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文字数 6,793文字

 「今日、放課後、俺も参加してええか?」
 翌朝のホームルームのこと。にたにたとこの上もなく気色の悪い笑みを浮かべて、そんなことを言い出したのは、誰あろう我が文芸部の顧問、嵯峨先生だった。
「もしかして、・・・解いたの?」
 あたしより先に、目をまん丸にしているのはかずちゃんである。
「へっへっ。お先にすんまへんな」
 大人げない!可愛くない!
「先生っ、そんな子供の問題に大人は首を突っ込まないでください!」
 あたしが言うと、嵯峨先生は口をとがらせて反論した。
「だって、俺だって文芸部の顧問やから、参加する権利はあると思うで。まあまあ、その顔からして、まだおまえらは解けてへんみたいやな」
 高笑いをする嵯峨先生を、マードックが制止する。
「わ、わかりました先生。え、っと。じゃあ、オブザーバーとして参加してもらうのはオッケーなので、その代わり、ネタバレ禁止ってことで」
「いいとも。心優しい顧問は、おまえらが正解にたどりつくまで、ゆっくりと見物させてもらうわ」
「あら、先生も来られるのなら、紅茶とコーヒーと、日本茶とどれがお好みですか?ちゃんと用意しておきますね」
 由佳ったら、そこまでしてやらなくていいのよ。水でいい、水で。なんなら沸かしたての熱湯でもいいんだって。
「ちなみに、どっちを解いたんですか?真犯人のほうか、それとも送り主のほうか・・・」
 倖太郎も、かなり焦った顔をしている。そりゃそうでしょう。よりにもよって、嵯峨先生に出し抜かれたら、敗北感が強いじゃない。
「ああ、小説の中の犯人のほうだけだ。送り主はいまだ不明」
 ああ、よかった。とちょっと部員全員胸をなで下ろした。まだ謎が残ってないと、やりがいもなくなってしまう。
「早く放課後にならんかな~、っと」
 飄々と教室を出ていく嵯峨先生の後ろ姿が、ええい腹立たしい。
 おいおい、おっさん授業があるだろう、あんたの仕事は授業だってば!と突っ込みたいところだが、あたしだって放課後が待ち遠しいのだ。
「どうする?かずちゃん。嵯峨のやつホントに解いたのかな」
 あたしが訊くと、かずちゃんはしかめっ面で悔しがっている。
「きっと、本当だと思う。むかつくけど」
「みんな、何かヒントは見つかったのかしら?」
 由佳は、優雅にそう言った。ちょっとだけ他人事みたいなのが気になるが、まあそこはこの子の天真爛漫さなので。
「昨日はかなり悩んだよ。きっと、ヒントはあの五つの短歌にあると思うんだけどなあ」
 マードックがしきりに頭を掻いている。彼も焦っているらしい。
「こっちも厳しいな。理系には強いつもりだが、文学はさっぱりなんだよ。諸君」
 まあ、あんたの場合はプログラム組むとか、美少女に熱を上げるとか、そういう方にしか強くないのは周知の事実だ。もとより、期待度が低いのだよ、倖太郎君。
 とりあえず、悶々としているzine部員五名。そこへ
「ごめんなさい、数学の教科書忘れちゃって。誰か貸してくれると・・・」
と入ってきた摩耶は、どんより曇ったあたしたちの空気に驚いている。
「な、何かあったんですか?」
「・・・嵯峨先生が、解いたらしいよ。放課後、部室に来るって」
 あたしが投げやりに言うと、やっぱりこの子は目が輝きはじめた。
「すごい!嵯峨先生って、すごい方なんですね!」
 ああ、摩耶は嵯峨が教科担任じゃないから知らんのか。あの男がそんな尊敬に値するような紳士ではないことを!
「ああ、楽しみですね。放課後。あたし、すぐに伺いますから!」
「あ、ああ。そうだね。そうだよね」
 楽しみであることには間違いない。しかし、あの嵯峨先生のバカにしたような目線にさらされ続けるのかと思うと、zine部対嵯峨の戦いという原点に立ち戻ったような気持ちになるわけで。
 こりゃたぶん、嵯峨先生なりの意趣返しなんだろうなあ、とあたしは思った。


