第7話 闇討ち

文字数 2,592文字

 模型同好会の四人は、室井慎也の帰宅ルートを綿密に調べ、室井の自宅近くで人通りの少ない通りに面した公園に目星を付けた。
 陸上部の練習で遅くなる木曜日の夜に公園で待ち伏せして、前の道を室井が通るのを待った。
 はじめに一撃食らわせたのは竹刀を持った裕太だった。中学時代まで剣道部に所属していた裕太は、後ろから攻撃することを卑怯だと考えたため、一度室井をやり過ごした後で声を掛けた。
「室井慎也!」とその名を呼ぶと、「星野莉奈の恨み!」と叫んで振り向いた室井の脳天めがけて竹刀を振り下ろした。
 室井がしゃがみ込むと、四人がかりで公園の砂場に引きずり込んだ。
 はじめに薫が頬を殴り、続いて宗一郎が平手打ちした。悟は堅く拳を握りしめながら、殴る前に相手に言い訳の機会を与えたつもりだった。
「何か言うことはあるか?」
「お前ら模型の奴らだろ。俺は殴られてたって構わない。あいつの苦しみを思ったらいっそ殺されたっていい」室井の言葉に悟は一瞬たじろいだ。「でも、こんなことをしてあいつが喜ぶと思うか? 俺は莉奈を裏切ったことはない。振られたのは俺の方なんだから……」
 悟の拳の力が抜けていった。そして力なく言葉を投げかけた。
「でも、星野は妊娠してたって……」
「ネットの書き込みだろう? どこかの誰かが面白がって流した根も葉もない噂だ」
 室井は口の中を切ったらしく、唇を拭った手の甲が赤く染まった。
「だけど……火のないところに煙は立たないって言うじゃないか」
「聖母マリアじゃあるまいし、妊娠なんてあるわけないだろ。決勝の日まで莉奈は男を知らなかったんだから」

 学生服に付いた砂を払いながら室井は立ち上がり、四人は口を開けたままその姿を眺めていた。しかし、気を取り直すと悟は室井に食い下がった。
「星野莉奈が亡くなってから、お前が松本楓って女と付き合ってるのを俺は知ってる。何度も校内で目撃してるしな」
「女子たちがそんな噂してるのは薄々感づいてたけど……そんなこと信じるのか?」
 悟は反論できなかった。
「楓は莉奈の中学時代の先輩なんだよ。ずっとあいつのことを心配してて……でもあんなことになってしまって誰よりも傷ついてるんだ」

 四人は文字通り室井の前に土下座して、その非礼と暴力行為を詫びた。室井慎也は彼らを赦しただけでなく、少し話をしたいと自分の部屋に招き入れた。
「莉奈のことは好きだったよ。だった……は変だな。今も好きだから。だから俺もすごくショックを受けた」
「ほんとにすみません。ずっと誤解してて」
 慎也は苦笑いした。
「まぁ誤解だったとしても、俺を襲おうとしたのは、お前たちも莉奈に好意を持っていたって、そう考えて良いんだよな?」
 四人は揃って頷いた。
「夕飯まだだろ? お好み焼きでよかったら食っていかないか? うちの母さん、浪速っ子だから粉もんはうまいぞ」

 莉奈とは一年の夏休みから付き合いはじめたが、ずっとキスまでしか許してくれなかった——と慎也は話した。
「莉奈が十歳の時に何かあったらしいんだ。それまではすごく仲睦まじい一家だったのが、その出来事で急変してしまったって……」
「出来事?」と悟は訊ねた。
「それがわからないんだ。ただ、莉奈はずっとお母さんのことを可哀想って言ってたんだよ。インターハイの決勝の日も……」慎也は躊躇した。「その先は話せないな」
「室井先輩、さっきその決勝の日まで星野は男を知らなかったって言ってましたよね? その日に星野を……莉奈を抱いたってことですか?」
「参ったな」と言うと慎也は頭を掻いた。
「あの日、星野の太腿とか脹ら脛……マッサージしてましたよね?」
「よく知ってるな、そんなこと。二回目の跳躍で莉奈が右足を攣ったんだ。それで、血行を良くするためにマッサージした。陸上選手はよくやることだよ」
「じゃ、その時は……」
「俺だって、エースの莉奈の身体を第一に思ってた。彼女が俺の部屋に訪ねて来なきゃ、あんなことは……」
「あんなこと?」
「それを話せって言うのか? ベッドの上のことを語る奴は男の風上にも置けないって俺は思ってるから、とても話せない。ただその日以来、莉奈は急に俺に冷たくなったんだ。キスどころか指一本触れさせてくれなくなったんだ。俺は莉奈に振られたってわけさ」

 莉奈の話は『お好み焼き』で中断された。
 四人は室井慎也と和解し、今後何か判ったことがあったら、互いに情報を共有することを約束した。

 駅に向かう帰り道で薫が呟いた。
「あの話……室井先輩に話すか?」
「そりゃまずいだろ」と悟は言った。「星野が可哀想だ」

 ところが翌日の昼休み、薫は慎也に莉奈と四人の秘密を話してしまった。

 放課後、悟が一番乗りのつもりで部室に入ると、そこに室井慎也が待っていた。慎也は書棚の一番高いところに置かれたフィギュアを眺めながら言った。
「これが君たちの星野莉奈か……確かに良く出来てる」
 慎也は悲しそうな笑顔を悟に向けた。
「遠山から聞いたよ。莉奈がこの部屋で何をしたか」
 悟は何も言えなかった。
「この間話せなかったことを俺も話そうと思って……」
「俺一人で良いんですか?」
「大勢の前で話したくないんだ。だから君から他のメンバーに話してくれ」
「はい、わかりました」
「莉奈は……俺の部屋に入ると、ホテルで借りてたパソコンを指してこう言ったんだ。『亜麻色の髪の乙女、無修正——って検索してみて』って。無修正ってAVか? って聞いたけど応えない。表示された画面を見て『わたしは十八歳未満だからこのボタンをクリックできないの』って、そんな糞真面目なこと言うんだよ。アホか? って感じだろ。俺はもうう十八だったけどね。とにかくリクエストに応じて動画を再生した。SD——昔のテレビ画像と同じ4対3のずいぶん古いアダルトビデオだったけど、モザイクも何もかかってなかった。それが莉奈のお母さんに似てたんだ。二回しか会ってないけどね。亡くなったおばさんだって莉奈は言ってたんだ。母親の妹で、そのビデオに出た後に自殺したって。その動画を一緒に観終わったら、ここに映ってたことを同じようにやってくれって言われちゃってさ。俺は願ったり叶ったりで、初めて莉奈を抱いたけど、それが最初で最後になっちまった。だから君たちの方が俺よりも新しい莉奈を見てるんだよ」
 室井慎也は泣いていた。
「あいつ……ほんとに綺麗だったろ」
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