第五話【流れ星】

文字数 22,347文字

第五話【流れ星】

不思議な夢を見ていた。
銀髪の男が女性を胸に抱き、叫び声を上げている。
女性は口元から血を流し、安らかな顔で横たわっていた。
そして地を叩き、目前にある村を睨みつける男。
村の中央には大きな桜の木が生えており、風に揺られ花弁を空に散らしていた。
ザァザァと。ザァザァと。
それはまるで目前に立ち尽くす男を憐れんでいるように、桜木は風に揺られ続けていたんだ。
「……――っていろ……いつか……らず……讐……やる」
 すると男は何かを呟き、その場から立ち去ってしまった。
そしてその場には、誰も居なくなった。
そしてその場には、誰の声も聞こえなくなった。
 そしてその夢は、そこで途絶えてしまったんだ。

「んっ……? あー…………朝か」
目が覚めた俺は瞼をこすり、部屋の窓から外の景色を見渡す。
空には薄暗い雲と朝焼(あさや)けが満面に広がっており、空の下では人々が仕事の為。私用(しよう)の為にと歩を進めていた。布団から気だるく手を伸ばし、目覚まし時計を掴む。
何だ。まだ六時か。いつもの癖で早めに起きちゃったな。今日はせっかくの休日なのに。
男性を操っていた悪魔の襲撃を受けてから――すでに早二日が経過した。
身体の打撲は以前のバジュラ襲来の際同様。ベリーの丁寧な手当により、大分痛みも和らいでいる。驚くべきはやはりその回復能力だろう。
ほんとカルマ使えば、金儲けでも何でも出来るんじゃねえか……?
ちなみにしいはと言うと目が覚めた頃には被害が戻ったコンビニの控室で目を覚まし、それ相応の説明もしたので、あの出来事は夢とでも思っているはずだろう。
何はともあれ、本当にしいが無事で良かった。
けど、あの男性を操っていた悪魔は、何で俺を狙ってきたんだろう。
以前のバジュラ、だっけ。あの化け物だってそうだ。ルシファやベリーは今回の襲来(しゅうらい)については「それについては今調べている途中」とは言っていたが、やっぱり不安だよな。    
俺だけならまだしも、俺以外の誰かに危害が加えられるのはもう耐えられない。
それに男の首元にあった刻印。あれは一体、どういう意味があったんだろう。
それにさっきの夢……あの銀髪の男、誰かに雰囲気が似てたんだよな。
とりあえずそれ等に関しては、ルシファ達に朝食の時にでも相談してみるか。
だって、今日はせっかくの休日なんだもん。ゆっくり二度寝でもしていたい。
「なので、おやすみ。……スー……スー……」
…………ガチャッ。
…………ださい。……なさいよ。
「……んんっ……ムフッ……ムフフフッ……」
……きさーん。……ずきー。
「んんっ……お袋ぉ……あと、五分だけ……」
……リー。やっちゃってください。
オッケ。……――ゲーティア〘雷―ライズ―〙
「……んっ? ――ビャビャビャビャビャ、ビャッッ⁉」
雷撃の痛みと衝撃が、俺の身体を蝕(むしば)んでいく。
身体をビクンビクンさせながら釣れたての鯉みたいに跳ね、俺は口をパクパクさせていた。声は出ない。でもこの痛みが夢で無いというのは分かる。
パチパチと感電しながら俺はベッドの傍に立つ二人の少女を見上げる。銀髪は俺の胸を揺らしていて、赤髪は欠伸をしているご様子。最近の寝起きドッキリでもここまで酷くない。
「お、おい、ベリー……俺を起こす時は、カルマ使うなっつったろ……」
「あずきが起きないのが悪い。それにあんた何でか分かんないけどカルマの効果薄いんだから、そんな痛くないでしょうに。それより早く起きてご飯作りなさいよ。私、お腹減った」
「そうですよ。それに今日は公園に遊びに行く約束でしょう? 早く、起きてください」
「ああ……そういえばそんな約束、してたっけ」
すっかり忘れてた。しゃーねえ。まだ寝ていたい気分ではあるけど、起きるか。
俺は寝ぐせまみれであろう跳ねた髪をいじり、一階に降りて洗面所で顔を洗う。
鏡を見ると俺の予想は大当たり。俺の頭部には暴風警報発生中だ。
また、これは余談にはなるが、俺は不思議とカルマへの抵抗力が一般の人間よりあることが以前の戦いで分かった。理由は多分、契約をした際に得た力の一つってやつだろう。
水道で髪を大雑把に濡らした俺は台所に向かい、トースターに食パンを三切れ入れる。リビングをさりげなく一瞥すると、ルシファとべリーが協力して食器を運んだり、飲み物を並べたりしていた。
食事は俺が担当するが掃除や雑用は二人が行うのが、桜葉家のルールになりつつある。
「それじゃあ、いただきます」
「「いただきまーす」」
朝食の用意を終え食前の会釈を行うと、二人も同時に手を合わせる。俺は食パンにバターを塗りつつ大きな欠伸をした。
出来ることなら朝飯を食べてから、仮眠(かみん)を貪(むさぼ)りたい。
「あずきさん。今日は公園に行って、何して遊びますか?」
「別にお前達がしたいことしてろよ。それと、ほら。また口周り食べかすついてる」
ティッシュを一枚取り、ルシファの口に付いたバターを軽く拭う。
「エへへ……ありひゃとうございまふ」
頬を赤くしたルシファは目玉焼きを食べつつにやける。
物飛ぶから、食いながら喋んな。
「……」ジッーーーーー。
あとべリーに関してはさっきから口にわざとジャムを付けて俺を見つめてくるのは何でだろう。
べリーちゃん。口周りにジャムがべたべた付いてるよ。汚いよ。
「……ルシファ。べリーの奴どうしたんだろう」
「多分、べリーも口を拭いてほしいんじゃないんですか? 全く甘えん坊ですねぇ」
ああ。納得。けど、面白そうだから、ちょっとからかってやるか。
あと、お前が言うな。
「べリー。口拭かないの?」
「こ、これは別にいいのよ」
「ファッション?」
「ち、違う! ……あ、あーあ。私の口にもジャム付いちゃったなぁ。汚いなぁ」
「ほら、ティッシュ」
俺はティッシュの箱をチラチラ見てくるべリーに愛想悪く手渡す。
すると、ベリーの瞳がチワワみたいにフルフル震えだす。
怒っているか泣きそうなのかが、パッと見分からん。
ティッシュを取り出すことなく、べリーは頬を赤く染め尚も俺を睨み続けると。
「ほら……口が汚れたのよ。だから、ほら、その、ねえ」
「その。何だよ」
「その……だからっ……」
「ん?」
「……――ジ、ジャムが口に付いてるんだから早く拭きなさいよ! ほんとばっかじゃないのっ⁉」
仕舞には逆ギレときた。
これが最近のゆとりである。
俺は続けさまに泣かれても面倒なので、ルシファと同じように口を拭いてやることにした。ゴシゴシゴシ……。
「フン。早く拭きなさい」
「へいへいっ……」
こうして見るとただの子供だけど、これがこの前あれだけ暴れていたというのだから、人間見た目では無いな。と一人感心する。
あ、人間じゃねーか。
目玉焼きの黄身を口に入れ、牛乳で飲み干し、俺は朝食を終える。
そういやあの刻印について、二人に聞かなくちゃな。
「べリー……私は疑問なんですよ。カルモニャーラが何故あんなに美味しいのか」
「ルシファちゃん。噛んでる。噛んでる。カルボナーラよ。カルボナーラ」
食器を重ねつつ、二人を見やる。
二人はカルボナーラについて談義(だんぎ)をかましているもよう。
「カ、カルボナーラの話ししてるところ悪いんだけどさ、お前等に見せたいものがあるんだ」
「? どうしたんです?」
「いや、以前操られていた男性の首元にこんな刻印があったんだけど……お前らこれに、見覚えないか?」
