第1話 オヤジ狩り

文字数 5,804文字

「竹山さんさぁ、何年この仕事やってんの。トロい仕事してくれてさぁ、どうしてくれるんだよ。これじゃ俺の責任になっちゃうよ」
「こちらの不手際で、誠に申し訳ございません。すぐにご注文の品を納品いたしますので、どうかお許しください」
 私は深々と頭を下げる。

 2月に入ってすぐの火曜日、取引先から手痛いクレームを受けた。はっきり言って完全に濡れ衣だ。注文通りに納品したにも関わらず、注文と違う、すぐに納品しなおせと罵倒(ばとう)され、挙句に支払いも延期された。完全に先方の発注ミスだ。間違いない。注文書だって残っている。しかし、それを言えば今後の取引はなくなる。私がかぶるしかない。

「くそっ、なんて日だ……」
 私は、オフィスで使う文房具や事務機を販売する中小企業の営業をしている。少しはマシになったとはいえ、数年前のコロナ禍以降の業績は芳しくない。そもそも大量倒産のせいで市場には中古の事務機があふれている。新規の受注が増えるわけがない。その上、テレワークが一般的に定着したため、オフィスがめっきり減ってしまった。会社に行かないことをテレワークと言うのなら、うちの会社などは平成からテレワークをしている。問題はオフィスが減れば、事務機の需要も減るということだ。その結果、同業者の中には事業をたたむ所や撤退するところも出てきた。綱渡りの業績ながら、うちの会社が曲りなりも続けてこられたのは、そうした同業者の屍の上にある。もちろん、下手に手を広げず、事務周り専門にやってきた老舗という自負もある。加えて、中古販売にも力を入れてきたのが幸いした。しかし、昨今ではネット通販に市場を奪われ、客を選べる立場ではなくなりつつある。そのせいか仕事上のトラブルが増えている。どこも生き残りに必死なのだろう。さすがに詐欺まがいのことをされれば弁護士を立てて内容証明を送りつけることもある。しかし、それなりに支払う意思があり、うちから仕入れる気持ちがあるうちは細かいことは目をつむることにしている。
 「損して得取れ」。昔から伝わる営業の基本だ。営業と書いて「忍耐」と読むくらいの職種であることは間違いないが、それでもどうにも腹の虫が収まらないときはある。そんなときは往年のカンフー映画を観るのが、コロナ禍以降のストレス解消の定番となっている。以前は酒で紛らわしたこともあったが、金を払ったにも関わらず、翌日の気分の悪さに辟易(へきえき)としてしまった。まあ、肝臓の数値異常が決定打になったのは間違いない。俗に言う、ガンマGDPというやつだ。少なくとも鑑賞後の高揚感は酒などとは比べ物にならない。
 こう見えても、若い頃から体を動かすことは好きだった。今でも営業で駆けずり回り、商品の入った段ボールを運んでいるので体力には自信がある。ただ、歳のせいか胴回りに脂肪がついてきたのは否めない。診断でも晴れてメタボ予備軍だ。
 たまたま帰宅途中の駅のそばにカンフー映画専門の昭和風情が漂う映画館があり、私はそこの会員になっている。あのコロナ禍でも閉館しなかったのは奇跡とも言えるが、小規模でマニア向けという特殊性に加え、土地と映画館をオーナーが所有しているというのが大きい。館長自身はカンフーの不屈の精神を持つ会員に救われたと言っているが、それもあながち嘘ではないだろう。実際、会員の中には数百万の寄付をした強者がいたと聞く。
 だいたい週1〜2回は鑑賞しているだろうか。今日は若き日のジョニー・チェン主演『スネーキーキャット 蛇猫拳』を上映していた。何回観ても鑑賞後のスカッとする爽快感がたまらない。個人的にはマイナーだが『大林寺木人掌』が一番のお気に入りだ。
 今思えば、私のおやじ世代がよく観ていた『水戸殿様』や『暴れん坊大将』、『東山の銀さん』などに近いカタルシスがあり、当時のおやじたちの気持ちが五臓六腑で共感できる。そもそも私には家に居場所なんてありはしない。部屋は子供達に取られ、高校生の娘はまともに口も訊かない。自分の人生って一体何なんだ? そう考えずにはいられない。

