第2話 目録

文字数 1,302文字

 大祐の父、塚本(つかもと)舎人(とねり)は、高々三百石の家臣であったが、信利の信頼を得て側近中の筆頭となった。その盟友である普請奉行の麻田権兵衛、御金奉行の宮下七太夫の三人で、一千石以上のの五人の家老を押しのけ、執政をしていると言っても過言ではなかった。
 大祐の幼い頃は皆が機嫌を取ってくるのでこんなものかと思っていたが、財政が破綻し領内が殺伐としてくると憎しみの目で見る者が出てきた。父と外を歩いている時、斬りかかられたことがあった。その時は大事は無かったが、大祐は父を守ろうという子供らしい孝行心で辻の新陰流の門を叩き、剣術に没頭した。
 だが修行を重ねるうちに武道の神髄に近づき、当初の目的よりは自身の心の修養に傾いていった。
 もし大祐が兵法から学んだ義の心を知らなかったら、この物語を語る理由はなかっただろう。

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 二十歳(はたち)の大祐は、目録を得た達成感はあったが、心底から喜ぶことは出来なかった。日に日に悪くなる父の評判に、気が重かった。
 今の父は昔の優しかった父ではなかった。城中の評議で、幕府に納めなければならないケヤキの大木三十本をどうするのかと、日夜怒鳴り散らしているようだ。八月に納めなければならないのにまだ八本しか伐採出来ていないという。

 これは去年、関東地方を襲った長雨で倒壊した江戸の両国橋の掛け替えを行うために、幕府の御用商人、大和屋久右ヱ門と金三千両で契約したものだった。条件は末口二尺七寸(約80センチ)以上、長さ九間(約18メートル)のケヤキの大木であった。
 森林の豊富な沼田領であったが、信利の散在を支えるために、良木はとっくに刈られていた。条件のケヤキが簡単に伐採出来ると考えたのは、現実を知らない官僚の落ち度だった。
 大和屋から金を前金で受け取ったが、それは直ぐに今までの放埒財政の負債の返済に消えた。後は農民を駆りだし、馬車馬のように働かせるしかない。
 戦国時代の勇、真田昌幸以来の善政の記憶は領民の頭から失せようとしていた。


 大祐は六尺近くの体躯で寡黙な男であり、近寄りがたいところがあったが、父の威を借りるような暗愚ではなかった。幸いにも、権力を持つ他の二人の重臣の息子達も聡明であった。
 共謀する親たちの行き来で、幼なじみでお互い気の置けない親友となっていた彼らはある時、領内を旅して周り、その農民の苦しみを知った。

 はじめは遊興の温泉廻りの筈だった。各地の温泉は森林の伐採地の近くにある。そこでは代官の命令で、奴隷の様に働かされている農民がいた。彼らの侍を見る目は憎しみに満ちていた。
 旅の後、彼らは危機的な状況が来る事を予感した。

 大祐の父を暗殺する計画もあるという。だが、藩主の信利自身があの調子だから、父が死んでもどうにもならないだろう。
 どんなに悪臣であると言われても父は父だ。父がいなくなって信利に歯止めがさらに掛からなくなったらもっと最悪ではないか。

 大祐は義よりも考を優先し、剣を以て父を守ろうと考えた。

 一心に修行したお陰で、人の心が多少読めるようになったと大祐は思った。父を守るために常に気を張っていたことは、天賦もあったのだろうが、大祐を一代の剣士にしたようだ。

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