紙と鉛筆を手に取り、男性の首元にあった刻印を見よう見まねで描(か)く。形は少し歪だが、仕方ないだろう。 あざとらしくアヒル口を作った二人はその紙を手に取ると。
「「これは……」」
と、見事にハモり、手中の紙を食い入るように見入っていた。
「? やっぱりお前等はこの刻印に、心当たりがあんのか?」
どうやら知らぬ存ぜずというわけでもなさそうだ。
ふと、べリーが怪訝そうに顔を上げる。
「確か……この刻印(こくいん)は、サタン様の刻印に似ている気がするわ」
「サタン?」  
首を傾げた俺が食器から手を離すと、ルシファが難しい表情で鼻筋をなぞりだす。
「それについては私から説明しましょう。私達の住む魔界(グリモア)では強い魔力や特別な力。それに高度な知能を持つ八人の悪魔が法律や決まりを作っていると、以前べリーから聞かされましたよね?」
「八柱(はちばしら)ってやつだっけ?」
「そうですね。そして八柱には『暴(ぼう)王(おう)のベル様』『炎(えん)帝(てい)のアモン様』『創生(そうせい)のオセ様』など、とてもすごい魔力や力を持った悪魔達が席を降ろしていまして、そんな方々がグリモアを管理してくれているのです。……その内の一人に『天災(てんさい)のサタン様』という悪魔が居るんですけど、その悪魔の刻印がさっきあずきさんか描いてくれたイラストと酷似してるってわけなんです。あ、ちなみに暴王とか炎帝などの異名みたいなのは、その方々の得意なカルマや能力を表しているんですよ」
眼鏡もかけていないのに、ルシファは指先で鼻筋をなぞり続けていた。
へー、すごい。勉強になるなぁ。
でも、それってもしかして。いや、もしかしなくてもさ。
「……つまりそんなお偉いさんに俺は命を狙われていたって解釈(かいしゃく)でよろしいのかしら?」
冷や汗をダラダラ流しながら俺がそう言うと、べリーが噴き出したように笑う。
「――まさか。何でサタン様があんたみたいな普通の人間の命を狙うのよ。エリートなのよ? 天才なのよ? それにまず理由がないじゃない。あんたを殺そうとする理由が。ルシファちゃんじゃあるまいし……多分、以前あの男性を操っていた悪魔はサタン様の刻印を勝手に使ったんでしょ。結構多いのよ。強い悪魔の刻印を自分を強く見せるために、勝手に使う奴」
ふーむ。確かにベリーの言うことも一理ある。
けどさぁ。
「じゃあ……以前あいつが言っていた『あのお方』っていうのは一体誰のことなんだよ。それこそ、そのサタンって奴なんじゃねえのか?」
「だから、それを今私達が探してるんじゃない。じゃあ、仮にそれがサタン様だったとして、あんたそんな偉い悪魔に狙われるようなこと何かした? してないでしょ」
「……確かに」
べリーの言い方はムカつくが、確かに的(まと)は得ているだろう。
俺みたいな普通の人間が魔界のお偉いさんに狙われる理由も。また原因だってない。
ちなみにサタンとやらは魔界では皆の憧れのようでとても人気があるらしいが、クラスや種族などは一切公(おおやけ)には出ていないらしい。ミステリアス。
「べリーがそんなに称(たた)えるような悪魔には、私にはどうも思えませんけどねぇ……」
また理由は分からんが、ルシファはそんなサタン様とやらがあんまり好きではないらしい。
話は続け様に。ベリーとルシファは食後のお茶を飲みつつ、エヘンと胸を叩くと。
「まっ、安心しなさい。これからどんな悪魔が来ようと、私達が絶対にあんたのことを守ってあげるから……それより」
「そうです。だから早く公園に行きましょう。今日こそ、ブランコで宙(ちゅう)一周(いっしゅう)しますからね」
はいはい。頼りにしてます。つーか、子供が真似したら危ないからすんじゃねえよ
ルシファ達の催促により、早急に食後の片づけを始める俺。
皿洗いを済まし、手をタオルで拭っていると――ピンポンとチャイムが鳴った。
? 宅急便でも来たのかな。
「はいはい、今行きまっ……ってなんだ。明音としいか」
「なんだとは何よ。出会い頭(がしら)に失礼ね」
「こんにちは。先輩」
玄関に向かいドアを開けると、そこには花束を抱えたしいと明音が立っていた。
おお。なんか珍しい組み合わせだな。
しいが花束を俺に手渡すと、二人は同時に口を開く。
「先輩お見舞いに来ましたよ。アルバイトの帰り道に事故に遭ったって聞きましたけど……案外元気そうですね」
「そうそう。あずき、事故に遭ったんだって? そこでしいちゃんと偶然会っちゃってさ」
「事故?」
そりゃ確かに怪我はしたけど、事故には遭ってねーぞ。
すると後ろから、ツンツンとベリーに背中をつつかれる。
「ほら……あんたの怪我の理由を説明する際に『悪魔と戦ったから』なんて説明できないでしょ。だからもう一度『アンゴ』をしいちゃんにかけた。続きは言わなくても、もう分かるでしょ」
ああ、なるほど。それなら合点(がてん)がいく。
まあ、説明しようにもしようがなかったし、今回はナイスフォローかもしれないな。
俺は花束を胸に抱えたまま、二人に頭を下げる。
「わりいな。わざわざ花まで持って来てもらって……どうする? 上がってくか?」
「いえ、そんな悪いですよ。先輩の体調もまだ万全じゃないでしょうし……ね、明音先輩」
「そうね。病み上がりだろうし。流石に悪いわ」
「とか言いつつ、お前等は靴を脱いでるんだよな。ええ、そんな奴等だよ」
そう言いながらもちゃっかり玄関に上がる明音としい。そしてそれを歓迎するルシファとベリー。
しゃーねえ。まぁ、見舞いと言われて悪い気はしないし、公園は急遽変更だな。
花を花瓶に飾った後、俺は四人分のお茶を運び、テーブルにテキパキと置いていく。
そして「そういえば今日は部活休みなのか?」と二人を見やると、明音の後方からは看板のようなものが見えていた。
看板には『あずき(先輩)の怪我を治しちゃおう大作戦!』と可愛らしい文体で書かれている。
俺は苦笑(くしょう)し。
「……明音、それなに」
と、呟く。明音は俺の反応を見ると、ふんぞり返り。
「おっ、早速見つけたんだ。見つけちゃったんだ。あずきはいやしんぼだなー……フッフッフ。そう――これは私としいちゃんが考えた、極秘大作戦!」
「はい! その名も!」
「「――あずき(先輩)の怪我を治しちゃおう大作戦っ!」」
「そのまんまだな。それに全然極秘じゃねえし……」
そう苦言(くげん)するとしいは『明音先輩。やっぱり名前が安直(あんちょく)すぎましたかね』としょんぼりと眉を下げていた。明音は「そんなことないわ。これは私達が必死に考えた名前なんだから」としいを慰めていた。
ちなみに二人は手芸(しゅげい)クラブに入っており、先輩後輩関係なのである。
こりゃ謝らないと、俺が悪者になりそうだな。
「はいはい。悪かったよ。最高のネーミングセンスだな。それでその作戦とやらで、俺の怪我をどう治してくれるんだ? 膝枕でもしてくれるなら治りそうだけど」
「ふん。そんないやらしい行為しないわ。まあ、今から私達に着いてくれば、すぐに分かるわよ。――ルシファちゃん。ベリ―ちゃん。急なんだけど、着替えとタオルを用意して私達に着いて来てもらえる?」
そう言われた二人は不思議そうに首を傾げると、用意を始めていた。
俺も二人同様着替えとタオルを用意する。ここで従わなかったら、後が面倒だし。
そうして二人に無理やり連れていかれた場所は――

