第3話 三学園之太刀

文字数 3,062文字

 ある日、辻道場に新入の門弟が入った。

 新入とは雖も、辻の甥で江戸の柳生新陰流の道場で修行してきた者と言う。
 その初稽古の日、下に数十名の門下生が居並び、上の上座に辻茂吉、その両側に大祐を含む高弟四名が正座をしていた。
 茂吉の前にその新入の少年が深々と平伏していた。開け放たれた道場の両側の濡れ縁の戸口から涼風が吹いた。
 顔を上げると、横隅に座する門弟達と両侍の高弟達がほおと溜め息を突く。一人中央に座って姿勢を正すと、その秀でた容姿が一段と輝くようだ。
 その若者のかんばせは芙蓉を思わせ、興福寺の阿修羅の様な怒りの眉に凛とした流線の(まなじり)。月代は剃っておらず、長髪は腰まで流れる元服前の小姓姿。前に突く手と手首の柔らかさから、残る幼さが感じられる。

 歳は十四、五の若葉が匂うような若衆であった。


「叔父上・・・お世話になりまする」

「叔父上」と呼ばれた辻は少し考えていたが、威厳を持った声で言った。
鈴太郎(すずたろう)、列堂様はお元気か?」
「はい・・・柳生の庄のお寺と江戸屋敷とをお忙しく飛び回られております」
「三厳様(柳生十兵衞)がお亡くなりになって三十年、その剣技の妙をお納めになったのは列堂様しかいらっしゃらなくなった・・・宗冬様はまだまだ・・・江戸柳生もこのままではのう」
「はい・・・尾張柳生の連也斎様は石舟斎様の再来と言われていらっしゃいますが、剣理を練る事のみにご執心で天下の兵法にはご興味無いよう」

 皆がおおうとどよめく。
 このまだおなごに近い若衆が、天下の兵法を口に出すとは。
 確かに柳生新陰流の宗家は石舟斎の嫡男、宗矩ではなくその孫の兵庫に与えられた。宗矩は江戸の徳川幕府の重鎮となり、兵庫は尾張徳川家に伺候し、東西にその流派が別れて伝わる事となった。その後、江戸柳生と尾張柳生と呼ばれ、巷間では何かに付けて比較される事となる。鈴太郎の言動は江戸柳生の矜持から出たものだろう。

 茂吉はにやりと笑うと、
「鈴太郎。お前は江戸の道場の他、尾張にも行って修行したのじゃろう!その修行のほどを見せてみい。大祐、相手をしてやれ」

 ここでまた大きなどよめきが湧いた。目録を受けたばかりと雖も、大祐の腕は城下一ではないかともっぱらの噂である。
 二人は師の前で相対して正座した。

 鈴太郎は袋撓(ふくろしない)を前に置き、正座して礼をする前ににこりと大祐に微笑んだ。可愛らしい子供のように。
 大祐は憮然と思った。
(よほど自信があるのか)

 新陰流の稽古には試合の他に一連の型稽古がある。
 格の上の者が打太刀(うちだち)となり、修練する者の使太刀(しだち)に勝ちを取らせ、正しい勝ち口(勝つ方法)を教える稽古で、『組太刀(くみだち)』と言う。
 この組太刀は形の上の勝負ではあるが、使太刀の修練のほどがくっきりと映し出される。
 足の運び、掛かり(斬り込み)の具合、打ち込みの絶妙さでその腕が分かるのだ。
 打太刀が本気になって打ち込む場合、真剣勝負と同じ速度で撓が振られる。ぼやぼやしていると無様に打たれる事になる。それは形式なのだが、真に使太刀が打ち勝つ事は並大抵の事では無い。
 組太刀が出来る様になると、使太刀は打太刀を常に制圧できるようになる。そしてそれが白刃の(もと)であっても平常心で行えるまでに高めて行く。その境地に達すれば殺し合いの中でも平然と技を繰り出すことが出来る様になる。これを幼い頃から教え続ける。野生の鷹を躾ることになぞらえて『鳥飼(とりかい)』と言う。


