホの画面に目を落としながら続けた。
「私もそろそろ体育館に行かなきゃ…」
「あ、そっか」
と瞬時に藤花が反応した。
「そろそろ試合の準備をしなきゃだもんね?」
「うん」
「じゃあ、ついでだから琴音の招待客を出迎えに行って、そのまま私たちは体育館に行こうか…って」
と紫はそう話していたが、ここで途中で切ると、他のみんなを見渡して言った。
「みんなはどうする?…お姫様と同じ言い方で悪いけど」
「ちょっと、しつこいわよ?」
と言う私の小さな反抗は届かず、紫は華麗にスルーして続けた。
「私たち学園組は、さっきもお喋りしたと思うけど、これから律の試合を観に行くの。それでまぁ…これは前から予定していた事だから変更は無いんだけれど、そのー…まぁ、これ以降は自由行動って事でどうかな?」
紫が言い終えると、それぞれが近くの人と顔を見合わせたりしていた。
…ここで軽く補足を入れようと思う。結論から先に言うと、私たち学園組以外のみんなも、今日が律の試合があるのと、私と藤花の本番があるのを事前に知っていた。これは何度かした雑談の中で知れた事だ。
私が”お姫様”かどうかという無意味な話が終わった後、その流れで皆から「今日のライブ頑張ってね」の様な応援を貰ったのだった。その繋がりで、律の話にも及び、試合があるのを知っていた皆も、私と藤花にしたのと同じ様に声を掛けていた。私も朋子たちに軽く伝えてはいたのだが、裕美と紫も同様に伝えていたらしい。因みに、今から来る絵里にもその話は伝えてあった。
事前情報があったおかげか、顔を見合わせたその直後に
「それってさぁ」
と紫の友達の一人が声をあげた。
「別に私たちみたいな”外”の人も、観に行って良いんだよね?」
「え?あ、うん」
と紫が返すと、彼女はもう一人の子と顔を見合わせて、それから二人同時に紫に顔を向けると、視線を律に流しながら笑顔で言った。
「じゃあ…私たち”紫組”も、一緒に律ちゃんの試合を観に行くよ」
「…え?」
と律が、普段は少し気だるげに目を薄めにしている事が多かったのだが、この時は珍しく目を大きく見開いて見せた。
それは、他のみんなは兎も角、私も心境としては律と同じものがあったが、それを他所に、今度は朋子たちも一斉に明るい声をあげた。
「え?じゃあ私たち”琴音組”も行くよー。ね?」
「うん」
「”琴音組”って…」
と私が苦笑いでボソッと呟いていると、そこから波状的に”空気”が流れていって、結局は皆して律の試合を観戦する事となった。
「えぇっと、一、二、三、四、…わぁ、十四人もいるよ律!」
と藤花がそれぞれに指をさしながら数えて言った。
それを受けた律は苦笑まじりに「本当ね」と返して、それから私たち以外の他の皆に向かって、そのままの笑みを浮かべたまま何だか気持ち申し訳無さげに言った。
「観戦に来てくれるのは嬉しいけれど…私のクラブ、とても弱いから…観ててそんなに面白く無いかも」
「イイって、そんなぁー」
と律の態度が謙遜に受け取られたらしく、皆して笑顔でフォローの様なモノを入れていたが、しかし、そんな中ふと一人、それはまた千華だったが、また何だか面白く無さげな表情を浮かべつつ、また隣のヒロに小声気味に話しかけていた。
「えぇー…せっかく文化祭に来たのにぃ…昌弘くんも観に行くの?」
「ん?おう、まぁな。元々そのつもりだったし、それに…」
とヒロはここで一度切ると、皆をぐるっと見渡してから続けた。
「…男は俺一人じゃねぇか。それにここ自体も女子校だしよ、見渡すばかり女、女、女ばかりでさ…何だか息が詰まってきた所だったんだよ。だったらさ、まだ…って言っちゃあ悪いけど、試合を観に行く方が何つーか…気が楽なんだよ」
「あはは!確かにー」
とヒロの言葉に、すぐに明るい笑い声を上げながら反応したのは裕美だった。
「女子の中で一人というのはアレかもねぇー」
「そうね」
と私も裕美に続いて、顔には意識的に意地悪げな笑みを浮かべつつ言った。
「今まで見た事ないほどに狼狽して見せてるものね?」
「う、うっさいなぁ」
とヒロが拗ねて見せていたが、ここでクスッと律が笑い、ほんわかとした笑みを浮かべながら「どうぞ」と短く言った。
それに対して、ヒロも「おう」と短く、しかし笑顔で返すのだった。それからまた一度皆で笑い合ったのだったが、その中で千華一人は、ヒロの横顔をチラ見しつつボソッと言うのだった。
「まぁ…昌弘くんが行くなら、千華も行こうかな」

それから私たちは全員で今いる空き教室を出ると、すぐに体育館に行かなくちゃいけないと言う律とはそこで分かれて、残りの皆で正門前に向かった。
正門前に着くと、何やら不審げに辺りをキョロキョロと見渡している一つの人影があった。快晴の日に反射して、頭の”キノコ”がテラテラと輝いている。
「絵里さーん」
と私が声をかけながら駆け寄ると、こちらに振り向き「あ、琴音ちゃーん!」と絵里の方でも笑顔で手を大きく振ってから近付いてきた。
「ふふ、絵里さん、そんなにキョロキョロしてたら、不審者にしか見えないよ?」
と私がニタつきながら言うと、「えぇー、ヒドイなぁ」と絵里は不満げな声を上げたが、それでも笑みのままだった。
「いやね、久々に母校に帰ってきたもんだからさ、懐かしくてねぇー…卒業式以来寄った事無かったから」
