第24話 番外編①日ノ本の若者たち

文字数 6,182文字

 季節外れの嵐によって航路を外れたオランダの貿易船が長州の周防大島(すおうおおしま)に漂着したことが、当時数えで一五になっていた村上彰吾守孝(むらかみしょうごもりたか)にとっての人生の転機であった。


 長く続いた日ノ本における群雄割拠の戦国時代は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三傑によって終わりを告げ、徳川家康が江戸に開いた幕府により天下太平の世が実現した。しかし、江戸幕府が開かれた当初、多くの者は太平の世が長く続くとは信じていなかった。とりわけ、三傑と敵対して外様となった大名家は再び戦乱の時代になることを望んでさえいた。

 中国地方を治めていた毛利家は再び戦乱の時代に逆戻りした場合に備えて三傑との戦いで敗れた勢力の残党を密かに匿い、来るべき日に備えさせていた。石山合戦において本願寺勢に付いた村上水軍や雑賀(さいか)衆、天正伊賀の乱で滅ぼされた伊賀忍びの一党などである。彼らは長州藩となった毛利家の庇護の元、周防大島の隠れ里にて代々(いくさ)(すべ)を継承していた。

 しかし、江戸幕府の権勢は衰えず、むしろ中興の祖となった五代目将軍綱吉(つなよし)がそれまでの戦国期からの延長線上にあった普代の大名家重視の政策を改め、中央集権と能力主義の登用を進めた結果、それまで冷遇されていた外様大名家の反骨心が萎み、外様大名家も含めて再び戦乱の時代に逆戻りすることを誰も望まなくなった。

 そして時代は名君と名高い八代目将軍吉宗(よしむね)の治世となり、かつての戦国時代は昔話として語られるだけのものとなっていた。
 周防大島を拠点とする周防衆──かつての落人(おちうど)の子孫たちも時代の流れによってその生き様を変えており、ある者は農民に、ある者は漁民に、ある者は商人になり、主だった家の直系だけが(いくさ)(すべ)を密かに継承するだけとなっていた。
 オランダの貿易船が周防大島に漂着したのはそんな時だった。
 幕府の鎖国政策によって外国との貿易は長崎の出島に限られ、また情報も統制されていたので、周防衆たちにとって外国船もそれに乗る赤毛人も見るのは初めてであった。

 嵐によって破損した船の修理の間オランダ船は周防大島の港に留まり、地元の住民たちと交流を持った。そして、周防衆の主だった家の者たち──村上家、土橋家、藤林家は日ノ本が欧州の列強国に比べて技術面で大きく遅れており、自分達が継承してきた戦の術がもはや役には立たぬであろうことを思い知った。
 そのオランダ船は10門の大砲を積んだキャラック船であり、当時の日ノ本で運用されている菱垣廻船(ひがきかいせん)樽廻船(たるかいせん)に比べれば遥かに大きく立派な船であるにも関わらず、それでも彼らの国にとっては100年以上昔の技術で造られた時代遅れの船であり、最新の戦列艦に至っては100門の大砲を積み、1000人もの人間が乗り組む代物もあると聞かされ、世界の現実を正しく理解する必要があることを否応なしに思い知らされたのだ。

 それゆえ主だった家で金を出し合い、戦の術を継承している若者たちをオランダ船に乗り組ませて西洋の航海術を学ばせ、世界を見てこさせる為に送り出すことに決めた。

 そして選ばれたのが、能島(のしま)村上家の直系である村上彰吾守孝(むらかみしょうごもりたか)雑賀衆(さいかしゅう)土橋(つちばし)家の直系である土橋権之助忠正(つちばしごんのすけただまさ)、伊賀忍び藤林(ふじばやし)家直系のくノ一である(さざなみ)であった。
 この3人は同い年の幼馴染みであり、同世代の若者たちの中でも頭ひとつ抜け出た才能があり、各家の後継者筆頭と目されている者たちだった。
 生きては戻れぬかもしれぬ危険な航海に最も優秀な若者たちを送り出すと決めた辺り、周防衆の本気具合が伺え、また選ばれた3人もやる気に溢れていた。
 周防衆がオランダ船の船長であるアボットに求めたことは、3人を欧州まで連れていき、次に日ノ本に来る時に連れ帰ってくれることとその間の衣食住の面倒を見てくれること、そして航海術を授けてもらうことだけであり、それさえしてくれれば水夫としてこき使ってもらって構わず、給料なども払う必要はない、というものだった。それに加えて十分な報酬も呈示されたことで、アボット船長は快く3人を受け入れたのだった。

 オランダ船に乗り組んだ3人の若者たちは持ち前の優秀さを発揮して船での仕事をすぐに覚え、また日ノ本人らしい勤勉で実直な性格も船長を含めた古参の乗組員から好まれてすぐに信頼を勝ち得た。 

