夏の終わり、三人体制の終わり

文字数 2,251文字

 夏も終わりに近づき、学校が休みの間は働く時間に制限がない私はほぼフルタイムで働いていた。友達や恋人と遊ぶ時間もしっかり取りたかったので、家でゴロゴロしている日はめったになかった。しかし、そのおかげで銀行のオンラインアカウントには自分史上見たことのない金額が輝いていた。そんな日常も学校が始まる九月でそろそろ終わり。そしてある日のこと。男の先輩が
「今週の土曜、僕ら二人でシフトらしいんさ」
といった。慣れてしまった今は何とも思わないが、この時はまあ驚いた。今までずっと先輩二人と自分の三人体制でやってきて、どこか後輩という立場に甘えていたのかもしれない。急に責任がのしかかってきた感じがした。
 三人体制が終わる理由としては、今までこのパンデミックのせいで営業を収縮するため閉じていた別店舗を再開することになったからだった。その別店舗は屋台スタイルのお店が集まった通りの中にあって、一人でも十分営業できるくらいの広さと忙しさだった。元々パンデミック前は女の先輩はそちらの店舗でしか働いていなかったらしく、確かに休憩中などよく別店舗の良さを語っていたのを思い出した。
「向こうは余裕のない人がおらんねん。ホームレスも少ないし、こっちのお客さんは時間にも金にも余裕がない。あっちにいたときは結構待ってる間おしゃべりとかして、お客さんとも仲良くなったりできるねん」
 この話を聞いて一度は働いてみたいと思った私だったが、最終的に一度も別店舗で働くことはなく、外から一度見ただけだ。そうして、女の先輩が別店舗に戻ることになったので私と男の先輩は二人で土曜日お店を回さなくてはならなくなった。
 実際土曜日になってみると、そこまで悪くないということに気づいた。二人なので少し気楽だし、自由に色々できた。そのあとも土曜日はいつも二人だったのだが、男の先輩はかなり頻繁にデリバリーで飲み物やスナックを奢ってくれた。そしてあまり失敗を知られたくないオーナーや女の先輩の前では聞けなかったことを沢山確認できた。
「結構、人によってやり方違いますよね」
「そうなんさな」
特に女の先輩はこの唐揚げ屋さんで四年も働いているので独自のやり方、というものを持っていた。例えば、ソースの補充の仕方にしろ、カレーの作り方にしろ、私のような新人に教えてくれた基本の作り方とは違い、慣れやアレンジが加わる。それをわざわざ教えてくれるわけでもないので、私は見て初めて学ぶことがあるし、女の先輩も見て学んでもらうことを好んでいた。
「自分が入ったときに、僕もやけどあんまりちゃんと教えてもらってないんさ。そやもんで、バイトの子にも見て覚えてもらおうとしてるんやと思う。」
男の先輩はここの店舗のオープニングスタッフだったらしい。私と同期の男の子は、先輩二人が面接をして、教育も二人が担当していたが、先輩二人が入ったときはオーナーがそれらを行った。しかし、先輩二人から昔の話を聞くと決まってオーナーの教育不足のエピソードが出てくる。自分たちが丁寧すぎるくらいの教育をしているから余計に当時の大変さを伝えたくなるのかもしれない。女の先輩の自分ルールについて少し喋ったことを皮切りに、毎週土曜日は男の先輩の愚痴はダムが決壊したようにあふれ出した。
 「夏、僕ダウンしたときあったやんか。あれ、人間関係でもちょっと限界きてたんさな」
そう言った男の先輩は、私がまったく気づきすらしなかった女の先輩の一面を暴露した。確かに、言われてみれば女の先輩は男の先輩には特にドライな部分を発揮していた。挨拶をしても返ってこなかったり、まったく喋らなかったりする日もあった。
「でも、優しいところもあるじゃないですか」
私が女の先輩が男の先輩が体調悪い時に気遣っていた様子を思い出し、そう言うと
「そうなんさな。だから僕もどう関わっていいかわからないんさ。ずっと嫌な態度やったら、僕も割り切って仕事に集中できるやんか」
と男の先輩は複雑そうな表情を見せた。コロナウイルスが拡大してからお店はしばらくオーナーと先輩二人で働いてきたと聞いたので、男の先輩のストレスは相当だったみたいだ。
「それで僕、オーナーに一回相談したんやけど」
そう、問題は女の先輩だけではない。
「そんで僕復帰した日に先輩に色々言われてたやろ。それ、多分オーナーが僕からの相談、先輩に喋ったと思うんやけど、全然内容が違うんさな。」
オーナーは問題解決をしようと試みたらしいが、伝えた内容が男の先輩が伝えたかったことと全く違ったらしい。そもそも男の先輩はオーナーに問題解決を頼んだわけでもない。オーナーからの注意が癇に障った女の先輩は、あの日、新人じゃないアンタにそんなに優しくできない、と苛ついた口調で男の先輩に言っていたのだ。私がいたから男の先輩は何も言い返せなかったのかもしれない、と今なら思う。先輩二人が口論になれば、後輩の私は気を遣うし、余計なことを勘繰るかもしれない。男の先輩は言われっぱなしな印象があったが、それは私のような後輩がいる手前の姿だったのかもしれなかった。
 私は男の先輩を気の毒に思ったが、女の先輩の陰口を言うのも気が進まなかった。女子校の上下関係の厳しい部活出身の私は、自由人で厳しいけど、スキルはあるカッコいい先輩が気に入っていたのだ。とはいえ、共感できるところも多々あったから、土曜日は気まずい思いと裏話を聞ける悦びで混ざったような時間だった。中学生の時、八方美人だと揶揄されたことを一瞬、思い出した。
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