<1>

文字数 4,830文字

 「何卒!なにとぞお願い申し上げる!」
 物語は、少年の嘆願から始まった。

 放課後の国語科準備室。とはいえ今は我ら文芸部の部室であり、『zine部』の看板も誇らしげなzine部員のたまり場であるのだが、その入り口引き戸の前で何やら叫んでいる男子がいるのだ。
「何なに?いったい何なの?」
 ちょうど、部室の中にいたあたしは、表の声を聞いてガラガラと戸を開けた。
「こ、倖太郎!」
 あたしは、思わぬ人物の姿を見て、素っ頓狂な声を上げた。
 西京極倖太郎、西京極財閥の子息にして、コンピュータ研究部員、なおかつあたしたちのクラスメイトで、zine部員共通の敵であるその男が、あろうことか冷たい廊下に正座してこちらを見上げているのだ。
「これは、常盤桜子殿。先日は誠に、まことに申し訳なかった。平に、ひらにご容赦願いたい。それはさておき、今日は卒(それがし)、貴殿らに御願い奉り候べく、こちらへ参った次第」
「・・・はい?」
 一体全体、何なんだ。あたしには事態がさっぱり飲み込めない。つい先日、死闘を繰り広げた相手である倖太郎が、なぜここで正座をしていて、おまけにどうして時代劇口調なんだか完全に意味不明だ。
「あら、西京極君。まだ印籠に打ちのめされてるのかしら」
 室内からひょっこり顔を覗かせたのは、zine部随一のたおやかなる令嬢、秦由佳だった。
 印籠?ああ、この間の!
 あたしは何となく事情が飲み込めてきた。前回の事件の最後、かずちゃんが倖太郎に突きつけたスマホ印籠の威光が、まだ効いているらしい。
 何の話か覚えていない人は、もう一度我らzine部が大活躍した第一巻を読み返して頂きたい。きっと抱腹絶倒・波瀾万丈・勧善懲悪間違い無しだ。
 いや、それにしても、こんなアホみたいな時代劇ごっこは、もういい加減にしなさいっ!
「苦しゅうない、面を上げよ」
 そう言いながらあたしの後ろから現れたのは、かずちゃんこと野宮一美。zine部の最終兵器彼女である。
 すると、するとである!
「野宮殿!会いたかった!君に!」
 倖太郎は、あろうことか、かずちゃんに向かって、両手を広げのだ。それは、さながら求愛の羽根を広げる孔雀のようでもあり、あるいは後ろから隠し持っていたバラの花束を差し出すがごときポーズだった。
「何やってんだ、倖太郎」
 ついでに顔を出してきたのは、我がzine部の隠れキャラであるメディア王マードックこと衣笠誠である。
「あ、西京極くん」
 最後に、zine部最強の萌えキャラ堀川摩耶も忘れてはいけない。
 そんなzine部仲間全員の前で、倖太郎はロミオとジュリエットのように、下からかずちゃんのご尊顔を見上げているのだから、これは何が起きているのかさっぱりわからない。
「まあまあ、倖太郎落ち着いて。そんなとこで正座してないで中に入って話そうぜ」
 マードックが、そう言って手を差し出したので、
「かたじけない」
と倖太郎はようやく立ち上がる。
「だからあ、その武家言葉はもういいから」
 あたしはそう言いながら倖太郎の頭を小突いた。このくらいの仕返しは、許されるだろう。あたしは前回散々我慢したんだから。
 
