第2話
文字数 1,725文字
またある日のこと。店長からの指示で、今月に入って五度目のサービス残業をさせられた政彦は、予定時間を三時間もオーバーしてバイトを終えた。既に夜のとばりが降りており、街の明かりが揺らめいている。木枯らしが吹きすさび、コートを抑える手にも力が入った。
やがて小雨がぱらつき出して、政彦は家に向かって街路樹の下を小走りしたが、やがて商店街を抜けると雨は本降りになった。自宅まではまだまだ距離があり、傘を持っていない政彦は途中で雨宿りする事にした。
明かりを頼りに仕方がなく立ち寄ったそこは古物店らしく、軒先にタンスや冷蔵庫などが並んでいる。このまま待っていても止む気配がなく、何気なく店内に足を踏み入れることにした。
『松極堂』と書かれたガラス戸を開くと、中は薄暗く、音楽も流れていないので雨音だけが響く。政彦は不思議な感覚を憶えた。初めて入ったのにも関わらず、何処か懐かしい匂いがしたのだった。
決して広いとは言えない店内には、古めかしい化粧台やセルロイドの洋風人形。テレビでしか見たことのないタイプライターや、弦の切れた三味線などが乱雑に置かれ、奥の棚には瀬戸物やブリキのおもちゃなどが並んでいる。
「何かお探しですかな」
政彦は心臓が止まる思いをした。さっきまで誰もいなかったはずなのに、急に声を掛けられたからだ。目の前には小柄で白髭の老人が目を細めながら佇んでいる。
「すみません、お店の方ですか?」
そうだと返事をする代わりに老人はコクリと頷いた。
「お前さん。もしかして悩みがあるじゃろう」
一瞬ぎくりとたじろいだが、よく考えれば悩みが無い人などいるはずがなかった。誰にも当てはまるようなことを言って、何かを売りつけようとしているに違いない。
「だったらどうしたというんですか。あなたには関係ないでしょう」
しかし老人は政彦の全身を見つめると、そそくさと奥へと姿を消した。
「一体、今のは何だったんだ?」独り言を呟いてみる。
今のうちに帰ろうかと思ったが、外は土砂降りで帰れそうもなかった。諦めて店内を物色していると、ややあって老人が戻って来る。その手には一冊のノートが握られていた。
「ほれ、たったの四万円じゃ。お主も運がええな」
ノート一冊が四万円? 冗談じゃない。老人のたわごとに付き合っているほど暇ではないと、踵を返し雨の中へ出ていく覚悟を決めた。
「待ちなされ。話を聞いてからでも遅くはないじゃろうが」
そう言われ、仕方がなく振り返ると、彼は笑顔を浮かべながらノートを手渡してきた。
取りあえずパラパラめくると、そこには『次のターゲットは「 」です』とノートいっぱいに印刷してあった。「」の間は空白で、恐らくは誰かの名前を書き込むようになっているのだろう。
「これは“です・ノート”といって、悪魔のノートじゃ」
デスノート? 確か聞いたことがある。ここに書かれた者は二十四時間以内に死んでしまう、まさに死のノートであった。
「ほっほっほ。あのデスノートとは違うぞ。もしあれが欲しければ二十万は出してもらわないと」
「でも、今デスノートって……」
「です・ノートじゃ。あれとは違う。まあ、全くの別物とも言えんがな」
歯切れの悪い老人に対して苛立ちを覚えた政彦は、ノートをカウンターに叩きつけた。
「こんな物騒なものはいりません! 殺したい相手などいないし、そもそも四万なんて持っていません!!」
実はバイト代が出たばかりでちょうど財布に四万円を入れていたが、どうせわかるまいと高をくくる。
「だから別物だと言っておろうが」
「だったらなんですか? 普通のノートだったらタダでも要りませんよ」
「誰か憎い人はおらんかね。殺したいほどではないにしても、復讐したい人物が一人や二人いるもんじゃろ」
そう言われ、政彦は真っ先に店長の顔が浮かんだ。次に石倉。それに兄の和博もちらつく。
「ほれ、今回はお試しじゃ」そう言って彼はノートの一部分を破ると、強引に手の中に入れてきた。
「気に入ったらまたおいで。いつでも待っておるから」
