第2話

文字数 2,592文字

 ピアスをあけるなら、自分じゃなくて誰かにやってもらいたいな、とあなたは小ぶりな自分の耳をなぞりながらつぶやいた。
 違うよ、お医者さんだと普通のお仕事として終わっちゃうでしょう。あの方たちにとっては日常だから。そうじゃなくて、他人の体に穴をあけるのを、怖がっていれば怖がっている程良いの。だから、自分も沢山ピアスあけていて、他人のもあけたことあるような、そのあたりの感覚が麻痺しちゃっている人じゃダメ。
 逡巡して、怖がって、何回も私に確認して、そうしてようやく決心してピアッサーを手にして、私と同じぐらいに緊張してくれる人じゃなきゃ。それで緊張して、少し失敗しちゃうの。少し歪んだその穴に、好きなピアスをさして、その格好つかなさに二人で笑うんだ。綺麗にあいたらあいたで嬉しいけどね。
 そんな顔しないでよ。私だってこれが普通だとは思ってないよ。だから君にしかこういう話、しないじゃない。本当だよ。私、君には嘘ついたことないよ。
 多分、私はね、共犯者が欲しいんだと思う。
 ピアス穴ってさ、結構長い時間私の体に残るものじゃない。あけられた側だけじゃなくて、あけた側の人にも、同じぐらいの何かを背負って欲しいんだと思う。罪悪感とか、後悔とか、不安とか、爽快感でも、それはなんでもいいけど、一生思い出しそうな、強烈な感情を。それを共有する、共犯者になりたいのよ。とんでもない、取り返しのつかないことをしたんだ、っていう、心臓が冷えるけど、でも開放的な感覚を二人で楽しむの。
 私さ、この世で一番離れられなくて、深いところで繋がっている関係って、共犯者同士だと思ってるの。罪は重ければ重いほどいい。二人が重く受け止めていればいる程、っていう意味ね。
 最高級に誰にも言っちゃいけない秘密を共有した二人って、通り一遍の愛だの恋だのより、よっぽど強く結びついて離れられない。いくら嫌いで憎み合って、忘れてしまいたいって思っても、忘れられないの。相手を忘れるってことは自分たちが犯した罪を忘れるってことだから。
 罪の意識があればあるほど、相手のことは忘れられなくて、その感情には一生付き合わなくちゃいけないの。私の存在が、相手の人生が終わる時に、一番重くのしかかっていればいい。
 あ、また変なこと言い出したって顔してるね?
 うーん、簡単に言っちゃえば、たかがピアス穴を私の体にあけるぐらいのことを、罪だと思ってくれるような人が良いよね、って話よ。
 でもさ、やっぱり彼氏とかになるのかな、そう考えると。私は別に付き合ってようが友達だろうが、そこの関係性は気にしないんだけど。だって重いよね、こんな思想の女。仲良くても言えるかどうかとはまた違うし、付き合ってもそうそう言い出せないよ。
 こんなに拘ってないで、サクッと勢いであけちゃえばいいのにね。一人でピアッサー買うなり皮膚科予約するなりすれば明日にでもあけられる。これじゃあ、君にもらったピアスも付けられないままだし。きっとこのまま、穴あけないまま年取っていくんだよ、私。
 なんで君は私にピアスなんてくれたの?あいてないの知ってたでしょう?まったく。君のせいであけたくなっちゃったじゃない。貰う前から言ってたのは確かだけど、冗談交じりだったのがその気になっちゃったってこと。
 そういえば、君、あけて無いよね。似合いそうなのに。一緒にあけに行く?そうしたら帰りにかわいいピアス見に行こうよ。お揃いでさ。

 今日もあなたは上機嫌にこちらを見上げて、私の耳を好き勝手に弄びながら、笑えない冗談を言う。私は動揺を悟られないように片頬をゆがめるだけの笑みを浮かべる。あなたは私の顔なんて見ていないけれど。
 私の耳に触れた手は熱くて、まだ一杯目の半分ほどしか飲んでいないあなたの全身を、すでにアルコールは巡っている。さらりとあなたに撫で上げられた左耳は、あなたの熱さに溶けてしまいそう。
 座高はあまり変わらないはずなのに、いつもこちらを見るあなたが上目遣いになるのは、酔い始めたあなたがこちらに体を持たせかけるせいで、そのうちに自分の頭を支えるのも億劫になったあなたは髪型が崩れるのも構わずこちらに頭をたおす。あなたの出会った時から変わらないシャンプーの匂いが鼻腔をくすぐり、そこから30分もすれば眠そうに目をこすり始める。
 楽しそうにグラスを傾けるその横顔は、ピアスをあけていないのは、あけていないあなたと同じが良くて、あけるのならあなたとお揃いが良かったからだ、と言ったらどんな表情を浮かべるのだろうか。引きつるのか、歪むのか、それとも笑ってくれる?喜んでくれる?
 もちろん言えず、誤魔化すように、あなたの問いかけには答えずに、烏龍茶を流し込んだ。伝えられない気持ちは今日も烏龍茶で喉を滑り落ち、胸の奥に溜まっていく。それはとうに満杯で、凝り固まって私を苦しめるけれど、それすらもあなたを想う感情の一つだと思えば愛おしい。
 あなたと会えない日々は、この苦しさを楽しみ、あなたと会えた時は、たまの甘さを大切に味わうのだ。
 代金なんて後で払ってくれればいい、といつも言うのに、今日も強情に自分の分を、時間をかけて払ったあなたは、店を出るとすぐに小さく丸くしゃがみ込む。
 声をかけると、君といるのが楽しいからまだ帰りたくない、と言うから、なだめて何とか帰らせようとするけれど、押し問答をしているうちにあなたの目にはこれ以上ないぐらいに透明な涙が光る。
 あなたのどこにそんなにも強情な気性が眠っていたのか、と不思議になるくらいに、あなたは帰るのを拒む。私の服の端を掴んで、時には私が差し伸べた手の小指だけを握って、帰りたくない、と全身で訴える。確かにそれは簡単に振りほどける強さなのだけれど、振りほどこうと思ったことは無かった。
 その次に言う言葉はいつも決まっていて、今日だってほら、頭を撫でていた手をとってあなたは、じゃあ、一緒に家行こう?と有無を言わさぬ声で言った。返事をしないうちにあなたは立ち上がって、今まで泣きそうになっていたのが嘘のようにしっかりした足取りで歩き出す。
 見えない演出家が、満足げに頷く。私は今日も、与えられた役を、完璧にこなす。
 また、この手を振りきれなかった、と思いながらすっかり覚えてしまったあなたの家への道のりをあなたの熱い手に導かれて歩く。
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