8.Dawn of the world project.

文字数 6,402文字

 蒼天に踊る薄紅色の花弁。
 卒業式を終え、三年間通った学び舎へ別れを告げる生徒たち。
 人もまばらな校舎の裏。
 そこに向かい合って立つ俺と高取さん。

『ずっと好きだった。……お、俺と、付き合ってくれません、か?』

――ああ。これは俺が、高取さんに告白した時だ。
 どこか他人事のように、俺はぼんやりその光景を“俺”の中から眺めていた。
 反応のない高取さんにテンパる俺。そして、泣き笑いの表情を浮かべて何かを言おうとした高取さんの口から、コポリとこぼれ落ちる赤い液体――
 それはいつも、俺が夢に見ていた高取さんの姿だった。告白への不安や緊張から現れたものだと思っていた。でも、違う。今なら分かる。これは、この悪夢は現実に起きた事なのだと。
 あの日。俺の告白に高取さんが答えを返そうとした瞬間、全てが白い光に包まれた。「きゃっ?!」という高取さんの短い悲鳴と共に一瞬視界を奪われ、眩しさに思わず俺も目を閉じた。暫くして恐る恐る目を開くと、同じようにそっと目を開けて辺りを窺う高取さんの姿があった。
「……な、何?今の……」
「わ、からない……」
 不安そうに呟く高取さんに、俺も辺りを見回しながら何とか声を絞り出した。
 周囲を見回して見ても、そこにあるのは光に覆われる前と何も変わらない校舎裏の景色。そのまま視線を空へと向けようとして、ふと高取さんに一瞬止めた。
 そこには、先程まで不安そうな声を出したと思えないポカンとした表情の高取さんがだらりと腕を垂らしてこちらを見ていた。
「高取さん?」
 余りにも気の抜けた、この場にそぐわない様子に思わす伸ばした手の先で、キュッと高取さんの眉間に皺が寄った。瞬間、彼女が咳き込み、ゴポリと血の塊が吐き出された。それはとどまることなく後から後から零れ落ち、彼女の足下を汚していく。
「……?」
 それが、一体何なのか理解出来ていない様で、高取さんは真っ赤に染まった震える両手と地面を不思議そうに交互に見つめている。ポカンと開いた口から滴り落ちていたそれは、彼女の思考を置き去りにして、今や顔の穴という穴からポタポタと流れていた。
「た、かとり…さ……」
 目の前で起きている事が信じられないのは俺も同じで。先程までとは違う別の不安と恐怖に口が乾き、呼吸が早くなる。掠れた声でかけた声に、高取さんの顔がゆっくりとこちらを向いた。
「っひ……!」
 どろりと濁り、光を失いかけた瞳と赤く染まった壮絶な顔に、喉が引きつり小さく悲鳴を上げる。先程まで、好きで愛しくてたまらなかった高取さんが、まるで死人のような顔をして俺を見ていた。その足が一歩前に進み出る。足取りはおぼつかず、がくがくと膝が揺れていた。まるで、映画やゲームの中に出て来る、ゾンビのように。
「あ、あぷぁた、じ……」
 何かを言おうとした口から血の塊が零れ落ちる。
「も……ず……」
 震える左手が差し出され、必死に俺へ向けられるのをただ茫然と見つめた。無意識に、唇が戦慄きカチカチと歯が音をたてる。
「あ、あ、あああああああっ‼」
 俺の絶叫が響き渡り、視界が闇で一色に覆われた。
 極度の精神的負荷に耐え切れず、俺はここで意識を失った。そして同時に、この先の記憶は一切ない。


 目を開けると、そこには白い靄がかった天井が広がっていた。何かは分からないが、規則的な機械音がピッピッと部屋に響いている。何度か瞬きを繰り返し、ぼやける視界をクリアにする。手の指を動かすと、シーツのサラサラとした感触が伝わる。それでここが、ベッドの上だと知った。何度か握ったり開いたりしてみるが、感覚も動きも自分のものだった。強いて言えば、少し鈍い様に感じるのが不安なぐらいだろうか。
 思い切って、腹筋と背筋に力を入れ、起き上がることを試みる。
「……ふっ……うぅっ」