「で、銭湯と……」
草津(くさつ)の匂いが立ち込もる湯船。鹿(しし)威(おど)しを模して造られた竹は、定期的なリズムを刻む。
この銭湯の名は《草(くさ)津屋(つや)》
どうやらこの温泉には傷を癒す効能(こうのう)があるらしく、その温泉を目当てにここに連れてこられたというわけだ。ちなみにこれはしいの提案である。
けど、これってただ単に、あいつ等が温泉に入りたかっただけじゃねーのか?
「おろ……あず坊じゃねえか。久しぶりだな」
湯船に浸かっていると、不意に誰かから声がかけられる。
振り向くとそこには全裸のおっさんが居た。
「下山のおっさん……今年はもう、刑務所から出てこれたんだな」
「一ヶ月くらい前にな。刑務所のカレーの味は今でも忘れられないぜ。がっはっは」
このおっさんの名は下山さん。痴漢や盗撮が趣味の、言わばクズ人間だ。
おっさんは湯船に浸かると、すぐさま壁際ににじり寄る。
それから壁にあった小さな隙間を見つけ、振り返ると。
「あず坊もどうだ?」
と、お誘いをかけてきた。
たくっ、ふざけんな。俺はおっさんを睨みつける。
「おっさんもいつまでも覗きなんてしてんじゃねえよ。バレたら、また刑務所行きだぞ?」
「と言うわりに、ちゃっかり見に来てるじゃねえか」
「ヘヘっ」
銭湯の壁際にある小さな亀裂(きれつ)。その隙間から俺達は女風呂を覗こうと、一点に集中していた。隙間から見える見えそうで見えない柔らかな裸体(らたい)は、俺の期待感と興奮と愚息を尚も奮い立たしていく。
「けど、珍しいな。あず坊が銭湯に来るなんて、三年ぶりくらいじゃないか?」
「友達が連れてきてくれたんだよ。いや、確か二年ぶりくらいだな」
確かにおっさんの言う通り、この銭湯に来るのは久しぶりだ。明音達の思いやりの気持ちだというので仕方なく来たが、そうじゃなきゃ絶対に来てないと思うもん。
だが、俺が温泉に行こうと思ったキッカケは、実はもう一つあった。
しいには悪いが正直怪我の治りよりも、こっちの方が目当てだったかもしれない。
「おっ……聞こえてきた。聞こえてきた」
壁の隙間から目を離し、今度は壁際に耳を押し付けてみる。
「でねー……!」
「あー、分かります」
「でさー」
「けどですねー」
聞こえてくるのは妖艶な女子トーク。普段この銭湯にはババアくらいしかいないが、今日は違う。何とピチピチ女子が四人も銭湯に入っているのだ。しかも知り合いの。
それこそが、俺が銭湯に来ることになった最大のキッカケだったのだ。(キメ顔)
俺は耳たぶを壁際に勢いよく擦りつける。
ズリズリズリズリリッ!

「――いやぁ。それにしてもお昼に入るお風呂も、なかなか悪くないわね」
「そうですね。けど、ほんと明音先輩はお胸大きいですねぇ……私なんか普通だから」
これはしいと明音の声だな。そんなことねーよ。しい。お前にはお前の良さがあるんだ。
「そうかなー。私はスポーツするときに邪魔だから。正直不便なのよね。これ」
これは明音か。何言ってんだ。お前からおっぱいを取ったらもう萌えポイントなんて料理が上手いところと優しいところしか残らねえじゃねえか。結婚してください。
「ですよねぇ。でも、しいさんはお肌すべすべじゃないですか」
ルシファの声か。そうそう。しいにはしいの良いところがあんだよ。
「べリーちゃんはお肌が若々しくて羨ましいわ。私も昔は、ピチピチだったんだけどね」
嘘つけ。小学生の頃に風呂覗いたけど、今とあんま変わってねえじゃねえか。
そうして次はどんなエロイ会話が聞こえてくるのかと聞き構えていると、バシャバシャと湯舟(ゆぶね)がはじける音が聞こえてきた。それに伴う色気のある声。
こ、これはもしや!
「確かにルシファちゃんってば、ほんとおっぱい大きいわよね……えいっ! こうしてやるっ!」
「ちょ、ちょっとべリー! やめてくださっ……んぅっ……ひぁっ……!」
「あ、ズルい。べリーさん。じゃあ、私も……明音先輩! 失礼します!」
「あっ。こ、こら、しいちゃんまでっ……!」
――フォォォオッ! 始まりやがった。女子特有の『銭湯に来たら貧乳が巨乳の乳を揉む』行為が! 
俺はすかさず隙間に視線を戻す。しかし隙間の前ではババァがちょうど身体を洗っているため、湯船の中がよく見えない。
――くっそ。お呼びじゃねえんだよ、ババァ! 枯れ果てろっ!
「ちくしょう! もう少しだってのに……!」
悔しさのあまり湯船に手を打ちつけようとした瞬間――誰かに俺の拳が止められる。
それは下山のおっさんだった。おっさんは首を横に振ると、諭すように頷く。
「もういい。もう自分を傷つけるな……見えないものは、仕方ないんだ」
「おっさん……。けど……けど、俺……悔しいよっ!」
 目の前に宝(裸)があるのに。目の前に希望(裸体)があるのに。それが目に入らないなんて……!
おっさんは持っていた牛乳を飲み干すと、「持ってろ」と空き瓶を俺に投げ渡してくる。
「――壁に耳あり銭湯にワシありってな。お前が覗けないというのなら、ワシが覗くまでよ」
湯船に浸かり、両肘を腰に付けて大股を開くおっさん。
そして気を溜める構えを取ると。

