ふたりのオバサン

文字数 3,557文字

 新しいスタッフが入る、との連絡があった。もう二十年以上カナダに住んでいるベテランの方らしい。寿司レストランで働いていたが、このコロナ禍でお店が潰れてしまい、今回唐揚げ屋さんにやってくることになった。
 一応、説明しておくと、唐揚げ屋さんでも寿司レストランでもバイトを雇えるくらいだから特別なスキルは何も必要ない。慣れれば誰でも一人前になれる。だから、この新しいスタッフの方というのも、結局どこのジャパレスに行こうがあまり変わらない。
 新しい人の初日は私のシフトではなかった。翌日、新人の方どうでしたか、と聞くと先輩二人は目を爛々とさせて待ってました、とばかりに話し出した。
 ふたりの第一声は新しい人はオバサンであること。このオバサンというのが二人にとっては厄介ポイントらしい。まず、覚えが悪い。それに加えて、女の先輩はまだ二十七歳という若さであるから年上の後輩が苦手らしい。考えてみればオーナーにも、男の先輩にもタメ口だ。のちに訳を聞くと、後輩であれば年齢は関係なく、君付けでタメ口になる。オーナーはプライベートで遊んでいたことが多かったから友達みたいになったのだ、と言っていた。そう割り切っているように見えたが、内心は年上の人が後輩だとやりづらいのだろう。
 「ベルペッパーあるやんか。あれ、なんか特別な種類のコショウなんですかって聞いてきてん。」
呆れながらも面白がっている口調で女の先輩は言った。ベルペッパーは日本語で言うと、パプリカ。うちの店ではサラダに使ったり、揚げてからカレーの具になったりする。
「来て三カ月の子が言うんやったらわかるけど、二十年おんねんで。」
 私はそのエピソードに正直に笑ってしまった。驚きもした。キャロットの次には覚えてもいい比較的簡単な単語だと思う。でも、何十年海外に住んでいようと、英語を使わなければ流暢に喋れないのは承知していた。たった一年の留学でペラペラになる子もいれば、二十年海外在住でも、家から出ずに英語をしゃべらなければいつまで経っても中学英語から卒業できない。ようは、英語上達は海外にいた年数ではなくて、どれだけ頑張ったかなのだ。きっと、このオバサンは大人になってから海外に移転し、必要な単語のみを使って生きてきたのだろう。語彙も増えないし、限られたカテゴリーの人間としかコミュニケーションを取ってこなかった。かといって、私はオバサンを責めるわけではない。英語が大好きでなければ、わざわざ頑張ろうとなんてしない。海外に来たけれど、英語自体に興味がなかった、それだけだ。
「それに、返事がちっさいねん」
先輩方の愚痴は止まらなかった。
「せやのに、お客さんの前では結構ぶっきらぼうにでかい声で対応したりするんよ」
少し気弱なオバサンを想像していた私は混乱した。そして先輩の情報を鵜呑みにするならば私の苦手なタイプだ、と即座に思った。弱弱しくて出来ないことも多いくせに、変なところで強気だったり、頑固だったりする人間は嫌いだ。扱いが難しいからだ。弱そうだから優しくしようとすれば、意外にもそれを突っぱねてきたりする。弱いなら弱いなりに、慣れている人間に頼ればいいのに。というのが正直すぎるところだが、そんなことは決して、もちろん口に出さない。それは私の嫌な側面と紙一重だからだ。私のエゴ、私の弱さをよく表している思考回路だ。
 最初にカナダに来た時。誰も私を助けてくれなかった。先生も、学校の生徒も。移民が転入してくるのは日常茶飯事だったし、移民はそれぞれ同じ人種同士でグループを作るから、カナダ人がわざわざ手を貸さなくても勝手にこの社会に馴染んでいく。でも、私は違った。来た学校には日本人は誰一人いなかった。慣れてないのに、英語喋れないのに、全部初めてなのに。気にかけてほしかった。構ってほしかった。手取り足取り全部教えてほしかった。それが甘えだと突き付けられたのはカナダに来てそう日も経ってない頃。自分で助けを呼ばなければ誰も関心を持たない。日本にいたときは、一瞬でも一人でいれば、あの子はぼっちだ、可哀想だと嫌な注目を集める。それが嫌いだったはずなのに、そんなお節介日本人心が、カナダに来たらすごくすごく恋しかった。もし、あの時誰かが声をかけてくれていたら、私はヘラヘラ、ペコペコしながら犬みたいにその人についてまわったんだろう。
