第8話 激闘

文字数 5,932文字

 私たちは8時半に現場近くのコンビニで落ち合う。そこでお互いの装備を確認すると、松川師父がおもむろに口を開く。
「いい? きっと相手は多人数でくるはずだから、最少の手数で相手を不能にしない限り、わたしたちに勝ち目はない。だから、打つときは容赦しないこと」
「はい!」
 私と梅本君はうなずく。
「狙うべきは、目、鼻、顎、鳩尾(みぞおち)、脇、金的、膝。目はフィンガーファン(目打ち)でビルジー(目突き)は使わない、鼻は潰す気で、顎と鳩尾は打ち抜く、脇は肋骨を折る気で、金的は軽くでいいから、膝は折る気で蹴って。わかった?」
 弟子たちは再びうなずく。それにしても、女子高生が口にする内容とは思えない。さすがにビルジーで目を突くのはなしだが、金的は男としては気が引ける。だが、今回ばかりはそうも言ってられない。
「松川師父、足の具合はどうですか?」
「8割ってとこ。でも大丈夫。みんなもいるしね」
 こんな状況でもまったく普段通りだ。その表情からは、これから不良たちと一戦交えるとは想像もつかない。
 私たちは指定された高架線下の空き地へ向かった。9時少し前に到着した時には、まるで獲物を狩るかのような表情の連中が大挙していた。私と梅本君は、ヘッドギア、胴当て、脛当て、肘当てと薄手のオープンフィンガーグローブという装備だ。一応、私はトレパンの下にファウルカップも着けている。一方、松川師父はというと、脛当てと私たちと同じようなグローブだけだ。
(前のオヤジ狩りの時はピンクの手袋だけだったしな)
 松川師父の装備はあまりに軽すぎる気もするが、いらぬ心配かもしれない。彼女は正面を向いたまま静かに口を開く。
「いい、よく聞いて。しっかりとバイジョンをとって足を止めないこと。とにかく。動いて動いて、動きまくって!」
 私と梅本君は無言でうなずく。私はというと、ここに来て震えが止まらない。
(落ち着け。二人に悟られないようにしないと……)
 一応、年長者としての意地がある。梅本君はというと、しきりに体を揺すっている。
(これは武者震いだな)妙に安心した。
 唐突に、品のない声がこだまする。声のする方を見る。
「ばっくれずに来たじゃん」
 声のする方を見ると、暗いながらもそれと分かる、あのトモヤと呼ばれている男が言う。
 人数は二十数名といったところか。単純計算で一人当たり7、8人を相手にする感じだ。私たちの布陣はこうだ。松川師父、梅本君の2トップで、私が後方から支援する。なにせ、私は経験値、実力の面で二人に劣っている。足手まといにならないようにするのが私の最大の役目だ。もちろん、手加減は一切するつもりはない。
「じゃ、早速、始める?」と、松川師父。
「まあ、そう慌てるなよ。さすがに女相手に武器は俺らも心が痛いっつーかさ、なので、今回は素手でやってやるよ」
「いいから、さっさと始めなよ」
 明らかに松川師父はキレている。
「口の減らない女だな。その口、すぐにきけなくしてやるよ」
「ほんと、あんた口だけだね」
「んだと、こら! おい、始めろ!」
「水よ! 水になって!!
 松川師父は弟子たちを一瞥(いちべつ)するとそれだけ言い放つ。
 男たちは奇声を発しながらこちらに向かってくる。いよいよ始まった。先頭の一団が前の二人に到達する。
 二人ほぼ同時に鋭いサイドキックで瞬殺する。あれを喰らったら、しばらくは立ち上がれない。その後、次から次へと向かってくる相手を、徐々に体のギアを上げつつ、攻防一体の技で急所を的確に当てて次から次へと倒していく。
(すごい!……私の出る幕はないな)
 松川師父の動きは、まるで大怪我をしたことを感じさせない。私には完全復活に思える。
(どこが8割なんだ? これなら心配なさそうだ)
 戦術はアドバイス通り、ほとんどがフィンガーファンで軽く目に当てた後の金的蹴りというコンビネーションだ。男としては少々気の毒になる。さすがに悶絶している仲間を見て怖気付いたのか、次第に松川師父を避けて私の方に向かって来る連中が現れた。
(いよいよ実戦か)
相手の大振りのパンチをなんとか見切ると、がむしゃらに打ち返す。まぐれのカウンターもどきが相手の鼻を直撃する。相手は顔面を抑えてその場に崩れる。
(動きが見えるぞ!)
 今度は別の男がボクシングのジャブ風に打ってくるが、なんてことはない。松川師父や梅本君に比べれば冗談かと思えるくらいに遅い。私は少し余裕を持ちながら、相手のジャブの引き際に合わせて右リードと左クロスのワンツーを顔面に叩き込む。クロスには手応えがあった。相手は気を失っている。気づけば、私は二人を倒していた。
(いけるぞ!)自信につながった。
 ところが、最初に倒した男が鼻血を流しながら向かってくる。
(浅かったか)
 今度は容赦ないサイドキックを叩き込むと男は沈黙した。
(所詮はこいつらもただの素人だな。全然たいしたことないじゃないか)
 ふと松川師父の方を見ると、こちらを見て少し微笑んだように見えた。ちょっとは気にかけてくれているようだ。気配を感じて前を向くと、次は大柄な男がこちらに走って来るのが見える。
「さあ、かかって来い!」
「ウオラー!」
 大声とともに放って来たパンチを左にかわしつつ、右サイドキックを決める。相手の腹部にめり込む感覚があった。
(前に梅本くんに喰らった技だ!)
 ただ、ガタイがでかいだけあって蹴り飛ばせない。幸いにも悶絶した顔が目の前にあったので、左クロスと右フックのコンビネーションを存分に打ち込んで倒す。
(次はどいつだ?)
 気づけば連中の攻撃が止まっている。ざっと見渡すと、私たちは、ほぼ半数を倒した感じだ。そこら中で気を失っていたり、倒れて悶絶している男たちがいる。もちろん二人とも無事だ。
(このまま行けばなんとかなるかもしれない!)
「おー、おー、手加減してやれば、ずいぶん派手にやってくれるじゃんよー!」
 トオヤと呼ばれている男は、面倒くさそうに立ち上がると叫んだ。
「手加減はやめだ! おい、あれ出せ」
 下っ端が奥からバットや木刀を山ほど抱えて運んできた。
「おい、武器は使わないという約束じゃなかったか?」
 私は叫んだ。
「はあ? そんな約束したっけ。え、なに、それとも降参する?」
 松川師父は私たちを交互に見てうなずく。彼女は本気だ。
「やっぱり、あんた口だけだね」
「んだと、こら! その口、二度ときけなくしてやるよ。おい、やれ!」
 人数は半数になったが、明らかに喧嘩なれした連中が武器を持って向かってくる。
「わたしの後に続いて!」
 そう言うと、松川師父は、集団の中に突入する。
「ま、松川師父!」私は止めるつもりで叫ぶ。
「くそっ!」
 そう言い残すと、梅本君も走り出す。
 そこからの松川師父の動きは人間離れしていた。明らかに今までは本気じゃなかったというのがあからさまに分かる。それに梅本君も経験を積んだ見事な動きだ。
(二人ともすごいな……)
 おっと、一人たたずんでいる場合じゃない。私も参戦する。
「うおーっ!」