 しかし、体がまるで重い。鉛の塊でも付けているかのように起き上がらない。暫く上半身だけでも起こそうと頑張ってみたが、上がってきた息に諦めて力を抜いた。
「体、重い……」
 深く息を吐き、絞り出した声が掠れた。喉が言う事を聞かず、独り言さへ音になって出て行ってくれなかった。
「――目が覚めたか?」
 耳に馴染む彼の声に、ゆっくりと首をそちらへ向けた。
 無精髭を生やし、目の下に隈を作った青白い疲れた顔の男性がこちらを見ていた。笑みを作ろうとしたのかもしれないが、ピクリと口の端が動いただけで失敗に終わっている。所々黄ばんだ白衣を羽織、くたびれた紺色のポロシャツを着るそいつの顔は、俺が知っている彼を何十年も老けさせたものによく似ていた。
「……とも、や?」
 ぽつりとこぼした呟きに、彼――瀬戸内智也は悲しそうに眉間に皺を寄せて頷いた。
「う、そだろ?だ、って、俺の知るとも、やは…」
「嘘じゃない。(あきら)。お前が自分自身を失っている間に、もう三十年の月日が流れたんだ。俺ももう、今年で四十八になる」
 智也に言われた言葉を口の中で転がす。
――三十年。
 あまりのことに愕然とした。だって、俺にとっては高取さんに告白したあの日が昨日のことのように感じているのに。
「…これから俺が話すことは、到底お前には信じられないことかもしれないけれど、聞いてくれ。暁」
 茫然とする俺に、智也はゆっくりとあの日起きたことを語り出した。
「俺と…茜、さんが暁たちを見つけた時、お前は亡くなった七穂の横で意識を失っていた。すぐに近くの病院に運んだけど、町は既に死人だらけで、病院で生きている医者も看護師もいなかった」
「…みん、な、高取、さんと同じ、死因、だったの、か?」
 俺の質問に、智也は首を横に振る。
「いや。同じ様な人もいれば、違う人もいた。まだかろうじて息がある人もいたけど、人数が多すぎる上に、俺たち二人に対処出来るような状態じゃなかったよ。中には、生きている人もいるにはいたんだけど……皆、その目がすでに正気じゃなかった。そいう人々は全員、何故か自殺しようとしていたんだ。止める間もなかった。あちらこちらで、次々死んでいって。正に地獄絵図だったよ。自分が正常なのかどうか、疑いたくなったぐらいだ」
 そう言うと、智也は口元を片手で覆った。心なしか、青白い顔が更に血の気を失っているように見えた。その時の情景を思い出し、気分が悪くなったのかもしれない。
「とりあえず、お前に何が起きているのか知るために、CTスキャンを試みたんだ。周りの人々の症状を見る限り、原因の元が頭の中にあるんじゃないかと俺は思ったんだよ。外傷なく死んでいる人は、皆一様に目と鼻、それに口と耳から血と赤黒い何か臓器のようなものが流れ出していたからな。免許は持っていなかったけど、茜さんの機械に関する知識は天才的で、CTは直ぐに扱えるようになったよ」
 生物に関して高校生以上の知識を持つ智也と、機械に関して小学校の頃から飛びぬけた知識と関心持っていた姉の茜。普段、その凄さは全く一般的ではないため良く分からないが、緊急事態になるとその凄さが際立つ。俺は今更ながら、二人の非凡的な才能に感嘆した。
「結果は俺の睨んだ通りだった。暁に言うのは酷なんだが……」
 不意に、智也が気遣わしそうに俺を見て、言葉を濁す。
「……いい。言って、くれ、智也」
 気遣わしげな視線に、目を伏せることで気にするなと伝える。
 自分に関することだ。怖くない訳はない。だからと言って、聞かないのはもっと怖い。既に浦島太郎現象を味わっているのだから、これ以上何を恐れて耳を塞ぐ必要があるだろうか。
「…分かった。スキャンの結果、脳が相当なダメージを受けていることが分かったんだ。暁の場合は、四分の一程の細胞が既に死滅。四分の三の内四分の二程が、正常な状態を保っていた。残り四分の一は麻痺状態、と言えばいいのかな?死んではいないけど、正常に機能できなくなっていた」
「……想像以上に、酷い、な。俺の症状……」
