第21話 サミエラは孤児たちを教える①
文字数 3,704文字
教会の敷地には一般の信徒が説教を聴き、祈りを捧げるための礼拝堂の他、かつて神学生たちの学びの場であった講堂もある。今ではほとんど使われていないが、サミエラは子供たちを教えるのに講堂を使っている。
音響効果を考えてすり鉢状に長机が配置され、一番低くなった場所に講演台と黒板があり、そこで発せられる声はあまり大きくなくてもよく響く構造になっている。
満員で200人ほど入れるホールだが、子供たちは全部で20人ぐらいなので、全員が前の方に陣取り、筆記具を準備してサミエラの授業の開始を待っている。
「よしっ! みんな揃ったね! さっそく授業を始めたいところだけど、今日はこの授業を見学したいって人がいるからその人が来るまでちょっと待とうね。……これから、こんな風にあんたたちの授業を見学に来る大人が時々来るかもしれない。その中にはいずれあんたたちのうちの誰かを雇ってくれる旦那様もいるかもね。だから大きい声で、ハキハキと、礼儀正しく挨拶するように! 分かった?」
「「「はいっ! 先生!」」」
普段はサミエラを姉ちゃん呼ばわりの子供たちだが授業の時にはちゃんと先生と呼ぶ。
「みんないい子だね。分かってると思うけど、孤児院にいられるのは15歳までだ。15歳になったら外に出て働かなきゃいけない。この中ではマーク、ルーカス、マルコス、ファンナの4人が14歳だから来年には卒院だ。どんな仕事につきたいか希望はあるかい? マーク?」
サミエラに指名されたマーク──亜麻色の髪の大人しそうな少年が立ち上がる。
「はい、先生。僕は貿易商人になりたいです。将来、自分の船を持って色んな島や町に行きたいです」
「いい夢だね。アタシも一応商人だから多少は相談に乗ってあげれるかもね。……ルーカスはどうだい?」
続いて金髪の背の高い少年ルーカスが立ち上がる。
「はいっ! 俺は海軍に入るよ! いつか提督になって艦隊を率いるのが夢なんだ」
「あは! 男の子だねぇ! 応援するよ。……マルコスは?」
ルーカスに続いて背は低いがどっしりとした肉付きのいい少年が立ち上がる。
「あい。おれは、食べることが好きだで、コックになりてぇな」
「美味しいものはみんなを幸せにするからね。それもいい夢だよ。……ファンナは?」
赤い髪を三つ編みにした顔にそばかすのある少女が立ち上がる。
「あ、あの、私はそんなに夢とかないですけど、もしできればお屋敷のメイドみたいな安定したお仕事について、いつか素敵な旦那様と結婚できたらいいなって」
「安定した生活を望むのも立派な夢だよ。現実的な目標を見据えるのは大事なことさ!」
ファンナがはにかみながら腰を下ろした時、講堂のドアが開いてトーマスと案内してきたであろうリリーが入ってくる。
「みんな、お客様だよ。起立!」
子供たちが一斉に立ち上がってトーマスの方に向き直る。
「敬礼! ご機嫌麗しく、サー!」
サミエラに続き、全員が右手を胸に当てて復唱する。
「「「ご機嫌麗しくっ! サーッ!」」」
トーマスは驚いたように目を見張り、続いて微笑みながら軽く曲げた右手の甲を前に向けながら指先を帽子の鍔に触れ、軽く会釈する。
「やあ、邪魔するよ。私のことは気にせずに授業を続けていただけますかな?」
「みんな、着席! 授業を続けるよ。リリーはどうする? 残ってても構わないよ」
「私はまだお仕事がありますので~、失礼します~」
リリーが出ていき、トーマスは適当な空いた席に腰を下ろす。
「じゃ、続けるよ。来年卒院の4人の将来の夢をみんな、ちゃんと聞いたね? マークは貿易商、ルーカスは海軍提督、マルコスはコック、ファンナはお屋敷のメイドになりたいそうだ。どれもすごくいい夢だね。でも、ただなりたいって思うだけで夢が叶うほど世の中甘くはないよ。夢を現実にするには努力が必要だ。まず、マークはどうすれば貿易商になれると思う?」
「はい、まずは貿易商に弟子入りしたいと思います」
