第三話【観覧車】

文字数 15,191文字

「――ひゃく……ご……ひゃくろく……ひゃくごじゅうななっ……!」
「はい。あと四十三かーい」
学生にとっては最高のハッピーデイ。日曜日の休日。
バジュラ――タウロスとの戦闘から約一週間が経過した。バジュラとの戦闘で傷ついた俺の身体はベリーのカルマ、〘治癒―キュア―〙によりだいぶ完治し、ルシファやベリーも今までと何ら変わらない様子で元気を取り戻している。
ベリーに至ってはあれ程の傷を負いながらもこの程度で済むとは、流石は悪魔だな。
腕を曲げつつ、俺は背に座るベリーに声をかける。
「あ……あと二回くらいじゃねえのっ……?」
「違いますよ。あずきさん。四十三回です。私とベリー。ちゃんと数えてましたもん」
「そうそう。言い訳は男らしくないわよ」
「ぐぬぬ……ぐ……ひゃくごじゅーは……!」
 またあの日の出来事は以前の火事同様。ニュースにもならず、周辺の住宅(じゅうたく)街(がい)で噂になることもなかった。その理由は今になってもよく分かってはいないが、あまり公(おおやけ)に触れないのは俺にとってもありがたい話だ。『至極平凡な男子高校生。少女と傷だらけでチャンバラごっこ』なんて騒がれた日には、俺の高校生活は一気にデッドアウトだもんな。
「ほらほら。ペースが落ちてるわよ」
「う……うっせ……そう言うなら背中から降りろ……倍速で行ってやるわ……!」
ちなみにベリーはというとあの日以来。ルシファ同様、俺の家に住むことになった。 
俺的にはこれ以上悪魔が増えるという惨劇(さんげき)に怒りもしたい気分だが、明音を助けてもらった借りがある以上、無下(むげ)にも扱えない。家の家主(やぬし)だというのに、中々殺生(せっしょう)なものである。
また余談にはなるがあいつの持っている三叉の名前は〈罪人の槍(バロム)〉と言い、ルシファの〈白銀のカマ(ヴェル・サイス)〉同様殺傷(さっしょう)能力は皆無(かいむ)に等しい……と言いたいころだが、こっちは残念なことに危険度抜群だ。めちゃくちゃ危ないからな。マジで。
さて、話は突然。ものすごーく変わるが、そんな俺は現在筋トレを行っていた。
いや、させられていたという方が正しいのか。
「に……にひゃ……く……うぅっ! ――はあ……はあ……お、終わったぞ。コラッ……」
「お疲れまです。あずきさん。よく頑張りましたね」
そう言うとルシファは倒れている俺にスポーツドリンクを手渡してきた。
俺は即急に蓋を開けゴクゴクゴク。ぷはー! うんめえ。
「一応お疲れさまとは言っとくわ。それにしてもおっそいわねぇ。腕立て伏せ二百回くらい、五秒もあれば終わらせられるでしょうに。ほんと男のくせに情けないわね」
無茶ぶりである。スポドリを飲み終えた俺は口元を拭い、ジロリとベリーに視線を流す。
「悪いな。俺はお前と違って普通の人間だから、それ相応のことしか出来ないんだよ」
「ふん。そんな普通の人間であるあんたに助けられたっていうのが、今になっても信じらんないわ。ほんと今見たら、ただの弱っちい人間にしか見えないのに……」
背から降り、疑わしそうにジロジロと俺を凝視するベリー。いつの間にか傍に立っていたルシファはキラキラと目を輝かせると、両手を合わせる仕草を取っていた。
「凄かったんですよ。あの時のあずきさんは。――ね、ね、あずきさん。あれもう一回見せてくださいよ。ベリーにはまだ見せてないですし」
「えー……あれ出すの、結構疲れるんだけど」
「お願いします! よっ、天才! イケメン! 世界一! ……ほら、ベリーも」
「えー……。……て、てんさいあずきー。わ、私も見たいなー」
「…………たくっ。しょーがねーなぁ! 全く! 特別だぞ。特別」
おだてられやすい方だと思ってはいたが、俺自身ここまでノリノリになるとは思わなかった。
立ち上がり、俺は真っ直ぐに腕を伸ばす。 そこからグッと手に力を込め、神経を手部(しゅぶ)に集中。すると手の平からは輝きが発せられ、金色(こんじき)の気体が形を帯び始める。そして時間が経つにつれ、気体はその姿を大きく変貌させていく。最初はただの気体にしか見えなかった塊は気がつくと、金色(きんいろ)の鋭利な刃物へとその姿を変えていた。
