第6話 白杖を歩道に当てないで
文字数 2,019文字
白杖を歩道に当てないで宙に浮かして歩くのは腕が疲れる。時々、持つ手を変えて進んだ。サンスターの会社の大きな敷地の端で道路に突き当たったけど、左側に渡る信号だけで、直進する信号がない。真っすぐにいけなくなったぼくは、サンスター沿いを進むことにした。
しばらく歩くと十字路になっていて、直進が青信号、左側の赤信号の前でエコバックを下げた女性が立ち止まっていた。
「この辺りに王将があると聞いて探しているのですが」と声をかけた。
またまた女性になってしまったけど、女性ばかりを選んでいるわけじゃないよ。ちなみに今までの経験では、中高年の人よりも若い人、そして女性よりも男性のほうが親切だった。
東京でのことだけど、電車に飛び乗ってから、若い男性に「○○駅に停まりますか?」と尋ねたらスマホで調べてくれた。
その時、近くにいたぼくと同年代の女性が顔を向けて、「あれを見れば分かるでしょ」とドアの上の停車駅図を指したんだ。
「緑内障でよく見えないんです」ぼくが言うと、その女性は「フン!」と顔を戻した。
ぼくたちの世代は、どうやら自助努力が足りない人間に冷淡な対応をするようだ。
「どちらの方向からこられましたか?」
「高槻駅からです」
「少し戻ることになりますけど、わたしが案内します」
そう言ってくれたけど、そこまで迷惑をかけることは出来ない。
「悪いから道を教えてもらえればいいですよ。弱視だから建物はわかります」
「フリーランスなので、時間はありますから」
女性はぼくを先導するように歩き出した。
Webデザインが主な業務だという女性は、前方から突進してくる自転車を見て、さっとぼくの腕をとって道端に寄せてくれた。
その躊躇のない行為に、ぼくはまた東京で経験したことを思い出した。
メガネをかけると、見えていた時のことなんだ。地下鉄のホームを若い女性が白杖を使って歩いていた。
白杖の下側と先端の石突がピンク色でオシャレだなと見ていたので、決して若い女性を無遠慮に見ていたのではない。電車が停まり、女性が白杖で乗車口を探りながら移動した。そして電車の連結部に向き直ったんだ。ぼくは「あっ!」と声を出しただけで動けなかった。その時、若い男性が小走りに近寄って、さっと女性の腰に腕を回して乗車口まで案内したんだ。
ぼくは、あの時に躊躇したことを恥ずかしく思っているのだと女性に話した。
「難聴の友だちといつも一緒に遊んでいましたから」
女性はそれだけを言った。
気持ちが舞い上がっていたぼくは、白杖の初心者で使い慣れていないことや、大阪文学学校に通って小説を書いていることを喋った。女性は仕事の孤独さ、今日は打ち合わせで久し振りに外に出たことなどを話した。
サンスターの角まで戻ると、
「この信号を渡って少し行ったところの右側に、吉野家とか他のお店が集まった奥に王将があります」
ぼくはお礼を言って別れようとしたけど、
「もう一度、信号を渡るのでお店の前まで送ります」
全く見えないわけではないので心苦しかったけど、好意をすぐに受け容れた。
ぼくはマクドナルド、王将、吉野家を探していたことを言って、
「注文しなれていることもあるけど、食券ではないのがいいんです」
「勉強になります」と女性は応えた。
なんだかものすごくこの女性に興味を抱いてしまった。
きっとなんらかのボランティア活動に関わっているんじゃないかなと思って、訊こうかと考えていたら王将に着いてしまった。
「駅に戻るには、来た道よりも、斜め前にある市役所の角を曲がって行くほうが近いですよ」
女性は階段を上がったところまで案内してくれた。
ぼくはお礼を言って店内に入ると、数人が席を空くのを待っていた。
すぐに吉野家で食べようと思って店を出た。
すると、人影が近づいてきた。
「どうしましたか?」
声でさっきの女性だとわかった。
しばらく様子を見ていてくれたようだ。
「混んでいて……、順番待ちのところに名前が書けなくて」
せっかく案内してもらった店をすぐ出たので、つい言い訳じみた口調になってしまった。
「わたしが書きましょうか」
「いいんです。吉野家にしますから」
「じゃあ、混んでるかどうか見てきます」
そう言って女性は吉野家へ行って、中を覗いて戻ってきた。
「大丈夫です。席は空いてました」
ぼくは女性にどのような感謝を表していいのかわからなくなって、
「よかったら、一緒に食べませんか? おごらせてもらいます」
口に出してから、大胆なことを言ったと思ったけどあとの祭りだ。
「冷凍食品を大量に買ったので、帰らないといけないんです」
ぼくは女性が持っている重そうなエコバックに目をやった。
「ありがとうございました」
もっと感謝の気持ちを伝えたいのに、頭を下げることしかできなかった。
「なにかあったら連絡してください」
女性は、ぼくの手に名刺を残して去っていった。
吉野家に入ったぼくは、肉だくの汁だくを注文した。