 鑑賞後、いつものように安い発泡酒を片手に自宅へ帰っていると、閉店後のスーパーの駐車場からなにやら騒がしい音が聞こえる。何事かと思い覗いてみると、サラリーマン風の男性が5、6人の若い連中に襲われている最中だった。オヤジ狩りだ。私はカンフー映画を観た高揚感からか、どうしても見過ごすことができなかった。
「おまえら、何やってんだ!」
 気がつくと、思わず叫んでいた。振り向いた連中は全員ゴリラのマスクをかぶっている。そのうちの一人がいかにも面倒臭そうに言い返して来た。
「なに、おっさん。あんたもボコられたいわけ?」
 私は子供の頃に空手をやっていたこともあり、このまま止めてくれるかもしれないという淡い期待を込めて中段に構える。
「やれるものならやってみろ!」
「おっさん、やる気まんまんじゃん。あーわかった。酒飲んでんでしょ?」笑い声が聞こえる。
「今すぐやめるんだ!」
「えー、やだよー。おっさんぼこぼこにして、金むしりとるのダブルで快感〜」
(なんてやつらだ!)
 怒りで胃が収縮するのが分かる。
「トモヤ、このオヤジ、やっちゃっていい?」
「好きにすればー」
 男の一人がバットを振りかぶりながらこちらに向かってくる。私は中断構えのまま、しっかりと重心を落として男を待つ。次の瞬間、バットが振り下ろされるが、私は難なくかわす。別にどうということはない。
(動きが大きすぎんだよ!)
「おっさん、さっさと殴られろよ!」
 ゴリラの面の男は少しムキになって次々にバットを振ってくる。
(ふん、バットなんて空手の正拳突きに比べれば遅い遅い)
 だんだん昔の感が戻ってきた私は、男が振り切ったところに合わせて、逆突きを鳩尾(みずおち)に叩き込む。
「うっ」男はうめくと、バットを落として膝をつく。ざまあみろ。おやじなめんなよ。
「情けないやつだな」
 私は逆突きが決まったことに歓喜して、まるでジョニー・チェンにでもなったかのような気分に浸っていた。それが油断につながった。バットを振りかぶった男どもが左右から迫って来るのに気づくのが遅れた。
(しまった!!
 右からの一打目はなんとかかわしたが、左からの二打目は間に合わず左前腕で受けてしまった。鈍い音が骨に響く。
(あれ? 痛くないぞ)
 激痛があってもおかしくないはずだが、なぜか腕の感覚がない。
(これはいっちまったか……)
 一旦距離をとったが、分の悪いことに三人の男たちがじりじりと間合いを詰めてくる。
「おっさん、いい気になるなよ」
 と言うなり、三人が同時に攻撃して来た。もはや防御できるレベルではない。いくら攻撃をかわしても、必ずどれかの攻撃は喰らってしまう。
(だめだ……)とてもかわしきれない。いくつかの有効打が徐々に意識を遠のかせる。

「あんたたちさ、そんなことしてなにが面白いわけ? だっさ」

 唐突に若い女の声がする。一瞬、男たちの手が止まった。ぼやけていく視界の中で声の主をとらえると、高校生とおぼしき少女がこちらへ歩いて来るのが見える。
(来ちゃいけない……)もはや声にならない。
「はー、なに? おまえ」リーダー格の男が口を開く。
「だからダサいって言ってんの」
 その女子高生は暴力集団を前に、まったくひるむ様子もなく仁王立ちしている。
(なに挑発してるんだ……)
「来ちゃいけない……逃げろ……」
 私はなんとか声を絞り出す。
 暴行は止まったが、私は焦った。私も高校生の娘を持つ父親だ。なんとかしないと彼女がどうなるか分からない。
「え、なになに、止めに来たの? マジうけるー」別の男が嬉しそうに言う。
「ねえ、どうする? この女もやっちゃう?」奥からも野次が飛ぶ。
 嘲笑が沸き起こり、やっちゃえ、やっちゃえと口々に叫ぶ声が聞こえる。絶体絶命だ。もうどうにもならない。
「マジでどうすんの? この人数相手にさー」
 男は甲高い笑い声をあげながらながら中指を立てている。周りの連中も「ちゃんと相手してよね〜、お願い〜」などとはやし立てている。
「あんたたち、ほんと口だけだね」
 女子高生はまったく意に介していない。
「んだと、てめえー!」
 男の一人が叫びながら殴りかかる。彼女は信じられないくらいゆっくりとした動きでかわすと、次の瞬間、その男は斜め後方に崩れ落ちた。
 一瞬でその場の空気が固まる。いったい何が起こったのか、私にはまったく理解できなかった。
「ふざけやがって!」
 別の男が叫びながら女子高生に向かっていく。しかし、男のパンチは空を切り、なぜか不自然にのけぞって倒れる。
(速すぎて技が見えない……)
 叫びながら次々と他の男たちが襲いかかるが、彼女はことごとくかわしながら、どうやら右のパンチ、いや、空手で言う右の順突きだけで的確に倒しているようだ。しかし、スピードはジャブ並に速い。見事だ。役者が違いすぎる。
 と、一人の男が後ろから襲いかかろうとしているのが目に入った。
「あっ、後ろ!」
 その刹那(せつな)、見事な後ろ蹴りが炸裂し、男は信じられない勢いで後方に吹っ飛んで行った。その破壊力ある後ろ蹴りはカンフー映画のワンシーンを彷彿(ほうふつ)とさせる。蹴りを決めた直後、初めて女子高生は静かに構える。その手に着けているピンクの手袋は、この場にはあまりにも不釣り合いなコントラストを醸し出している。
(キックボクシングか?……)
 彼女はサウスポーでコンパクトに構えている。一見するとボクシングに近い構えだが、若干横向きだ。明らかにカンフーではないが、空手やテコンドーとも違う。それにしても制服姿の女子高生が可愛い手袋を着けて構えているのがなんともシュールだ。しかも、彼女の構えは素人のそれとは一線を画している。
「この女、マジやばくね……」
 下っ端の男はあからさまに怯えている。
「てめぇ、覚えてろよ!」
 男たちは起き上がりながら、おぼつかない足取りでその場から去って行く。

