第9話 終わりと始まり

文字数 3,722文字

 気が付けば、立っているのは私たちとトモヤと呼ばれている男だけだった。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 私たちは精一杯、肩で呼吸する。静まり返った夜の空き地に、私たちの呼吸音だけが不自然に響いている。

 数十分なのか、数時間なのか、一体どのくらいの時間が経ったのか。永遠のようにも感じるし、とても短かったようにも感じる。私たちはかなり疲労している上に、よく見ると衣服には自分の血なのか返り血なのか分からない血がついている。もちろん、無傷というわけにはいかなかったことは明白だ。でも、とりあえずみんな立っている。お互い顔を見合わせながらうなずき合う。

「なんてやつらだ……」
 トモヤ、あとはおまえだけだぞ。どうする気だ?
「おまえら、ただじゃおかねぇ……」
 と言うなり、懐からナイフを取り出し、ゆっくりと松川師父の方へ向かう。
「松川師父!」
「離れて!」
 彼女の背中が、怒りに震えているのが伝わってくる。その姿がブロンソン・リーのイメージと重なる。
「おまえら、ここで死ねっつーの!!
 トモヤは松川師父に向かってナイフを振り回す。しかし、彼女はすべてフットワークでかわしている。
(美しい……)
 危険な状況であるはずなのに、なぜかそう感じた。その動きはまるでダンスように華麗だ。間合いに入ろうとすると、ローサイドキックで足を止めてられてしまうので、トモヤは近づくことすらできない。
「アート・オブ・ムービング……」
 ツァイクンドーの真骨頂が今、目の前で繰り広げられている。私は忘れないように目に焼き付ける。
「はぁ、はぁ……ちょこまかと動きやがって」
「あんた、ほんと口だけだね」
 松川師父はニヤッと笑う。
!!」トモヤは叫びともつかない声を発しながら、ナイフを両手で構え、松川師父に突っ込んで行く。
 ナイフを寸出でかわすと、見事なストレートリードを放つ。不自然に顔が弾けるが、それでは終わらない。そのままの流れで足払いでトモヤを地面に倒す。ローフックキックは足払いにも使えるようだ。トモヤはすぐに立ち上がると、再び狂ったようにナイフを振り回す。なんだかんだ言って、こいつも喧嘩慣れしている。性懲りも無くまた突っ込むが、今度は体捌きと同時にナイフを持つ手を左手でさばくと、松川師父は静かに右手を鳩尾に添えた。
(これは!?
 次の瞬間、松川師父の体が一瞬ぶれたかと思うと、トモヤは信じられない勢いで後方に吹っ飛んでいった。
(ワンインチパンチ!!
 ブロンソン・リーの伝説の十八番が炸裂した。今度ばかりはトモヤもすぐには立ち上がることができない。松川師父はそれをただ静かに待っている。
(あくまでも正々堂々と戦っている!)
 卑怯極まりない相手を前にしても尚、倒れた相手には攻撃を加えない。これが武の真骨頂だ。圧倒的な攻撃力がありながら、闇雲に向けることはしない。
 トモヤがやっと立ち上がりナイフを構えると、松川師父は待ってましたとばかりナイフを持つ手を蹴り飛ばす。それでもトモヤは近くに落ちていた木刀を拾うと、松川師父に向かっていく。
「もうよせ! やめるんだ!」
 彼なりのプライドでありけじめなのだろう。松川師父は、その思いを受け止めるかのように、トモヤに向かっていく。その動きはまるでスローモーションだ。トモヤの渾身の真向斬りは宙を切ると、見事なカウンターでクロスパンチが入る。次に、激しい渦潮のような右フックを顔面に叩き込むと、トモヤの顔が信じられない勢いで弾ける。まるで予定調和の殺陣(たて)を見ているような感覚にとらわれる。木刀を失い、気絶寸前のトモヤはふらふらと回転しながら後ずさる。
 松川師父は静かに構えると、次の瞬間、今まで見せたことがない速さでサイドキックを蹴り込む。まさに神速だ。トモヤはまるで物のように吹っ飛ぶと、転がりながら胃の内容物を吐き散らした。