 打太刀の大祐がゆっくりと(しない)を取ると、少し遅れて鈴太郎が取る。教えを受ける立場の鈴太郎は、大祐に少し遅れて従った。
 正座からお尻の下に(かかと)を立て、右足から前に出し、立ち上がると左足を揃える。
 最初は足先を少し開いた自然体の位《くらい》である。撓を持った両手はまだ前に下げている。
 鈴太郎の肩が、ゆっくりと右後ろに旋回して撓も後ろに向く。
 組太刀『三学円の太刀』の初太刀、『一刀両段(いっとうりょうだん)』の『(しゃ)の構え』である。鈴太郎は少し前傾して左肩越しに大祐に目付を取る。
 大祐が鈴太郎の動きを見てから撓を右肩に上げ、左肩を前に出して半身(はんみ)になった。一つ気を入れ、肩と共に出した左足から前に踏み出した。撓を右上に掲げたまま、左半身になって歩み寄る。足の先の指は上に反らせ、足の裏全体を床に付けて歩く『足陰を踏む』習いである。
 (作者注 半身とは偏身(ひとえみ)とも言い、例えば右足、右肩を前に出し体の半分を相手に向けて構えること。左で行うと『(ぎゃく)』の偏身となる)


 鈴太郎の目が遠くを見るように微動する。
 大祐の目、肩、拳の動きを流れるように見ているのだ。
 普通の稽古ならば、大祐は少し気を抜いて歩み寄る。未熟な使太刀の者をあまりに圧倒しては稽古にならない。だが、今は鈴太郎の技量を測るために演武をしている。師匠がそう言った。

 大祐は殺気を発しながら間合いを詰めていった。それが大祐から稽古を受けた事がある門弟達には分かる。自分達を相手にするいつもの大祐ではない。誰かがごくと唾を呑んだ。
 対する鈴太郎は落ち着いていた。組太刀では使太刀が必ず勝つ。そう考えているのだろうか。
 鈴太郎は腰を低くした車の構えのまま大祐を待つ。
 体を前に出した左足にやや掛け、右足を後ろに大きく引き伸ばしている。
 現代で言えば丁度、氷上のスケーターが前足の臑を氷に対して直角に踏んで、後足を真っ直ぐ斜めに伸ばして滑る格好だ。つまり膝の揺らぎなどが無く、鎧を着ていてもどこまでも安定した姿勢なのだ。と言っても、必要な時は後ろ足の踵を支点にして、臨機応変に前後に動く事が出来る。

 小柄な鈴太郎が上目遣いで大祐を睨む。風で乱れた前髪が涼やかに額と目に掛かっている。
 目が合った。大祐はその非が一点もないうりざね顔を一瞬見とれた。
(美しい・・・おなごに生まれた方が良かったじゃろう)
 その一瞬の大祐の心の隙間を突いて、鈴太郎の口が笑った。
(何!)
 瞬時に大祐は勝負の心に戻った。相手に油断を悟られた自分への怒りが湧き上がる。八相の構えから鈴太郎の左肩を、凄まじい速度で袈裟切りに斬り付けた。
 大祐の左半身から斬り込むので、後ろにあった右足があっという間に踏み出され、それに連れて右肩が周る。その動きを瞬時に見とって、鈴太郎の撓が素早く顔の横に引き上げられ、弧を描いて斬り下げられた。
 新陰流でいう『(がっ)し打ち』の妙技である。
 先に打太刀に打ち掛けられても、一瞬後から動く使太刀の撓は打太刀の撓の上に打ち乗り、その拳を切る。
 だが真剣の場合はそううまくは行かないだろう。重い金属の塊はそう簡単に操れるものではない。竹刀と厚みも違う。相手の斬り方によって打ち乗れるとは限らない。敵の修練が高ければそれだけ、斬り合えば相討ち、下手をすれば斬られてしまう可能性がある。
 双方ただでは済まない。敢えてそのような決死の状況に自らを置く。
 このような技を最初の初太刀で教えるとは、恐ろしい流儀である。

 鈴太郎の撓は、大祐の撓が彼の左肩に当たる寸前にそれに打ち乗り大祐の左拳をぴしりと打った。
(ほう・・)
 大祐は力を緩めて、鈴太郎に二の斬り(打太刀が再び右八相に構え、使太刀は打太刀の喉を狙って残心を取る)を取らせてやる。
 大祐は感心していた。
 一瞬心を奪われたことに熱して、ぎりぎりのところを打ち込んでしまった。他の門弟ならば打ち乗るのが間に合わず、大祐に『斬られて』しまったに違いない。
 それをちゃんと制したのは、鈴太郎がその歳に似合わぬ腕を持っていたからだ。

 その証拠にその後の演武にも、鈴太郎は揺るぎない打ち込みを見せた。


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