第4話

文字数 2,589文字

 付き合うって、どこか行くのも良いけど、私はすぐに一緒に住みたいな、とあなたはグラスの水滴を指でなぞった。
 一緒にいるのに何か理由付けが必要な関係って、想像するだけで少し疲れてくる。日常にその人がいる状態が理想なのに、その人に会うために毎回どこかに行くプランを特別にたてなくちゃいけないのって、理想から遠ざかる努力を一生懸命しているみたいでなんだか虚しい。
 無理矢理作った理由で誘ってたら、いつか必ず、それが義務になって重くて耐えられなくなる。破滅に向かう道を自分で一生懸命歩いていっているみたいで、馬鹿らしくなるわ。
 理由もなく一緒にいるのが心地よくて、沈黙も怖くなくて、家でお互い背中合わせで座って好きなことをしていられる関係が一番いい。だって、どんな人でも一人で過ごす時間って必要でしょ?だからこそ、その一人になりたい時間に傍にいることが気にならない存在が一番相性がいいってことだと思うの。
 会いたいからその理由を探すんじゃなくて、理由なんて無くても会えるし話せる関係が、一番だわ。お互いに好きなことをしていられる、お互いの気配に安心できる関係。
 私、実はアウトドア派じゃないのかもね。きっとそんなイメージ無いと思うけど。出かけるの嫌いじゃないし、人と遊びに行くのも楽しいとは思うんだけど、なんとなく身構えちゃう自分がいるんだよね。続くと疲れるというか。直前で急に気が滅入って、最中は楽しいけど、帰ってきたときにはどっと疲れてる。
 大抵、一週間に二回ぐらいがちょうどいい。個人的な用事で人と時間を共有するのなんて、それぐらいで。家で一人で過ごす時間が無いと、私が私でいられなくなる。形を保っていられないの。
 でも、かと言って、ずっと一人で家にいるのもダメなの。全く人と会わないのなんて、大抵の時間は平気で、楽しく一人で過ごせるんだけど、ふとした瞬間に淋しい、って思っちゃうともう終わり。私は、半年ぐらいで限界が来た。寝ても覚めても意外な出来事が起こらない日々は本当につまらなくて、退屈で、何もエネルギーを使わないから、食べるのも億劫になって夜は寝れなくなった。
 そんな状態で寂しい、なんて思ったら最後、どんどん時間が経つにつれて最初に自分で感じたちょっとした淋しさに飲み込まれていって、抜け出せなくなっていって、息が出来なくなるの。寂しさに溺れる、というより、寂しさが私の身体の中の隙間という隙間に入りこんで、息を吸おうとしても入ってこなくなるの。狭く思えたワンルームが、広く思えたらそれは危険なサインだと思うわ。
 そういう時、ああここに誰か住んでいてくれればいいな、って思う。自分以外の人が生きている音、生活音が、あんなにどうしようもなく思えた寂しさを、大したことないものに変えてくれるの。
 会話をしたいとか、一緒にご飯を食べたいとかじゃなくて、ただ他人の生活の気配を感じたいだけ。話しかけて欲しいわけでもない。むしろ私なんかに影響されないで欲しい。
 そういう、誰かと住みたいな、って思う時、君にもあるでしょう?

 射貫くような真っ直ぐな目で、あなたはこちらを見上げていた。相変わらず上気した桃色の頬にたっぷりと水分を湛えた黒目が乗っかっていて、それが強い光を放ったように見えたのはほんの一瞬だった。
 再び眠そうに細められた目は、穏やかに安心しきって凪いでいる。
 あなたにとって、毎週欠かさず飲みに行く存在は日常になっているのか。飲みに行く度に自分の部屋へと誘い、そして朝を迎えるのは、日常の中の一コマなのか、それとも無理をして作り出しているイベントの一つなのか。はたまたそのどちらでもなく、淋しさが抑えられなくなった時の、一種病熱に侵された状態であなたがあなたでないことに起因する奇行なのか。
 そこまで考えて、切実に私は、奇行であって欲しい、と願った。
 外面なんて取り繕えない状態の時に、本能で私を求めていると思いたかった。
 あなたが、自分が自分で無くなりそうな恐怖に足元をすくわれそうで、それら日常に潜む真っ赤な口を開けた怪物から逃げまどいながらも、必死に手を伸ばす先は私が良い。あなたがなりふり構わず助けを求める先は、性根に染みついた気遣いより自分の気持ちに正直になれる場所は、私でなくては許せない。許せないのは決してあなたではなく、その立場に座っておきながら、その立場の尊さに私以上に気付くことは無いであろう人が憎い。
 私はもうすでに、あなたの生活の気配なんかじゃ到底満足できるはずもなく、その顔と向かい合って言葉を交わさなければ意味がないとまで思う。いつも急にかかってくる電話を私は心待ちにしていて、電話越しのあなたの声が途切れた時、沈黙の中聞こえるあなたが家を歩く足音、あなたが鼻をかむ音、咳払いする音、姿勢を変えるために体をひねったその衣擦れの音が、私の耳には蓄積されていった。私との電話を忘れていそうなほど、それらの音は鮮やかで瑞々しかった。
 電話ですらそう思えたのだから、実際ともに時間を過ごせたらどれほど良いだろうか。いっそあなたが私を壊れる位に欲しがってくれるのならば、他に何もいらないと思えるのに、あなたは私を求める仕草こそすれ、腹の底でどう思っているかは私に悟らせないから、結局直にあなた自身に触れて感じるしかないのだった。
 あなたが求めてくれたら私はどのような私にもなれるのに、私を変えるのはあなただけの特権なのに、きっとあなたはそれを理解せぬまま生涯を終えるのだろうと思う。
 伝えることのできない情動を、どうしてもあなたに言いたくなって、でも言うのを我慢して、せめて肩に寄せられたあなたの頭の温もりを余さず感じられるように、私も頭を、あなたの頭に乗せた。違うシャンプーの香りが混ざり合って、私達の香りになる。あなたの家に泊まった時にだけあなたと同じ香りになれる、そのことを特別にしたくてわざわざ別にしているシャンプーを、あなたからお揃いにしようとした時には焦ったものだ。
 すでに二人は分厚いセーターを着ていて、唯一互いの体温を感じられるのは首筋だけだった。
 あなたと幾度も来たこの居酒屋で、頼むのは二度目の焼酎を、一度目よりも勢いよくあおった。焼けるように喉を滑り落ちていく熱に、私の視界は心地よく解像度を下げていき、ふわりと世界が揺らいだ。
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