第2話

文字数 3,229文字

      その十ニ  (2)

 ニ時間ほどノーパン指導をわたくし船倉たまきより受けたすみれクンのお母さまは、
「紅茶とクッキーとシャワー、ありがとうございました。失礼します」
 とやがてキャミワンピから茶色っぽい秋物のワンピースに着替えて帰っていった。
「今回もついつい火の玉のようになってしまった――眼精疲労は論文チェックだけが原因じゃないかもしれないな……」
 そういえばきょうは沼口隊長が三回目のいわゆる探検(?)からもどってくる日で、前回のときも午後には〈うなぎ食堂〉での守衛業務に就いていたからおそらく隊長はあの奥の三畳間でくつろぐなり欄間に懐中電灯の光をあてるなりすでにしているだろうけれど、とはいえ携帯を所持していない隊長に連絡するには〈うなぎ食堂〉の子機のない変な黒電話をリンリン鳴らすしかなかったし、実質居候の身の隊長は食堂の電話を私用で景気よくリンリンやられてしまうと、やはり気まずいのだろう、いつも食堂の大将やパートの子にかなり恐縮しているので、ぼくは晩飯時までとりあえず放っておいて、それから〈うなぎ食堂〉で一杯やりながら沼口隊長の報告をきくことにした。
 過去二回の探検では沼口隊長は田上雪子さん関連の情報を一つもつかむことができなくて、かつてこども電話相談室のパーソナリティーを務めていたあさ美お姉さんにそのことで相談してみると、
「あんないいかげんな人は更迭しちゃってもいいと思うな、お姉さんは。恩義なんて感じることないわよ。たまきくんは、かつ丼もずいぶんおごってるんだし」
 とお姉さんは助言してくれたのだけれど、それでもいざ最後通告を沼口隊長に告げようとすると、隊長は、
「船倉さん、あさ美お姉さんは、当時から自分の生写真を売って小遣い稼ぎしてたような女ですから、用心したほうがいいですよ」
 と昔売りつけられたその写真をみせてきて、しかしその下着姿の生写真はたしかにおウチで撮っているような感じは出ていたけれども顔のところが変なひらひらしたお面みたいなやつで覆い隠されていたので、ほんとうに若いときのあさ美お姉さんなのかはいま一つ確信がもてなかったのだった。
「でもほら、ブラジャーもパンティーもピンクでしょ。ここにホクロもあるし」
「そうッスよね。お姉さんのラッキーカラーですもんね。花柄系ですけど、ピピピ、ピンクですもんね」
 けっきょくそのときのぼくは隊長に、
「まあまあ、私の気持ちですから。取っといてください」
 とその生写真をいただくことによって、処遇問題を保留というか、なんとなく三度目の探検だか捜索だかの費用も確約してしまったのだがまあそれはともかくとして、五キロほど走ったり入浴時間を長めにとったりしてキャミワンピの作用で想像以上にギラギラの火の玉状態だった自身を整えてから〈うなぎ食堂〉にぼちぼちおもむくと、
「大将どうもぉ。隊長います? え」
 意外にも沼口隊長はまだこちらにもどってきてはいなくて、
「大将、またあのたらこスパゲティー食べたいな。あれはおいしかった」
「からあげもきょうのはうまいですよ」
「うん。それももらいます。あっ、あとビールもね。大ビンの」
 さすがに隊長も今回の○○村での探検では、本気になって田上雪子さんの行方を調べてくれているのかもしれない。
〈うなぎ食堂〉の大将は沼口隊長がいつも寝起きしているものすごい奥の部屋の一つ手前の三畳間にぼくを案内すると、
「ちょっと待っててくださいね」
 と例の揉み手をしてまたぞろ三畳間の襖を開け締めしながらいったん厨房にもどっていったが、いわゆる〝うなぎの寝床〟の構造になっているこの店はご承知のように三畳間が一直線にどこまでも伸びているような構えなので、手前の厨房にもどるには、いちいち各三畳間をお使いのお客さんたちに、
「すいませーん。通りまーす」