俺はその刀を薙ぎ振らい、「どーだ」と自慢げに見せつける。
ベリーは刀をつつき渋い顔で腕を組むと、訝(いぶ)しげに口を開き。
「カルマ……ではないわよね。見るからに、固有の武器や防具を練成する系統のカルマ『ギルティア』に似てるけど……ねえ。ルシファちゃんはこれはなんだと思う?」
話を振られたルシファは腰を降ろし、刀をまじまじと見つめると。
「私の予想ではあるのですが。これは〘魔力武装(ヴァイス)〙だと思いますね」
「ヴァイス?」
何の事やらさっぱりな俺は刀を頭上に放り投げ、話を聞き入る。ちなみに刀は俺の手から離れて三秒も経つと消えてしまうのだ。なので、宙から落ちてくる心配はない。
ルシファは理解不能。と言った態度の俺に、またも分かりやすい説明を始めてくれた。
「ええと……簡単に言えばヴァイスとは『魔力の具現化』つまり自分の魔力を形あるモノに変換するということです。例えば魔力という粘土をあずきさんが持っていたとします」
「ほいほい」
「普通はそれを元にしてカルマを使用するのが一般的なのですが、あずきさんの場合はその粘土を刀の形状に変化させることが可能ってわけなんですよ」
ほー。なるほど。
「けど、普通はそんな荒(あら)技(わざ)。悪魔でさえ出来る者は限られてますし、それも魔力を持たないはずの人間であるあずきさんがヴァイスを使えるなんて……」
「……全く、驚きよね。よくそんな器用な事が出来たわ。上級の悪魔ならいざしれず、ただの人間であるあんたが……下手したら命を落としていたのかもしれないのよ。この命知らず」
一応ベリーなりの心配の仕方なんだろう。言い方はムカつくが……。
「いや、あんときは無我夢中だったし……そう。気が付くといつの間にかヴァイス(こいつ)が握られていたって感じだったんだよ」
けど、そのおかげで、俺があのタウロスってバジュラに勝てたのも事実だ。
もし、このヴァイス(力)が使えなかったら俺やルシファやベリー。それに明音や他の人達も巻き添えを食らっていたかもしれない。そう考えると、俺自身はこのヴァイス(力)を手に入れて良かったって思うのがやはり本音だ。
でも、実際のところ。自分の力でこのヴァイスを手に入れたわけでもないんだよな。
「声が聞こえた……ですか?」
「ああっ……あの時。ルシファの結界がバジュラに壊された後、不思議な声が聞こえたんだ」
けど、どこかで聞いた事があったような。そんな声でもあった。
「それで俺にこう言ったんだ。『皆を守る力を貸してあげようか?』って」
「ふうむ。それはまた不可解な現象ですね……もしや私と契約を結んだ際に、何かしらの影響があずきさんに生(しょう)じたんでしょうか?」
「……分かんねえ。とりあえず、あれからその声が聞こえた事はねえな」  
と、ピピッと話しを区切るように、可愛らしいベルが鳴る。
音の出所(でどころ)はベリーが握っていたタイマーだ。
タイマーを止め、ベリーは俺の首根っこを掴むと。
「まあ、その話も気にはなるけど。――とりあえずそれは置いといて、修業の続きを始めるわよ」と、猫を引っ張るようにズリズリと俺を引きずっていく。
うげー。まだやんのか。
「えー、また筋トレかよ……。もっとこう、パーッと手早く強くなる方法とかねえの?」
「ありません。あんたが『ふがいない自分はもうまっぴらだ』って言い出したから、強くなる方法をわざわざ教えてあげてるんじゃない。あんたは私の言う通りにだけ従っておけばいいの」
「ぐっ……! この鬼軍曹! 鬼畜女! ――ぺちゃんこ悪魔」
「悪口はいくらでもどーぞ。――ただし最後の一言はものすごーくムカついたから、腹筋の回数二百回から四百回にするからねっ‼」
「ふふ。頑張ってくださいね、あずきさん。この後は、お楽しみも待っているんですから!」
ぽかぽかと冬にしては暖かな陽気の中で、俺の修業は今日も始まる。
確かに強くなりたいというのは本音だ。けど、ベリーはめちゃくちゃ怒るし、筋トレだって辛い。正直言えば、今すぐにでも辞めたいって気持ちはある。
けど、こんな一日もたまには悪くはないかな。と、思ったりもしていたんだ。

☸☸☸

