最終話【青空(あおぞら)】 

文字数 3,311文字

「あずきさん、もうそろそろ大丈夫ですか?」
「ああ、もうすぐ書き終える」
桜の花弁が風に揺れている。ふわりふわりと空高く上がっていく。
俺は書いていたペン先を止め、書き終えた手紙を封筒に入れる。明音やしいへの別れの手紙はこれで書けたし身支度(みじたく)も大方済んだ。後は言いたくないけど……死ぬだけだな。
あれから桜さんに関することやサタンがルシファを捨てた本当の理由についてルシファに詳しく伝えると、ルシファは意外にも怒ってはいなかった。
桜さんについては「どおりであずきさんがお母さんっぽいわけですよ」と朗(ほが)らかに笑っていたので、桜さんもそれについては安心していると思う。
また、ルシファは魔界に帰った後、一度サタンに会いに行くらしい。やはり自分の実の父親なのだから、もっと色々な話をしてみたいんだろう。最後の最後はサタンも改心……してくれたのかな。よく分かんないけど。まあ、何にせよ、サタンももう人間を恨んだりはしないだろう。
サイスを握るルシファと対面になり、俺はルシファに手紙を手渡す。
「それじゃあ、俺が死んだ後。この手紙を明音やしいに渡してやってくれ」
「……はい。分かりました」
ルシファは手紙を受け取ると、着物の懐(ふところ)に大事そうにしまい込む。
そういや……べリーは来ないのかな。
ベランダに座るベリーに、俺は視線をチラリと向ける。
「べリーは来ないのか?」
だが、べリーからの返事は無し。
たくっ、最後くらいは素直になれっての。
俺はベランダにあるベンチに腰を降ろし、ベリーの背中に優しく手を添える。
小さな小さなこの背中に、俺は何度も助けられてきたよな。
「ありがとな、今まで」
「……」
「お前には本当に色々世話になったよ。……俺が居なくなった後も、ルシファの事をよろしく頼む」
「…………」
「……だから、もう泣くなって。バレてないつもりだろうけど、鼻水だらっだらだぞ」
「……っ……うっ……っさい……うっさい……!」
べリーは俺の傍で声を上げて泣きだした。けど、よく考えたら泣くなって言う方が無理なのかもしれないな。俺がもしべリーの立場だとしたら、絶対に号泣していると思うし。
俺はベリーの背を優しく撫でていく。何度も何度も。俺はベリーの背を撫で続ける。
「それじゃあ、あずきさん。……そろそろ初めてもいいですか?」
っと、いつまでも感傷(かんしょう)に浸ってる場合じゃねえな。
俺はべリーから離れルシファの傍に腰を下ろし、視線を真っ直ぐに見据える。
向かいあう俺とルシファ。どこか照れくさくなり、俺は不意に天井を見上げる。
思い起こせばこの一か月間は、本当に色々なことがあった。
「ルシファ、覚えているか? ……お前と俺が初めて会った日のことを」
「……ええ。覚えていますよ」
 脳裏に蘇るルシファとのたくさんの思い出が、途絶えることはない。
「あれからお前とは色々な体験をしたよな。火事に遭った日はお前が助けてくれた。バジュラと戦った日はルシファとベリーが居てくれて助かったよ。遊園地では観覧車にも乗ったよな。コンビニでお前達がしいと一緒に働いていた時は、俺はすげえびっくりしたっけ」
「……はい」
「それから銭湯に行った帰りには皆で鍋もしたよな。最終的にはお前の親父まで現れて人類を救ったりもしてさ。で、俺の中にルシファのお母――」
 あれ。
「……おかっ……」
 あれ。何で。
「……ざ……んがうまれかわっていだな…………あ……あぁっ……!」
 何で、声が出ないんだよ。
「なっ……あっ……あぁっ……ああぁぁぁぁあっ……‼」
 何で涙が、止まんないんだよ。
いつの間にか俺は泣いていた。ボロボロと、涙を流し続けていた。
「ぐす……ひっぐっ……!」
それはルシファも同じだった。ルシファも俺と同じように、大きな声で泣いていた。
「な……なぐんじゃねーよ……ばが……」
「ぞ……ぞんなのあずぎさんだって……」
気が付くと俺はルシファを抱きしめていた。そしていつまでも、二人で泣き続けていた。
零れ落ちる涙は暖かく。そしてどことなく懐かしい。
ああ、そうか。これだっだんだ。
俺がこいつと出会う前に失っていたもの。そして俺がルシファと出会い、手に入れたもの。
それは俺が探し求めていた――愛情だ。
それから数分が経過し、互いに泣き止む俺達。
けど、ルシファの表情は曇ったまま。憂鬱な表情をしていた。
けど、俺はルシファに笑っていてほしかった。
俺はルシファに、笑顔を絶やさないでほしかった。
だから俺はルシファに――ある約束をしてもらおうと思ったんだ。
「ルシファ……最後に一つだけ、俺から約束をしてもらっていいか?」
ギュッと胸元に抱き寄せ、俺はルシファの耳元で囁く。
「……なんですか?」
「…………お前は」
「お前は笑ってろっ」
「――ずっと笑ってろ。俺が死んでも。これからもずっと……いつまでも」
 口を閉ざすルシファ。そして俺の手を握り、ルシファは小さく頷く。
「はいっ」
そう言うと、ルシファはいつもと変わらない微笑みを浮かべていたんだ。
ああ……これで俺はもう満足だ。
お前の笑顔が見れたなら、俺はもう。
そうして俺はゆっくりと目を閉じる。サイスの切っ先が優しく、俺の首元へ添えられる。
瞬間、俺の身体はその場に崩れ落ちていく。意識が遠のいて、闇の中に消えていく。
そして。俺は。俺は。 俺は。
この世界から――消えていった。