「ふーん…それってさぁ」
と私はまたしつこく意地悪な笑みを浮かべつつ言った。
「どれくらい昔の話?」
「…どういう意味よー?」
と絵里は言いながら私の肩を軽く小突いてきた。
「絵里さん…?」
とようやく側まで来た裕美が若干驚きの表情を浮かべながら呟いた。「あら、裕美ちゃん久しぶり!」
と絵里が明るく笑顔を向けると、裕美は呆れ笑いを浮かべつつ言った。
「…絵里さーん?こないだ文化祭に来ないか誘った時、用事がどうのって言ってなかった?」
「え?用事はあったよ?ほら…」
と絵里は腕に提げていた、綴れ織りのクラッチバッグを見せていた。それは上品な代物で、象牙の様な程々の色合いの白地に、表面は金糸を使用した格子模様だった。…バッグは確かに品が良かったのだが、今の絵里の格好には似合っていなかった。首回りの緩い白無地のTシャツに、下はカーゴ系色の細身のパンツ、その上にウール混ジャージーデニムのコーディガンを羽織るという…いや、これはこれで、普段から服装に気を付けている絵里らしい、ラフながらもとても似合っていたが、しつこい様だが今の格好とバッグがチグハグに見えていた。
…なんでここまでしつこく絵里の格好について話したか。これにはきちんと訳がある。絵里は裕美にそのバッグを見せつつ、たまに私に視線をくれながら、何だか意味深にウィンクをしてきていた。この時点で絵里の意図が分かったので、私は私でただ軽く笑顔を返すのみだった。
「そのバッグがどうかしたの?…今まで見た事ないタイプのだね?」
裕美は興味津々にそのバッグを眺めていたが、不思議そうな表情は変わらない。
「…うん、中々に如何にも高そうって物だけれど…これが何?」
「ふっふっふ…」
と絵里はおもむろにバッグの中から、色鮮やかな金銀色糸で織り上げた金襴錦織の扇子入れを出してきた。普通のより若干大きめだ。これまた上品な代物だった。
「…扇子?」
と裕美が声を漏らすと、絵里は「そう!」と今出したばかりの扇子入れをまた戻しながら答えた。
「それもただの扇子じゃなくて、”舞扇子”ね」
「舞扇子…あ」
とここでようやく察したか、裕美は一瞬ハッとして見せたが、次の瞬間にはまた呆れ笑いを浮かべつつ言った。
「ちょっと絵里さーん?今この場でそんなクイズ形式は求めてないんだけれど…?ってかさ」
と裕美はここで腰に両手を当てると、上体を少し倒してから続けた。
「その用事があるって断ったのに、何で今、こうして琴音からの招待券を持って学園の敷地内に入ってるの?」
「あら、裕美」
とここで私は愉快げに横槍を入れた。
「まだ何も言ってないのに、よく私の差し金だったって分かったわね?もしかして…裕美には探偵の素質があるのかしら?」
「…アンタ、おちょくってるの?」
と裕美がジト目を向けてきたが、私は意に介さずにニコニコと笑うので、フッと息を吐いてから苦笑を漏らした。
「なるほど…二人はこうやって裏で工作をしていたのね?」
と裕美が言うので、「そういう事!」と絵里は明るく返事をしていたが、私はお返しとばかりに悪戯っぽい笑みを浮かべて返した。
「…ふふ、裕美、あなたにそんなことを言う資格はないでしょ?ほら…」
と私はここで裕美の後ろ辺りにいるヒロに視線を向けた。裕美も振り返ったが、そのまま私が
「…おあいこでしょ?」
とニヤケつつ言うと、裕美はやれやれと言いたげな表情を浮かべたが、そのすぐ後には笑顔を浮かべて「そうね」と返すのだった。
その後二人で笑い合っている裏で、絵里はヒロを見つけて早速声をかけていた。
「って、あらヒロ君、久し振りー」
「こんちわ」
「それに、こないだコンクールで一緒だった…藤花ちゃんも」
「ふふ、よく覚えてましたね」
「覚えてるよー?何たって私は、可愛い子に関しては記憶力が良いんだから…って」
とここで絵里は、ヒロのまた後ろの方で他のみんなが固まっているのを見て、一瞬目を見開き驚きの表情を見せていたが、すぐに笑顔にまた戻ると、何だかシミジミとした調子で口を開いた。
「…いやー、これまた随分豪華なお出迎えだねぇ。こんな女の子大勢に囲まれたことは無いよ」
「ふふ、もう何言ってるの絵里さん?」
と私は呆れながらも笑顔を浮かべつつ、それからは皆にその場で軽く絵里を紹介した。
私と裕美で朋子の言う”琴音組”と、後ヒロと千華を含む”裕美組”、藤花と紫で”紫組”に、それぞれ分担して説明をした。
絵里が地元の図書館の司書だと説明すると、この中で裕美を除くと私ほどに良く通っていた面々がいなかったので正直分かるかどうか不安ではあったが、それでも皆して「あぁ」と声を上げたので、まぁそれなりに判ったのだろう。その中には千華も含まれている。
…何故ここで千華を取り分け強調したのか。それは、この中で千華だけが同じ小学校ではなかったからだ。
さっきの空き教室での雑談の中で、何だか始終ヒロに構っている千華を見て、てっきり同じ学校だと思ったのだが、いくら記憶を攫ってみても思い出せなかったので不思議に思った。何故なら、あれだけ仲良くしているのだから、何だかんだ良し悪しは別にして、ヒロとはクラスが違う時があっても、六年間ほぼずっと一緒に過ごしてきたから、それなりにヒロの交友関係は把握していたつもりだったのに、繰り返すようだがやはり思い出せないからだった。