「大きいですねぇ」
「大きいわねぇ……」
「おぉ……ほんとにでっけえ、時計塔だな」  
眼前(がんぜん)に広がる緑色(りょくしょく)の芝生は見るからに広大だ。アトラクションは新調したてなんだろう。とても綺麗である。この遊園地の売りである日本一大きい時計塔はその名に恥じず、その巨大さを盛大に見せつけていた。
修業を行ってから昼過ぎ。俺達が訪れたのは《永桜町》から二駅離れた場所に最近建てられた遊園地――《ハニーパーク》だ。
ちなみに何故俺達がこんな場所に来ているのかというと、事の発端は俺の幼馴染の提案だ。 以前レストランに行けなかった理由を自宅まで送り目を覚ました明音に『お前が急に眠っちまったし、何より俺に急用が出来たから』と伝えたから、あいつはそのお返しに遊園地に連れて行けという話になったのだ。
しかも俺のおごり。実際は明音を助けてやったというのに、とんだ損な話である。
俺はわざわざこんな遠い所まで来ずとも近くの公園に行って遊べばいいと思ったのだが、ルシファやベリーも明音の意見に大賛成。多数決を取ったとして三対一で俺の負けだ。
どうやらこいつ等も、地上の遊園地とやらに行ってみたかったらしい。
入り口近くのベンチに座っていた明音が俺達を見かけたのだろう。こちらに向かい、大きく手を振ってくる。
「こっちこっちー! あら、珍しい。あずきが遅刻しなかった」
「失礼な。俺が毎回遅刻してるような言い草だな。今までだって、あまりしなかっただろ」
「はいはい。さようですね。あ、ルシファちゃんに……ベリーちゃんだっけ? 改めまして。私は仙崎明音って言うの。今日は一緒にたくさん遊ぼうね」
「はい! 今日は明音さんも一緒に遊べるって聞いてましたから、凄く楽しみでしたよ」
「ええ。よろしくね明音ちゃん。まあ、私自信はそんなに楽しみでもないんだけど。あずきがどうしても遊びたいって言うからね。全くこんな遠いところまで来て……」
ちなみにベリーはルシファ同様、俺の親戚だと明音には伝えてある。
「フフ。だってー? あずき良かったわね。遊んでくれるんだから、感謝しなきゃ」
前歯を見せつけた明音が、無邪気そうにそう笑う。 
全く昨日までのベリーの姿を見せてやりたいぜ。楽しみで、何度もにやけてたくせによ。
「あー、そうだな。ありがとーありがとー。めっちゃせんきゅー」
俺は適当にご機嫌を取り、入園所で四人分のお金を払いチケットを買う。
園内に入ると、メリーゴーランドやジェットコースターが見るも愉快に動いていた。
ルシファやベリー。それに明音を見ると、三人はキラキラと目を輝かせている。
全く二人はともかく明音まで……。まあ、たまの休日だし。咎(とが)めるのも野暮(やぼ)か。
「まあ、とにかく楽しんで来いよお前等。俺はここで寝てるから」
「はい! おやすみなさい。あずきさん」
「ええ。おやすみー」
「行ってくるわね。あずき」
「はいはい。おやすみー」
返答を確認し昼寝をしようと、俺はベンチに寝転ぼうとした。
よっこら……しょ?  
座ろうとしても座れない。誰、俺の服引っ張ってるの。離してよ。座れない。
「ち、ちょっとどこ連れてくの。ねえ」
案の定ルシファとべリーと明音でした。俺はタイルの上をズリズリと引きずられ何処(いずこ)へ。
「どこってあっちの方に私が乗りたいジェットコースターなるものがあるので、あっちに行くんですよ。あずきさんはジェットコースターに乗りたいんですよね?」
「えー。私はこのキャッチボールスワローってやつがいいわ。ボール遊び好きだし」
「こーら。あずきが困ってるじゃない。あずきはウォータースライダーに乗りたいのよね?」
「――お前ら全員困ったちゃんじゃねえかっ! 俺言ったじゃん『お昼寝する』って! 同意もしたじゃん⁉」
俺以外の三人は顔を見合わせ。
「そんなの同意しましたっけ? べリー」
「聞いてないわね。明音ちゃんは聞いてた?」
「いや、全く。『俺の前世は遊園地の看板なんだぜ!』とは言ってた気がするけど」
「嘘つき! 俺さっき言ったもん! おやすみって言ってたもん! あと明音に至っては変な嘘を捏造するんじゃねえよ!」
