文字数 1,297文字

 子供はシカルに駄賃を貰い、「じゃあ」と言って夜の路地裏へ帰って行った。
 残された警察官と青年は、しばらくそこに佇んでいた。

「なぁ、シカルさん」

 珍しく青年から話し掛けて来て、シカルは、何を教えてくれるのかな? と期待を込めて彼を見た。

「あの孤児に、あんたの姪を紹介したりはしないのか?」

 多少拍子抜けしながら、警察官は丁寧に答える。
「多分、姪が与えられる物の中に、あの子の欲しい物は無いんだよ」

 あやふやな答えだが、青年は「ああそうか」と素直に納得した。

 このままでは何も教えて貰えそうにない。
 我慢できなくなったシカルは、自分から切り出した。
「イグネーって何だ?」

「言っても信じてくれないだろ」
 予想通りの答え。

「調書をあれだけ拒否された上に、警察官の矜持をボコボコにされて、結末は分からない事だらけ。ちょっと俺が可哀想すぎないか? 墓場まで持って行くから、そっちくらいは教えろ」

「…………」

「途中で遮らない、ちゃんと聞くから」

 青年は唾を飲み込んで、前を向いたまま口を開いた。

「イグネーは、妹の友達だ」

「空を飛べる友達…………が、いるの、か……」

 目を白黒しながら一所懸命言葉を消化しようとする警察官。
 青年は淡々と話を続ける。

「昔、俺も助けられた事がある。三つの妹を背負って逃げた時、草原で追いつめられて、もうダメかと思った。そしたら急に強い風が吹いて、いつの間にか空にいた」

「え、君も、飛んだ、のか?」

「その頃はまだ俺も、イグネーの声を聞く事が出来たな。妹は姿も見えていたみたいで、馬に乗って運ばれたと言っていた。
 それで、西の森に連れられたんだ……ああ、あそこは大昔、彼らの聖域だったらしい。
 最初の冬はイグネーが助けてくれた。住み処を隠す『まじない』を教えてくれ、森で暮らす知恵を授けてくれた。
 もっとも俺はだんだん声が聞けなくなって、すべて妹を通してだった。今のあの子は忘れているみたいだが、俺は妹に助けられて生き延びたんだ。
 次の年からの俺のやる事は、妹を『イグネーと切れない存在』に育てる事だった。育てるなんておこがましいか。あいつは勝手に、なるように育って、今回も俺がノロノロしている間に、さっさとイグネーが助けに来た」

 青年は言葉を切って、無言で目を泳がせる警察官を、じっと見た。
「なぁ、あんた、三つの妹を抱えた十一の無知な子供が、何の助けも無しに、雪深い森で冬を越せると思うか?」

「……いや……」

「信じなくていいし、忘れてもいいぞ」

 言うと青年は背中を向けて、通りとは反対の暗がりに向けてスタスタと歩き出した。
 そちらには灌木と古い大きな木が残されている。
 シカルは胸が騒いで、慌てて叫んだ。

「いや、君は! ……ジョシュは! 一度も嘘を言わなかった。本当の事以外は喋らない奴だ!」

 振り向いて微笑んだ青年の黒い瞳に、ほんの少しの緑色が過る。

「もう一度だけ質問させてくれ。イグネーって何者だ?」

「知らない」
 即答だったが、最初みたいな突き放した言い方ではなかった。
 青年の背後にザァッと風が立つ。
「大切な妹の友達に、聞かないだろ、ふつう。 あんた何者? なんて」




リッカ




 
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