 第一陣は明らかに格下だったようだ。あっという間にけりがついたが、次の連中は喧嘩なれしている上に武器まで持っている。松川師父の金的も警戒しているせいか、不用意には近づいてこない。ひょっとしたらこのまま行けるんじゃないかという淡い期待はもろくも崩れ去った。
 今のところ、前の二人は善戦しているが、進退は拮抗している。私はと言うと、かわすのが精一杯で彼らの側に近づくこともできない。
(ここはみんなで固まった方がいい)
 そう言おうとした矢先、梅本君が背後からの不意打ちで背中をもろに木刀で殴打されてしまう。彼は呻くとそのまま地面に倒れ込む。
「梅本くん! 大丈夫か!?
 私は叫ぶが返事がない。助けに入ろうにもそんな余裕はない。手負いの鹿を追い詰めるように連中が近づく。
「梅本くん、逃げるんだ!!
 とっさに松川師父が彼をかばいに入るが、かばいながらの応戦ではあまりにも不利だ。次の瞬間、男が振り回したバットが松川師父の頭を直撃する。彼女は信じられない勢いで吹っ飛んだ。
「ああ、松川師父!!
 彼女はなんとか立ち上がるが、額には血が滲んでいる。私は、無我夢中で攻撃をかいくぐると、彼女に近づき盾になる。梅本君はすでに数人の男たちに羽交い締めにされ殴られている。しかも前からは、武器を持った男たちが余裕の笑みを浮かべながら私たちを包囲してくる。

 絶対絶命という言葉が脳裏をかすめる。

 元はと言えば、私が不甲斐ないせいで襲われたからじゃないか。この子たちに何かあったら、私は一生後悔することになる。
「さあ、かかって来い! 俺が相手だ!!
 体力的にはすでに限界に近い。ここにきて無駄な動きは命取りになる。
(あの時の感覚をもう一度思い出せ! 考えるな、感じるんだ!)
 腹が据わった途端、力がふっと抜けるのを感じた。一人の男が木刀を構えながら向かって来る。振り下ろされた木刀を肩すれすれにかわすと、左カウンタークロスを叩き込む。次、横に振って来るバットをステップバックでかわすと、相手が振り切ったところに合わせて右ストレートを打ち込む。
 なぜか相手の動きがスローモーションに感じられる。
(これがゾーンに入るということか……)
 その次は二人同時に左右から攻めてくる。相手が木刀を振りかぶったところに合わせて、構わず私は低くステップインすると、相手は目標を失って一瞬、動きが止まる。すかさず左の男の脇腹に右ボディーフックを放つと、右の男には渾身のサイドキックを決める。
(よし、行けるぞ!)
 と思ったのも束の間、松川師父が叫ぶ声が聞こえる。
「おじさん、後ろ!」
(え?)
 次の瞬間、なぜか地面が見える。一体何があったんだ?
「おじさん! 立って!」松川師父の声がこだまのように響く。
(俺はなぜ倒れている? まずい、早く立ち上がらないと……)
 朦朧(もうろう)とした意識の中で必死に立ち上がろうと試みるが、体が言うことを聞かない。
「うっ!」
 脇腹を執拗に蹴られ、胴当て越しとはいえ、重い痛みが体の芯に響く。
(肋骨をやられたか……)

「たけやま! 立てー!!