 ずずずっ、と倖太郎はお茶をすすりながら、あたしたちと一緒に部室のテーブルについている。由佳が倖太郎に茶菓子を差し出してやり、あたしはお誕生日席に、彼を案内してやったわけだ。
 そして、一体全体この男が何を言い出すのかと、周りを取り囲むように、部員全員とマードックが、彼をのぞき込んでいる状況である。
 倖太郎はやっと大きく一息ついて、話し始めた。
「・・・。すまない。聞いてくれたまえ。実は、この間のディベート対決の後のことだ。僕は野宮さんに完全に敗北し、悔しさと恐ろしさで体全体の震えが止まらなかったのだ」
 ああ、なんかいつもの倖太郎に戻ってきたみたいで、ちょっと安心した。やっぱり西京極家の御曹司は、これくらい偉そうでちょうどいい。
 ん?ちょっと待てよ。野宮さんに敗北したのじゃなくて、あたしたちに敗北したんだろうが、あんたは。
 そう内心思ったけれど、まあいい。先が聞きたい。
「うん、それで?」
 みんなが、相づちを打つ。
「放課後も、家に帰ってからも動悸が治まらず。夜になって寝床についてからも、これがまったくおかしいんだが、元に戻らないんだ」
 まあ、そうだろうね。あんたにとっては一生に一度あるかないかくらいの挫折だっただろうからね。
「そうなんだよ。僕にとって、あの日は屈辱の、忘れ得ぬ恥辱の一日と言っていいだろう。西京極倖太郎にとって、最大の汚点という奴だ」
「はあ。それで?」
「深夜になっても、一向に動悸が治まらない。苦しい。胸が苦しくて仕方なかった。なんて言えばいいのだろう。この気持ちは。胸が、ほらわかるかい?きゅうううううっと、締め付けられるような、あの感覚」
 ・・・なんか変な展開になってきたぞ。
「僕は最初、よほどのショックで自分が変になってしまったのだと思っていた。ところがだ。浮かぶんだよ!きゅうう、と苦しくなると野宮さんの僕を睨む目が!」
「はい?」
「苦しくなると、聞こえるのだ。野宮さんの声が!」
 ・・・zine部員は、互いに顔を見合わせる。なんとなく、こいつの言っている内容が、何を示しているのか、わかってきたからだ。
「きゅう、っとなると野宮さん。眠れなくて野宮さん。動悸息切れ野宮さん。これは一体なんだ!なんだと言うのだ!そう思い始めると、止まらない。今日までずっとだよ諸君。この感情は、一体何なんだ!」
「・・・それは、きっと恋よ。倖太郎くん」
 由佳が、優しくそう言った。いや、あえて言わなくてもきっとそうだよ、倖太郎。
 ところが、倖太郎は真顔で否定する。
「いや、違う。僕にだって恋する気持ちはわかる。恥ずかしながらそこにおられる堀川さん。僕はずっと君を慕っていた。コミケの会場で、学校の片隅で、僕は君に恋していたのだよ、ああ恥ずかしい笑いたければ笑うがいい」
 摩耶は、あんまりにも直接的にそんなことを言われて、真っ赤になっている。それにしても倖太郎という男は、アホなんだか純粋なんだかよくわからない。
「だから恋というものくらいは、僕にだってわかるというのだよ。違う。似てはいるのかもしれないが、違うのだ。このきゅうう、は堀川さんに対する気持ちとは、かなり違うということを、僕は確信しているんだ!」
 今度は、拳を握りながら語りだした。つくづく面白い男だな、おまえは。
「だから確かめに来た。野宮さんに会って、この感情が何なのかを、もう一度確かめに来たのだ。さあ、野宮さん!この僕を睨んでくれたまえ!さあ、この僕を罵ってくれたまえ!」
「さっきから黙って聞いてれば、つまらんことを言う男だな。それは、まあ、一言でいえばMというやつだ」
 当のかずちゃんは、腕組みをしながらそう冷たい目で言った。
「M?」
 みんなは一斉に聞き返す。
「MったらM。マゾ。変態」
 わかったらさっさと帰れこの変態、とでも言いたげな目で、かずちゃんは倖太郎を手でおっぱらう仕草をする。
「こ、倖太郎。お、おまえそうなのか!」
 変に動揺しているマードックが可笑しいったらありゃしない。当の本人は、かずちゃんに変態呼ばわりされて、気を悪くするかと思いきや、
「・・・ああ、野宮さん。君の言う通りだ。なぜなら、今僕はドキドキしている。これだよ。この気持ちだ。これなんだよ!zine部の諸君!」
と、半ば恍惚の表情を浮かべているのだった。
 ええ?ええ!ええええええっ!
 どよめきが走った。マードックの顔はひきつり、由佳は両手で顔を覆い、摩耶はぽっかーんと口を開けている。
 あたしは何か言おうと思うのだけど、言葉が出ない。かずちゃんは、肩をすくめてやれやれ、といった表情。
 倖太郎はといえば、そんなあたしたちの心中を全く理解せずに、あろうことかこんなことを言い出した。
