第3話

文字数 3,141文字

      その十三  (3)

 けっきょく親子丼をテイクアウトすることにしたぼくは、翌朝レンジでそれを温めたのちに母屋より支給された木のスプーンをもちいて粛々と食することとあいなったのだけれど、汁物は緑茶だけでもあれだし、かといってわざわざつくるのも面倒だったので先日義姉からもらったインスタントのトマトポタージュで間に合わせることにして――しかしトマトポタージュ自体はまあまあおいしかったのだが、さすがに親子丼との相性はいま一つなのであった。
「このあいだ川上さんがつくってくれたハマグリのお吸い物でもあったら、いちばん良かったんだけれどな……残念」
 ホットココアをふーふー飲んだあとに洗い物をしていると、その川上さんから電話がかかってきて、だからぼくは、
「おはよう。いまちょうど、川上さんのハマグリのあれ、かんがえてたんだよ」
 と先の朝食のことを話そうとしたのだけれど、
「朝から、そんなイヤらしいこと想像してたんですか?」
 と早合点した川上さんは、
「どんな感じでしたか? わたしのハマグリ」
 等々、矢継ぎ早に質問してきて、もちろんぼくは親子丼にはハマグリのお吸い物がうんぬんと最初はしっかり弁明していたのだけれど、しかし連祷に応答しているうちに、百パーセント一瞬たりとも川上さんのハマグリを想像しなかったとも断言できないな、という疑念も生じてきてしまって、そんなわけで最終的には応答中に想像した感じや、かつて想像したさいの感触などを具体的に執拗にそして繰り返し述べたのである。
「川上さんがハム友さんの話をしてるときも、なんだかんだいっておれ、網タイツ越しの例のあれを想像しちゃってるかもしれないです」
「あっ、そうだ。そのハム友さんから、いい情報を仕入れたんです。そのために電話したんだっけ。つい夢中になっちゃった」
 以前にも述べさせていただいたかもしれないが、この〝ハム友〟というのはアマチュア無線の友だちだとかそういうことではなく、網タイツなどの色っぽい下着を好んでいる仲間を指す一種の隠語なのだそうだ(網タイツをはくと、太ももがちょっとハムみたいにみえるところから名付けられた)。
 川上さんはそういう下着を好んでいるらしく、いつも清楚な服装なのに自分はかなり変態なんだと常々公言しているのだがまあそれはともかくとして、ハム友さんはどういうルートからなのかは定かではないけれども、われわれにとって、とてつもなく有益な情報をこのたびも提供してくれた。
「やっぱり田上さんは本当に○○村出身だったんだね」
「その温泉旅館、いまでも普通に営業しているみたいなんです。だから単純にまずは利用客として、たずねてみればいいんじゃないかしら」
 われわれマコンドーレファミリーはグループをあげて現在この田上雪子さんを捜しているのだが、それはドキュメンタリー作品を専門に撮っている三原監督の関心を田上さんの出身地である○○村に向けるためで、というのも、マコンドーレにとっては重要な人物の一人である地元の市長がこの○○村でお詫び行脚の一種のパフォーマンスをする予定になっているからなのである。
 森中市長は一年ほどまえに地元の小学校の体育祭でいわゆる〝得意のごあいさつ〟を長々としたのだけれど、そのさい低学年の女の子が熱中症だか貧血だかになってしまって(そのほかに軽く気分が悪くなった生徒も何人かいた)、もちろんこれは市長が三時間以上も悦に入って能書きを垂れていたのが原因なので後日ご批判の声が山のように届いたのである。
 事態の収拾にあたったわれわれはその女の子の本籍地が○○村であることを知り、そして当時ぼくが入れあげていた小説の舞台もたまたま○○村だったので、ぼくはこの村でお詫び行脚をすれば選挙とは関係ないし、誠意は伝わるんじゃないですかうんぬんというような案をてきとうに、というか○○村に出張すればその好きな小説の登場人物に会えるかもしれないと思って出したのだけれど、大将には専属アドバイザー(?)みたいにいってしまっている一回り年上のあさ美お姉さんにそのことで後日相談してみると、あさ美お姉さんは、お詫び行脚を中心に撮影すると企みがバレバレになっちゃうから、ほかの何かを撮影しているときに偶然行脚をやっている市長が映っちゃってるよう装って、それで市民に、
「ああ、こんな誠意あふれる行いを市長は陰でやってたんだ。じゃあまた、つぎも現職に一票入れておくか」
 という感情を芽生えさせたほうがいいと思うな、お姉さんは、というような助言をしてくれて、で、われわれは三原監督の撮影チームを〇〇村におびき寄せる(?)ために田上雪子さんを粘り強く捜しているのである。
 このところの三原監督はキャンディー隊の後継グループになろうとしてぜんぜんなれなかった「ラブ・ウィンクス」を祭り上げて一向に再結成の動きをみせないキャンディー隊を嫉妬させるという作戦を企てている(らしい)新キャン連なる組織に着目していて、ちなみにこの情報はいまでは界隈で一種の名士になっている通称〝試食おじさん〟より提供されたようなのだけれど、十中八九ガセネタのこの情報も一度のめり込むと回りがみえなくなってしまう三原監督は完全に信じ込んでいて……とはいえ、幸運なことに田上雪子さんは先のラブ・ウィンクスがメンバーチェンジをするさいに候補の一人としてあがったことがあるのだ。
「川上さん、きょうの予定は?」
「わたし、きょうも美の伝道師さんが断捨りん子として復権するためのサポートをすることになってるの」
「じゃあ山城さんがメロコトン博士の屋敷に行く日なんだな、きょうは」
 われわれは三原監督にすでに先のエピソードを伝えていて、だから監督もぼちぼち田上雪子さんに密着取材をする気になってはいるのだけれど、新キャン連のアジトはK市内にあると断言している試食おじさんは、この田上雪子さんのこともなんだかK市に住んでいるだとか本籍地もK市だとかと断言していやがるみたいで――内府の推測だと、試食おじさんは地元のスーパーや飲食店から試食のお誘いをかなり受けているので、だから一種の義理というか界隈の景気にすこしでも寄与するために監督をなるべくK市内で活動させようとしているらしいのだ。
 ハム友さん情報によると、田上雪子さんの実家は○○村で温泉旅館を経営していて、ちなみにこの旅館は西暦712年だか713年だかくらいに創業されたらしいが、跡を継いだ長男さんは芸能界を引退してひどく落ち込んでいた妹の雪子さんを、
「こっちで誰かいい人またみつけて幸せになればいいじゃないか」
 とあたたかく迎え入れたみたいで、しかし雪子さんはその後ずっとこの旅館の一室にひきこもってしまって、それはいま現在も継続されているそうなのだ。
 川上さんにお礼をいったあとすぐさま内府とすみれクンのお母さまに連絡したぼくは、いよいよ明朝この〈たうえ温泉旅館〉に向けて出発することとあいなったのだが、きょうメロコトン博士の屋敷で取り組むことになっている論文のチェック(葡萄という漢字の書きミス探し)は、明日の準備がいろいろたいへんだからというのを理由に免除してもらうことにして、山城さんにその旨を電話で伝えると、山城さんは、
「なんかメロコトン博士、サナトリウムにマッサージ師がいないから、だれか派遣してくれって美智枝さんに頼んでるみたいなんですよ」
「あはははは。すごいな」
「だからそれを美智枝さんに指名されたら、そのときは船倉さんが代わってくださいよね。船倉さんが○○村に行っているあいだ、わたしがここでの作業を船倉さんの分もやっときますから」
 うんぬんとなにかをもぐもぐ食べながらいっていた。
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