 だが悲しい事に男子な俺の意見が女子に通じることもなく、ルシファの意見がじゃんけんによって通ったことにより、俺はジェットコースターの最前列に乗らされていた。
ガチャガチャチャ! ベルトで無理やり縛られた身体を、俺は目いっぱい振るい動かす。
「うわあぁぁぁあっ‼ やだあぁぁぁあっ‼ 降りるうぅぅぅうっ‼ 降ろせえぇぇぇえっ‼」
泣き叫ぶ俺。揺れる機体。ドン引きする従業員。
後ろの席に座ったベリーと明音は余裕そうに、俺に耳打ちをしてきやがる。
「もう、男のくせに我慢しなさいよ。それに大きな声出して恥ずかしい……」
「そうそう。ベリーちゃんの言う通りよ。それにこんなの一瞬で終わるわ」
「うるせえっ! そう言いながらお前らは後ろの席に逃げたじゃねえか! 俺の今の気持ちが分かるか⁉ はりつけにされたキリストの気分なんだよ! あっ⁉ あばばばばばばっ‼」
そう。今の状況を見てもらえばお分かりだと思うが、俺はこういう絶叫アトラクションが大の苦手なのだ。正直叫ぶだけでも精いっぱいなのである。身体プルプル震えてるし。
ぎゅっ。そんな俺の震える手を、ルシファは優しく握ってくれた。
「あずきさん。……怖いのは、私も同じですよ?」
「ルシファッ……」
ガタンゴトンと機体が揺れ動き、徐々に徐々に上空へ機体が上がっていく。
「私自信……怖いとは思います。けど、この恐怖を乗り越えてこそこのアトラクションの楽しさが見えてく『――ゴーティア〘結界―シェル―〙』ると思うんです。だから、私は精いっぱいこのアトラクションを楽しもうと思いますよ。……ですので、あずきさんも共にこの恐怖を乗り越えましょう」
「ルシファ……おま――」
――ゴオッ。
俺がルシファにある言葉を伝えようとした瞬間、俺達を乗せた機体は勢いよくレーンを下っていった。巻き起こる悲鳴。肌に感じる風圧の衝撃。ルシファを見ると、ルシファは「キャー!」と叫びながらも髪一つ揺れていなかった。
どうやらルシファは『シェル』の結界により、風圧をものともしていないらしい。
俺は真顔になり上を向く。空へ。空へ。ルシファに伝えられなかった言葉よ。
この風と共に、ルシファの胸に届けっ……!
「そう思うんなら……カルマ解けや……」
ジェットコースター終了後。トイレに駆け込んだ俺は朝食を便器にぶちまけた。

「そっれじゃあ投げるわよ、あずきー!」
「お、おい! ゆっくり投げろよ! ゆっくりだぞ、ゆっくり! スローボールプリーズ!」
次に訪れたアトラクションは《キャッチボールスワロー》
これは的のマークが書かれた服を着た相手にもう一人がボールを投げて当てるという言ってしまえば家族向け。お子様向けのゲームだ。
とは言え悪魔とそれをするならば、それはもはやお子様向けではない。
グローブを構えた俺はへっぴり腰になり、べリーからの返球を待っていた。
如何にボールが柔らかいとはいえ、ベリーの投力で投げられれば硬球も軟球も違いにそう差はない。
以前アイツとドッジボールをした際には、筋肉痛と打撲に四日間も悩まされたからな。
「はいはい。分ってるわよ……やっ!」
べリーがスラリとした足を上げた。腕が蝶のように舞う。ボールを投げた。
……遅い。
――ものっっっっすごく球遅いっ。HAHAHA! オドロカスンジャネーヨッ!
「ヘーイ。オーライ。オーライ。デビルガール」
そうしてべリーによって投げられたボールがグローブに入った瞬間。
「ナイスボ――ボッボボッッボボボボボボッボッッッボボッ⁉」
俺の世界は――吹っ飛んだ。
身体がジェットコースター並の勢いで後方に飛ばされる。背中が芝生(しばふ)に着地し、摩擦で火花が起きそうな程――ズザザッ――擦――ザザザッ――れて――ズザザンッ――いく――ザザッ。
これで終わってくれるのなら良かったんだけど、俺の身体はまだまだフライトを楽しみたいようで、身体の推進力(すいしんりょく)はどんどんと増していった。
た……助けを呼ばなきゃ死ぬっ!
「アバ……アババァァアッッ!」
風圧で喋れないときたかぁ。  
ズパァンッ!  フェンスにぶつかり、俺の身体はぐったりと動かなくなる。
グローブからボールがポロリと零れ落ちる。ついでに、俺の血反吐と涙も零れ落ちる。
ゲームセット!
