第4話

文字数 1,336文字

 ある日のこと、政彦はボーリングの朝練帰りにラーメン屋に入った。お昼時ということもあり、八割がた埋まっていた。一つだけ空いているカウンターの席に着くと、マイボールとシューズの入ったスポーツバッグを足元に置き、メニュー表を見て悩んだ挙句に注文を決める。しかし、いくら待っても店員はやってこない。ホールスタッフは一人しかおらず、混んでいるのだからとしばらく待つことにした。しかし、いくら待てども注文に来ない。しびれを切らして店員を呼ぼうとした時、その店員は後から来た別の客から注文を取っていた。
「すみません、こっちが先なんですけど」たまらず声を荒げると、店員は申し訳なさそうにお冷片手に駆けつけてきた。
「ラーメンひとつ」
 政彦は注文すると、店員は謝りながら厨房へ消える。政彦はバッグに手が伸びそうになった。そこには“です・ノート”も入っているからである。
 だが、わざわざこれを使うほど、政彦の心は狭くない。悪いのは彼では無くてスタッフを増やさない店側であり、それくらいのことでいちいちノートを使っていては、何冊あっても足りないだろう。
 だが、今度はいくら待ってもラーメンが出てこない。客は半分ほどになり、それほど忙しいとは思えない。それでも心の広い政彦はしばらく待つことにした。
 しかし、政彦の後から注文した他の客のラーメンが運ばれると、さすがに黙ってはいられなかった。
「すみません! こっちまだですか?」たまらず大声を上げた。
「申し訳ございません、すぐに出しますので」それから三分後にラーメンが配膳された。これは“です・ノート”の出番かと胸のプレートを見ると『大森』とある。だが寸でのところで思いとどまった。待て待て、たかが順番が入れ替わっただけではないか。きっと彼も疲れているに違いない。それくらい大目に見てあげようじゃないかと、割り箸を掴み、レンゲでスープを一口飲んだ。そこで政彦は衝撃を受けることとなる。
 チャーシューが一枚しかない。
 通常であれば二枚なのだから一枚少ないことになる。これはさすがに許されざる行為であり、たとえ彼が調理したわけじゃないにしても、運んでくる際に気付くべきだ。堪忍袋の緒が切れた政彦は“です・ノート”を取り出した。しかし、大森と書いた後で下の名前が判らないことに気が付いてしまう。です・ノートはフルネームで書かなければならない。そこで一計を案じた。
 不承不承ラーメンを食べ終えた政彦は、伝票を掴み、レジへと向かう。案の定さっきの店員がやって来ると、政彦はこう切り出した。
「もしかしたら大森しげるさんですよね」
 思いついた名前を適当にいった。
「いえ、自分は大森順也ですけれど」
「それは失礼しました」
 なるほど、下の名前はじゅんやというのかと感心すると、店の外の喫煙所で、煙草を咥えながらペンを取った。
 『次のターゲットは「大森じゅんや」です』
 読み方があっていれば漢字でなくてもいい。老人からそう聞かされていたのでさっそく試してみる。それから五十円玉を投入すると、窓から店内の様子をそれとなく観察する。すると大森が急に慌てだした。どうやらコップの水を床にこぼしたようである。彼は急いで床を拭き、謝る声が聞こえてきそうで、胸の内がすっきりした。
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