(松川師父!?
 気合いの入った声が意識を覚醒させる。聴覚が回復した途端、周りの喧騒がやけに大きく聞こえる。
「この野郎!」その声が次の攻撃を予感させた。
 私がとっさに横に転がると、私が元いた地面にバットが振り下ろされるのが見えた。やっと自分に起こったことを理解した。私は背後から後頭部に打撃を受けて倒れ、そこに蹴りを入れられたようだ。確かに、後頭部がズキズキする。動いていたので直撃ではなかったのと、運良くヘッドギアに助けられた形だ。
 私はなんとか立ち上がると、しっかりとオンガード・ポジションを取る。目の前の敵は二人。各々バットを持っている。
(考えるな、感じろ……)
 左の男がバットを振りかぶり、向かって来た瞬間、体が動いた。私の拳は意識よりも早く相手の顎めがけて飛んで行く。意識した時には、私は男の顎をリードストレートで打ち抜いていた。結果的に男はバットを振りかぶったまま後方に吹っ飛んでいった。右の男は一瞬怯みつつもバットを振りかぶる。
(無駄だ)
 なぜなら、男が振りかぶり終わる前に、私の拳は男の顔面に到達していたからだ。私が意識した時には、ツァイクンドー最速のバックフィストが男の鼻をへし折っていた。男はたまらずバットを落とすと、顔面を押さえてうずくまる。そこに駄目押しのフックキックを顔面に入れる。
 あとは梅本君を羽交い締めにしているやつらだ。勢いそのままに、私が躊躇(ちゅうちょ)せずに向かっていくと、男の一人が私の前に立ちはだかる。ノーモーションのフロントキックが股間に命中すると、男はその場で悶絶した。私が顔を向けると、男たちはなぜかあっさりと梅本君を解放した。自分で言うのもなんだが、きっとすごい形相だったに違いない。
「みんな大丈夫か!?
「ええ」と、松川師父。
「まあ、なんとか」と、梅本君。
「おじさん、今の動きどうしたの?」
 松川師父が驚いたように言う。正直、私にも分からない。
「ここは固まって戦った方がいい。円陣を組もう」
 私は静かに提案する。
「わかった!」と、松川師父。
 私たちは円陣を組み、お互いの背後を守りながら闘う。ところが、ここにきて松川師父の動きが悪い。しきりに左足を気にしている。そのせいか、徐々に動きに精彩がなくなってきている。
(痛みが出て来ている。まずいぞ)
 次第に足を引きずるようになって来た。
「松川師父、大丈夫ですか!?
「ちょっとまずいかも……」
 顔が苦痛に歪んでいる。
「梅本くん、松川師父を援護しよう!」
「はいっ!」
 二人で松川師父をかばいながら応戦するが、一気に戦局が悪くなる。防戦一方の我々は次第に押され出した。しかもここに来て人数が減っていない。さすがに今残っている連中は喧嘩慣れしていて、一筋縄ではいかない。
(このままではジリ貧だ!)
「重心移動だけで動いてみる!」
 突然叫ぶと、松川師父が戦線に復帰する。
「え!?
「これなら痛くない。見てて!」
 と言うなり、またいつものような動きに戻る。
(どういうことだ?)
 松川師父が戦線に復帰してくれたお陰で、急に相手の人数が減り出す。しかも、観察する余裕まで生まれた。確かに、いつもとフットワークの質が違う。よく観察すると、左足をほとんど使わずに、まるで地面の上を滑っているかのように動いている。
(これがグラヴィティ・コントロールか!)
 本に書いてあった、フットワークの究極形だ。確かに、これなら左足の負担は少なく、痛みも減るはずだ。松川師父は危機的状況の中で、フットワークをさらに進化させたようだ。

 残りは7人。ただし、この連中は慣れている上に武器まで持っている。正直、手強い。なかなか決定打を入れさせてくれない。ただ、ここに来て一つ分かったことがある。勝機は相手が攻撃しようとしたその刹那にある。私はやっと打撃のタイミングをつかめたようだ。少しは二人の動きに近づくことができた気がする。もう足手まといにはならない。

 後のことはほとんど記憶にない。私の拳はただ感じるままに勝手に放たれ、あたかも相手との共同作業のような、もしくは予定調和のような完全に協調した流れだった。打撃のタイミングにおいて攻防は混じり合い、そもそも区別がつかない。不思議なことに恐怖は一切感じなかった。攻防同様に恐怖と平安も混ざり合い、区別がつかない。戦いの中で解放された精神と感覚は、明らかに私のツァイクンドーを昇華させた。そう、私はもう以前の私ではない。
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