「ちょっと。ちゃんと取ってよーあずきー」
「む……無茶言うなっ……」
「わー。ベリーちゃん。すっごい。まるでプロみたいな速球ね」
「ヒューヒューです! ベリー! アンコール! アンコール!」
「ふふん。まあね。なら、次はお得意のカーブボールを……」
「――お前らやめろ! 次食らったらほんとに俺死んじゃうからっ! 天に召されちゃうからっ! ベ、ベリー。一旦休憩しよう! お昼ご飯食べようっ……⁉」
「えー……まあ、お腹空いてるし。いっか」
俺の土下座を加えた要望のおかげで、何とか昼飯を食べるという結果に至ることが出来た。休憩所を模(も)した形で作られた広場に俺達は移動する。緑色(りょくしょく)溢れる芝生では家族らしき母親や子供が幸せそうに弁当を食べていた。その光景をチラリと横目に、俺は空を見上げる。
そういえば俺もガキの頃はよくお袋と公園に出かけては、一緒に弁当を食べてたっけ。
とは言っても今になっては、もう二度と体験する事も出来ない思い出なのだけど。
「あずきさん……? なにボーッとしてるんですか? 早くお弁当食べましょうよ」
「んっ? ああ、悪い」
ルシファからの呼びかけに気づいた俺は広場にランチョンシートを敷き、持参した弁当の蓋を開く。上段には唐揚げや卵焼き。アスパラベーコンなどの定番のおかず。中断には鮭と昆布のおむすび。そして下段にはツナとレタス。それにトマトとチーズのサンドイッチを詰めてある。健康。味。ボリューム。それ等全てに気を使った自慢の弁当だ。
続いてさし伸ばされる、白い手。
「わぁ……美味しそうです」
「こらっ」
涎を垂らし、おにぎりをつまもうとしたルシファの手を叩く。
「がっつくな。ルシファ。それにちゃんと手を洗って、いだたきますを言え」
「そ、そうでした。すみません……いただきま――」
と、何故か会釈を言いきらず、首を傾げるルシファ。
続けて不思議そうに俺を見上げると、叩かれた自分の手を何度もさすっていた。
そして何故かにんまりと微笑む。
? どうしたんだ。こいつ。
「エへ……エへへへッ……」
「……ベリー。手を洗いに行きましょう! どっちが先にお手洗いに行けるか、競争ですよ」
「あ、待ってよ。ルシファちゃん」
それからお手洗いに向かい、無邪気に走り去っていくルシファとベリー。
こうして見れば、ほんとただの可愛い女の子なんだけどなぁ。
「フフッ」
「……? 何だよ。明音。急に笑ったりして」
 突如聞こえてきた微笑に気づき、俺は怪訝な視線を明音に向ける。
明音は持参した水筒からお茶を注ぎながら、走り去っていく二人を微笑えましく見送ると。
「いや……何だかルシファちゃんとあずきを見ていたら。どちらかと言えば親戚というより、親子みたいだなって」
と、不意に呟く。んだよ、それ。
「それじゃあ俺はルシファの父ちゃんってことか?」
「んー……でも、あずきはどちらかと言えば、お母さんって感じかな?」
「……そりゃ、結構な事で」
とは言うもの、確かに明音の言う事が否定出来ないわけじゃない。料理に洗濯。掃除に買い物。どれをとっても俺はそこいらの女子に負ける気はしないし、ルシファの扱いも俺からしたら娘みたいな感じだ。何というか、天然娘を子供に持った感じっていうのか?
……んで、べリーは……。
「旨いか? お前の好きな、トマトとチーズのサンドイッチ」
手を洗い会釈をした二人。その内の一人ルシファは片手におにぎり。左手に卵焼きを持ち。がっついていた。ベリーはサンドイッチをモソモソと食べ進めていた。
俺からの問いかけに対し、ベリーは小さく頷くと。
「…………あずきが作ったにしては、美味しいわね」
まあ、反抗期なうの娘って感じかね。
おむすびを一つ取り、俺は齧りつく。
塩の効いたおむすびは、どこか塩辛く感じられていた。

《ウォータースライダー》
それは水の上を機体が走る、言わばジェットコースターの水上バージョンである。しかし本物のジェットコースターとは違い速度もあまり出ないので、そんなに怖くはない。
なので、俺自身三つの中で一番楽しみにしてはいたのだが……。
「うそ……メンテナンス中」
「……残念だな」
ガックリと項垂れる明音。運が悪い事に、明音の乗りたがっていたアトラクションは点検中だった。それから苛立ちをぶつけるように明音は傍に建てられた建物を指差す。  
建物からは眩い明かりがピカピカと放たれており、多大な騒音を発していた。
明音の奴、ゲームセンター大好きだもんなぁ。
「よーし。こうなりゃもうヤケよ! ベリーちゃん、ゲームセンターに行くわよ!」
「ゲームセンター……面白そうな響きね。よーし、付き合うわ明音ちゃん。ルシファちゃんとあずきは?」
「私はここに居ますよ。少し疲れたので」
「俺も」