「ついては諸君。お願いだ。僕をzine部に入部させてくれたまえ!野宮さんと堀川さんのためなら、なんでもする。西京極倖太郎、これでも将来は億単位の金を動かす男だ。かならずや、君たちのために尽くそう!」
 ええ?ええええええっ!
 今度は、全員の口がぽっかーん、と開く番だった。想定外の発言に、どうしていいかわからない、とは正にこのことだ。
「い、いや、まあ。倖太郎この間まであたしたちと喧嘩してたわけだし」
 やっとの思いであたしが言うと、
「わかっている。それは心から謝罪する。昨日の敵は、今日の友。ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために、と言うではないか。だから、そこを曲げて、曲げてお願いしたいのだ」
と倖太郎はまた頭を下げる。
「どうする?みんな・・・」
 あたしがみんなを見回すと、
「うーん。許してあげたらいいんじゃないかしら」
と由佳はにこっと笑った。相変わらずこの子は、優しいったらありゃしない。
「条件がある」
 むすっと顔色を変えずに口を開いたのは、かずちゃんだった。
「・・・ZNBは恋愛禁止だ。お前のその下心をいっさい封印するのなら、入れてやってもいい。あたしはともかく、摩耶に変な色目使った日にゃあ、即刻追い出す、というのが条件。」
 ZNBって何?zine部の略?ああ、やっぱりかずちゃんにはついていけない!
 ああ、でもなんか流れ的に、倖太郎を入れてやらざるを得ない雰囲気を察知して、あたしも慌てた。な、何か言わなきゃだめっぽい。
「あ、あたしにだって条件があるわ!」
 はい!はいっ!と手を挙げて、あたしは言った。
「ま、マードックも入部してくれなきゃ、認めない!・・・美少女四人の中に、変態男子を入れるわけにはいかないじゃん!せめて、マードックも一緒に入って!」
 それいいねえ、と誰かがつぶやいた。そ、そうでしょ?お目付け役がいないと、倖太郎が暴走しそうじゃん。
「う、・・・それはまあ、仕方ないか」
 なんとか、マードックも首を縦に振る。そりゃそうでしょう。倖太郎だけじゃあ、危なっかしくてしょうがないじゃない。マードックだって、行きがかり上断るなんて選択肢は無いってものよ。
「摩耶は、嫌じゃない?」
 かずちゃんが訊くと、摩耶はうんと頷いて言う。
「倖太郎くん、今までもいろいろと良くしてくれたから・・・」
 いや、摩耶ちゃん、それはちょっと違うんだけどさ。倖太郎は君のことが好きなんだから。でもまあ、摩耶が彼のことを拒否しないないだけ、マシかもしれないわけで。
「わかったわよ。なーんかしっくりこないけど、倖太郎の入部を許可します。ついでに、マードックも、宜しくね」
「あ、ありがとう!この恩には絶対に金で報いるから常盤さん!」
 いやいや、別にお金で報いなくてもいいわよ。それより、zine部員として、なんていうか、しっかりやってくれたらそれでいいんだってば!
「あ、あの。なんか賑やかになってきましたね。」
 へへっと笑いながら、場を和ませようと摩耶が言う。あんた、そんなに気を遣わなくてもいいのよ!摩耶はちっとも悪くないんだから!
「そうね。一気に六人の部活だなんて、きっと楽しくなるわ」
 由佳はそれでもやっぱり穏やかに微笑んでいる。
「・・・じゃあ、とりあえずだな、新入り。お茶でもみんなに淹れてもらおうか」
 かずちゃんは、さっそく倖太郎をこき使うべく、ドS振りを発揮している。
「もちろん!喜んで!」
 ・・・全くもって残念なヤツだが、倖太郎もさっそくドMとして期待に応えるべく、そそくさと席を立った。
 ああ、一体全体新生zine部は、どうなってしまうのか!そんなこんなで風雲急を告げる、第二話のはじまりはじまり、なのであった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

常盤桜子(ときわさくらこ)

いわずと知れたこの物語の主人公。文芸部の部長に昇格?!

野々宮一美(ののみやかずみ)

新たな僕(しもべ)を引き連れて、さらにパワーアップした文芸部の闇のエース。

秦由佳(はたゆか)

おだやかでたおやかな、文芸部の癒し担当。

堀川摩耶(ほりかわまや)

同級生なのに妹キャラなのはなぜ?文芸部のロリ担当。

西京極倖太郎(にしきょうごくこうたろう)

新たな何かに目覚めてしまった相変わらずの奇妙な男。でも憎めないお金持ち。

衣笠誠(きぬがさまこと)

新聞屋さんの息子。メディア王マードックと呼ばれている。実は1巻からいたんだけどね。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み