そう言い残すと老人はそそくさと奥へと消えていった。独り残された政彦はいたたまれ無くなり、外へ向かうと、いつの間にか雨は小降りになっていた……。
やがて小雨がぱらつき出して、政彦は家に向かって街路樹の下を小走りしたが、やがて商店街を抜けると雨は本降りになった。自宅まではまだまだ距離があり、傘を持っていない政彦は途中で雨宿りする事にした。
明かりを頼りに仕方がなく立ち寄ったそこは古物店らしく、軒先にタンスや冷蔵庫などが並んでいる。このまま待っていても止む気配がなく、何気なく店内に足を踏み入れることにした。
『松極堂』と書かれたガラス戸を開くと、中は薄暗く、音楽も流れていないので雨音だけが響く。政彦は不思議な感覚を憶えた。初めて入ったのにも関わらず、何処か懐かしい匂いがしたのだった。
決して広いとは言えない店内には、古めかしい化粧台やセルロイドの洋風人形。テレビでしか見たことのないタイプライターや、弦の切れた三味線などが乱雑に置かれ、奥の棚には瀬戸物やブリキのおもちゃなどが並んでいる。
「何かお探しですかな」
政彦は心臓が止まる思いをした。さっきまで誰もいなかったはずなのに、急に声を掛けられたからだ。目の前には小柄で白髭の老人が目を細めながら佇んでいる。
「すみません、お店の方ですか?」
そうだと返事をする代わりに老人はコクリと頷いた。
「お前さん。もしかして悩みがあるじゃろう」
一瞬ぎくりとたじろいだが、よく考えれば悩みが無い人などいるはずがなかった。誰にも当てはまるようなことを言って、何かを売りつけようとしているに違いない。
「だったらどうしたというんですか。あなたには関係ないでしょう」
しかし老人は政彦の全身を見つめると、そそくさと奥へと姿を消した。
「一体、今のは何だったんだ?」独り言を呟いてみる。
今のうちに帰ろうかと思ったが、外は土砂降りで帰れそうもなかった。諦めて店内を物色していると、ややあって老人が戻って来る。その手には一冊のノートが握られていた。
「ほれ、たったの四万円じゃ。お主も運がええな」
ノート一冊が四万円? 冗談じゃない。老人のたわごとに付き合っているほど暇ではないと、踵を返し雨の中へ出ていく覚悟を決めた。
「待ちなされ。話を聞いてからでも遅くはないじゃろうが」
そう言われ、仕方がなく振り返ると、彼は笑顔を浮かべながらノートを手渡してきた。
取りあえずパラパラめくると、そこには『次のターゲットは「 」です』とノートいっぱいに印刷してあった。「」の間は空白で、恐らくは誰かの名前を書き込むようになっているのだろう。
「これは“です・ノート”といって、悪魔のノートじゃ」
デスノート? 確か聞いたことがある。ここに書かれた者は二十四時間以内に死んでしまう、まさに死のノートであった。
「ほっほっほ。あのデスノートとは違うぞ。もしあれが欲しければ二十万は出してもらわないと」
「でも、今デスノートって……」
「です・ノートじゃ。あれとは違う。まあ、全くの別物とも言えんがな」
歯切れの悪い老人に対して苛立ちを覚えた政彦は、ノートをカウンターに叩きつけた。
「こんな物騒なものはいりません! 殺したい相手などいないし、そもそも四万なんて持っていません!!」
実はバイト代が出たばかりでちょうど財布に四万円を入れていたが、どうせわかるまいと高をくくる。
「だから別物だと言っておろうが」
「だったらなんですか? 普通のノートだったらタダでも要りませんよ」
「誰か憎い人はおらんかね。殺したいほどではないにしても、復讐したい人物が一人や二人いるもんじゃろ」
そう言われ、政彦は真っ先に店長の顔が浮かんだ。次に石倉。それに兄の和博もちらつく。
「ほれ、今回はお試しじゃ」そう言って彼はノートの一部分を破ると、強引に手の中に入れてきた。
「気に入ったらまたおいで。いつでも待っておるから」
そう言い残すと老人はそそくさと奥へと消えていった。独り残された政彦はいたたまれ無くなり、外へ向かうと、いつの間にか雨は小降りになっていた……。