「あず坊――ワシがお前に、プロってもんを教えてやるっ!」

「おっさん……!」
おっさんが構えを取ると湯船にザアザアと波が生じだす。
カタカタと石鹸が揺れ、他のお客さんが「何だあいつ……」みたいな目つきになり始める。
くっ、このおっさん。下手したらカルマ使えんじゃねえのか……?
それからおっさんが壁の隙間に目をやると――
「心眼(しんがん)ッ!」
――と言い、風呂の隙間に目を激しく擦(こす)り続けていた。
『心眼』とはおっさんの必殺技。ただ、隙間に必死に目を擦り続けるだけの技らしい。
だが、この技を侮(あなど)ってはいけない。 何せおっさんは心眼で見れなかったものはないと、自負しているからだ(自称)
だから、今回もおっさんは覗きに成功するは……!
「――もるつあぁぁぁぁぁああああぁぁああッッ!」
「おっ……おっさーんっ!」  
おっさんが吹っ飛んだ。その拍子にタイルで頭を打ちつけ、おっさんは悶絶(もんぜつ)。
くっ! 何があった! 近づくとおっさんは目頭(めがしら)を手で抑えもがいていた。
そんなおっさんの目に付着していたのは……シャンプー。
「――ひゃっひゃっひゃ! ワシのプリチィーな裸を覗こうとした天罰じゃわい!」
 どうやら婆にシャンプーをかけられたらしい。
俺は苛立ちのあまり、拳を強く握り絞める。
「おいっ、大丈夫か! おっさん! くっ……うっせぇ! ババァ! てめえの裸になんか興味ねーんだよっ! 干し柿みたいな身体しやがって‼」
と、ババァと口論をしていた俺に、女湯から呼び声がかけられる。
「さっきからうるさいわねー。あずき。もうちょっと静かにしなさいよ。迷惑でしょー」
「あと、あずきさん。女風呂覗いちゃダメですよー」
「無理無理。あいつにそんな勇気ないわよ。ルシファちゃん」
「確かに……それに関しては、私もベリーさんに同意ですね」
飛びかかる数々の罵倒(ばとう)。不満(ふまん)。軽蔑(けいべつ)。それ等の言葉に俺は反論が出来ず、ただ黙って受け止めていた。タオルを腰に巻くことも無く、童貞の愚息を露わにしながら。
……バカにしやがって。
「……おっさん。俺、行くよ」
「あず坊……お前っ」
湯船から上がり、タイルの上を俺は進んでいく。このままおっさんの仇を取れずに逃げるなんて行為、俺には絶対に出来ない。
それに何より俺はあいつ等の裸が見たい。だからおっさん。今の俺を止めないでくれ。
積み重ねてある桶を手に取ると、俺は女湯へ続くシルクロードを作りあげていく。
「やめろっ! そんな古い手が成功するはずが……! 自殺行為だぞっ‼」
罪を。桶を。俺は崩れないように積み重ねていく。
そうしてシルクロードが完成した頃、俺はおっさんに別れの言葉を告げた。
「おっさんの分まで見てくるから。女の裸を。JKの秘部を……あんたには昔から色々と教わったよな。エロ本の捨ててある絶好ポイントとか。恥ずかしくないAVの借り方とか」  
一段ずつ俺は上がっていく。大人の階段を。ヘヴンへの階段を。
「……行ってくる」
城壁(じょうへき)を前にし、俺は誰とでもなく呟く。鈴の音(ね)にも満たない、小さな声で。
俺は最後の一段を登って、城壁の向こう側に広がる世界を網羅(もうら)した。
目の前に広がっていたのは、襲いくる無数の黄色い桶。
桶は俺の顔面に直撃し、俺は当然のごとく湯船に落ちた。