――奇妙な静寂が訪れる。すると突然うわずった声が聞こえた。
「あ、ありがとうございます! お陰で助かりました」
 襲われていた男性がなんとか立ち上がり、礼を口にする。
「おじさんたちも気をつけたほうがいいよ。最近、物騒だから」
 女子高生は何事もなかったかのように歩き出すと、カバンの上に丁寧に折りたたんだブレザーを着て、カバンを拾うとさっさと歩き出す。
「ちょ、ちょっと待ってくれないか!」
 私はたまらず彼女を引き止める。どうしても確認したいことがあった。
「君の動き、本当にすごかった! なんて言うか、あんな動きは映画でしか観たことがない」
「ありがと。でも……」
 女子高生はヘアゴムを取って髪を下ろすと、左右に髪を振りながらこちらを向く。一瞬、甘い香りが風に乗ってくる。襟に特徴的なラインが入っているそのブレザーにはどこか見覚えがある。おそらく、この近隣の高校の制服のはずだ。
「今、見たことは内緒にしてもらえます?」
 マスクを外しつつ、にっこりと微笑む。
「え?」
 その屈託のない笑顔に面食らう。よく見ると幼さが残るものの端正な顔立ちだ。きれかわという範疇(はんちゅう)かもしれない。
「あの、わたし、こんなことばれたら退学になっちゃうので」
「ああ、そういうことか。わかったよ」
「ありがと!」と言って、キレよく振り向いて帰ろうとする。
「すまない! もう一つだけ教えてくれないか?」
 私には、なんとしても知りたいことがある。
「まだ何か?」
 女子高生は少し怪訝(けげん)な顔をして振り向く。その動作はいちいちキレがいい。
「その技はどこで習ったんですか?」
「ああ、今の? おじいちゃんからだけど……」
「おじいちゃん? 流派は何て言うんですか?」
「流派? そんなの知らない」
「ええっ、知らないって?」
「うん、もういい?」
明らかに達人級なのに自分の流派を知らないなんておかしすぎる。何か事情があって隠しているのか?
「あ、ありがとう。本当に助かりました……」
 私は深々と頭を下げる。彼女の勇気ある介入がなかったら、我々中年二人は今頃どうなっていたか分からない。

 さっきまでの喧騒が嘘の様に静かに女子高生は去って行く。気が付けば、被害にあっていた男性もいない。私は興奮したせいか体の痛みを忘れてしまっていた。それほど女子高生の技のキレはすごかった。本物を見た、そんな確信に体が震える。
(幻でも見ていたのか?……)
 そういえば左腕が痺れていて感覚がない。試しに握ってみるが自分の手じゃない感じだ。しかも肘を曲げると変な違和感がある。
(とりあえず病院へ行こう)
 駅前の病院の方へ向かっていると、先ほどの男性が目の前を歩いていた。
「今日は大変な目に会いましたね。お互い……」
 男性は少し驚いて振り向くと、私のことを上から下まで見ると事を察したようだ。
「あなたは、先ほどの?」
「ええ、助けに入ったつもりがやられました……」
 ウケを取るつもりなど毛頭ない。もちろん、できれば助けたかった。
「そうだったんですか……でも、お気持ちは有難かったです」
 まだ連中が近くにいるかもしれないという恐怖から、お互い辺りを警戒しながら並んで歩く。
「私はたぶん腕が折れているので、これから病院に行きますが、どうされますか?」
「ええ、私もご一緒させてください」
 そして、私たちは二人で駅前の救急病院へ向かった。彼は打撲などの軽症だったが、私は頭部裂傷で5針縫い、左尺骨骨折、肋骨3箇所骨折、左足は軽い打撲で、全治一ヶ月と診断された。
 家に帰ると、案の定、女房からはひどく怒られた。まだ少しは心配してくれているようだ。いや、私というより生活費か。確かに、女房の言うようにすぐに警察を呼ぶべきだったのかもしれない。
 しかし、本当の地獄は翌朝訪れた。身体中に激痛が走り、起き上がることができない。仕方なく、その日は上司に怪我のため休ませて欲しいと連絡する。面倒を避けるため、転んで怪我したことにしたが、上司は私のことより労災にならないかとしきりに心配していた。
(警察に被害届けを出すべきだろうか……)
 一人寂しく床に伏せながら考える。しかし、事情聴取とかを考えると面倒だ。三日後、なんとか歩けるまでには回復したので、鎮痛剤を服用しつつ、私は会社に復帰した。
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