 だからある意味、このオバサンは私よりもちゃんと「こっち慣れ」している。自分のことは自分の責任。誰の助けも期待しない。私よりも強いマインドがある。そんな予感がしたから、私はこの会ってもいないオバサンのことを少し嫌っていた。
 このオバサンスタッフは、研修期間も終えずに辞めていった。元々、オーナーは即戦力となる人員を探しており、勘違いで彼女をトライアルに来させてしまったらしい。勘違いだった、なんて、オバサン可哀想、と素直に思った。
「シフト終わってまだ帰りのバスなんちゃう?って時にもう断りの電話いれてたで」
女の先輩はそのオーナーの様子を話しながら、でも辞めてくれて良かったという本心が丸見えだった。
 彼女が去ってしばらくすると、また新しいスタッフがやってきた。こちらは前回来たオバサンよりも更にオバサンでむしろ、おばあちゃんと呼んだ方が正確、と思うくらいだった。
 私はこの頃、新人教育をしたくてたまらなかった。教育学部に属していたのもある。とにかく誰かに教えているときが、私が生き生きしている瞬間だ。日本の高校にいた時に、友達にそう指摘されてから自分でもそう思うようになった。本当は年下の後輩が望ましいけど、私より年下の日本人なんてカナダにそうそういない。大体の日本人の子供は、受験期になると日本へ帰っていく。高校生から大学生の微妙な時期に海外に住んでいる日本人というのはそう多くない。留学生はいるけれど、みんな働けないし、一年程度で帰っていく。そんな事実を友達が少ない言い訳にして早数年。
 この際、オバサンでもいい。私が知っていることを知らない人さえいれば。私が教える経験が欲しいと思っていたのはオーナーも知っていた。だから、ある時、その新しいオバサンと私は一緒にシフトに入ることになった。もちろん、二人だけでなく、オーナーも見守る形で。
 とにかく褒める教育をしたい。昔、読んだ本に感化されてから私はずっとそれを目指して教育の勉強をしている。適当な褒め方ではだめだ。優しいね、とか才能があるね、とか抽象的な褒め方じゃなくて、その人がたった今した言動について具体的に褒めるのだ。それは時間が経ってから褒めては意味がない。例えば、オバサンが元気にお客さんの対応ができたら、その直後に「今の対応良かったです」、と褒める。○○さんは対応が素晴らしい、と褒められれば嬉しいけれど、年数を重ねた仲でなければ信用がない。人間性を決めつけてしまうからだ。彼女がいつも対応が素晴らしいかなんて、四六時中彼女を見ていた人でなければ言えない。でも、たった今目の前で彼女がした言動を褒めればそれはとても説得力がある。説得力のある褒め方は、その人の自信になる。認めてもらえているという教育者への信頼にも繋がる。
 そんな風な受け売りの説をかかえて、私は自分の信じる教育論をオバサンで実験しようとしていた。
 今回のオバサンはとても気さくで私のような若者にも丁寧に話した。オバサンと一緒のシフトは仲良くスムーズに進んだし、明るい雰囲気で仕事ができた。こんな風にシフトを重ねていけば、きっとオバサンもここで働くのが楽しいと思えるし、私も充実した気持ちになれる。
 ところが、翌週バイトに来てみると、男の先輩はあっさり、
「あ、あの人辞めたで」
と言った。私は小石に躓いてこけた感じがした。たった一日だけれど、私はすごく彼女の存在に期待を寄せていたのだ。それなのに、私の知らぬ間にとっとといなくなってるなんて。聞けば、彼女が前にお世話になっていたお店からも求人のお呼びがかかったらしい。それなら、仕方ない、と自分に言い聞かせる他なかった。
 オバサンは私の想いを知らない。私が勝手に抱えていた期待を知らない。先生でもないのに、私はその昔自分がお世話になった先生に同情した。小学校であの先生に教えてもらってから八年以上経った。当時はお礼を言わずに卒業した。私も教える側の想いなんぞ、気にしていなかったからだ。
 しかし、同情したところで私とその先生は違う。過ごした年月に遥かに差があるのは置いておいて、私はこうして八年越しに先生の教えを思い出している。感謝している。オバサンは私を存在ごとすぐに忘れ去る。一方通行の想いではだめだ。自分勝手な想いは伝わらない。私はそう、自分の教育論に書き足した。

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