「それでは、zine部員ならびに顧問のみなさん」
 野宮本部長を中心とした捜査会議の面々は、どこかしら微妙なテンションで顔を突きあわせている。
「今日中に事件を解決させるつもりなので、そこのおやじに負けないように頑張りましょう」
 かずちゃんが嫌味な言い方をするのも無理はなく、部屋の隅っこで嵯峨先生が紅茶をすすりながら一人まったりしているのを横目に、あたしたちは昨日の続きの謎解きに挑まねばならないわけだ。
「昨日、みんな読んできたと思うので、それぞれ思ったこととか気付いたことを報告」
 野宮本部長の問いかけに、
「じゃあ、わたくしめが」
 と倖太郎が手を挙げる。
「ぶっちゃけ、犯人がわかったわけではないんだが、気付いたのは『みそひともじ殺人事件』というだけあって、やっぱりポイントは短歌なんだろう、ってことかな」
 あたしはそこで、ちょっとどきっとした。 え?み、みそなんとか?
 さんじゅういちもじ殺人事件だと、今のいままで思ってたよ。なんかそういう専門的な読み方があるわけ?
「それは同感。僕もそこは気になる」
 あたしの個人的な動揺をよそに、マードックも手を挙げた。
「題名といい、中に出てくる五つの短歌といい、そして短歌会での話といい、すべては短歌というキーワードで括られている、ってことが最大のポイントだと思う」
 みんな頷いて聞いている。あぶないあぶない。さんじゅういちもじ殺人事件だと思っていたのは、どうやら完全にあたしだけのようだからだ。
「そういえば、与謝野晶子って歌人を中学校の時に習ったわ。与謝野舞ってのも、そこから取ったのかしら」
 由佳がのほほんと言うと、かずちゃんは
「特徴的な名字だから、あたしもそれはちょっと思ったけど。他の登場人物があんまりピンとこないのよ」
と首を傾げている。
 ずずずっ、とお茶の音。嵯峨先生は聞き耳を立てながら、にやにやして国語の資料なんぞを読んでいた。
「あの、私は、先入観を捨てて物語を読んでみたんですが」
 摩耶が手を挙げて発言する。
「うーんと、どう言えばいいのかわからないけど、この小説、推理小説だとしたら変なんです」
「変、ってどういうこと?」
 あたしが尋ねると、摩耶はてくてく黒板の前に来て、
 推理小説=事件+犯人
と書いた。
「あのですね。殺人とか、事件が起こって犯人がどこかにいれば推理小説だと思うじゃないですか、ふつう」
 うんうん、と頷く。
「でも、変なの」
 摩耶は、言いながらさっきの式に書き加える。
 推理小説=事件+犯人+トリック
と。
「推理小説って、作者が作品に散りばめたいろんなヒントをもとに、事件のトリックを読者も解き明かすものじゃないですか。でも、この小説には、トリックの説明が一切ないし、ヒントもないんです。おかしいと思いません?」
 そして、黒板のトリックのところに大きくバツ印を書く。
 じっとそれを見ていたかずちゃんは、何かひらめいたように立ち上がった。
「摩耶の言うとおりだ!確かに変だよね。新聞記者の若山さんが、どうやって短冊を置きまくったのかとか、そういうところはあっさり流してるし、登場人物はみんな疑わしいけど、犯人は何かトリックを使って舞ちゃんを殺したわけじゃないし」
「つまり、この小説そのものは、あったことを時系列に添って説明しているだけ、ってことか」
 マードックも納得したようだ。ああ、ちなみに、あたしには何のこっちゃさっぱりわからないので、読者のみんなも安心していいよ。あたしはみんなの友達だからね。
 でも、この小説が「推理小説じゃない」ってことらしいことだけは、なんとなく伝わる。じゃあ、あたしたちは何を探し求めてるんだろう。
「まあ、パズルってことだな」
 嵯峨先生が、呟いた。
「これが推理小説研究会に送りつけられた物語なら、堀川の言うとおりトリックを推理させるのが目的やけど、おまえらは文芸部や。文芸部になら解けて、推理小説研究会に解けなさそうなものって何や?」
 わけわからないけど、意味深っぽいことを言ってるらしいことだけはわかる。
「文学的な、何かってことね」
 かずちゃんがその問いに答えて言った。
「ピンポン。これは文学パズルなんや」
 嵯峨先生は、そう言って窓の外を見る。さあ、あとはおまえらが考えろ、ってことだろう。
「文学・・・、ブンガクか」
 マードックが考え込み始めた。
「嵯峨先生には、一晩で解けて、僕らには解けない理由。そして、文学パズル」
 席を立ってうろうろし始める。
「短歌と与謝野晶子。・・・そうか!」
 マードックは、そう声を上げると、あたしたちを見回した。
「嵯峨先生が部室に来てることそのものが、先生からのヒントなんだ。なぜならここは」
「国語科準備室で、嵯峨先生は国語教師だから」
 かずちゃんが、マードックの意図を理解したように続ける。
「ヒントは、この部屋にあるのよ!」