ゲームセンターは苦手だ。耳が痛くなるし。
ベリーと明音の意見の一致により、二人はゲームセンターに意気揚々と向かって行った。
残された俺達は自販機で買ったジュースを飲みつつ、ベンチに座りぼんやりと夕陽を眺めていた。そういえばいつの間にか夕方になってたんだな。全然気づかなかった。
と、ルシファがグッと伸びをし、白い吐息を漏らす。
「いやぁ……それにしても楽しいですねぇ。遊園地って」
振り回される方は大変だけどな。残りのジュースを飲み干し、俺は空き缶を捨てる。
「お前らは、な。けど、魔界には遊園地ってないんだな」
「ん? ありますよ」
? なんだあんのか。
「なら、そんなに驚くことでもねえんじゃねえの? 俺からすれば、魔界の方がアトラクションもすごそうだけどな。……お前だって“親に連れて行ってもらった思い出”くらい、あるだろ?」
そう言いルシファを見ると、ルシファは俯いていた。
俺はこの時。何故“ソレ”を聞いてしまったのか、深く後悔することになる。
「……いえ、私は行ったことがないですね」
「無いって……遊園地にか?」
俺がそう言うと、ルシファは突如立ち上がる。
それから軽く頬笑み、俺の手を掴み歩き出す。
何も言わず、ただ黙って俺の手を引き続けていく。
「お、おいっ……急にどこ行くんだよ」
「いいから。着いて来てください」
ルシファに連れられて辿り着いた場所は――《観覧車》だった。
ルシファに手を引かれた俺は観覧車に乗り込む。機体が揺れ動き、俺達を乗せた十二あるうちの一つがゆっくりと上空に上がっていく。静かな空間で、沈黙だけが滞る。
どうしたんだよ、ルシファの奴。急に黙り込んで……何か気まずいし……。
「お、おー……案外綺麗だな。ここからの景色も」
どうにも沈黙に耐えきれなくなった俺は顎に手を添え、見渡していた景色の感想を述べる。夕空に映えるオレンジの空模様と永桜町の町並みが混ざりあったその景色は、親(した)しみの情景(じょうけい)とでも言い例えればいいのだろうか。何てガラじゃないが、良い例えだとは思う。
「なあ、ルシファ。お前も見てみ――」
と、俺の右手に突如、柔らかい感触が重なる。
「……ルシファ?」
その手は紋章に重ねられたルシファの白い手だった。ルシファは俺と頭の高さを合わせると、鏡を覗くように自身の顔を近づけてくる。透き通ったサファイアのような蒼眼は、どこか悲しみを感じさせるように俺には見えていた。
たまらず、問いかける。
「ルシファ……? 急にどうしたんだよ。さっきから、黙り込んでさ」
 滞る沈黙。一時(いっとき)が経つ頃に、ルシファは口を開く。
「……あずきさんには」
「あずきさんには、家族が居ますか?」
「……家族?」
ふざけて聞いているわけでないというのは、ルシファの表情を見ればすぐに分かる。
ただ、純粋に気になっただけなのだろうか。それとも何か意図(いと)があって質問をしたのだろうか。どちらかは分からないが、とりあえず俺はルシファに曖昧な答えを返すことにした。
「いきなりどうしたんだよ」と。
その問いかけに対しルシファの瞳が少しだけ潤んだ気がした。見つめていた視線を斜めに逸らすと、今度は俺の指に自身の指先を前置きも無しに絡めてくる。
それからルシファの唇が動いたのは、観覧車が二時の方角に進んだ頃だった。
「私には無いんです」
「両親に遊園地に連れて行ってもらった思い出が。いや、というよりは」
「無いんですよ。……私には両親との思い出が、一つも無いんです」
「両親との……思い出が?」
冗談だと思った。
いや、冗談であってほしかった。
「じょ、冗談だろ……? また俺を脅かそうとし――」
俺が軽い嘲りを浮かべ茶化(ちゃか)そうとするが、ルシファは語り始めてしまう。
それは俺が予想だにしなかった、ルシファが体験した過去の記憶。
「本当なんです。……私が物心つく前に母は亡くなり、父は私を捨てて家を去りました。私を育ててくれた使用人ロボットが言っていたことなので、間違いはないと思います。 けど、何も両親についての記憶が全て無いわけではありません。一つだけ覚えている事もあります」
「……それって」
「はい――それは私の父が死神だという、事実です」
ジッと見つめるルシファの視線を逸らさぬよう。ルシファの話を聞き逃さないよう。話に耳を傾ける。ルシファは夕景(ゆうけい)を眺めながら、どこか寂しそうな口調で話しを続けていく。
「いっそのこと、両親に関する記憶なんて全て無かったらとは思うんですけどね。そうすれば、もう少し割り切れていたのかもしれません。……だから私はベリーやあずきさんに出会うまでの間魔界ではずっと一人ぼっちでした。食事や身の回りのお世話の為に使用人であるロボットは居たんですけど、やっぱり寂しい事にあまり変わりはありませんでしたから。……だから私はさっき嬉しくなって、何度も夢じゃないか確認したんです」
