第7話 食事を終えてから妻に
文字数 1,354文字
食事を終えてから妻に連絡をして、近くにある市役所で待ち合わせをした。
広いロビーの片隅で待っていると、行き交う人の視線を感じて居心地が悪い。
左手に白杖、右手にスマートフォンを持って白髪男がロビーに立っている姿は、ぼくだってチラ見するだろう。そう思って気にすることはないと自分に言いきかせた。
白杖デビューしたときに、女性にパーフェクトな親切をプレゼントしてもらったことについて考えていると、右手の中でスマートフォンが鳴った。
「いま、駐車場に入る前なんだけど、有料みたいなのよ。すぐに出てこられる?」
「無理だな。駐車場に停めて迎えにきてくれ」
妻に、本館のロビーに立っているからと言って通話を終える。
スマートフォンを上着のポケットに入れると、急に白杖も折りたたんでリュックの中に隠したいという衝動に襲われた。
ぼくは妻に、白杖を使っている姿を見られたくないと思った。
全く関係のない人に見られることも恥ずかしいけど、妻に見られることに比べるとそんな思いは一瞬で消える。
妻には、むかし通りの自分だと思われたいのだと気が付いた。
家の中で朗読をしてもらうことは、いってみれば、手の届かない背中にシップ薬を貼ってもらうようなもので違和感はなかった。
県立図書館へサピエ図書館の会員申請に行ったときも、職員にぼくの見えない状況を話すのがつらかったのは、隣で妻が聴いていたからだったんだな。
女性に親切にされて、喜んでいた自分が幼稚だと思えてきた。
ここで折りたたむのはまずいから、トイレに行くのがいい。しかし、そんなことをすると、ぼく自身が現実から逃げ出すことになるんじゃないのか。
抑えられないほど強くなってきた気持ちを鎮めようとして、ぼくは白杖を両手で握り締めた。
妻はぼくが思っているほど驚いてはいない様子だった。まあ雰囲気だけでしかわからないんだけどさ。
ぼくはもう、すっかり曝け出したって感じで助手席に乗り込んだ。
駐車場を出ると、フロントガラスに明るい4月の空が広がった。
息子の引っ越し先へ向かう車中で、妻の口数は少なかった。ぼくが、若い女性に親切にしてもらったことを話すと、妻は感動したので、いい気になって女性を食事に誘ったことを喋った。
「初めて会った人を誘うなんて、かえって失礼よ。やっぱり、あなたって人は……」
とドン引きされてしまった。
日曜日まで息子の家に泊まり、昼すぎに滋賀へ戻た。
早速、女性に感謝と食事に誘った軽率さを詫びるメールを送った。すると、夜に女性から返信があったんだ。
【 肉だく汁だくの牛丼美味しいですね!
無事にお食事を食べて、帰宅されたようで安心しました。
食事に誘っていただいたことは気にしてませんよ。
いつか王将リベンジできるといいですね。 】
白杖は、親切な人をより親切にするようだ。
ぼくがその親切を、素直に受け容れることが出来ればいいんだけどな。
参照
○「長距離走者の孤独」 丸谷才一・河野一郎訳」新潮文庫初版、1973年。
○社会福祉法人 日本ライトハウス
http://www.lighthouse.or.jp/
○サピエ図書館+
http://www.lighthouse.or.jp/iccb/library/index_library/sapie/