 3人のうち、村上水軍の末裔である彰吾はとりわけ船乗りとしての才覚を発揮してアボット船長に気に入られて航海士としての特別な訓練を受けるようになり、鉄砲傭兵であった雑賀衆の末裔である権之助は狙撃主として培った優れた視力を活かしてマストの見張り員として活躍するようになり、伊賀忍者の末裔である漣は軽業師のような身軽さでマストの上を走り回れるので帆手として重宝されるようになった。
 また船には3人の1つ年下であるアボット船長の娘のアネッタも乗っており、年の近い4人はすぐに打ち解けていつも4人で行動するようになった。妻を亡くしたためにやむなく娘を乗船させていたアボット船長にとって娘に同年代の友人ができたことは喜ばしいことであり、また戦闘力の高い3人が護衛に付いてくれることで安心もできたので、4人が一緒にいることを好ましく見守っていた。


 それからおよそ2年をかけて、貿易船はインド、アラビア、アフリカの沿岸沿いの港町を経由しながらついに欧州に到達し、母港であるオランダのアムステルダムに帰港した。そこで船は修理のためにドック入りし、乗組員は一旦解散となったが、周防衆の3人はそのままアボット船長の家に迎えられてそのまま数ヵ月をそこで過ごし、欧州の進んだ文化に対する知見を広げることができた。


 数ヵ月の休息の後、再び乗組員たちが召集され、日ノ本を最終目的地とする貿易航海に出港することになった。
 アムステルダムから北海に出てベルギー沖を西に進み、ブリテン島とフランスの間にあるドーバー海峡を通過して大西洋に出てイベリア半島を左手に見ながら進み、ポルトガルのリスボンにしばらく滞在する。
 その後、ジブラルタル沖を通過してモロッコ沖に進み、ポルトガル領マディラ諸島にて特産のマディラワインを大量に仕入れてからアフリカ沿岸沿いを南下して、アムステルダム出港からおよそ2ヶ月かけてアフリカ大陸最西端であるヴェルデ岬に到達した。



──カンカーン……カンカーン……カンカーン……カンカーン……

 20時の8点鐘が鳴り響き、晩の食事を終えた彰吾(ショーゴ)は当直のために甲板に出た。満月の月明かりが海に反射してキラキラと輝き、青い光が動くのに支障がない程度の明るさで周囲を照らしている。
 一族伝来の護り刀である小太刀『一文字助真(いちもんじすけざね)』を背負い、腰に十手を差したショーゴは馴れた様子でメインマストの縄梯子(シュラウド)をスルスルと登り、主横帆(メインコース)の上にある見張り台に登り、そこに立つ先客に声をかけた。

「ゴン、交代するぞ」

「おう。次の当直はショーゴじゃったか」

 雑賀衆に伝わる火縄銃を背負い、口に咥えた西洋式のパイプで煙草をふかしていたゴンこと権之助が見張り台の中から振り返る。

「ゴンはその南蛮煙管(パイプ)をずいぶん気に入っておるな」

「ほうじゃの。『ぶらいやぁ』と言うんじゃったか、この艶のある木の質感が堪らんのぅ。それに煙管(キセル)と違ぅてゆっくり長く燃えてくれるのもええのぅ。いざとなればすぐに火縄に火を移せるからの」

 機嫌よく笑いながら権之助が火縄に火の着いていない火縄銃を軽く叩いてみせる。

「なんともゴンらしい理由であるな」

 彰吾は見張り台に立ってまずは全周を見回した。現在船はヴェルデ岬の沖合いに錨を降ろし、帆を畳んで停泊しているが、こういう時にこそ海賊に狙われやすい。今まで権之助が見張っていたので大丈夫とは思いつつも自分の目で確かめて、闇に紛れて近づいてくる不審な船がないことを確認する。
 当直を交代しても下に降りる様子のない権之助が暢気に話しかけてくる。

「のぅショーゴよ、知っとるか?」

「何を?」

 権之助が西側に果てしなく広がる大西洋の水平線を指差す。

「この『べるで岬』からずっと西に進んだら新大陸っちゅう、『あふりか』と同じぐらいのでっかい土地があるっちゅう話じゃぞ。煙草も元々はその新大陸から持ち込まれたものをポルトガル人が鉄砲と共に日ノ本に伝えたそうじゃ」