それを近くに本人がいるというので、少し内緒話気味に裕美に振ってみると、一瞬何だか渋い表情を見せたが、その後は「私は知ってるけど…まぁ、アンタは知らないで当然だよ」と話してくれた。それが、千華が私たちの通っていた小学校と丁度真ん中に図書館を挟むようにして位置していた別の出身だという情報だった。もちろんそれを聞いた直後に、「何で裕美は知ってるの?」と聞いてみたのだが、それは上手くはぐらかされてしまった。
まぁ今言えることは、千華も同じ学区内だったから、同じ図書館を利用していたというので、それで学校は違ってもすぐに判ったようだった。
それからは軽くお互いに自己紹介をし終えると、私と絵里を先頭に、その後ろを裕美と藤花、その後ろをヒロと千華、そしてそのまた後ろは朋子たちの面々が行儀良く二列に並んで体育館に向かった。
向かい途中絵里たちと世間話をしながら『まるで大名行列ね』などという、クダラナイ事を考えながら。

体育館に着くと、既に他校の女子生徒も含めた子達が、手摺りに掴まり下の様子をワイワイ言いながら見ていた。既に他校の女子生徒も含めた子達が、手摺りに掴まり下の様子をワイワイ言いながら見ていたのまでも同じだったが、言うまでもなく、この大所帯での観戦というのもあって、やはり去年とは勝手が違っていた。明らかにこの応援組の中では浮いていたが、それには構わず、一階のコートの側で、既にユニフォームに着替えていた律が入念に準備体操をしているのが見えたので、早速私たち”学園組”は手摺につかまり声を掛けた。気づいた律は私たちを見上げると、ニコッと微笑みを見せてくれたが、ふとこの時私の脇に絵里が来て「リッちゃーん!応援してるよー!」と声を上げるのを見ると、律は私たちの位置からでも分かる程に唖然としていたが、それから数度ほど間を置いてから深々とお辞儀をして見せて、それから右腕を高く上げて手を振っていた。
それからは”外部組”も加わり、私たちと同じ様な声援を律に送っていた。…言うまでもなく私は律ではないのだが、それでもこの声援は自分の事のように嬉しかった。恐らく裕美たちもそうだっただろう、私が他の三人に目を向けると、丁度皆の顔が合い、それから誰からともなくニコッと微笑み合うのだった。
そうこうしているうちに、去年と同様に二面のコートで同時に試合の合図を知らせるホイッスルの音が鳴り響いた。

…とここで、急に話を区切るのを許してほしい。まぁ前にも文化祭の初日での紫の件もあるし、既に察しておられる方もいるだろうが、ここで律の試合も割愛させていただく事を許してほしい。紫もそうだが、どこかで律の事も話せる機会があれば、その時にでも詳しく触れようと思う。
とまぁそんな前置きをさせてもらって、今は簡単に結果だけ話そうと思う。今年も去年と同様の、我が学園も入れた四校で試合をしたのだが、結果としては何と二位だった。去年は往年のビリけつ集団が三位になったというので大騒ぎをしていたのだったが、今年もそんなもんだろうという前評判を覆し、今年はまた一つ順位を上げるという結果に終わった。まぁ細かい話をすると、優勝したのは去年と同じで、今年三位に終わった学校は去年二位だった。何が言いたいかというと、去年の二位決定戦ではかなり接戦だったのを鑑みれば、今年その学校を破って二位になるのは何も不思議な事じゃない。…っていや、これも言いたいことでは必ずしもなかった。要は、律を含む我が校のバレー部がこの一年間頑張ったということで、それが見事に結果に繋がったというのが喜ばしい、ただそれだけだ。
…こういう時は”頑張った”と言っても何も悪いことはないだろう。

全ての試合が終わると、健闘を讃えあっている律の元へ、他の部員の邪魔にならないタイミングを見計らってから駆け寄った。
先ほども似たような事を言ったが、今日が初対面だというのに、律含むバレーボール部の健闘を讃えていた。相変わらず律の表情は起伏が少なかったが、それでも心なしか恥じらい三割、嬉しさ七割といった様な笑みを浮かべていた。

それからは、律はしばらくチームメイトといるというので、後で合流する約束をしてから分かれた。私と藤花の本番も徐々に近づいていたが、それでもまだ志保ちゃんに戻って来る様に言われていた時間まではまだ少し時間があったので、来たばかりの絵里を案内しようという話になった。
ここで”招待組”と分かれる事になった。また同じことの繰り返しになるのは目に見えていたからだ。皆とは言わないまでも「また付き合うよ」という風な言葉を掛けられたが、流石に悪いからと、また体育館で待ち合わせる約束をして分かれた。
ヒロも初めは私たちと行動を共にしようとしていたが、まぁ”色々”と空気を読んだらしく、結局は招待組に合流した。
その後は私、裕美、藤花、紫、そしてそれに新たに加わった絵里とまた学園内をぐるっと周った。ある程度先ほど皆んなと行った出店に行った後は、ふと絵里から「演劇部に寄って見てもいい?」と聞かれた。これは私の中では当初からの予定に入っていたので、即座に了解して、演劇部の劇が行われている、朝礼などが執り行われている、私が以前に壇上に駆り出されたあの講堂に向かった。