 自分自身のことなのだが、どこか他人事のようだった。それでも、ほとんど動かない体と、思うように回らない思考と口が嫌でも事実なのだと伝えてくる。
「結果的に言って、暁が七穂の事で強いショックを受けて、気絶したのは良かったんだよ。もし意識が合ったら、今頃お前は自ら死を選んでいた筈だ。他の人々を見る限り、俺と茜さんでも止められたかどうか分からない。最初に自殺しようとした人を見かけて止めたんだけど、凄い力だった。女性だったんだけど、振りほどかれて数センチ後ろに吹っ飛んだよ」
「そ、れは…大変、だったな」
 思わず声を漏らし、眉を顰める。
「とにかく、治療方法を見つけるために、暁を茜さんの大学に運んだんだ。あそこなら、高度な研究機材が揃っているからな。必要な薬品やない機器をあちこちから二人で探して運んで……。大変だったよ」
 その時の苦労を思い出したのか、智也が懐かしそうに苦笑を浮かべる。
「最初に、お前の意識が眠っている状態を保てるように、色々機器を用意していたんだ。そしたら、急にお前が目を開けて起き上がった」
「え……?」
 一瞬、耳を疑った。
「じゃ、何か?俺、は、一度目を覚まし、てるのか?」
 それでは自分の中にある記憶がおかしい。だって、あの卒業式以降は何も覚えていないのだから。
「目は覚ましたが、あの時のお前は正気じゃなかった。脳が破損し過ぎたせいか、記憶と思考は疎か全てにおいて混乱していた。今のお前が覚えていなくてもおかしくはない」
 俺が何を言いたいのか察した智也が、先に答えを口にした。
「そ、か……」
「……疲れてないか?少し休んでからでも、続きを話そうか」
 ふぅっと重く息を吐き出した俺に、智也が心配そうに尋ねてくれる。それに首をゆっくりと横に振って返した。
「…そうか。じゃあ、続けるよ。ええっと、目を覚ましたお前が、最初何を言っているのか分からなかったんだ。とにかくベッドから起きて外へ行こうとするから止めたんだけど、予想通り凄まじい馬鹿力でね。どうにもならなくて、申し訳ないけど手足を縛ったんだ。それで、言っていることをよくよく聞いて見ると、どうやらお前は学校に行こうとしているみたいだった。『早く行かなきゃ、遅刻する』とか『後、卒業式まで六日しかない』とか、そんなことをブツブツ言っていたんだ。最初は睡眠薬で一時的に眠らせてやり過ごしていたんだけど、薬が切れるとまた同じことの繰り返し。俺と茜さんの方もまいってしまって、一度試しにお前を学校へ連れて行くことにしただ」
「……でも、学校…ていうか、町中、死体だらけ、って……」
 青い顔で尋ねると、智也が小さく肩を竦めた。
「まさか。放って置く訳ないだろ?茜さんが大学で試験的に作っていたロボットを使って、俺たちの手の届く範囲の人々は葬ったんだよ。でも、それ以外は俺にも、今どうなっているか分からない。お前を治す手段を見つけながら、この状況の原因把握も進めててな。もう、二人揃っていっぱいいっぱいだった」
「他に、生き残っている、人は……」
 俺の問いかけに、智也が首を横に振る。
「探してみたんだけど、俺と茜さん以外、まともに動ける人は見つからなかった」
「姉、さんと、智也はどう、して無事だ、ったんだ?」
「俺と茜さんは、その時丁度大学の研究施設にある地下研究所にいたんだ。以前から入学が決まったから、色々案内してくださいってお願いしてあってね。そしたら卒業式の後ならちょっと時間があるって言うから、お前と別れた後、急いで向かったんだ。何でも、大学の地下研究施設は色々なものから研究内容を守るために、頑丈に出来ているんだそうだ。それで、偶々俺と茜さんは助かったんじゃないかって」
「その施設、に、他の人はいな、かったの、か?」
 俺のその質問にも、智也は首を横に振る。
「春休み中で、その日は茜さんしか来てなかったらしい。後の人は、地下より上にいたり、休みで学校自体にいなかったり。実際、大学構内で死んでいる人は、数えるぐらいしかいなかった。俺と茜さんは、本当に運が良かったとしか言いようがない。あと数分違っていたら、俺と茜さんもあの中の一人だったんだ」