 その後、ピクリとも動かなくなった。完全に気を失ったようだ。

 そして、松川師父はゆっくりとギンライを行う。今、私たちの戦いは完全に終わった。
「これでおしまい。みんな無事?」
 と言って振り向く松川師父は少し微笑んで見えた。殺伐とした戦いの後で見るその笑顔は、まるで女神そのものだ。そのとき私は確信した。彼女こそが勝利の女神だったのだ。不覚にも一瞬見とれてしまったが、男であれば百パーセントそうするような、そんな笑顔だった。隣の梅本君はさらに面食らっているようで、私が無言でうなずきながら梅本君をつつくと、彼は、はっと我に帰るなり、何の反動からか何度も、何度もうなずいていた。
「そ、よかった」
 松川師父といえば、まるで何事もなかったかのような涼しい顔をしている。分かってはいたが、やはりただ者ではない。
「松川師父……」
 私は、こみ上げくくるものが抑えられず、言葉にならない。とにかく、みんな無事で良かった。そのことがただ、ただ嬉しく、二人を抱きしめたい衝動を抑えるのに必死だった。
 と、そこに一人の見知らぬ男が現れる。トモヤに馬乗りになると、おもむろに顔をビンタする。
「おい、トモヤ! 起きろや、コラ!」
 トモヤはかろうじて意識を取り戻すが、視線が定まっていない。
「……あっ、兵藤さん」
「おまえなんてザマだ!」
「いや、あの、これは……」
「おまえ、ちょっと顔貸せや!」
 兵藤と呼ばれた男は、トモヤの髪をつかむと夜の暗闇に消えていった。

 静寂が訪れる。気が付いた連中は方々に去って行き、残っているのは完全に気を失っている連中と私たちだけだ。
「じゃ、帰ろっか」と、松川師父。
「ええ」と、私。
「はい」と、梅本君。
「あー、終わったー!!
 突然、松川師父は気持ちよさそうに背伸びをする。その瞬間、いつもの彼女に戻っていた。
「梅本くん、あの兵藤って男はひょっとして……」
「ええ、ここら辺の不良の元締めです」
 さらりと言うその姿からは、もはや以前の彼を思い出せないほど別人に見える。
「君が伝えたのか?」
「ええ、まあ。ただ、手出し無用ということで」と、含みのある笑みを浮かべる。
「そうだったのか……」
「兵頭さんもあのトモヤってやつには手を焼いていたようです。あまりに勝手なことをやるので」
「だろうな」
 どうやら梅本君は例の不良たちとの大立ち回りの一件で、兵藤という男に気に入られているようだ。
「そんなことどうでもいいからさ、これからファミレス行かない? わたし、お腹すいちゃったよ」
「でも松川師父、頭の怪我は大丈夫ですか?」
「ああ、これ? 当たる瞬間に飛んだので、かすっただけでーっす」
 彼女は自分の頭を指差しながらいたずらげに笑う。なんて人だ。しかも案外お茶目だ。確かに、血はもう止まっている。
「そうだったんですかー、安心しました。あの時はもうだめかと思いましたよ」
「こう見えても一応、師父なので」
「ハハハ、そうでした! じゃ、我らが師父、行きましょうか。梅本くんも行くだろ?」
「はい! 僕も腹減ってます。まあ、あちこち痛いですけど……」
「そりゃそうだ。本日のやられ大賞だろ、君は」
「はあ。まあ、そうですね。プロテクターに助けられました」といって頭をかく。
「そう言えば、わたしも足痛い……」
「無茶するからですよ。手を貸しましょうか?」
「お願いしようかな」
「お安い御用です」
 松川師父を梅本君と二人で支えながら歩く。私にとってこの二人は、血の次に濃い娘と息子みたいなものだ。いや、一人は師匠で一人は歳の離れた兄弟か。ちょうどその頃、どこからか通報でも入ったのだろう、パトカーのサイレンが聞こえてきた。もちろん、私たちはさっさと退散する。

 あとで家に帰った二人がそれぞれのご両親から大目玉を食らったことは言うまでもない。ただ、中年男性が襲われているところを三人で助けたということにして、私がすべての事情を説明して事なきを得た。なぜかその後、トモヤは見かけなくなった。そして、いつもの日常が戻る。

 私はといえば、幸い(?)にも複数の打撲と左拳の骨折、肋骨は2本折れただけだったが、全治1ヶ月を言い渡され、痛み止めとコルセットのお世話になることになった。その日から2週間は夜の寝返りとくしゃみは激痛と隣り合わせの日々を送る。結局、やられ大賞は自分だったことがはっきりした。

 一つ嬉しいことは、中学生の息子にツァイクンドーを見せたら「スゲー!」と言ってもらえたことだ。それ以降、息子の私を見る目が変わったように思う。


 その後、梅本君も本格的に練習に加わることになった。そして、今日も基本を直される。
「タケッチ、何度言ったらわかるかなー。だからパンチファーストだって。それにアライメントもできてないし!」
「はい! 松川師父!」
 ちなみに、タケッチとは私のことだ。
「ウメモンもパンチファースト! それにもっと腰を切る!」
「はい! 松川師父!」
 もちろん、ウメモンとは梅本君のことだ。

 最近は松川師父の師父ぶりも板についてきた。

 歳や性別は関係ない。生きている限り、人は前に進むことができる。

 私は今では、自分の娘と同い年の松川師父の一番弟子だ(と、思っている)。

 ZKD風に略せば、女子高生の弟子で『JKD』。

 そう、名前に意味はない。
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