第5話 弔い

文字数 3,076文字

 星野莉奈に迷いはなかった。
「このフィギュアと同じ格好をすればいいのね?」
 誰も声を発しない。全員が夢見心地で、目の前でこれから起きようとしている現実を冷静に受け止められずにいた。ただ一人、悟だけは心の中で激しく葛藤していたが。
(星野、やめろよ……)喉元まで出かかった言葉を、しかし嫉妬心が抑え込んだ。それでも悟は莉奈を正視できず、しばらく目を逸らしていた。
「鈴木君、あなたが思ってるような綺麗な女の子じゃないって言ったの覚えてる? これが本当のわたしなの」
(星野、もうやめてくれ!)心の中で叫びながら、欲望と好奇心に根負けした悟は、他の三人と共に淡い桜色の秘部を見つめながら息を呑んだ。

 衣服を整えながら、莉奈は帰り際にもう一度念を押した。
「最初に言った通り、今日のことは絶対人に言っちゃダメよ。たとえわたしが死んでも誰にも言わないで。相手が親でも先生でも警察でも。秘密は墓場まで持って行くって約束して。わかった?」
 全員が頷いたのを見届けると、莉奈は何ごともなかったように部室を出て行った。

 四人はしばらく呆然と立ち尽くしていた。最初に口を開いたのは名指しされた薫だった。
「星野莉奈があんなビッチとは思わなかった」
「誤解だよ……星野はそんな子じゃない」と悟は言った。
「誤解もなにも、普通の女の子が同級生の前であんなことできるか? 夜な夜な男とそういうことを繰り返してなきゃ絶対に無理だろ」
 薫にそう言われると、悟には反す言葉がなかった。
「ネットで見たことある。たぶん俺たち同じくらいの女子高生の自撮り動画」と山下裕太が発言した。「あの子も前からそういうことやってたんじゃないかな?」
「あいつはそんな子じゃない……」悟は力なく呟いた。
「彼女のことはよくわからないけど……でも、すごく綺麗だった」
 宗一郎の言葉を否定する者は誰もいなかった。


 火曜日の放課後、四人は部室に集合した。
「取り調べを受けたのは、意識がしっかりしてた俺と鈴木だけか」と薫は言う。「警察には何も言わなかったよな?」
 悟は黙って頷いた。薫がペラペラ喋ったんじゃないかと疑っていた悟は、その言葉を聞いて内心ほっとした。
 実際のところ、嘔吐する悟の隣で薫は泣きじゃくりながら訳のわからないことを叫んでいた。それでも意識を失って医務室に担ぎ込まれた二人よりはずっとマシだったから、その後悟と共に警察で事情聴取を受けた。
「ごめん。二人に負担かけちゃって」と裕太は言った。「あの子は自暴自棄になってたのかな? たとえわたしが死んでもって言ってたよね。きっと最初から死ぬつもりだったんだね」
 宗一郎は涙を流しながら「かわいそうに……」とひとこと漏らした。
「この間の発言、撤回するよ」薫は言った。「ビッチだって言ったこと」

 最後まで黙っていた悟が重い口を開いた。
「星野があんなことをしたの……、死に急いだのも、もしかしたら同じ理由かもしれない」
「なんだよ? それ」
「夏のインターハイで二位になった直後に、陸上部の室井先輩と別れてるんだ」
「室井ってあの背の高い三年生?」
「女子たちがイケメンだって騒いでる陸上部のキャプテンだろ?」
「元キャプテン……」悟はクラスメイトの女子から聞いた噂を頼りに話を続けた。「大学も推薦で決まってて、今は松本楓って同級生と付き合ってるらしい」
「そりゃひどいな」と言うと、裕太は拳で何度も自分の膝を叩いた。
「星野さん、かわいそうだね」と呟く宗一郎は目に涙を溜めていた。
「そいつのおかげで、星野莉奈はあんなふうになってしまったわけか」
「星野さんはそのイケメンの被害者か」
 室井慎也を糾弾する薫と裕太に、悟は大きく頷いた。