本当は劇を見ようというくらいに漠然と計画を立てていたのだが、私たちが行った時には丁度終わっていた。これは私がロクに文化祭のプログラムを見ていない事による凡ミスだ。何となく行けば観れるだろうくらいに思っていたのだが、甘い考えだった。
「あ…」
と私は一人で気まずく思いながら、そっと覗く様に絵里の顔を見ると、絵里は何かをすぐに察したらしく、ニコッと笑うと、「いいのいいの!」とだけ言って、客のはけた講堂内に足を踏み入れた。
私たちも後に続いて中に入った。と、生徒の一人に「もう劇は終わってしまったんですけれど…」と絵里は声を掛けられていたが、「別に構いませんよ。…ちょっとだけ見てても良いですか?」と断りを入れて、その子が少し不思議がりつつも了承をすると「ありがとう」と笑顔で返していた。
それからしばらく講堂の後ろの壁に寄りかかりながら、視線の下に位置している舞台の方を眺めていた。壇上では、演劇部なのだろう、Tシャツにジャージ姿の部員たちがワイワイ言いながら片付けをしていた。
「…懐かしい?」
と私も同じ様に舞台を眺めつつ聞くと、
「えぇ…まぁね」
と絵里はしみじみと、感慨深げに言うのだった。
その後は、藤花と紫が色々と絵里に質問をしていた。既に絵里が演劇部だったというのは普段の会話の中で知っていたので、ここぞとばかりにアレコレと聞くのだった。
それに対して、初めのうちは少し渋っていた絵里だったが、それでも真摯に答えていると、それが聞こえていたのだろう、ふと先ほどの生徒が絵里に声をかけてきた。
「もしかして…OBの方ですか?」
「え?え、えぇ…まぁ」
と絵里が少し戸惑いつつ答えると、途端にその子は興奮して見せつつ言った。
「やっぱり!どっかで見た事があると思ったんですよ!みんなー!」
「あ、ちょっと…」
と絵里が慌てて制したのも虚しく、しばらくすると、何人かの演劇部員に取り囲まれてしまっていた。
矢継ぎ早に質問されてる中、ふと部員同士の会話を聞いて初めて知ったのだが、どうも部室には歴代の部員の資料を取っといてあるらしく、その中には映像もあって、それで昔の絵里の事を知っていたとの事だった。以前に絵里が話してくれた、例の部長さんとの両壁だったとも話していた。
ふーん、映像かぁ…それは観てみたいな。
などと思っていたが、ふと視線を感じたので見ると、数名の部員に囲まれながら、絵里がこちらに救いを求めるような視線を送ってきていた。それを受けつつ私は私でふと裕美に視線を移すと丁度かち合った。そしてすぐにどちらからともなくフフっと笑い合うと、そのまま絵里の様子を二人して微笑ましげに眺めるのみだった。
「…あ、琴音、そろそろ…」
とここで不意に藤花が、スマホを覗き込みながら話しかけてきた。
「…あぁ」
と私も覗き込むと、時刻は本番の一時間前に差し掛かっていた。
「そうね…ねぇみんな?」
と私は裕美たちに声を掛けた。
「私たち二人そろそろだから…」
「あ、そっか」
と紫が反応した。
「そろそろ行かなきゃか」
「うん」
と藤花が返している間、私は裕美に声を掛けた。
「じゃあ裕美、後はよろしくね?…絵里さんの世話も含めて」
と途中でまだ質問責めにあっている絵里に視線を流しつつ言うと、裕美もそっちに顔を一度向けて、そしてまた顔を戻すと
「うん、任せといて!」
と悪戯っぽく笑いながら応えた。
「じゃあ絵里さん、私たちもう行くからまた後でねー?」
と一応声を掛けて、いざ藤花と一緒に出口に向かった。
「えぇー、いってらっしゃーい!」という絵里の言葉を背に受けながら。

体育館に戻ると、先ほどの試合時とは打って変わってネットなどは全て片付けられて、代わりにズラッとパイプ椅子で埋め尽くされていた。後夜祭の準備も万端といった所だ。
「あ、望月さーん!並木さーん!」
ジャージ姿の志保ちゃんに声を掛けられた。
呼ばれるままに側によると、「どう、調子は?」とまた朝と同じ様に声を掛けられたので、「それ、朝も聞かれましたよ?」と意地悪く笑いつつ答えると、
「その生意気な調子なら大丈夫そうね?」とため息交じりに、しかし笑顔を絶やさぬまま言った。
それからは早速という事で、預けていた荷物を受け取り、それを手に控え室…といえば聞こえが良いが、まぁただの女子更衣室に通された。中に入ると、既に後夜祭の他の出演者の面々が着替えて、リハーサルの出番を待っていた。先ほどもチラッと私の醜態を言ったが、ロクにプログラムを見ていなかったせいで、ここに来て初めて、私たち以外に誰が出るのか知った。トリの私たちを含めて計四組が出る予定で、順番的には漫才などのお笑い、ダンス、軽音部を代表してバンド一組といった順の様だった。
私二人が一番最後だった様で、入るなり皆の視線を集めたが、次の瞬間誰ともなく私たちの周りを取り囲んで、各々が笑顔で挨拶をしてきた。聞いてみると皆がそれぞれバラバラの学年で、私と藤花が一番の後輩だったのだが、そんな一番の若輩がトリを務めることに対して何にも反発があるどころか、あの例の、こう言っちゃあ何だが馬鹿げた始業式での一幕を見られたらしく、その感想を述べられたりと、何だか「楽しみにしてる」といった調子で好意的に声を掛けられたのだった。私は勿論戸惑いつつ、苦笑しっぱなしだったのは言うまでもない。