「いやぁ、本当いい湯でしたね。身も心も洗われる気分でしたよ」
「そうね。初めて入ったけど、案外悪くないわね。銭湯も」
「俺は顔の一部がものすごーく痛いけどな……」
銭湯からの帰り道、俺達は夕飯(ゆうはん)の材料を買うために馴染(なじ)みのスーパーを訪れていた。
袋入りの人参を掴み、値段を見る。一袋四十円とは驚きの安さだ。
ちなみに明音としいは現在服屋で買い物をしている。明音が晩飯を作ってくれると言うので晩飯の材料を買い出しに来たはずが、いつの間にかショッピングタイムだ。
女子ってのは本当に、移り変わりが早い。
「あずきさん。明日の朝ごはんは私、ホットケーキが食べたいです」
ホットケーキの元を手に取り、ルシファが俺に見せつけてくる。
「はいはい、ホットケーキな。けど、はちみつかけ過ぎんなよ。虫歯になるから」
「はい! 小倉もバターもちゃんと乗せてくださいね? 小倉ハニーバター。ハニバター」
よく分からん歌を歌いながら、上機嫌でスキップを始めるルシファ。俺は傍に居るベリーを見下ろし。
「べリーも明日の朝飯はホットケーキでいいか?」
「いいけど。私は生クリームつけてね」
生クリームを手に取り、上目遣いで俺を見上げるベリー。
「へーへー。いくらでもホイップしてやんよ」
俺がそう言うとべリーは嬉しそうにルシファの手を握り、肩を並べて歩き出す。ムカデ体操宛ら、慣れた動きである。
そんな二人を見ていると、ついつい笑みが零れてしまう。
「ほんとお前等って、仲良いよな」
俺の口から不意に漏れた言葉に、二人が食いつき、くるりと振り返る。
「当たり前じゃないですか。なにせ私とべリーは大親友ですからね」
「そうそう。私達は大親友なのよ」
大親友ねえ……俺と明音みたいなもんか。
そう言えば気になっていたけど、べリーはルシファについてどれくらい知っているんだろう。大親友というほどなのだからルシファが捨てられた理由やルシファの父親について、ルシファが何故死神として生まれていないのかを、べリーはもしかしたら詳しく調べているんじゃないか? 好奇心と探求(たんきゅう)心(しん)が心の底で疼きだす。
――聞きたい。けどここで聞けば、ルシファに聞こえちゃうしな。ルシファが傷つくと思いルシファの前であまりこういう話をしないようにしていた俺の計画が、パーになっちまう。
とは言えここで「べリーと二人で話があるからあっちいってろ」何て言おうものなら、「浮気ですか……」とか意味分からんことほざきそうだし……。
何か良い案はないかと辺りを注意深く見渡す俺。……おっ、見つけた!
ルシファをこの場からさり気なく排除し、なおかつ機嫌も損ねない方法を。
「――ルシファ。アイス買ってやろうか?」
ピクッ。俺の一言でルシファの耳が微動(びどう)する。
ほら。引っ掛かった
「マジですか?」
少女漫画みたいに目をキラキラと輝かせるルシファ。
流石に大好物なだけはあるな。
「マジマジ。嘘じゃない。だからちょっとの間アイスを選んでてくれ。静かにな」
「選びますとも。選びますとも。何アイスにしましょうっ……」
ルシファはアイスコーナーにそそくさと向かうと、アイスを選び始めていた。
――よし。これであとはベリーにルシファについての話しを聞くだけだな。
「ちょっと私には? 私もアイス食べたい。シューアイス」
べリーは口をフグみたいに膨らませている。慌てるな慌てるな。
「お前にもちゃんと買ってやるって。けどその前に、べリーには聞きたいことがある」
「……何よ。いきなりかしこまっちゃって」
「まあ、聞けよ。べリーはルシファと魔界に居た頃から仲が良かったんだろ? なら、あいつの両親のことやルシファ自身について、詳しく知ってんのかなって思ってさ。ルシファに直接聞けば早いんだろうけど。ほら、何というかルシファに直接聞くのは酷と言うか気が引けるというか……」
あー、上手く言葉に出来ない。
内心では「ルシファを傷つけたくないから」と言えば良いと理解はしてるんだが、恥ずかしさや照れが露わになりすぎている。
しどろもどろになる俺をベリーは見つめると、「ほんとっ」と言い頬を緩ませる。
「あんたって、変わってるわよね」
「べ……別に変ってはないだろ」
バカにされたと思い、俺は唇を尖らせる。
べリーは俺の持っているカゴを取り上げると。
「別にバカにしてるわけじゃないわ。良い意味での変わってるってこと。普通さ。殺しに来た相手。しかも人間でもない悪魔をここまで心配する人間なんて、そうは居ないわよ? それにグリモア(魔界)では人間とは愚かで傲慢(ごうまん)な生き物だって先生には教わっていたから、それも相(あい)まって私にはあんたが変わって見えるんでしょうね」
と、言い切る。そりゃ酷い言われようだな。人間。あながち間違ってはいないと思うけど。
俺だってルシファやべリーと出会うまではべリーの言う通り、愚かで傲慢な人間だったんだ。今は違うのかと言われると否定は出来ないけど。でも少しはマシになったとは思うし。
っと、話が逸れちまったな。俺は手をパンパンと叩き、話を切り替える。
「俺の賛美(さんび)は良しとして。そんなことよりルシファについてだよ、俺が気になっているのは」
「調子に乗らないの。はいはい。何でも質問しなさい。私が出来る限りは答えてあげるから」
大層(たいそう)な自身だな。……それじゃあ、早速。
「じゃあ、お前はルシファが捨てられた理由やルシファの父親について何か知ってたりする? あと、ルシファは何で死神の子供なのに死神じゃないんだ? それとサタンって――」
俺が質問をしている途中、ベリーが「ストップ」と指でバツを作り俺の話を遮る。
「い、いきなりそんなにたくさん言われたって分かんないわよ! 少しずつ聞いて!」
続けてべリーは指を立てると、俺の前に突き出す。
お、おう。そうだよな。何から聞こう……。
「じゃあ……まずはルシファの父親についてと。ルシファが捨てられた理由から頼む」
「分かったわ。……――ルシファちゃんの父親の行方については以前ルシファちゃんが遊園地で説明してくれたって、確か言ってたわよね? そしてその説明の通り。全然分かってないのよ。どんな姿をしているのか。今どこにいるのか。そして性格や種族すらね。……あと、これはあくまで噂なんだけど、ルシファちゃんが父親に捨てられた理由については、カルマもロクに使えない落ちこぼれだからって聞いたことがあるわ」
……カルマがロクに使えないから?
「……たったそれだけ。それだけの理由で、ルシファは父親に捨てられたのか?」
俺は歩んでいた歩を踏み止める。「そういう事になるわね」と、べリーは冷静に答(と)う。
――ふざけるな。
俺は苛立ちを隠せなくなり、強く歯噛みをする。
そんな。そんな身勝手な理由であいつは――ルシファは捨てられたのか。
母の優しさも。父の愛情も与えられず。あいつは。ルシファは一人で耐えてきたのか。
「……お前はそのことについて、何も思わねーのかよ」
冷静な物言いのベリーに対して少しの苛立ちを感じた俺は、ベリーの灼(しゃく)眼(がん)を軽く一瞥(いちべつ)する。
一見、俺はベリーがその事実に関して、あまり怒りを感じていないものだと思っていた。
その理由は、ベリーがあまりに冷静に返答をしたからだ。
だが、そんな俺の考えは、ベリーの手元を見た瞬間に間違いだと気づかされることになる。
「……私だってルシファちゃんが捨てられたことに関してはすごくすっごくムカついてるわ。でも、さっきも言ったでしょう? 噂だから。本当かどうか分からないの。それに殴ろうにも怒ろうにも相手が誰か分からないんじゃ、こっちだって手の打ちようがない」
ベリーの拳の隙間からポタポタと滴り落ちる赤い水滴。冷静を装(よそお)っても、やはりべリーも怒ってはいたんだ。ベリーは拳を拭うと、手をポケットに無造作に突っ込む。
「あずきの気持ちが分からないわけでもない。でも、正直な話。今の私たちには何も出来ないのよ。私だって出来る事なら、ルシファちゃんの父親を一発ぶん殴ってやりたいわ」
べリーの言う通りだ。正論過ぎる。少しでもべリーのことを疑っていた二分前の俺を殴りたい。
それから「話しを続けるよ」とべリーは元の質問路線に話しを戻す。
「次にルシファちゃんが何故死神として生まれていないかだけど、それについては正直に言うわ」
……ゴクリッ。
「知らないわ」
ガクッ。知らないって、期待させといてそれかよ。
俺は頭を掻きながら、薄目でベリーを睨む。
「……お前ら親友だろ? 親友なら、それくらい知ってるもんなんじゃねーの?」
「う、うっさいわね。なら、あんたは明音ちゃんの寝言とか知ってんの? 友達だからって、何でも知ってるわけないじゃない!」
「『ふにゅう』だよ」
「何で知ってんのよっ……」
口を半開きにし、ベリーは生ごみを見るような目つきで俺を軽蔑(けいべつ)する。
でも、確かに友達だからって、何でも知ってるわけないか。
「うっせーな。つい覚えちゃったんだよ。それより最後の質問に答えろよ」
「どんな、ついよ。えっと、サタン様についてだっけ? 教えろって言われても、私だってそんなに詳しくは知らないわよ。あの方の情報は全然出回ってなくて、どんな種族かさえも分からないのが現状だもん。ルシファちゃんがサタン様を嫌いなのは知ってるけどね」
「そういえばルシファはあんまりそいつに良い印象を持ってなかったな。けど、何でルシファはそのサタンってのが嫌いなんだ? 見たことも喋ったこともないんだろ?」
「喋ったことはないだろうけど、テレビでなら見たことくらいあるでしょ。確かルシファちゃんは『よく分からないけど嫌いです』って言ってたわ。生理的に無理ってやつじゃない?」
俺が流行りのイケメンアイドルが嫌いなのと同じ理由か。質問を終えたべリーはお菓子コーナーで立ち止まる。それから板チョコを手に取り、フッと息を吐くと。
「まっ、そんなにルシファちゃんについて気になるんだったら、やっぱりルシファちゃんに直接聞いてみるのが一番いいんじゃない? 『お前の事がもっと知りたい』ってね」
と、俺の気持ちも知らずにベリーはつっけんどんに言う。
あのなぁ。
「それが出来たら苦労しねーって。もしルシファがショックを受けたら、どうするんだよ」
「あら、以外。あんた案外センチメンタルなのね。……けど、その心配はないと思うわよ」
「? 何でお前に分かるんだよ」
俺からの問いかけに少しの間が空いた後、ベリーは顔を上げる。
「だってルシファちゃん。あんたと出会ってから、本当に幸せそうなんだもん」
「……幸せそう」
「そうよ。グリモア(魔界)に居た頃のルシファちゃんは何と言うか、どこか寂し気な陰(かげ)りがあったから。何かに怯えているような。何かに不安を感じているような。そんな言いようもない悲壮感(ひそうかん)がね。……けど、あんたに出会ってからルシファちゃんはそんなことを感じているようには見えなくなった。まっ、変わったのはルシファちゃんだけではないけどね」
「私だってあんたと出会って、色々変わったとは思うし」
「ベリー……お前っ」
続けて俺の胸に拳を当てると、ベリーはニッと笑う。
「だからあんたもルシファちゃんを信じてあげなさい。そして信じているのなら、直接あんたの気持ちをぶつけてあげなさい。……それがあんたがルシファちゃんに出来る、最善(さいぜん)の策だと私は思うわ」
そう告げるとベリーは照れくさそうに踵を返し、その場から離れていった。
俺はベリーの拳が添えられた胸に手を当て、深く考える。
……確かにそうだよな。
俺がルシファを信じてるなら。俺があいつの本当の気持ちを知りたいのなら。直接聞かなくちゃダメだよな。それが例えどんな結果になろうと、そうしなければ意味がない。  
俺は独りでに誓いを立て、ベリーの後ろを黙って着いていく。
決めた。今日俺は、ルシファに聞こう。
ルシファの過去について。そしてルシファの、全てについて。