「ああ。これが怒られるってことなんだって。これが皆と食べる、食事なんだって」
ルシファは悲しみを綴りながら、観覧車の天井を見上げると、小さく息を吐く。
重い空気の中で、ルシファに向けていた目線を逸らし、俺は質問を問いただす。
「……べリーが言っていたおじいさんとは、一緒に暮らしていなかったのか?」
「ええ。……正直な話。私は祖父には会ったことがないんです」
「祖父は私が養成所に通い始めた頃、寿命で亡くなったとニュースで知りましたから。でも、『アンティ』の巻物の文面を見る限り、祖父は私が生まれているのを知らずに亡くなったんでしょうね。もし私が生まれていると知っていたなら、あんな風に書いたりはしませんもん」
ふと、ルシファは俺を見つめると、銀色の髪の毛をたくしあげる。
「それと以前、私が死神が嫌いだって言っていたのを、あずきさんは覚えていますか?」
「……ああ」
「私は死神が。というよりは父が嫌いなんです。私を捨てた父が。私を愛してくれなかった死神の父が。だから私は、死神が大嫌いなんですよ」
「私にこんな寂しい思いをさせた父が……私は許せないっ」
そう言い終えると、ルシファの細い指先がいつの間にか俺の手中(しゅちゅう)へ置かれていた。
人は孤独を感じると誰かと繋がりたい。誰かの傍に居たい。という欲求(よっきゅう)に駆り立てられると聞くが、今のルシファが正しく良い例だ。俺はルシファの小さく、か細い手を握りしめる。
そして俺は今やっと、以前に感じたルシファの違和感の原因に気付くことが出来た。
また同時に、ルシファのいきなりの告白に、俺は何を言えばいいのか分からずにいたんだ。 仮に今のルシファに率直な慰めや曖昧な同情を伝えようと、それはルシファを傷つけるだけになるだろう。――お袋が死んですぐ、ガキの頃の俺がそうだったように。
慰めることも何も言う事も出来ずにいた俺は、必死にルシファを励ます方法を試行錯誤する。何か良い方法はないか。ルシファを悲しませずに、元気づけることは出来ないかと。
そこで俺は一つの答えを導きだした。ルシファを傷つけずに、励ませられる答えを。
「俺もさ」
今度は俺の昔話を聞いてほしい。俺は静かに、心中にある想いを紡いでいく。
「今は家族が居ないんだ。昔はお袋が居て、俺を一人手に育ててくれていたんだけど」
そう。確かに昔、俺にはお袋が居た。
――けど、三年前にお袋は事故に遭い、亡くなった。
「あずきさんの……お母様が」
「お袋は優しい人だったよ。でも、その優しさが仇(あだ)になったんだろうな。お袋は運転中に飛び出してきた猫を避けて、その反動で車ごと電柱にぶつかって亡くなった。……即死だったって医者には聞いている。誰が悪いっていうわけでもない。ただ、運が悪かったんだ」
お袋の話を淡々と話すことが出来たのは、多分もう慣れてしまったからかもしれない。
お袋が居なくなった事実に。お袋がこの世界から消えてしまった現実に。
「で、お袋を亡くした俺は今の家でずっと一人で暮らしている。親父は元から家に居なかったし、親戚だって重荷が増えたくなかったんだろう。俺は厄介者扱いだったからな。……だからお前とべリーと出会うまで俺は毎日一人で飯食って、一人で眠りについて、ずっとそんな寂しくて退屈な毎日を過ごしていた」
「お前と同じだったんだろうなぁ……あの頃の俺は」
「……あずきさん」
「けど……今は寂しくもないし退屈でもない。それは何でか分かるか?」
握っていた指先を解(ほど)き、俺はルシファの柔い銀髪を優しく撫でる。
ルシファは頬を薄赤色(うすあかいろ)に染めると、照れくさそうに首を傾げていた。
その答えは俺やお前が失ったものを、新たに手に入れたから。
「俺がルシファを――お前を大事な家族と思っているからだ」
「……かぞく」
「そう、家族だ。一緒に飯食ったり、笑ったり、泣いたり、喜んだりする大切な存在。そしてそんな存在に少しの間だけど、俺がなってやる……だから、お前は」
「もう……一人ぼっちなんかじゃないんだ」
雨上がりの枝葉(えだは)から落ちる水滴に似た涙。涙はルシファの手甲へ一粒、零れ落ちた。
ルシファの下唇が口の中に巻き込まれていく。ルシファの身体が、小刻みに震えを催(もよお)す。
今にも泣きだしそうな潤んだ瞳を俺から背け、ルシファは小さな背中を対面に向けてきた。俺はルシファの背中を見つめ、軽く目を瞑る。
ルシファは辛かったんだろうな。
そりゃ、そうだ。生まれた時からべリーに、俺に出会うまでの間、こいつはずっと一人だったんだから。
親も友達も一人もおらず、ずっと毎日を過ごしてきたんだから、辛くったって当たり前だ。