それからは衣装に着替えて、お互いに乱れをチェックした。その間、各々が順々にリハーサルを進めて、最後の私たちも舞台に上がると、既に設置されていたピアノに近寄って感触を確かめ、その間に藤花は客席の方を向き、上下左右と顔ごと大きく動かしつつ見渡していた。
後は一連の流れだけを再確認すると、リハーサルが終わった。本番開始三十分前だ。既にちらほら椅子に座る人の姿が見えていた。
控え室兼更衣室に引き上げようとしたその時チラッとアリーナを見たが、まだ裕美たちの姿は見えなかった。それを確認すると二人して裏へと引き下がった。
更衣室に戻ると、ふとスマホに表示が出ているのに気付いて確認すると、それは裕美で、今客席に座ったというものだった。最前列らしい。もう既に”外部組”も来てるとも書いてあった。そのメッセージがあったのが数分前だったので、どうやらすれ違いになったらしい。藤花の方にも律から入っていたらしく、二人して顔を見合わせると微笑み合うのだった。
しばらく談笑したその時、ふとブザーが鳴らされた。後夜祭開始の合図だ。

私たち出場者はゾロゾロと更衣室を出て、その足で舞台袖に向かった。
着くと丁度文化祭実行委員というのか、おそらく先輩だろう、何やら色々と挨拶をしている所だった。私と藤花はそっと舞台袖の幕間から客席を覗いてみたが、リハーサル時とは違ってすっかり照明が落とされて真っ暗になっていた。最前列に座っているとの事だったが、残念ながら姿を確認する事は叶わなかった。
それからは更衣室に戻っても仕方なかったので、客席の人々と同様に、出場者は出場者で舞台袖で同じ様に盛り上がっていた。
委員長の挨拶の後は、早速催し物だというので、一番手の漫才が始まった。駆け足で端折る様で悪いが、客席はそれなりに受けていた。
…客席なんて、同じ学園の生徒達なんだから、皆サクラみたいなもので、ウケるのは当然だろというツッコミは受け付けません。
それは置いといて、次のダンスまでは観ていたが、それが終わるのと同時に、私と藤花は裏に引っ込んだ。出るにあたっての準備をするためだ。
朝来た時に舞台裏の連絡通路にあらかじめ置いておいた、藤花の吸入器などの備品、そしてそのすぐ脇のキーボードの前に向かった。
まず藤花がいつもの様に吸入器で喉に蒸気を当ててる間、私はキーボードの電源を入れ、師匠の書いた練習曲の何小節かを弾いたりと、これまた普段通りのルーティンをこなしていった。藤花の喉、私の指が暖まってきたところで、まず私が音階を弾いて、それに合わせて藤花が側で声をだした。半音ずつ上げていって、それで今日の調子を見るというものだった。結果としてはいつも通り、藤花は完璧にこなしていた。それからは今日”二人で演奏する曲”をサラッと浚っていると、どうやら軽音の演奏が終わった様だ。
…何故点々で強調したのか、おいおい分かる事だろう。
私は指のストレッチをしたり、腕を伸ばしたりしながら、藤花は顔をゆったりとした動作で上下左右動かして、念入りに首回りのストレッチをしていた。はたから見てるとさながら、何処かへカチコミに行く不良少女に見えたかも知れない。だがまぁ格好が格好なだけに、そのチグハグさ加減が滑稽に見えていただろう。
因みにというか、これは事前に話した事だから今更紹介も何だと思うのだが、一応衣装を紹介しておこうと思う。
まず私。私はもう事前に話の中で触れた様に、コンクールの予選時に来ていた衣装のそれだった。ネイビー一色の、ロングAラインドレスだ。袖は肘より少し上まではあったが、レースで下の素肌が透けて見えていて、トップスを中心に上半身部分を覆うように、様々な花が編み込まれたような複雑な柄の刺繍が施されており、その控え目かつ大胆で凝った模様が特徴的だったアレだ。計三着コンクールで着た訳だったが、その中でも程々に落ち着いた雰囲気があり、こういった場合にはもってこいかと思ったのだが、着替えた瞬間、思い違いをしていたことが発覚した。何故なら、一緒に出場する先輩達が一斉にアレコレと褒めてきたからだった。まぁ…私は冷やかしだと受け取ったけど。
コホン、私のことはどうでも良い。次は藤花だ。あ、いや…藤花は後のお楽しみにとっておこう。
さて、舞台袖に行くと、そこには志保ちゃんが待っていた。と同時に、あまり面識のない複数の先生の姿も見えた。志保ちゃんを筆頭にワラワラと藤花を置いて私の周りを取り囲み、「頑張ってね」的な声を順々に掛けてきた。表向きは笑顔で対応していたが、『今に見てなさいよ、あなた達…?今日の主役は誰かって事、見せてあげるんだから』と、人ごみの間からチラッと見えていた、こちらに笑顔を向けてきていた藤花を見つつ思ったのだった。
私に構った後、社交辞令的に藤花に先生達が声を掛けた後、ふと舞台の照明が落とされた。その瞬間客席側がざわついたが、それを打ち消す様にどこからともなく放送が流れてきた。
「では後夜祭も佳境に入った所で、それに相応しい最後の出場者に出て頂きましょーう!どうぞ!」

…ふふ、どうぞって…
リハーサル段階では淡々と出て行くという話だったので、なんだか妙な前口上を述べられた後で出づらい気がしつつも、苦笑まじりにまだ暗闇に包まれていた舞台へと上がっていった。それと同時に、目が効かない中どう分かったのか知らないが、歩みに合わせるように徐々に照明が灯されていった。
