第9話 ジャズ研の同期

文字数 2,440文字

 わたしは、大学入学前から軽音楽部に入部すると決めていて、入学後は程なくして、軽音楽部の部室の戸を叩いたわけだが、大学には、文化部のプレハブ部室があり、軽音楽部は、向かい合わせの小さめの部室を2つもらっていた。この部室をスタジオにして、バンド演奏の練習をするのだが、プレハブなので、音は漏れ放題だった。軽音楽部の隣の部室はモダンジャズ研究会(略称ジャズ研)で、アップライトのピアノが置いてあった。
 軽音楽部とジャズ研を兼部する人が多かったため、自由に部室を行き来することができた。わたしは、ジャズ研部員が使っていないときは、アップライトピアノを借りて弾いたりしていた。
 軽音楽部は、新入部員が大勢いて、すぐにいくつかのバンドができた。わたしは、上級生のバンドに誘ってもらって、そのころ、流行してた米国のポップな曲をコピーしたりしていた。
 1年生の終わりに、卒業を控えた先輩に誘われて、ジャズ研の定期演奏会に出演したことがきっかけで、2年生からジャズ研に参加した私は、同期の濃い3人との交友を始めることになった。

 同期の仲間を語るとき、真っ先に思い浮かぶのは、ドラムスのM脇。彼は、うどん県出身で、1学年上に、同じ高校出身でやはりドラムスのB東さんが居た。M脇は、気は優しくて、口八丁、手八丁。いつも汗を拭きながら、忙しくしていた。軽音楽部、ジャズ研のメンバーは、深夜営業の餃子の店で、深夜のバイトをしている人が多かった。M脇もここでバイトをしていたが、彼は、このバイト先でその才能を如何なく発揮した。ついでに、調理師免許まで取得してしまった。人に美味しい料理を振る舞うのが大好きで、部屋に遊びに行くと、新作の料理を勧めてくれた。ジャズ研の演奏会などのポスターは、広告を掲載するスポンサーに広告料をいただいて、その金で印刷していたのだが、彼は、スポンサー探しにも持前の社交性を如何なく発揮し、広告料にとどまらない支援を取り付けてきた。例えば、スナック「スクール」のマスターは、広告料だけではなく、演奏会後の打ち上げもお店を開放して、支援してくれたりした。
 もちろん、お店ではマスターの隣に座って、ピアノを弾くことが求められたが。
 若きピアニストが大好きなこのマスターに惚れこまれていたのは、同期のピアニストで北海道出身のT木。毎回、「マッチ、パパのために、ミスティ弾いて」とねだられていた。マスターはなぜか、彼のことを「マッチ」と呼んでいたが、近藤真彦氏には、少しも似ていなかった。T木は、坂本龍一に傾倒していたが、本人が弾くピアノはキレイキレイなフレーズで、かなり気障だった。音楽には殆ど興味を示さない私の母が、卒業前の定期演奏会だけは聞きに来てくれて、T木のことは『ピアノの上手な男前』と認識していたほど、ピアノは素敵だった。男前とは思ったことはないが、スキーが上手で、普段の物腰は柔らかだったが、酒の席では饒舌だった。勉強熱心でコツコツと勉強して、良い成績をとり、天下の電電公社に入社した。
 T木と初めて会ったのは、彼が交通事故で入院していた病院だった。私をかわいがってくれていた4年生のS藤さん(軽音楽部の元幹事長で、ジャズ研部員と兼務)が、ジャズ研の1年生が入院しているから一緒にお見舞いに行こうと連れて行かれた。
 まだ入学間もない頃で、ただただ不運な彼に同情するばかりだった。(軽音楽部の先輩の車で移動中に後ろから追突されてむち打ちになったとのことだった。)
 初対面で、病院だということもあり、二人とも控えめに、ていねいな口調で言葉を交わしただけだったが、第一印象は、お互いに、「物静かで控え目」だったものだから、後々、笑い話にしかならなかった。
 同期で一緒に過ごした時間が長かったのは、ベーシストのKポン。わたしのバイト先であるレンタルビデオ店にバイトとして後から入ってきたKポンは、新潟出身で、小柄でオシャレだった。バイト先の仙ちゃんは、音楽オタクなだけではなく、歌も歌う人だった。仙ちゃんをボーカルにして、地元のドラマー(ドラムスクールの先生)と、ギタリスト(音楽プロデューサー)と、しばらくセッションをしてた。「恋はボサノバ」というオリジナル曲をやっていたけど、さびしか覚えていない。Kポンは車を持っていなかったので、3年生になって免許を取り、車を買った私が、いつもKポンを乗せて渋川のスタジオまで行った。ある時、帰り道で車のタイヤがパンクして、二人でスペアタイヤに交換したが、坂道でジャッキアップすることになって、なかなかに大変だった。ジャズ研の活動では、M脇の発案で、3人で演奏したりしたけど、ギターがいないのに渡辺香津美のユニコーンを演奏したのは謎だ。
 Kポンは私に告白したが、私には他に好きな人がいたので、お断りした。「またふられちゃったぁ」と自嘲気味に言っていたが、他に誰に振られたのかは知らない。
 4年生の夏の就職活動では、偶然、同じ会社の説明会でばったり会った。その日は、私の実家についてきて、夕飯を食べて、泊って行ったような気がする。Kポンは内定をくれたその会社に就職したが、今でも務めているのかは知らない。

 M脇は飲食チェーンに就職してしばらくは首都圏にいたが、大学時代から交際していた群馬の女性と結婚してうどん県に帰った。果敢にラーメン店をオープンしたが、やはりうどん県でラーメンは厳しかったようで、現在は、どんぶり主体の飲食店になっている。数年前に良人と小豆島に旅行した際に、会いに行った。今でも店を切り盛りしているのだから、大したものだ。
 ピアニストT木は、わたしが特別扱いしていた後輩のドラマーS木君と、卒業後も数年に1回程度の頻度で、演奏しているが、その際にはいつも声をかけてくれる。(連絡くれるのは、S木君だけど。)なので、T木とは卒業後に何度か会っていて、一緒に演奏したこともあった。相変わらず、酒が入ると饒舌で、ピアノは気障だ。

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