  ☸☸☸

気が付くと俺はまた暗闇の中にいた。そして闇の中で、俺は呆然と立ち尽くす。
またここだ。真っ暗な場所。今度こそ本当に、俺は死んだんだ。
けど、俺は歩いていく。闇の中を。闇の道のりを俺は歩いていく。
たとえこの世界がどんな暗闇に覆われていたとしても。どんな絶望だとしても。
俺はもう……一人じゃないから。
「……えっ?」
――と、その時。白い閃光が突如俺の視界を覆った。
俺の身体は光に包まれ、身体の感覚が徐々に消えていく。
次いで聞こえてくる、聞き覚えのあるあの人の声。
『――君は死ぬべきじゃない』
この声は……桜さん?
何で、何で桜さんがここに。
 桜さんは優しい声色で、話を続けていく。
『本当にありがとう。ルシファを。人間を救ってくれて。君がいなければ、この世界は本当に大変なことになっていたと思う……だからこれはせめてものアタシからのお礼。全ての呪いはアタシが引き受ける。だから、アタシはあずき君の代わりとなって、君の中から消えるわ』
『……だからこれからはもう君と、話すことも出来ないかもしれないけど』
そん……な……待って。待ってくれよ。
俺はまだ桜さんに……ちゃんとお礼も言ってないのに……!
それにルシファは! ルシファだって桜さんに、会いたいはずだ!
『大丈夫……これからはアタシが居なくても、君がルシファの傍に居てあげて』
『これからは君がルシファを守ってあげて。それがアタシが君に託す、最後の願い』
 最後に残した桜さんの声は、どことなく嬉しそうだった。
『ルシファを……お願いねっ』
気が付くと俺の周りから闇が遠ざかっていく。そして世界が、白光(びゃっこう)に染められる。
 白い光が――俺を――世界を覆う。

「……っ」 ・
目を開けると、そこは俺の家だった。
目前で俺の身体に抱きつき、泣きじゃくる二人の姿。
俺は二人の頭に手を添え、柔らかな微笑みを浮かべる。
「あずき……さんっ?」
「あず……きっ?」
涙を浮かべるルシファとベリー。そう。確かに俺は死んだはずだ。
先程の出来事を、俺はふと思い出す。
まさか……桜さんが身代わりとなって消えたのか。
俺の身代わりとなって、桜さんが俺の心の中から。
「ただいま……皆」
ルシファやベリーは俺に抱きついて来る。俺は二人を強く。そう。強く抱きしめる。
いつまでも。いつまでも。

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