「そう、か……」
 薄情かもしれないけれど、姉さんが高取さんのようにならなくて良かったと思ってしまった。確かに高取さんのことは好きだけど、たった一人の肉親である姉さんへの感情が優先されてしまうことは許して欲しい。
「それで、だ。学校に連れて行ったお前は、予想通り誰もいない校門をくぐって、誰もいない教室で自分の席についた。そして、前に座った俺に言ったんだ。『おはよう』って。その後も、まるで高校生活の延長線上を生きているみたいに話していたよ。それはもう、楽しそうに。でも、いつまでたっても七穂も現れず、他の生徒も登校してこない。勿論、担任の先生だってもう来ない。それでお前はイライラしだして、最後は狂ったようにそれを叫んでいたよ。『何故来ない。何故、誰も来ない。今日は学校なのに、卒業式まで後六日なのに。なのに、なのに、なのになのにっ!!』って。両手でドンドン机を叩いて、顔面を叩きつけようとしたギリギリの所で睡眠薬を打って落ち着かせたんだ」
「はは……。それは、自分のこと、ながら、怖い、な」
 乾いた笑い声を上げて顔を顰めた。顰められた、と思うが上手くできただろうか。もはや、表情筋すら思い通りに動かすことが難しい。
「恐らく、脳がダメージを受けた時に、記憶する場所に最も大きな被害があったせいかもしれない。過去の記憶の引き出しが開かなくなった上に、新しく記憶をしまうための引き出しも開かなくなってしまった。唯一開けられたのが、卒業式までの六日間という一番新しい記憶だった。だから暁は、自分の中にある唯一の記憶に縋り、目の前にある惨劇を見ないふりしようとしていたのかもしれない。そうすることで、正常であることを保とうとした。だから茜さんは、暁が正常に、心やすらかに暮らせる場所を作ると決めた。自分の持てる、技術の全てを詰め込んで」
 そこで一旦言葉を切り、智也がすぅっと息を吸って吐く。
「それが、『Dawn of the world project(アカツキノセカイ計画)』。町はそのまま無傷で残っていたから、そこにアンドロイドの町人を生前と変わらず配置して、暁が生きるための世界を作る。その世界で暁を生かし、その間に俺と茜さんで治療方法を探す。そういう計画……だった」
 智也の声が、暗く沈む。
「……智也?」
「……」
 ピタリと止んだ声に、ゆるゆると首を動かせるだけ動かして智也を見る。と、その表情は苦しげに歪められ、何度か口を開きかけては閉ざすことを繰り返していた。どうしてそんな顔をしているのかは分からない。辛いことがあるのなら、遠慮なく言えばいいのに。
 ぼんやりとそんなことを思っても、それを思考と共に口に出すことが億劫になっていた。段々、意識が霞んできている。
……眠い。眠くて、眠くて仕方ない。
「あ、あのな!暁!俺、俺……!」
「――ともや……ごめん、俺、すごく、眠くて……」
 やっと意を決してこちらをしっかり見てくれたのに、俺は半分閉じかけた瞳でぼやける智也を捉えることしかできなかった。
「暁……」
「ごめんな。一眠り、したら、また、話、聞くから……。その時、に、姉さんとも、会い…たい……か…ら……――」
 もうダメだった。いつも夜、布団に入って眠るあの感覚よりもずっと重くて深い眠気に負けて、俺は目を閉じた。遠のいていく意識の向こうで、智也の震える声が小さく「ごめん」と呟く声を拾う。何に対する謝罪なのかとか、どうしてそんなに悲しそうな声なのかとか。それ以外にも色々聞きたいことはたくさんある。でも、今はもう、全部どうでも良い。
 かろうじで残る耳の感覚に最後に聞こえてきたのは、いつまでも鳴り響く耳障りな機械音だけだった。
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