「うん。ちゃんとそこは考えてるんだね。それは正解だ。でも、貿易商だって弟子を何人も取れるわけじゃないよ。例えば、ある貿易商が弟子を1人取ろうと思ってるとするね。そこにマークともう1人が弟子入りを志願したらどちらかは弟子入りできないことになる。じゃあ、マークはどうしたら弟子入りできると思う?」
「……何度もお願いします」
「なるほどね。確かに粘り強く交渉するのも手ではあるね。諦めない態度は大事なんだけど、それより、マーク自身が役に立つ、商人にとって欲しい人材になることが大事だね。読み書きと計算が出来ることは商人にとって大事なことだけど、それだけじゃなくて、字を書くのが綺麗で速いとか、計算が速くて正確だとかはすごく大きなアピールポイントになるからマークはこれからはそういうことを積極的に努力したらいいと思うね。はっきり言っちゃうと、指を使わなきゃ計算できない奴と暗算できる奴だったらアタシなら暗算できる奴を選ぶから」
「はいっ! 頑張ります!」
具体的な道筋を示されたマークがやる気をみなぎらせる。そんなマークにうなずいてみせ、サミエラは次にルーカスに向き直る。
「ルーカスは海軍に入っていずれは提督になりたいってことだけど、そもそも海軍で出世するには一般水兵じゃなくて
「……
聞きなれない単語に首を捻るルーカス。
「そう。海軍は子供でも入れるけど、誰でもなれる水兵や
「そうなんだ。士官候補生になるにはどうすれば?」
「そうだねぇ。そもそも士官候補生は海軍士官になるために航海術とか砲術とか指揮について教え込まれるんだけどね、その時点ですでに読み書きに不自由しないこととある程度の計算能力があることは必須だね。士官候補生のほとんどは貴族の子弟や大規模な商会の子供だから、彼らと足並みを揃えられるぐらいの基礎学力は最低条件だよ」
「分かった。読み書きと計算、頑張るよ」
「うん。まずはそこを頑張ろうね。それと、海軍士官……特に海尉艦長以上にコネがないと士官候補生になるのは難しいよ。士官候補生は基本的に紹介でなるものだからね」
サミエラの言葉にルーカスががく然とする。
「そんな……海軍の偉い人に知り合いなんて……」
「ふふ。あんた自身にコネがなくても身近に偉い人たちの知り合いが多い人がいるだろ?」
「……え? 誰? サミエラ先生?」
「アタシじゃないさ。ヒント、船乗りに不信心な人間はいないよ。特に大勢の命を預かる士官ならなおさらさ」
「え? ……あ、牧師様?」
「正解。海軍の偉い人たちは必ず教会にお祈りに来るからね。ルーカスが士官候補生にふさわしい資質を身につけたら、牧師様が海軍の偉い人に推薦してくれるだろうよ。それに、海軍ではいつでも優秀な人材は求めてるからね、ルーカスがこの孤児院でどう振る舞ってるかをお祈りにきた海軍の偉い人は今でもこっそりチェックしてるかもしれないよ。ルーカスが元気にハキハキと挨拶して、自分の仕事や勉強に真面目に一生懸命に取り組んでいる姿を見たら「うちの艦に来ないか?」ってそのうちスカウトしてくれるかもね」
「分かった! まずは士官候補生になれるように頑張る!」
「ルーカスが士官候補生の黒いラウンドハットと青いジャケットを着る日がくるのを楽しみにしてるよ」
【作者コメント】
元々英国海軍の士官階級は
複数の海尉がいる大型艦においては、海尉に任官された年が早い順に1等海尉、2等海尉と序列がつけられました。なのである艦で1等海尉でも別の艦に転属になると3等海尉になったり、その逆もしかり。
海尉は小型の補助艦艇の艦長に任じられることもあり、その場合は
勅任艦長になるとフリゲート艦以上の主力艦を指揮できるようになりますが、戦列艦(1等級~3等級艦)の艦長になるには勅任艦長になって3年以上の経験が必要で、任官から3年以内の艦長は肩章が片方だけ、3年以上の艦長は両肩に肩章を着けています。
3年以上の勅任艦長は、自身の指揮艦を含む数隻の艦艇で構成される小規模な艦隊──戦隊を率いる
主力艦隊を率いる
……まあ、ルーカス君の目標がどれほど高い山か、という話ですね。へぇ~と思ったらいいねボタンをポチポチお願いします。