 莉奈の死は『美少女アスリートの不可解な転落死』としてテレビの報道番組でも取り上げられた。
 学園のマドンナがなぜ自ら命を絶たなければならなかったのか——その理由が理解できず、誰もが不安に駆られていた。疑念は室井慎也との関係に向けられた。「別れた」という言葉は「失恋」に変換され、それはいつの間にか「振られた」へと変化し、やがて「捨てられた」と語られるようになった。疑念は憶測を生み、憶測が噂を呼んで「星野莉奈の悲劇」が創り上げられていった。そうして、出来上がった噂話は匿名でSNS上に拡散されていった。
 木曜の夜、SNSに「ある産婦人科の看護師」の名で、『莉奈はインターハイの決勝前に妊娠していた』という投稿があった。すると、『優勝間違いなしだったのが二位に終わったのは妊娠していたせいだ』とか、『二回目の跳躍を失敗したのは身体を庇ってバランスを失ったから』などと、もっともらしいことが次々とスレッドに書き込まれていった。
 悟はそんな噂話を初めは疑っていた。しかし、室井が松本楓と二人で話している姿を校内で見かけるうちに、室井への憎悪と不信感が高まっていき、そんなこともあるかもしれない……と思うようになっていった。

 一人娘の自死という耐え難い衝撃に加えて、マスコミやインターネットでの騒ぎも影響したのだろう。精神的なダメージを受けた莉奈の母親はずっと入院しているようだった。そして医務室の高木先生も、火曜日以降学校を休んでいた。高木由紀子は心理カウンセラーの資格を持っていた。月曜の昼休みに星野を保健室に連れて行った桜井加奈子によると、インターハイの決勝以来、高木先生は莉奈の相談に乗っていたと言う。星野莉奈の心の内を知る唯一の存在とも言えたが、警察の事情聴取で神経をすり減らしてしまったためにいつ学校に出てこられるかわからないと噂されていた。

 莉奈の父親がドバイから帰国し、通夜葬儀は家族葬として四十九日法要と納骨までを全て一日で執り行うと決めた。その後、『ご遺族は弔問も香典や供物も固く辞退されています』という連絡が生徒と保護者に伝えられた。
 別れの場も焼香の機会も与えられず、莉奈の冥福を祈りたいと願う生徒たちの思いは行き場を失った。

 葬儀が執行される土曜日、模型同好会の四人は葬儀の時間に合わせて部室に集った。四人とも弔問客のように学生服やダークスーツを着て、手には数珠を握っていた。
 一人だけ、社会人と同じような黒い略礼服姿で現れた薫は、例のフィギュアに黒いドレスを着せて持参していた。薫は、莉奈に見立てたフィギュアを模型の椅子に行儀良く座らせると、書棚の一番高いところにそっと載せ、徐ろに手を合わせた。
「星野莉奈の冥福を祈ろう」
 宗一郎も、裕太も、そして悟も、共に合掌を手向けた。

 金曜日に悟が耳にしたのは、夏のインターハイ決勝は女子だけが選抜メンバーとして現地入りし、元キャプテンの室井はボランティアとしてチームをサポートするために自費で参加していたという事実だった。チームの宿舎に近いビジネスホテルに滞在する室井の部屋に、莉奈が出入りしていたのを目撃した女子部員がいるという。
 SNSで読んだ『陸上部の先輩の子供を妊娠していた』『妊娠を知った先輩に捨てられ、そのショックで流産した』といった書き込みが、事実無根の出任せとは悟も思えなくなっていた。

「莉奈は……星野さんは、絶対にあんなことをする子じゃなかった。妊娠を知った先輩に捨てられたとか、ショックで流産したってネットに書き込みがあったんだ。それがほんとのことかは判らないけど、彼女はよっぽどひどい目に遭わされてたんだと思う」と悟が涙ながらに訴えると、他の三人も声を上げて泣きはじめた。
 そして四人は、亡き星野莉奈に代わって、彼女を貶めた室井慎也にリベンジする闇討ちの計画を立てた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み