歩いている間、割れんばかりの拍手がわいたが、それに対してお辞儀しようとはせずに、スルーして早足でピアノの元に行こうとしたその時「琴音ー!こっち、こっちー!」と客席から声がしたので、思わず足を止めてその方角を見た。
そこには、満面の笑みを浮かべてこちらに手を振る裕美がいた。
その右隣には紫が座り、同様の笑みを浮かべていた。左隣には、何故か悪戯っ子のような、何か企んでいそうな笑みを浮かべて、しかも立ち上がってこっちに手を振っているヒロの姿があった。案の定、ヒロのそんな姿に、客席の一部ではクスクスと笑いが起きていた。そのまた隣に座っていた絵里は、そんなヒロの背中を眺めつつ、腹を抑えて笑っていた。
はぁー…
私は一度苦笑を漏らしたが、すぐ後で目を薄めがちに開け、スタスタと舞台の端まで行くと、如何にも文句を言いたげなのが見ただけで分かるように、腰に両手を当てて上体を屈めて見せた。何だか期せずして、文句を言うパントマイムになってしまった。そして上体を起こすと、今度は”どうどう”と宥めるようなジェスチャーをした。するとヒロは頭を掻きつつ客席の方に顔を向けると、ペコペコと頭を下げながらゆっくりと座席についた。このクダラナイ一連の流れの後、さっきの拍手とはまた別に、ドッと大きな笑い声に客席は包まれた。
私はまた大きく肩をガクッと大袈裟に落として見せると、先程までの”如何にもなコンクール感”の空気が消え失せた中、若干口元に微笑みを浮かべつつピアノの前に来ると、今度は何も考えないまま自然と一度客席にお辞儀をして、それからピアノの前に座った。
まださっきの余興(?)の余韻を引きずってか、客席はざわついていたが、私はそれに構わず、少し魅せてやろうという俗な考えの元、大袈裟に両腕を高く上げると、勢いよく鍵盤の上に振り下ろした。
まず私が弾き始めたのは、ショパンのエチュードハ短調 Op.10-12、”革命”の名で知られる曲だ。…いや、これはそもそも当初弾く予定の曲では無かったのだが、この曲は普段クラシックを聴かない人でも、非常に高速で、長く激しく下降する和声的な短音階、その長さとこれら急速なパッセージ、最初の数小節を聞いただけで、かなりのインパクトを与える技巧曲なので、弾くのはもちろん大変なのだが、意識をこちらに向けさせるのには丁度良い曲だ。…ショパンには、こんな意図の元で弾くのは申し訳がなかったけど。でもまぁ案の定というか、こうして弾きながらでも客席が静まり返るのが分かった。二分半ほどで弾き終えると、今度は本来の予定通りの曲を順に弾いていった。
まずはまたショパンから。ポロネーズ 変イ長調 Op.53 ”英雄”だ。全体的に半音階の上昇、低音オクターブによる音量効果、不協和音が多い小節から生み出される切迫した演出効果などなど、それらがピアノに管弦的な色彩豊かな表情を発揮させている曲だ。これまた弾ききるのは大変な曲なのだが、成功した時はとても気持ちのいい曲なのだ。
拍手が一瞬湧いたが、それを抑えるようにすぐさま次に弾いたのは、これまたショパンから。変ホ長調Op.18”華麗なる大円舞曲”だ。一曲目(?)の英雄のような荒々しくも気品溢れる猛々しさのある曲だったが、それとはまた違った雰囲気で、色んな形容が出来るが、一言で言えば、この通説の名前の通り”華々しさ”のこれだ。これを弾くだけでその場が一気に華やかになる。
これを弾き終えると、また間髪入れずに次の曲に取り掛かった。それは、またしつこくショパンから。そして”華麗なる大円舞曲”に続いてまたワルツだ。ワルツ第6番 変ニ長調 Op.64-1”子犬のワルツ”だ。ショパンの当時の恋人であった作家のジョルジュ・サンドが『私のこの子犬がはしゃぐ様子を音楽で表してみて?』というお願いをして、それを受け入れて書いたという曰く付きの曲だ。リズミカルで美しいスケールとトリオの甘いメロディが特徴的で、特にこのトリルが、まるで子犬がコロコロと忙しなく走り回る情景を思い起こさせるのに貢献している。
とまぁ、これら…最初の”革命”を入れたら計四曲を弾き終えたところで、私は椅子から立ち上がるとアリーナーへ向かってお辞儀をした。その途端、客席からは、私がさっき舞台に上がった時よりも数段もっと大きな拍手が沸き起こった。チラッと裕美たちの方を見ると、これまた笑顔で私の方に手を振ってくれていた。さっきはヒロに気を取られてしまっていたが、その周りには”外部組”もちゃんと来てくれていて、同様に笑顔で手を振ってくれたり、声援をくれたりした。
…とここで、突然だが一度話を置いて、色々と軽く私から説明をさせていただきたいと思う。…色々と疑問が湧いている頃だと思うからだ。
まず、何故選曲がショパンのみなのか?それは、前にも触れたように、この話が出来た後で真っ先に師匠に相談したのだが、師匠は『何だかんだ世間に知れ渡っているし、ショパンなら唖然とされることは無いんじゃない?…弾くのは大変だけれど』と飛びきりの笑みを最後にくれながらアイデアをくれたのだった。その通りなのだが、確かに今結果としてこの拍手を見ると、思惑通りだったと言えると思う。