☸☸☸

「どうでしたか? 先輩。私からのサプライズは」
「おう、最高の銭湯だったよ。何だか心なしか、傷もマシになった気がするわ」
「でも、新しい傷が増えちゃいましたね。私も投げたので人の事は言えないんですがー……」
「あずきさん。後でばんそーこー張ってあげますからねー」
「別にいいのよ、しいちゃん。ルシファちゃん。そんな変態の心配なんかしなくても。
――それじゃあ、次は私の提案(ていあん)ね。ルシファちゃん。ベリーちゃん。頑張るわよ!」
「「はーいっ!」」
あれからスーパーで材料を買いこんだ俺達は自宅へと集合した。どうやら次は明音の提案で傷が早く治るように栄養のある手料理を作ってくれるらしい。また桶をモロに食らい頬を真っ赤にした俺を心配してくれていたのは、食器を並べているしいとルシファだけだった。
まあ、自業自得とは言え仕方ないんだが……。
ちょっとは心配くらいしてくれよぉ。チラリと台所に憐みの視線を送ってみる。
「? どうしたのよ、あずき。急にこっち見て」
明音は猫のロゴ入りエプロンを着用したまま、薄目でこちらを見てくる。
別に……。
「また透視でもしようとしてるんじゃない? ほら、さっきもなんか心眼(笑)とか言ってたし」
出汁(だし)をよそって味見をしているのか、べリーは小皿を口につけたまま笑う。
心眼馬鹿にすんな。
「まあまあ。喧嘩しないでください。それよりほら、お鍋が出来ましたよー」
鍋つかみを手にしたルシファが鍋の取っ手を持ち、俺としいが居座るコタツに運んで来る。
どうやら見たところ、今日のメインは鍋らしい。
落とさないか不安になったが生憎俺の心配は無用だったようで。落ちる事も。またつまみ食いすることもなくガスコンロに鍋は綺麗にハメられた。
鍋はクツクツとあつーく煮えており、定期的に蓋がリズムよく動いている。
そういえばこれは何鍋なんだろう。
煮えたぎる鍋を眺め、俺は考える。
明音達の買い物が終わってから俺が食材を買おうとしたら「あずきは休んでていいわよ」と明音に言われたので、俺は買い物を終えるまで外でブラブラしていたから、皆がどんな食材を買ったのか知らないんだよな。調理を手伝おうとも思ったけど、手伝わせてくれなかったし。
なーにが男子禁制だよ。
けど、料理に関しては明音が居るから平気か。皆がそれぞれ配置につき、手を合わせる。
「それでは、お手を合わせて……いただきまーす!」
ルシファのかけ声でお鍋タイムは始まった。蓋を開けると鍋の右半分には人参や白菜が丁寧に並べられており、その端には豚肉とつみれだんごが置かれていて、彩(いろどり)のバランスも良い。
そして左半分には。
「――なあ」
「ん? どうひたんです?」
ルシファが長ネギをしゃくしゃくと食べながら発言。
「これ、作ったの誰だっけ」
「えっと。右側が明音さんで左側が私とべリーですね。美味しそうでしょう?」
「あんたの好物もいっぱい入れてあるから、遠慮せずに食べなさい」
と、言いながらも、二人は左側の鍋には絶対に箸をつけようとしない。
ルシファは鍋に手をつけていない俺を気遣ってか、小皿に鍋をよそってくれた。
もちろん左側を。
「はい、どーぞ。私たちが作った特別製ですから、味わって食べてくださいね」
「お……おうっ」
コトッ。皿に盛られているのは如何にもどす黒い棒状の物とか正方形みたいなのとか。
俺はそのうちの一つ。どす黒い棒状の物を箸で摘まむ。
「なあ、これは何?」
「チョコスティックのイチゴ味です。これはベリーが買いました」
「ほら、私それ好きじゃない? 隠し味にもいいかなって思って」
隠し味にしても限度がある。続いて俺は異常に柔らかい正方形の何かを摘まむ。
「じゃあ、これは?」
「それは私です。カステラが安かったので入れてみました。あずきさん好きでしょう?」
「流石ルシファちゃん。斬新な選択ね」
斬新すぎる。確かに好きだけど。
続いてプルプルザラザラしたもの。俺。摘まむ。
「これは?」
「「カキフライ?」」
「――食えるわけねえ! それにお前らも分かんなくなっちゃってるじゃねえかっ!」
文字通り匙(さじ)ならぬ箸を投げた俺はルシファとべリーに文句を言い散らす。こんなもん食えるわけがない。最近の犬でももう少しマシな残飯(ざんぱん)を貰ってるわ。
「あずき。せっかく頑張って作ってくれたんだから食べてあげなさいよ。勿体無い」
人参を頬張りながら、明音が俺を見やる。俺はすかさず明音の前に自分の小皿を置き。
「じゃあ、お前も二人が作った方食えよ。自分が作った方ばっか食わねえでさ」
「しいちゃん。悪いけどお醤油取ってもらえる?」
「あ、はい」
「ナチュラルに無視してんじゃねえよ……」
俺は煮えたぎる鍋を見下ろし、落胆を吐く。だが、明音の言う通り確かに捨てるのはもったいない。
さて。どうしたものかと困っていると、突如ルシファが提案を申し出てきた。
「じゃあ、こういうのはどうです?」
ルシファは立ち上がると、拳を握りじゃんけんの構えを取る。
ルシファが言うにはじゃんけんで負けた人が一品ずつ鍋の具材を食べていくゲームをしようというのだ。意外にもこの意見に賛成する者は多く、しいも明音もベリーも乗り気ではあった。  
というより、ルシファ。お前もまずいっていう自覚はあったんだな。
「……じゃんけんねぇ」
泡を立て、グツグツと煮えたぎる鍋の左側を怪訝な視線で見つめる
これは予想ではあるが、ここにいる全員がこう思っているはずだろう。
――“こんなの絶対に食べたくない”と。
「――じゃーんけーんっ!」
立ち上がり舞い上がる旋風(せんぷう)。俺の掛け声によって言葉の一部が場に放たれた時、誰が言うでもなく皆が。身を。腕を。身体を身構える。
そのポーズは獲物を刈り取る為に牙を剥く獅子(しし)。正にそのものであった。
何を出せば勝てるか。そんなことはもう皆考えていないだろう。
その瞳にや――。
「パー!」
「パーです」
「パーよ」
「パー」
「――どす己の力の糧(かて)を全てさらけ出したように……」
「えっ」
「はい、あずきの負けー」
「あずきさん。どんまいです」
「残念ねー」
「先輩。何食べます?」
皆がパーを出している中、俺だけがグー。
ちょ……ちょっと待てよ! 俺は負けを認めたくない! というより、負けてもいいから鍋を食べたくない!
俺は拳を握ったまま、ジュースで祝杯を挙げている四人に半泣きで這いよる。
「ちょっと待ってくれ! これから更に爆風も舞うところだったんだよ! それに――って、おいっ! 目を塞ぐなっ! 怖いっ! 怖いからあぁぁぁぁあっ!」
言うも虚しく。べリーが具をよそい、しいがルシファに手渡し、明音が俺の目を隠し、残りのルシファが俺の口に箸。もとい具を運んできた。
聞こえてくるのは、悪魔の甘い囁き声。
「はい。あずきさん。あーんですっ」
「せめて! せめて、目をあけさっ――あわんぐむっ」
俺の口の中に、どろどろの何かが無理やり詰めこまれる。
口の中に広がるのはただとてつもない甘味。目が使えない分、聴力が働いているんだろう。俺の真横でこの光景を眺めていたべリーとしいがコソコソ話しをしているのが聞こえた。
「あれは何食べさせたんですか? べリーさん」
「多分キャラメル」
そりゃ、甘いわけだわな。
「――ああぁぁぁぁぁぁああっ‼ 口の中が糖に‼ 糖に犯されるうぅぅぅぅぅう‼」

