第1話 N島食堂の話

文字数 1,383文字

 冷たい北関東の風が大学生活の扉を開けた。
わたしは、高校を中退した。最終学歴を大卒にするために、大学入学資格検定を受けて、大学受験をした。
 都内の名門私大は門前払いで、最後の切り札だった北関東の公立大学になんとか合格できたので、経済力のある父の脛を齧り、入学させてもらった。「こんな田舎に住むのは嫌だと言って、帰ってくるな。」と、父が脅すものだから、入学手続きのために初めて、大学を訪れる往きの電車ではドキドキした。電車が進むにつれ、広がるのは果てしない田園風景。初めて訪れる大学の街には、期待と緊張が入り混じり、心臓の鼓動が早まった。しかし、到着した街は予想以上に活気があり、新たな冒険への期待が膨らんでいく。大学まではバスで20分ほどだったが、バスは一時間に2、3本ほどしかない。

 大学では、学生課で大学周辺の下宿屋を紹介してくれた。わたしは出来るだけ新しい建物で、賄い付の下宿を選んだ。これが大失敗だった。世間を知らないっていうのは困ったものだ。怖い先輩とか居ない方がラクだろうと、新築物件を選んだんだけど、上級生がたくさん住んでいるってことは、居心地が良いということで、情報入手も容易だということなのに。

 で、わたしが選んだ下宿はN島食堂の裏に新築したばかりの大きな下宿屋。木造二階建てで二階に二十部屋ほどあったが、入居したのは一年生の女子三人だけ。
 食堂の二階も下宿になっていて、こちらには二年生二名、一年生二名が入居していた。

 一階に共用の風呂、洗濯機、キッチン、トイレ。洗濯機は今はなき二層式で、当時も全自動式が主流になりつつあったので、静岡出身の「だら」が口グセのM代ちゃんは、使い方がわからなくて、わたしが教えた。

 食事は食堂で提供される。敷地内に男子用の下宿もあって、ここに住む男子学生も食堂に食事に来る、丼に山盛りのご飯を食べていて驚いた。わたしが知っている同年代の男子は、少食だったから。

 足で踏んで作るという自家製のうどんは美味しかったが、真っ黒なツユはとてもしょっぱくて、唇の周りが赤くなった。
 食堂は、女将さんが一人で切り盛りしていて、ご主人は、庭で水を撒く姿しか見たことない。「XXは、俺に頭が上がらない。」というのが口癖で、いろんな人の名前が出てきたが、わたしが知ってた人は居なかった。

 ここの家にはお子さんが五人いて、一番上と、下が男で、真ん中の三人が女。デパガの次女さんにはよーく叱られたなぁ。長男さんは、高校の先生で、私たち学生は何かと説教された気がする。女将さんにはとても良くしていただいた。

 ここは二十二時が門限で、門限すぎるなら帰ってくるなという過酷な下宿だったので、自分の部屋なのに帰れない日が多くて、長くは住めず、秋には引っ越した。引っ越しには不動産屋さんが二トントラックを貸してくれたので、部活仲間に手伝って貰ってちゃっと済ませることが出来た。

 ここの下宿で一番印象に残っているのは、庭の敷石の隙間から、顔を出した筍。そして、その筍は、何日か後に、筍ご飯になって食卓に登場した。実に思い出深い。


 もともと、大学は女子学生が少なかったし、学生の人気は、下宿からアパートに変わっていて、わたしが卒業する頃には、新入生は殆どがアパートに入居するようになったので、N島下宿の新しい女子棟が満室になる日は、来なかったと思う。

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