次に…何故私一人でさっきから演奏しているのか?まぁ…私も私で不本意だったのだが、自分で言うのは恥ずかしいことこの上ないのだが、私あっての企画だというので、本来は全編通して藤花とリートを演奏したかったのに、そうもいかず、最終的には『じゃあ三十分ある持ち時間の中で、少なくとも半分はピアノのソロにしてよ』と言うので、渋々それに従った次第だ。
…っと、ここで持ち時間の話が出たので、また逸れるようだが軽く触れると、今回の後夜祭でそれぞれの出場者組に持ち時間が与えられていた。最初のお笑いは十五分、ダンスは二十分、そして軽音も二十分といった具合にだ。トリの私たちだけ十分多めの三十分だった。
とまぁそんな訳で、ここで一つこの繋がりで、何故私がこんなに一々曲間曲間を区切らずに一気に弾ききった理由も分かるだろう。そう、まぁ私自身の気まぐれのせいもあるが、私のソロ演奏に時間をとられて、肝心の藤花との演奏時間が減ってしまうのを恐れたためだった。何とかその努力の甲斐もあり、思ったよりも時間にゆとりが出来ていた。
私はまたストっと椅子に座ると、まだアリーナのざわつきが収まらないのに構わず、おもむろにある曲のイントロを弾き始めた。
それとともに、打ち合わせ通りゆったりとして堂々とした…いや、若干きょどりつつ、藤花が少し足取りも不安定な調子でおずおずと出て来た。
と、ここでようやく今日の藤花の衣装について触れることが出来る。…まぁ、どこまで需要があるかは知らないけど…ってこんな事言ったら藤花に怒られるな…。あ、いや…コホン。では軽くだが触れてみようと思う。…しかしまぁ誤解を恐れずに結論を言えば、ここまで引っ張るほどでも無かったかもしれない。何故なら、今日の藤花の衣装というのは、私のコンクールの決勝に着てきた格好そのものだったからだ。昔の映画に出てくるお嬢様が着ていそうなクラシカルな装いで、胸元にはドットチュールの上にコットンレースが施されており、その周りをフリル状にしたレースで縁取っていて、パフスリーブの袖口にもレースがあしらわれ、背中には幅広のリボンが存在感を示していたソレだ。
これは私からのリクエストだった。初めての時だっただろうか、後夜祭の練習をしようと藤花の家に行ったその時、おばさんから「どんな衣装を用意したらいい?」と聞かれた。その時、おばさんは色んなアイデアを出してくれたが、先ほども触れたように、あの時に来てきてくれた格好があまりにも藤花に似合っていて、私の中ではそれ以外に考えられなかった。その旨を本人を前にして、私のことだから空気を読まずに力説すると、苦笑いを浮かべる藤花を尻目に、おばさんは私の話に妙に同意してくれて、この短期間に改めて用意する手間も省けたと、その場で瞬時に衣装が決まったのだった。
実際、こうして舞台上にいる藤花の姿を見ると、やはりというか、私の目に狂いは無かったと、心の中で一人自画自賛をするのだった。
さて、藤花の姿が見えたのと同時に、また裕美…いや、今度は、当たり前といえば当たり前だが、律が中心になって『藤花ー!』と名前を連呼していた。”部活モード”だ。その度に藤花は小さく手を振り返していたが、それ以外は明らかに空気が前と違っていた。一言で言えば『誰だこいつは?』ってな感じだ。そんな空気を肌身に感じたのだろう、普段からホームであるはずの教会内での独唱の時ですら、今だに出て来るときは慣れない感じが抜けないというのに、急にこうした、ある種のアウェーでの独唱、これで緊張…というか、普段通りでいろと言う方が無理があるだろう。
そんな藤花の様子を眺めつつ、何だか無理矢理連れ出すような真似をして、私の事情に巻き込んじゃって悪いことをしてしまったかと一瞬後悔したが、その直後には『何くそ、藤花、この無礼な客どもに一泡吹かせてやるわよ』と思い直し、その意思を藤花に伝えるべく、繰り返し弾いていた伴奏を徐々にフォルテ(力強く)でかき鳴らしていった。
音の違いを敏感に感じ取った藤花は、少し俯き加減でいた顔を上げて私の顔を見ると、キョトン顔をしていたが、私の位置からも分かるほどにフッと力の抜けた笑みを零すと、それからは軽い足取りで、私の後ろに置かれていたマイクスタンドを手に持つと、それをリハーサル通りに舞台の端すれすれに近いほどの距離に置くと、そこから数歩後ろに下がり、少し俯いて深呼吸をしてから、ゆったりとした動作で私の方を向いた。強めの照明に照らされたその顔には、自信の滲んだ力強い笑みが浮かんでいた。それを見た私も同じ様な笑みを返すと、藤花は一度コクっと頷き、客席の方を向き、そしてまた一度軽く俯いた。これは、藤花の普段の”待ちスタイル”だった。
それを知っていた私は、ずっとフォルテで繰り返していたイントロの調子を徐々に原曲に戻していった。
その間、客席の方では、藤花があまりにもマイクスタンドを、思ったよりも立ち位置から遠めに置いたからだろう、それについて何だか軽く騒めいている様子だったが、『驚くのはまだこれからよ』と、また私は自分の事でもないのに、そんなことを思いながら藤花を曲に誘い入れた。
それに応じて、藤花は静かに第一声を放った。