俺『やめて……! 乱暴しないで……!』
糖分『身体は嫌がってないみたいだぜ……?』

 明音の手を振り払い、俺はゴロゴロとのたうち回り壁におでこを何度も殴打する。
――甘い甘い甘い甘い甘い甘い甘い甘い甘い甘い甘い甘い。甘すぎてむしろ苦いわっ!
「お、落ち着いてください。先輩。ほら、飲み物でも飲んでくらはい?」
しいはもがき苦しむ俺に紫色の缶を渡してきた。俺は一礼だけすると、しいが持っていた缶を受け取りゴクゴクと勢いよく飲み干す。スンと香るブドウとラズベリーの味わいが口の中の甘味と後味の悪さを取り除いていく……が。
ん? これってもしかして……。
それに『くらはい?』
「ひっく……ろうしたんですぅ? あずきさぁん。のまにゃいんれふかぁ? じゅーす」
「そうよぉ。ろうしたのよ、あずきぃ。私たちのじゅーすが飲めないっていうのぉ……?」
ジュースを飲んでいたルシファとベリーの頬がやけに赤い。それに踏まえて呂(ろ)律(れつ)が全然回ってない。 俺はすぐさま缶を見渡し、注意事項に視線を。
原材料。違う! カロリー。違う! 注意事項。これだ‼
【アルコール5%。※注意。二十歳以下は飲まないようにしてください】
――やっぱりだ。こいつ等ジュースと間違えて、お酒買ってやがった。
「い、いや、これはジュースじゃなくてだな。未成年はお酒は駄目というか――だっぐ⁉」
冷静に説得しようとしていた俺の首がガッチリホールド。冷や汗をかきながら振り向くと、そこに居たのは巨乳を押し付けて来る明音さんと両腕にアルコールを持ったしいさん。
迫りくる二人の手。襲いくるアルコールの匂い。俺はじたばたともがくが動けない。
「うるひゃいわねぇ。いいから飲みなさいよぉ。あんたはぁ」
「そうれふ。先輩はもう飲む運命なんれふよぉ。あるこーるおぶでぃすてぃにーなんれふ」
「お、お前ら。やめ。俺は飲めなっ――ゴボッ、ゴボボゴボ、ゴボォッ‼」
お酒って怖い。酔っ払いの恐ろしを始めて体験した冬だった。