「そうらしいな。その新大陸を越えた先にも広大な海が広がっておって、その先に俺たちの故郷の日ノ本があるとも聞いたぞ」

「ははっ。いやはや、世界っちゅうのは広いのぅ。周防大島におった頃は世界がこんなに広いとは思わなんだ」

「であるな。周防大島だけで過ごしていたら知りようもなかったことだ。俺たちに世界を見させてくれた周防の長老たちと船長にはどれだけ感謝してもしきれんな」

「まったくじゃ。じゃが、ここまで来たら(くだん)の新大陸も見たいもんじゃがのぅ」

「その気持ちは分かるがな。ただ、寄り道と言うには新大陸はさすがに遠すぎるぞ」

「なぁに、言うてみただけじゃ。……ときにショーゴよ、まだ先の話にゃなるがのぅ、お主はこの航海が終わったらどうするつもりじゃ?」

「どうする、とはどういう意味だ?」

「アネッタ嬢のことじゃ。あやつはお主を慕っておるし、お主もそうじゃろう? それにお主は船長から航海士としてこのまま船に残ってほしいと誘われとるじゃろう? どうするつもりじゃ?」

「む……それはだな……」

「あ、その話やったらうちも混ぜてほしいわー」

「うおっ!?」「おま、いつからおったんじゃ!?」

 突然頭上から降ってきた声に彰吾と権之助が不意を突かれて飛び上がると、2人の立つ見張り台の上にある上横帆(トップセール)の帆桁に座っていた(さざなみ)がクルンと逆さまになってぶら下がり、そのままスルリと見張り台の中に頭から落ちてくる、と見せかけて空中で半回転して足から音もなく降り立った。

「いひひ♪ うちは最初からおったでぇ」

「いや待て。ナミ、お前さっきの8点鐘まで俺と晩飯食ってたろうが。いつ俺を追い越した?」

「なんじゃと? ならわしはいつの間に頭上を取られたんじゃ?」

「あんたらの注意が散漫なんやわ。うちはショーゴとは反対側のシュラウドから登ってきて、ゴンがショーゴに気を取られた隙に上横帆に上がっただけやで」

「げに恐ろしい奴じゃのぅ」「……然り」

「それより、さっきの話の続き。ショーゴはどうしたいんよ? アネッタ(アニー)もショーゴの本心を知りたがっとるに」

「……う、うむ。そうだな、正直なところ、どうしたもんかと今も頭を悩ませておる」

「なんなん? うちの可愛いア二ーになんか不満でもあるん?」

「お前のじゃなかろう。……アニーに不満などないし、俺とてアニーと夫婦(めおと)になれたらよいとは思っておる。だが、俺を送り出してくれた周防の長老たちに不義理を働くわけにはいかん。俺たちは一族の代表としてここにおるのだ。そして俺が身に付けた西洋の知識と航海術は一族にとって計り知れない価値を持つものだ。これを伝えないわけにはいくまい」

「ならアニーを嫁として周防に連れていったら?」

「それは船長が許さんだろう。そも、船長とアニーが俺に望んでいることは俺が婿入りすることであって、アニーを周防衆の村上家に嫁入りさせることではないからな。それに鎖国中の日ノ本は赤毛人のアニーにはさぞかし暮らしにくかろう」

「それはそうじゃろうな。それに外国船は本来、長崎の出島以外には入港しちゃいかんからのぅ。アネッタ嬢を嫁として周防大島に連れていくなら、わしら3人とアネッタ嬢の4人だけで壇之浦あたりでボートに移って船を離れて周防大島を目指すことになろう。船長とは今生の別れになるじゃろうな」

「ならショーゴはアニーのことを諦めるってことなん?」

「そう簡単に割りきれんから悩んでおるのだ」

「……うーん、確かにこれは扱いが難しい話やね。うちとゴンだけが戻ってショーゴが戻らんかったら村上家は面目丸潰れやし」

「あっちを立てればこっちが立たずか。難しいのぅ。うちの船長がいっそのこと、わしらを日ノ本に帰す気がないんじゃったら悩む必要もないんじゃが、キリシタンはイエス様に懸けて誓った誓約は必ず守るからのぅ」

「……まあまだ先は長いんやし、いずれいい方法を思いつくかもしれんやん? もうしばらく考えたら?」

「そうじゃな。マカオ……いや琉球ぐらいまでに結論を出せばええんじゃなかろうか?」

 考えてもよい方法が思い付かなかった2人が問題を先送りにする。

「お主ら他人事だからと気楽だな……む、ゴン、あそこを見てくれ」

 喋りながらも見張りだけはきちんとしていた彰吾が陸地の陰になっている辺りに違和感を感じてより視力のいい権之助に見てもらう。

「どれ……ほう、よく見つけたのぅ。あれは船じゃな。そろそろと近づいて来おるわ」

「俺は海賊だと思うがどうだ?」

「わしも異論はないのぅ」「そうやね。明かりを消して忍び寄ってくる真っ当な理由なんてないやろ」

──カン! カン! カン! カン! カン!