まず一曲目。それは”オンブラ・マイ・フ”だった。または”ラルゴ”の名前でも知られる、ヘンデルの作曲したオペラ”セルセ”の第1幕第1場の中のアリアだ。歌詞はイタリア語で書かれており、”オンブラ・マイ・フ”を直訳すると”今までに無かった影”となる。詩は『木陰を愛おしむ』といった感じの内容だ。今現在このオペラ自体は滅多に上演されないが、この曲が独立した美しい小品としてファンから愛されており、度々演奏されている。元々はカストラート(去勢された男性歌手)の曲なのだが、今はソプラノ歌手により歌われることが多い。
相変わらず、藤花は第一声で聴いてる者をどこか彼方に連れていってしまうような気分にさせるが、ピアノを弾きながら聞き惚れていた私でも、客席がシーンと静まり返っているのに気づいた。恐らく私と同じ状態だろう…と思った私は、またまた自分のことでも無いのに何だか誇らしく思いつつ、気持ち良く三分と少しの曲を弾ききった。
演奏を終えると、辺りはシーンと静まり返っていた。客席のあちらこちらで疎らに拍手が聞こえたが、それは何というか、拍手するべきかせざるべきか、戸惑っている様子が窺える類のものだった。
その事を察せれたかどうか、裕美は途端にまた少しきょどりつつこちらに視線を向けてきたので、私はニコッと満面の笑みを浮かべて、予定通り次の曲のイントロを弾き始めた。
二曲目。曲名は”ヴォカリーズ”。ある意味、あらゆる独唱の中でも定番中の定番と言えるものだ。これはセルゲイ・ラフマニノフが出版した『14の歌曲集』作品34の終曲で、補筆などを繰り返すうちに管弦楽編曲を行うに至るが、今回はピアノ一本しか無いというので、元(?)通りにピアノの伴奏で私たちは演奏した。”ヴォカリーズ”の性質上歌詞は無く、母音「アー」で歌われるのみの溜め息のような旋律と、淡々と和音と対旋律とを奏でていくピアノの伴奏が印象的な曲だ。
個人的に私はこの曲が大好きで、色々な理由があるが、一つ述べよと聞かれたら、あらゆる作曲家の中で一番大好きで尊敬している”大バッハ”の影が見えるからだと思う。この様な私の好みの源は他にも及ぼしていて、私がショパンが大好きなのも、やはり彼の曲の端々にバッハの影響が見られるからだと断言できる。実際、ショパン自身も書簡だとかあらゆる残された文章の中で、いかにバッハが好きで尊敬しているかを述べていることから見ても、的外れでは無いと言えるだろう。
…っと、思わず余計な事を口走り過ぎたが、ここでも藤花は滞りなく、代名詞であるどこまでも透き通った、聞いた者をどこか天上にでも連れていってしまうかの様な、そんな歌声で見事に歌いきった。
二曲目も無事演奏を終えると、また客席では戸惑いの色が浮かんでいるのが、実際には暗かったのにも関わらず、その様子が手に取るように分かる様だった。
また拍手が疎らだったのを見て、私はふとある事を思いつき、サッとその場で立ち上がった。そしてツカツカっと藤花のそばまで行くと、一度藤花の顔を見て、そしてフッと微笑んでから客席に向かって深々とお辞儀をした。それを見た藤花も慌てつつも私と同様に深々とお辞儀をした。
その次の瞬間、今日一番の割れんばかりの拍手、それに皆が一斉に立ち上がったせいか、地響きにも似た音もそれに混ざって、それらが一斉に舞台上の私たちに降り注がれた。…いや、この場合、藤花”に”注がれたと言うべきだろう。
私はいち早く上体を起こして、まだ頭を下げたままの藤花に対して拍手を送った。まだ気づいてないのか、藤花はゆっくりとオドオドしつつ顔を上げると、私の位置からは横顔しか見なかったが、それでも今までの付き合いの中で一番の驚きの表情を浮かべていた。
これも私は真っ先に気付いていたが、ふと裕美たちの方を見ると、当然と言うべきか、裕美たちも少し涙ぐみながら笑顔をこちらに向けて手を振っていたが、そんな中、律一人がシャンと背筋をピンと張って棒立ちになっていたが、時折目元を拭う様な仕草をしていた。と、ここでふと藤花と視線が合ったのか、さっきよりも何度も目元を拭いつつ、これまた珍しい、とても朗らかな微笑を顔に湛えてこちらを眺めてきていた。それに対して何だか直立不動の姿勢のままでいる藤花を余所に、今度はその微笑みのまま拍手を小さくしだすと、急に藤花は私の方に顔を向けた。 その顔には今だに戸惑いの表情が張り付いていたが、それでも見る見るうちに笑顔になり…、いや、時折何かを我慢するかの様な苦悶の表情を浮かべたりと、百面相を忙しなく浮かべていたが、終いには泣きそうな顔で動きが止まると、そのままガバッと私に抱きついてきた。何も言わなかったが、抱きついたことによって体が密着し、それで藤花の体が小刻みに震えているのが分かった。
…ふふ、予定では後数曲演る予定だったけど、ここまでのようねぇー…
私自身も少し涙ぐみつつそのまま、私からしたら小さな藤花の背中を、まだ会場の興奮の冷めやらぬ中、包む様に上から抱きしめた。
…ただ無言で抱きしめていれば、それで”絵”になったのだろうけど、やはりというか、空気の読めない私はつい、どうしても胸の中を渦巻いていた思いを、そのまま無粋にも口にしたのだった。
「…ほらね?演ってみて正解だったでしょ?藤花?」
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