☸☸☸

「あー……気分わりぃ」
ベランダにあるガーデンベンチに横になり、俺は酔いを醒ますため夜空を眺めていた。
空には幾億の星が散りばめられていて、とても眩い。
と、目前にあった星々が、急に遮られる。
「気分はどうですか? あずきさん」
代わりに現れたのは、頭上から俺を見下ろすルシファの屈託(くったく)のない笑顔だった。
「……たくっ、お前のせいでもあるんだからな」
伏していた身体を起こし、俺はルシファの座れる場所を作る。
ルシファは頭を下げると、俺の隣に遠慮なく座る。
こうして一緒にベンチに座っていると、初めて会った日を思い出す。
確かあの日もこうやって、二人でベンチに座っていたっけ。
「あいつ等は?」
「まだ中でお酒飲んでるみたいですよ。明音さんなんて、もう五本目です」
「あいつ等もよくやるわ……」
俺は呆れ気味に笑みを零し、再び燦々(さんさん)と光る星空を見上げる。
冬の大三角形にオリオン。夜空に浮かぶ星座を、思わず口ずさむ。
視線を斜に降ろすと、ルシファも俺と同じように夜空を眺めていた。
星空を眺めるルシファを横目に、俺は考える。
ルシファは少しでも、“家族がいる幸せ”を感じてくれただろうか。と。
俺なりに手は尽くしたつもりだ。ルシファが寂しくならないよう優しさを与え、時には怒りもした。だが、相手の気持ちが読めるわけじゃないんだから、ルシファがどう思っているかなんて知ることも出来ない。
それは分かってはいるが、俺はどうしても気になってしまったんだ。
ルシファが俺の事を本当に家族のように思ってくれているのか。
そしてルシファの過去について。
と、その時。ベリーに言われた一言が、俺の脳裏を過る。
それに伴い、俺の口が開かれようとすると――
「私はですね」
――突如夜空を眺めていたルシファが、微かな声を漏らした。
「あずきさんと出会えて……あずきさんが契約者で、本当に良かったと思っています」
二へラと笑うルシファの口元が、徐々に緩んでいく。
「あずきさんと。ベリーと。明音さんと。しいさんと。様々な人達と出会って。私はたくさんの思い出を作りました。そしてこんなに優しい人達と出会えて……私は本当に、幸せでした」
「だから私は両親が居なくても。たとえ、独りぼっちでも」
「もう……寂しくなんかありませんよ」
そう言い切ると、ルシファはそこからは何も言わずに夜空を眺めていた。
ルシファの瞳には今、どれほどの思い出や星々が映っているんだろう。
……ああ、俺だってそうさ。お前と出会えて、俺は本当に幸せだった。
そして、寂しくなんかなくなった。
俺はうっすらと開いた唇を閉じる。
そうか。聞くまでもなかったんだ。
ルシファの今の一言を聞くだけで、俺はもう十分だ。
流れ星が空を流れていく。夜空に描(えが)かれた軌跡が消えない間(あいだ)に、願いを叶えなくちゃ。
「あっ、流れ星。願い事叶えなくちゃ。美味しいもの食べたい。あずきさんと遊びた……」
ルシファの願いが空に放たれていく。ついでだ。俺も願い事を叶えておこう。
叶うはずのない願いでも、願うだけならそれは自由だもんな。
だから、俺は願う。
俺の本心を。嘘偽りのない、俺の本当の気持ちを。

「俺が死んだ後も……ルシファや皆と、また会えたらいいな」

その言葉と共に、流れ星は夜空へと消えていった。
「……ええ。きっと会えますよ」
それから少しの間、俺達は語り合っていた。
今までのこと。これからのこと。時間が経つのも忘れ、俺達は語り続けていた。
頃合いを見て、俺はルシファの頭部を柔く撫で立ち上がる。
さて、と。
「そろそろ明音達を家に送っていくか」
「そうですね。もう遅いですし、そろそろ帰りましょうか」
こんな遅くまで帰らなかったら、二人の両親も心配するだろうしな。
俺は二人を自宅まで送り、家に帰ってからルシファとベリーを風呂に入れた。
そうして風呂から出た二人は余程疲れたていのか、髪も乾かさずリビンのソファに寄り掛かり、いつの間にか眠ってしまった。  
いつもなら「寝室で寝ろ」と叱りつけるところだが、今日のところは勘弁しといてやるか。
二人に毛布を被せ、俺は机にあるカップをおもむろに手に取る。
そしてコーヒーを口に含み、柔らかな視線をソファに向ける。
二人の安らかな寝顔を見ていると、不意に目頭が熱くなっているのに気づいた。
俺がこうなった原因は、死ぬのが怖いからだろうか。
それともこの世界から消えるのが、怖いからだろうか。
答えは分からない。ただ。涙がどうしても止まらなかった。
涙がカップに零れ落ち、波紋が揺れる。ユラユラと灯火(ともしび)のように儚く揺れ続ける。
「……――さ……ん」
と、辛辣に浸っている最中、誰かの小さな声が聞こえた。
「……ルシファ?」
声の出所は二人が眠るソファだ。俺は首を傾げ、カップを机に置く。
……また、いつもの寝言か?
ソファへ近づくと、二人はいつもと何ら変わらない笑みを浮かべ眠っていた。
ただ一つ変わったことがあるとすれば、それは寝言がいつもと違うということくらいだろう。
「……あずきさんは」
「あずきさんは……一人なんかじゃ……ないですよ」
……心の中でも読めるんじゃねーか。こいつ。
ルシファから発せられる呼びかけに対し、俺は何も言わず頷く。
口元の涎を拭い、ソファに座りルシファの頭を俺は撫で続ける。
ルシファの寝言がやむまでの間――ずっと。

☸☸☸

――ピッ。
……ピピ……ピピピ……ピピピピピピピッ……!
「……んっ」
いつものように、目覚ましは七時にセットしてあった。
それを止めルシファとベリーを起こす。それがこの一カ月の日課だった。
目を覚ますと、俺はソファにもたれかかっていた。
飲みかけのコーヒー。サイレント(消音)を発するテレビ。朝鳥(あさどり)の鳴き声。
どうやら俺は知らぬ間に、ソファで眠ってしまったらしい。
「……朝、か。ほら、起きろベリー。ルシ……――」
二人を起こそうと、俺は胸元に居るはずのルシファを見下ろす。
だが、そこに、ルシファの姿はなかった。
「……ルシファ?」
残ってあるのは布団から抜け出た痕跡ただ一つ。
触れると、温もりはとうの昔に消えていた。
「あいつ、どこ行った。……散歩にでも行ったのか。たく。仕方ねえなぁ」
俺はすぐに、ルシファが帰ってくるものだと思っていた。
「よしっ。あいつが帰ってくるまでの間に、ホットケーキを焼いて待っていてやるか」
俺はすぐにルシファが戻ってくるものだと、思い続けていた。
それから二日――
三日。四日。五日。ずっと。そう、ずっとルシファの帰りを待ち続けていたんだ。
だが、ルシファが帰ってくることはなかった。
まるで世界が――ルシファという存在を全て切り取ったかのように。



ザザ……ザッ……。
……ザザ……なんかじゃ……ないです……ザザッ……よ……。
――――ピッ。
『――と、ここまでがルシファ様。そして桜葉あずきの二人の記録です。……不肖(ふしょう)ながら以
前に私が仕向けた人間は、リリネット家の娘によって破れました』
『……そうか』
『ですが、やはり似ておられましたね。……桜(さくら)様とルシファ様は』
『……』
『おっと、ご無礼を。今の発言はタブーでしたね。――さて、それでは本題についてですが。今度は別の悪魔を送ろうと――』
『――もうよい』
『……もう、小細工はいらぬだろう』
『……はっ。それではどうなさるおつもりでしょうか? ……“サタン様”』
『……私が直接地上に赴(おもむ)こう』
『……ルシファ様についてはどうなさるおつもりですか?』
『ルシファに関してはすでに手を打ってある。……奴はもう二度と、あの人間と関わりあうことも無いだろう』
『待っていろ。桜葉あずき。……そして、我が娘(むすめ)』
『――ルシファよ』
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み