 ええっ?と倖太郎やあたしたちは驚きの声を上げる。
「みんな、捜査を立て直すわ!」
 かずちゃんがまるで宝塚の男役女優のように格好良く言った。
「手分けして、そこの棚にある教科書、手当たり次第調べて!短歌の単元だけでいいの。きっと、手がかりがあるはず!」
「どの会社の教科書も漏らさず、全部拾い上げるんだ。急ごう!」
 マードックが、棚から教科書の見本という見本を山ほど机に広げ始めた。
 まだ何のことかよくわかっていない残りのあたしたちだったけれど、ページをめくるうちに、驚きの声を上げざるを得なかった。
「あ、あ、あああああ!これ!」
「あら、元ネタ、これだったのね!」
「若山さんも、こっちの教科書にありました!」
「正岡子規かっ、やられた!なんで与謝野晶子で気付かなかったんだろう」
 あたしたちは、各社の教科書から次々に小説に書かれていた五つの短歌とよく似た短歌を探し出した。
 そして、それぞれの短歌が、有名な歌人の作品で、小説の登場人物が、それぞれその作品を詠んだ歌人にちなんでいることにやっと気付いたのだ。
 与謝野晶子、斉藤茂吉、若山牧水、正岡子規、そして、島木赤彦。
 五つの短歌は、教科書に出てくるほど、有名な短歌の「パクリ」だったことも、浮かび上がってきた。
「あのなあ、それはパクリとは言わない」
 嵯峨先生は、ヒントに気付いたあたしたちを、にこにこしながら見ている。
「和歌の世界では、『本歌取り』という言葉があってな。元ネタの世界を尊重しながら、新しい意味合いの歌を作り出すという、一種の創作技法なんだ」
 さすがは国語教師。そのあたりも、真っ先に気付いたからこそ、この小説の謎解きができたのだ。
 でもでも、あたしはちょっと寂しい気持ちがする。だって、そういう難しいことを知っている先生や、賢いマードックやかずちゃんなら、この問題を面白く解けるだろうけど、あんまり学業のほうが得意でないあたしなんかには、ちっとも面白くないじゃないか。
「はい、先生」
 だからあたしは手を挙げて言ってやった。
「そりゃ、先生は国語の先生だもん。そういう難しいことも知ってるだろうから、一人でニヤニヤしてたらいいじゃん。でも、あたしみたいな怠け文芸部員には、何のこっちゃさっぱりな感じなの。恥ずかしながら、さっき倖太郎が『みそなんとか殺人事件』って言ってるの聞くまで、あたしはずっと『さんじゅういちもじ殺人事件』だと思ってたくらいで」
 そういうと、あろうことか部員の誰かがクスッと失笑しやがった。いいさいいさ、どうせあたしなんか笑われ者なんだって。ぷんぷんだっ!
 ところが、嵯峨先生は、
「いや、常盤はアホだが、賢いだけでは、この世は渡っていけへん。そういう素直で、自分の弱点も隠そうとしないところが、常盤のええところやと思うで」
と、何故か誉めてくれた。そして、
「やっぱり、流石は部長やな。謎は、全て解けた」
と軽く頭を撫でてくれたのだ。
「え?え?えーっ?」
 さらにわけがわからない。
「常盤の言うとおり、これは『さんじゅういちもじ殺人事件』やったんや。短歌とか、みそひともじに引っ張られ過ぎると、今度はこんな単純なパズルを解くこともできなくなる」
「そうか!わかった。わかったよ桜子!」
 嵯峨先生の台詞が終わらないうちに、かずちゃんが飛び上がった。
「あんたバカだけど天才!」
 そう言って珍しく感情的になって、かずちゃんはあたしに抱きついてきた。
「え?え?どういうことですか?野宮さん、犯人がわかったの?」
 摩耶の言葉に我に返ったかずちゃんは、
「失礼。取り乱したわね」
と前髪をわざとらしく払って見せた。
「では奴隷、黒板に全部の短歌を最初から順番通りに書き移して」
「はい、ご主人様」
 かずちゃんの命令で、そそくさと倖太郎が立ち上がる。
 おいおい、こんなプレイはどうなんだか。先生もビシっと指導したほうがいいよ、と言いたいところだが、みんなそれどころではなく、黒板に注目している。
「できました。ご主人様」
 脇に控える倖太郎をほったらかしにして、かずちゃんは、黒板の前に立った。
「桜子の言うとおり、これは最初から『さんじゅういちもじ殺人事件』だったの。だから、最初の短歌から、順番に三十一数えればいいのよ」
 いち、に、さんと黒板の上で追いかけていく、そして、三十一番目の文字に、かずちゃんは赤いチョークで大きく丸をつけた。
「・・・鳥、ってことね」
 由佳がゆっくりとその文字を口に出した。
「そう」
「・・・正岡子規、ですね!」
 摩耶が顔を上気させながら言う。
「子規ってのは、ホトトギスだからな。与謝野晶子、斉藤茂吉、若山牧水、正岡子規、島木赤彦の五人の中で、『鳥』に該当するのは子規ただ一人だ。つまり・・・」
 マードックが続けて、そして、かずちゃんが人差し指をぴっと立てた。
「犯人は、正岡巧。間違いないわ」

