第10話 市兵衛

文字数 1,017文字

 営みの後、夜まで二人でぐっすりと眠った。
 そして遅い夕餉を二人で水入らずで取っていた。
 すると女中が来て、大祐に手紙を渡した。誰からか分からぬが、百姓の様な者が門番に託していったという。


 塚本大祐様
 まことのもののふ
 お父上様への御孝行の心
 我が孫娘のおとむらいへの
 せめてもの御礼(おんれい)
 明朝立つことをお知らせ申し候
 死ぬも生きるも早いか遅いか
 それは道しるべの石の如くなり

          狂夫 百姓


 大祐はそれを読むや立ち上がった。鈴太郎が寝間着の帷子の合わせを抑えておなごの様に膝を突き落ちた文に目を走らせる。
(あに)様!・・・これは・・・」
「鈴・・・これで帰れ!」
 鈴太郎ははっとして、
「なりませぬ!行っては」
 大祐は鈴太郎を睨んだ。

「儂は・・・沼田藩の藩士じゃ!為すべき事をする」
「・・・私もお供します」
 鈴太郎の目から火花が出たような気がした。愛する者が熱い信念の塊となった。
 二人は見つめ合った。
 お互いの愛を回顧しその幸せを反芻し、そして決別するように。
「よかろう」


 二人は再び馬上の人となった。だがそこには慈しみ合った恋人達の会話は無かった。

 月夜野の郷の入り口に着いた時は空が白みかけていた。郷から利根川または江戸に続く街道に出る村境で二人は馬を降り、襷を掛け、刀を調べた。
 無言であった。

 半刻ほど経った。
 (もや)の中を誰かが歩いて来た。
 袴を履かず股旅姿で、腰に大脇差しを差した市兵衛であった。
 道を塞ぐように、戦いに挑む姿で佇む二人を見て、市兵衛はにっこりと笑った。

「やはりお父上様への御孝行をお選びになりましたか・・・」
 大祐は言った。
「違う。お前を行かせればこの沼田藩が危うい。だからどうしてもここを通るというならお前を斬らねばならぬ」
 市兵衛はしばらく大祐を微笑みながら見ていた。もののふを讃えるように。すうと息を吸って、
「その沼田の領民の為に私は行かねばなりませぬ」
「幕府への直訴は御法度と知ってか!」
 鈴太郎ははっと大祐を見た。
「直訴が成功してもお前の一族は獄門磔(ごくもんはりつけ)になるのだぞ!」

「はい・・・妻にも良く言って参りました。だが、私も肝煎(庄屋)の責を負う者。皆の為に死す覚悟はついております」
「良く言うた。さすがは市兵衛」

 大祐は腰の大刀の鯉口を切った。
 市兵衛も、荷物を放り出すと柄を握って身構えた。先祖は真田家に仕えた郷士だったのだ。

 その時、市兵衛を守るように、鈴太郎がゆっくりと大祐の前に進み出た。

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