 彰吾が見張り台に備え付けられている警鐘を叩き、甲板に向かって声を張り上げる。

「怪しい船! 風上! 2マイル!」






【作者コメント】
1話で終わらせるつもりが……もうちょっとだけ続くんぢゃな。

江戸幕府五代目将軍の綱吉公は、水戸黄門や忠臣蔵では悪役として扱われるのと、悪法と名高い生類憐れみの令のせいで評価を下げられていますが、最近の研究ではかなりの名君であったと再評価されています。

綱吉公は、武力こそがすべてであった戦国時代の価値観を文化と繁栄重視に舵を切り、歴代将軍で最も尊皇思想の持ち主だったので天皇家を尊重し、公家との関係改善に尽力しました。

一方で、江戸時代初期に徳川家を支えた功で厚遇されたものの、世代が替わり、甘やかされて育ってプライドばかりが高くなり、実務能力が低くなった普代の大名家については容赦なく更迭し、能力があれば外様や下級武士でも積極的に登用する実力主義の改革の結果、普代の大名家からの恨みをかなり買いました。まあそういうところが後代の悪評に繋がったのでしょう。しかし、この改革のおかげで日本が革命前のフランスのような腐敗した貴族政治国家にならずに済んだことを考えるとその果たした役割は大きいです。

生類憐れみの令は、動物愛護というより、武士たちの演習という側面のあった動物を標的としたスポーツハンティングを止めさせることで武力至上主義の考え方を改めさせる意識改革の目的が大きかったのではと考察します。

綱吉公の治世である永録期は経済も安定し、日本独自の様々な大衆文化が花開いた時代でもありましたが、それこそが日本のヲタク文化の原点とも言えるかもしれません。ちなみに松尾芭蕉、近松門左衛門、井原西鶴あたりはこの時代の人物です。

綱吉公の晩年には地震や大火事や火山の噴火などの不幸な出来事が重なり、それを悪政への天罰だとする当時の風潮もあって暗君として伝えられてきましたが、名君と名高い八代目吉宗公は綱吉公をとても尊敬しており、自身の行った様々な改革の中にもかつての綱吉公が行った政策を積極的に取り込んだりしていることからも、実際の綱吉公はかなり優秀な人物だったんだろうと推察できます。

優秀すぎて時代を先取りしすぎて周りの理解が得られなかったある意味不器用な天才肌の人というイメージです。ちなみに作者にとって綱吉公は歴代将軍で最推しです。

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登場人物紹介

◻️名前:サミエラ・ゴールディ

◻️年齢/性別:17歳/女

◻️所属国/本拠地:イギリス/サンファン

◻️所属組織/立場:ゴールディ商会/商会長

◻️略歴:遭難死した前商会長である父親から商会を引き継ぐ。引き継ぎと同時に後見人であるロッコに協力してもらって債務整理をし、商会の規模を縮小してロッコと二人で干し果物屋として再スタートする。


◻️名前:ロッコ・アレムケル

◻️年齢/性別:45歳/男

◻️所属国/本拠地:イギリス/サンファン

◻️所属組織/立場:ゴールディ商会/副商会長

◻️略歴:元はイギリス海軍の准士官である2等航海士として重フリゲート艦【H.M.S.スワロー】に乗り組んでいた。サンファンに娼婦として売られてきたマリーに惚れ込み、彼女を身請けするために海軍を辞してサンファンを拠点に活動するゴールディ商会に転職し、商会長のジョンに信頼されて番頭となる。ジョンがロッコのためにマリーの身請け金を立て替え、マリーをメイドとして雇用してくれたことでジョンに深い恩義を感じていた。妻のマリー共々ジョンの娘のサミエラのことは実の娘のように可愛がっており、海賊との戦闘で片腕を失って船乗りを引退し、一度ゴールディ商会を辞めていた時期はサミエラの後見人としてジョンに指名されていた。ジョンの死後、サミエラを支えてゴールディ商会の債務整理と立て直しに尽力し、現在は再び事業を拡大しつつあるゴールディ商会の副商会長として忙しくも充実した日々を送っている。

◻️名前:ジャン・バール

◻️年齢/性別:42歳/男

◻️所属国/本拠地:フランス→イギリス/サンファン

◻️所属組織/立場:海事ギルド/サンファン交易所副所長

◻️略歴:元はフランスの商船乗りだったが船が難破して海上漂流中にイギリスの貿易商人ジョン・ゴールディに救われ、そのままサンファンに居着く。サンファンの交易所で頭角を表して現在は副所長。ロッコと同じくジョンからサミエラのことを頼まれており、ゴールディ商会名義で銀行に預けてある資産の管理をしていた。

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