 パチ、パチ、パチと拍手をした人物がいる。拍手はどんどん大きく、強くなって、
「よくたどり着いたな、正解だ」
と嵯峨先生が満面の笑みであたしたちに言った。
 わあっ、と思わずあたしたちも歓声を挙げ、みんなで拍手喝采を送る。誰に対しての拍手かって?そりゃ、あたしたちzine部員みんなにだ!ついでに、今回だけは顧問の嵯峨先生の力も認めてあげる!
「さ、さっそく掲示板にカキコする!」
 倖太郎がスマホから、暗闇の歌遣いの指定したサイトに今の謎解きを説明した文章と、私たちzine部の署名を送った。
「・・・解答を受け付けた、追ってまた連絡する、だって」
 画面を見ながら、倖太郎が呟く。
「いちおう、小説のほうはこれで解決ね」
 後は、暗闇の歌遣いの正体を暴くだけだ。
まったくもって今日は祝杯を上げたい気分だってば。あ、もちろんノンアルね。ノンアル。 
「そうだ。明日から連休だから、マードックの言ってたzineの本屋さん、みんなで行ってみない?」
 由佳の提案に、あたしたちは一も二もなく
「賛成!」
の声を挙げた。
「先生?旅費とか出ないの?」
 あたしが肘で嵯峨先生をこづくと、
「出るかそんなもん!」
とこづき返される。
「ああ、それより送り主探しなら、面白いことがあるわ」
 嵯峨先生は急にそんなことを言い出した。
 持っていた書類から、一枚のリストを出して、あたしたちに見せる。慌ててみんなで覗き込むと、丸がいっぱいつけてある住所録だった。
「これ、暗闇の歌遣いから文芸部宛に冊子が届いた学校のリストや。丸がついていない学校は、冊子が来てないところ。不思議なことに、県内の高校でも、送られてない学校があるんや」
「不思議ですね。私、気になります!」
 摩耶が新たなる謎にトキメキはじめる。
「双が丘高校はニュータウンの学校か、北白川高校、綾桜高校・・・。なにか意味合いがあるのかな」
 マードックがまた考え込みはじめた。
「まあまあ、今日は遅いから帰って、また明日頑張りましょう」
 由佳がそうぽんぽん手を叩いたので、みんなやっと我に返る。
「ほんまや、下校時間下校時間」
 嵯峨先生も、慌てて片づけ始める。
「はあい。じゃあ、また明日ね!もう真っ暗じゃん」
 いつのまにか校舎の外も暗くなっていて、あたしたちはどれだけ謎解きに夢中になっていたかに驚いた。
 でもまあ、それだけ楽しかったってことに違いない。なんだか、いっそうzine部の絆が強まった気がしたのは、きっとあたしだけじゃないと思うんだ。
 明日も、もっとワクワクが待っているに違いない。これがzine部の醍醐味だよね、とあたしは今夜も眠れそうになかった。
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登場人物紹介

常盤桜子(ときわさくらこ)

いわずと知れたこの物語の主人公。文芸部の部長に昇格?!

野々宮一美(ののみやかずみ)

新たな僕(しもべ)を引き連れて、さらにパワーアップした文芸部の闇のエース。

秦由佳(はたゆか)

おだやかでたおやかな、文芸部の癒し担当。

堀川摩耶(ほりかわまや)

同級生なのに妹キャラなのはなぜ?文芸部のロリ担当。

西京極倖太郎(にしきょうごくこうたろう)

新たな何かに目覚めてしまった相変わらずの奇妙な男。でも憎めないお金持ち。

衣笠誠(きぬがさまこと)

新聞屋さんの息子。メディア王マードックと呼ばれている。実は1巻からいたんだけどね。

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