けど、ルシファはその事実を今日まで口に出さず、今までずっと一人で抱えていた。
俺に両親のことを伝えれば、心配をかけるとでも思っていたんだろう。
バカやろう。そんなわけないだろうが。お前は俺に心配をかけたっていいんだよ。
俺を頼ったっていいんだよ。……だって、だって俺とお前は――
「……ありがとうございます、あずきさん。私にお母様の話を打ち明けてくれて。そして、私を家族だと言ってくれて」
突如、沈黙は破られる。沈黙を破ったのは他でもないルシファだ。
ルシファは視線を戻し赤い目を擦ると、しゃがれた声で言葉を紡ぎだす。
「確かにさっきあずきさんが申し上げてくれた通り……私も今が楽しくて仕方がないんです」 「あずきさんと一緒に眠ったり、あずきさんと一緒にご飯を食べたり、あずきさんと一緒に遊んだりするのがとても嬉しくて、そしてとても愛おしいです。……けど、楽しいからこそ終わりが来るのが怖いんですよ。この観覧車がもうすぐ終わってしまうように。あなたとの別れが、残り僅かしか残されていないように」
そう言い切ると、ルシファは暗い顔になりまた俯いてしまう。
ルシファの目に涙が溜まっているわけではない。でも、ルシファはまだ心中で泣いているのだと思った。
言葉として上手く言い表せないが、もし言い表すとすればそれは本能的直観とでも言うのだろうか。
男ならここで気の利いた台詞の一つでも言わなきゃいけないんだろうけど、ここで素直に「辛いのは俺も同じだ」何て伝えたとしても、現状はあまり変わらない事に俺は気づいていた。
だから俺は俺なりの励まし方で、ルシファを元気づけようと思う。
出発地点に到着し、機体から降りようとするルシファの手首を俺はグッと掴む。
「えっ……?」
「だったら、乗ってやるよ。何度でも」
再度回りだす俺達を乗せた観覧車。ゴウンゴウンと機体が上空に上がり、夕空の景色が再び俺達の瞳に焼き付けられていく。
「そして何度でも――俺が何度死んだって、お前に会いに戻ってきてやる」
その言葉を聞きキョトンとなるルシファ。それから唖然となるルシファの表情が和(やわ)らいでいく。耐えきれなくなったのか、ルシファは口元を手で押さえ、嬉しそうに笑っていた。
そう――ルシファがいつもの笑顔で、笑っていたんだ。
「……ほんと」
数分が経過する頃。ルシファは服の袖で涙を拭い、呆れたように俺を見上げる。
「初めてですよ。ほんと。……私みたいな悪魔にここまで優しくしてくれた人は。本当にあずきさんは、私にたくさんの初めてを教えてくれますね」
「それも家族の役目ってやつだ。……気にすんな」
「フフ。そうですね。けど、あずきさんが家族ならー……立場上はお母さんですかね?」
「誰がお母さんだっつの」
「はうっ」
ペチッという擬音が鳴り、少し遅れてルシファは額を手で抑える。それからうらめしそうに「痛いです……」と目じりを下げていた。
悪いな。けど、お前が俺を母親だと言ったんだ。俺がもしお前の母親だとしたら、俺は絶対にこうしただろうよ。
フウッと呆れを表す溜息を零し、俺は右手をルシファへと差し出す。
「まあ、何というか……これからも俺を殺すまでの間よろしくな。ルシファ」
ルシファは俺の手を握り返し、それから上目遣いでコクリと頷く。
「こちらこそよろしくお願いします……あずきさん」
ルシファの返事を確認し、出発地点へ到着した俺達は観覧車から降りていった。
その頃には明音やベリーもちょうど遊び終えていたようで、俺は二人の視線に向けられた屋台に無理やり連れて行かされる。ねだられて買ったソフトクリームは、どことなく冷たかった。
けど、俺の胸の内にはその逆に、何か暖かなものが――確かにあったんだ。

  ☸☸☸

《とある夜の街》2017年1月21日(日) PM11時28分 
 数多のビルが立ち並ぶ街の市街で、スーツを着たサラリーマンが街を歩いていた。
サラリーマンは首元の襟を緩めると、深く溜息を吐く。
「ふう……仕事も終わったし、帰るか。本当に残業続きで嫌になっちゃうよ」
「それにしてもあのくそ上司めっ……いつか見返してやるから覚悟してろ。くそ」  
――ン。
「? 今……なんか聞こえたか?」
――ズン。
「……気のせいか。たくっ。幻聴だとしたら、俺も疲れ――」
……――ゴーティア〘憑依―ホライズン―〙
「――っ!」
突如、ビクンと身体を跳躍(ちょうやく)させた男。
男は少しの間固まると、頬に不敵な笑みを浮かべる。
『………………なるほどっ』
『ここが日本か。騒がしい国だと噂には聞いていたが……正にその通りだな』
『さて。それでは向かおうか。……奴の住む、《永桜町》へ』
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み