第7話

文字数 2,779文字


      その十七  (7)

 田上雪子さんは幼少のころからおばちゃんに小春おばちゃん小春おばちゃんとかじりついていたらしく、だから○○村に帰郷してこの旅館の一室にひきこもるようになっても唯一小春おばちゃんとだけはこころを通わせていたみたいなのだが、買い出しなどもすべて小春おばちゃんに頼っていた雪子さんは文字通りいっさい外出しないでほぼ完全にひきこもっていたので洋服などにはいっさい興味をもたずに衣類関係はたまに寝間着類を買ってきてくれるようおばちゃんに頼むくらいで、とはいえ、食欲のほうはぼちぼちあったとのことで、厨房係の小春おばちゃんにあれが食べたいこれが食べたいと、しょっちゅうせがんではいたらしい。
 片付けなどもいっさいやらないので(洗濯は部屋のコイン式のやつでぼちぼちやっていた)、小春おばちゃんは定期的に雪子さんの一室も掃除していたが、掃除係のほかの従業員をぜったい部屋に入れなかった雪子ちゃんは厨房係の小春おばちゃんがいわば管轄外の仕事をこなしていても部屋にあるテレビの前にちょこんとすわってひたすら番組を視聴していて、部屋にある有料型のテレビはもちろん幾ばくかの小銭を投入しなければ観ることはできなかったのだけれど、小銭を貯めておくトレイの鍵もおばちゃん経由で雪子ちゃんはとうに持っていたので(小春おばちゃんが経営者のお兄さんに理由を話してテレビ用の鍵と洗濯機用の鍵をゆずってもらった)、手持ちの小銭が切れるかトレイがいっぱいになるかしたさいは、その鍵をもちいて貯まった小銭を取り出せば、またいくらでもテレビを観ることができた。
 テレビが地デジに移行するさい、業者がこの部屋に入ろうとしたが、雪子ちゃんは頑としてそれを拒否し、小春おばちゃんもこのときだけは、
「おばちゃんは機械類は苦手だから」
 うんぬんといって、業者に任せるよう説得したらしいが、
「あんなに大好きなテレビが映らなくなったら、どうするんだい?」
 と小春おばちゃんが問い詰めても雪子ちゃんは、
「映るから大丈夫なの」
 と平然としていて、そのうちお兄さんだか誰だかがブラウン管に取り付けるチューナーみたいなものを買ってきて、おばちゃん経由で雪子ちゃんに手渡されることとなったようなのだけれど、そのチューナーも箱から出すこともなく部屋の片隅に放置してあったという。
「じゃあ近年はテレビも観てなかったんですかね」
「それが観てたんですよ。テレビもちゃんと映ってました」
 部屋にはテレビゲーム機やビデオデッキも付いていたようなので、きっと雪子ちゃんはいわゆるスタンドアローンでテレビを活用していたのだろうがところで、小春おばちゃんが雪子ちゃんが不在なことに気がついたのは、掃除のときはおばちゃんが部屋に入ってきてもいっさい振り向きもせずに先のようにテレビにかじりついているのに掃除におもむいても雪子ちゃんがテレビの前にすわっていなかったからで、小春おばちゃんは念のためにトイレや浴室なども確認したのだけれども、やはり雪子ちゃんの姿はどこにもなかったのだった。
 お兄さんにそれを伝えると、
「雪子もとうとう出かける気になったんだろう」
 と最初はよろこんでいたが、小春おばちゃんは雪子ちゃんがパジャマ類しかもっていないことを知っていたので(雪子ちゃんは洗濯は自分でやるが、畳んだり衣替えしたりなどは面倒がっておばちゃんに手伝わせていた)、出かけるはずはないと思っていたし、一週間も雪子ちゃんの不在がつづくとお兄さんも、
「これは、おかしい」
 とさすがに心配になってきた。
 それで親族の方たちは警察に届けようかどうしようかといろいろ話し合ったりして気を揉んでいたのだが、行方不明になってから十日後にざっと掃除くらいはしておこうと思っておばちゃんが雪子ちゃんの部屋に入ると、雪子ちゃんはこれまでのように部屋の出入り口に背中を向けてテレビを観ていて、
「ユキちゃんどこ行ってたの! みんな心配してたんだよ」
 とおばちゃんがお掃除道具のたぶん〝はたき〟をどこかに放り投げて今回だけは叱ると、雪子ちゃんは、
「うん。ごめん」
 とはいったが、しかしそのあとはまたぞろだんまりを決め込んでいて、けっきょくどこに行っていたのかはわからずじまいだった。
 それでも小春おばちゃんは雪子ちゃんとある約束を取り交わしていた。
「雪子さんが『遠征中と言っといて』って頼んできたんですか」
「そうなんです。わたしはこれからときどきこんなふうにいなくなることがあるから、そんなときは、小春おばちゃんからお兄ちゃんたちにそう伝えておいてくれって」
 雪子ちゃんは危険なことをしているわけじゃないから心配しないよう小春おばちゃんを説き伏せたらしく、じっさいおばちゃんも最初の何度かのいわゆる〝遠征〟のさいはたしょう不安になったが、最近は二ヶ月くらい帰ってこなくても、あたふたすることもいっさいないらしいが、
「ところでお客さんたちは、どうしてユキちゃんを捜してるんですか?」
 という小春おばちゃんの素朴な問いに以前までのぼくなら、
「そそそ、それはそれはですね」
 とまごついてしまったかもしれないけれど、マコンドーレのG=Mとして君臨しているこんにちのわたくし船倉たまきはおばちゃんとおなじくあたふたすることもなく、つぎのような説明を落ち着いた物腰でしていて、
「われわれマコンドーレの配下にある高名な映画監督が雪子さんに密着したドキュメンタリー作品を撮る希望をもってましてね。それでまずわたしたちが雪子さんに監督の熱意を伝えることも含めつつ交渉して、そして出演料等の折り合いがつけば、監督の撮影チームをこちらにセッティングして――」
 うんぬんとゼスチャーも交えてぶっていると、おばちゃんも、
「あれだけ毎日テレビばかり観てたってことは、ユキちゃんもやっぱり芸能の世界にもどりたいんだと思うんです。あっ、資料ならすこしですけど、わたしももってますよ。レコード一枚だけですけど『気分はピンク・シャワー』っていうシングルなんです。
 そういえばユキちゃん、現役のころですけど『気分はレッド・シャワー』と間違えてる人が大勢いるって、このレコードジャケットみつめながらしょんぼりしてましたね」
 とこの計画に大乗り気になってくれたのだが、おばちゃんに雪子さんが遠征から帰ってくる予想を立てていただくと、
「直近で部屋にもどっていたのは六月の半ばごろだから、もういつ帰ってきてもおかしくない。今晩にも帰ってくるかもしれないし、あしたかもしれない」
 とおっしゃっていたので、ぼくは小春おばちゃんに、
「では、雪子さんが遠征からお帰りになっていましたら、密着取材の例の件を伝えておいてください」
 とお願いして、この会食はおかげさまで双方わりと良い気分でお開きとあいなった。
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