第3話

文字数 2,408文字

 用事がない電話って、私かけられないの、とあなたは自分の手の爪を電灯に透かして言った。
 なんとなく人と話したいな、っていう時があるじゃない?こちらから話したい日もあるし、人が話してるのを聞いていたいときもあると思うの。
 でも、例えば今から電話していい?って連絡しても、すぐ返事が返ってこないのが怖くて、電話を断られるのも怖くて、電話しても会話が続かなくなるのが怖くて、なにより、そうなった時に相手に面倒に思われるのが一番怖いの。電話したがったくせに何も喋らないじゃん、とか、この電話いつまで続くんだろう、とか、きっと相手は思ってる。そう感じた瞬間から、相手が気を遣って電話に応えてくれているのが、申し訳なくて、いたたまれなくて、どうしようもなくなる。
 それにね、充電無くなるから寝落ち通話は好きじゃないのに、電話を切った後に、電話する前より寂しさが増すのも嫌なの。そうなるくらいだったら、電話する前の寂しさを抱えたまま枕を濡らした方がずっとまし。そんな夜ぐらい、あってもいいじゃない。
 でも、寂しさに慣れきっちゃうのは嫌だっていう気持ちもあるの。そうなったら、私はもう一生他人を自分の心に入れることが出来なくなりそう。誰も必要じゃなくなるってことは、誰からも必要とされなくなるってことで、それこそ寂し過ぎるわ。
 今の私はそんな人生、耐えれそうにない。誰かを必要として、必要とされる関係に、いまだに憧れているの。そうして生きていきたい。
 それに電話だと顔見えないから結構素が出て色々喋っちゃって、次会った時になんとなく恥ずかしい。直接会って話すのがやっぱり一番いい。何十通のメッセージのやりとりより、5分会って話す時間が比べ物にならないぐらい大切。
 そうそう、君ぐらいかな、私が気軽に通話しよう!って連絡できるの。今の話聞いているときずっと不思議そうな顔していたもんね?自分には普通にかけてくるじゃん、とか思っていたんでしょ。誰にでもやっているわけじゃないんだな、実は。君だからだよ。
 だって君は、暇ならすぐに連絡返してくれるじゃない。それで私の話ずっと聞いていてくれるし、途切れたら逆に何か話してくれるの。第一、君との通話で沈黙の時間があっても、全く気にならない。それが居心地良いぐらいだもの。
 そうだな、あとは、君の予定を大体把握しているからってのもあるかも。怖いとか言わないで!ちゃんと色々、例えば、空いている時間をいつも私との通話に使わせちゃうのは申し訳ないな、とか、この時間はまだ寝ているだろうな、とか考えているから。安心して。気遣いは忘れないよ、親しき中にも礼儀あり、が私の座右の銘だからね。
 ずっとべったり連絡とり合ったり、返信を催促されたりするのは苦手なのに、自分から送ったものにはすぐに返して欲しいの。私の人生に入ってきてほしくないような態度とっているくせに、その壁を壊して関わりに来てくれる人を求めてるの。
 ほんと、自分勝手でしょう?

 あなたは今日もこちらに体をぺたりとくっつけて、自分の華奢な手をひらひら遊ばせながら話した。しみじみと昔を思い出しているような横顔に、何も言えなくて、私ならこんな顔は絶対にさせないのに、とあなたに寂しさを教えた過去の男に苛立ちが募る。
 蝶が戯れるように軽やかに、あなたの手は意味もなく舞う。控えめに染められた指先は、オレンジの照明を照り返して、艶やかに輝く。あなたが好きそうな自爪によく似た桃色に、繊細なラメが、あなたの華奢で形の良い指をより魅力的に飾る。
 時折私の腕に、耳に、首筋に、触れるあなたの指の全てを、私の身体は記憶した。慈しむような触れ方も、子犬を撫でるような無遠慮な触れ方も、あなたのものなら全て分かる。
 すぐに返す連絡なんて、あなたからのものだけだ、と言ったら喜んでくれるかな。こっちだって誰にでもやっているわけじゃ無いんだよ、って言ってあげたら、この寂しそうな顔はこちらを向いてくれるのだろうか。この触れたら壊れそうな指が、私の腕に痛いほどに食い込む日が来るのだろうか。
 お互いの腕の間にある薄布がもどかしい。寒がりなあなたは毎年すぐに半袖をしまってしまうから、素肌が触れ合う季節はすぐに終わってしまって、その喪失感には何年たっても慣れない。肌と肌の間、一枚がもどかしくて、かすかに湿っている。私が湿らせた、あなたにそうさせられた。
 あなたが傾けたグラスからぽたりと落ちた水滴は、あなたの着ているシャツワンピースに丸くしみ込んで、そこだけ少し色が濃くなった。私があなたを見つけた時みたい、と思った。
 それももうすぐ乾いて消える。
 真夏の盛りよりは少し湿度の下がった空気の中、時折吹く風にワンピースの裾をはためかせ、あなたは自分の家へと歩いていく。左手はこちらの右手をつかんで、もう片手には自分のカバンをひっかけて、ゆらゆら進む。
 夜風に吹かれながらの散歩が心地よい季節だった。私が季節を感じるのは、あなたの服装とあなたの家に連れられる夜道からでしかなくて、私の季節を巡らせているのはあなただった。
 振りほどこうと思えば簡単にできる力でつかまれた右手は、触れたところからお互いの熱が混ざりあってじんわりと血が巡る。求めていたあなたそのものが確かに触れている、という実感を、私は大切に抱きしめた。
 あなたの家に着くとエントランスが眩しくて、まるで魔法が解けたように現実世界を思い起こさせる。昼間と紛うような明るさに、いつも私は居心地の悪さを感じるけれど、あなたは何も言わずにそのまま手を引いて、部屋まで進んで鍵を開け、先に靴を脱いだ。
 数えきれないほど来ている部屋だけど、習慣から、お邪魔します、と口先だけで呟くと、あなたはいつものようにこちらに向き直って、おかえり、とほほ笑んだ。
 見慣れた部屋を背景に満面の笑みのあなた、世界で一番安心できる場所。
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