 などとことわらなければならなくて、だから大将はあんなふうにシーシー揉み手をしたり後頭部あたりを撫で撫でしたりするのがクセになっているのだろうけれど、しかし先ほどぼくがたのんだたらこスパゲティーとからあげとビールを大将自身がめずらしくこちらまでもってきてくれることになっていたので、大将のあとを追ってくるようなかたちでマメカラ然とした変なデカいマイクみたいなやつの使い方を問い合わせにきたお客には、あごをしゃくりあげるような感じで、
「そこのボタン長押しするの」
 とおしえていて、お客も大将が両手でお盆をもっていたからだろう、まだなにか選曲の方法だとかを聞きたがっているようだったが、
「すみません。ありがとうございました」
 とお辞儀をして手前のどこかの三畳間へひきかえしていった。
「大将、あれ『マメカラ』ですか?」
「いや、あれはなんかマメカラのニセモノっていうか、どこか外国のメーカーの製品なんです。正式には『チビカラ』っていうんですけど、まあパクリですよね。でもお客さんもみんなマメカラって呼んでるし、わたしもそのへんはてきとうに呼んでるんですよ。
 ただちょっと使い方が本家本元のマメカラとはちがいましてね、だからその対応をするのがけっこう面倒ではあるんです。ここだけの話」
〈うなぎ食堂〉は宴会目的の利用者などにも需要があって、だからこの「チビカラ」というハンディ型のカラオケ機は忘年会とか送別会のときなんかはフル稼働で活用されているらしいが、大ビンのスーパードライをちっちゃいコップに注いでくれた大将は、そのチビカラの対応よりも、一度は沈静化したが最近またぞろ界隈で話題になっているこの店に出ると噂される幽霊だか宇宙人だかの対応というか風評被害に頭を悩ませているのだそうで、大将は、
「すみません」
 といってグイッと飲み干したそのコップにまたすぐビールを注いでくれると、
「だから、結果的には沼口君を守衛として置いてあげたのはあながち間違いでもなかったんですが、なにしろあの人はいいかげんでね、はっきりいって守衛としての役割をまったくはたしてないんですよ」
 とめずらしく愚痴りだしているのだった。
「しょうがない人ですね」
「旦那さん、わたし知ってますよ。旦那さんがマコンドーレグループのG=Mだってこと。お若いのに、たいへんなご出世ですねぇ」
「まあまあ、ほら、ウチもけっこう大きいからさ、ゼツリンフィーバーマンを特撮ヒーローにして番組つくるなんて案も出してるくらいだからね。奴らに」
「G=Mさんの貫禄で沼口君よりもっとずっと真面目でちゃんとしてるガードマンみたいなのをこの食堂に就けてくれませんかね。そうすれば、お客さんも安心すると思うんです。本気で怖がってるお客さんもだんだん増えてきてましてね」
「じっさい、ぼくもアドバイザーからいわれてるんですよ。更迭したほうがいいって」
「アドバイザーみたいなブレーンもいるんですか。やっぱりG=Mくらいの役職になるとすごいんですね」
「ほら、イエスマンばかり周囲に置いておくと駄目になっていくからさ。まあ一流とそうでない者とのちがいだよね。こういう心構えは。そのアドバイザー、あさ美っていうんだけどさ、ちょっと今度相談してみるよ」
「よろしくお願いします。何か、もっと召しあがりますか?」
「もう、これでじゅうぶんです」
「じゃあ、なにかお持ち帰りでどうぞ。お代はもちろん結構なんで」
「そそそ、そうですかそうですか。じゃあななな何にしようかな、かかかかつ丼かつどーんにしようかな……あっ、でも太っちゃうかな――やっぱりサンドイッチお願いします。たまごサンドイッチ。あしたの朝食にね、あはははは。あっ、でも、ハムとチーズときゅうりが入ってるやつもおいしいかもしれないな。でも甘い系を食べてみたくなっちゃったりしちゃうかもしれないな……でもそのときはココアをふーふーしながら飲めばいいかな……でもココアをふーふーしながら飲みすぎちゃうと、ベビースター系みたいなやつが食べたくなっちゃうかもしれないな……」
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