6.友の告白

文字数 6,741文字

「アキラ」
 帰ろうと下駄箱で靴を出そうとしたら、智也に声をかけられた。
「何?」
 白い運動靴を取り出し、上履きをしまいながら聞き返す。
「今日、この後時間あるか?」
「別に大丈夫だけど……。ここで話しちゃダメなことなのか?」
 片手に運動靴をぶら下げたまま聞けば、いつになく真剣な面持ちで頷いた。
「ここじゃ、ちょっと…な」
 そう言って、片手の親指で校舎内を指し示す。
「……分かった。特に用事はないから、大丈夫だよ」
 いつもの智也らしくない様子に一瞬考えたが、了承した。
 持っていた靴を戻し、上履きを取り出して履き直す。
「悪いな」
「いや」
 おかしな智也の態度に不安半分、疑問半分。訝しみながらも、先に立って歩き出した智也の背中を追った。
 一言も喋らず、振り返ることもなく一階の廊下を進む。その表情を窺うことは出来ないが、いつもの智也とかもし出す雰囲気が違っていた。
 廊下にはまだ残っている一年生の姿がちらほらとあり、数人と擦れ違った。中には、智也の顔を見て、頬を染める女子生徒もいた。そんな彼女たちに、いつもなら顔を向け微笑むぐらいはする智也だが、今日は一切視線も向けずに歩いて行く。
 端までは行かず、途中右側にある渡り廊下へと曲がる。先にあるのは生物室や化学室等が入った、理科棟だ。
 そう言えば、智也は生物部だったな。
 そんなことを思いながらついて行くと、渡り廊下の目の前にある理科棟の中央階段を上へと向かう。上りきった二階の廊下を、左へと曲がる。教室棟とは違い、放課後の理科棟には生徒もおらずしんと静まり返っていた。今日は部活がないので、余計に人気がないのかもしれない。
 智也の足は突当りの生物室の前でやはり止まった。
 曇りガラスのはまった白い木製の引戸をスライドさせ、中へと入って行く。智也は慣れたものだが、余りこういった場所には授業以外入らない俺は居心地が悪い。辺りを見回しながら入り、後ろ手に戸を閉めた。
 生物室の中には、水道と一体型になった大き目の机が八つ並んでおり、窓際にはタイル張りの棚が備え付けられている。そこにも大きな流しがついており、棚の部分には何か生物の入った水槽が何個か並べられ、コポコポと空気の泡が浮いていた。廊下側の壁は全て書類や実験器具をしまうキャビネットが扉の場所以外、ずらりと並べられていた。
 智也は窓辺に近い、後ろから二番目の机の正方形の椅子を引き出し腰かける。
「突っ立ってないで、こっち来て座れよ」
「そう、だな」
 トントンと一番後ろの窓辺の机を指で叩く智也に促され、俺は机へ歩み寄る。机下にしまわれた、正方形の背もたれのない椅子を引き出しおとなしく座った。背負っていたリュックを下ろし机の上へと置く。
「それで?話って、何?」
 外の音がないひんやりとした生物室に、それほど大きくもないはずの俺の声が響く。
 外界と切り離されたような場所二人、広い備え付けの机を挟んで向かい合う。
「……ああ、……」
 頷き一声発するも、中々その後が続かな。
 下駄箱で声をかけてきた時は決心していた様だが、いざこうして目の前にすると迷っているようだった。一体何を遠慮しているのか知らないが、考え込む智也といつまでもこうしているわけには行かない。
「どうしたんだよ。話してくれなくちゃ、俺も何も分からないだろう?」
 痺れを切らしてそう促す。
「そうだよな。うん。分かってる、分かってるよ」
 何度か頷き、自分に言い聞かせるように強く言葉に乗せる。
 何度か深呼吸をした後、真っ直ぐに俺の目を見て聞いてきた。
「アキラさ。七穂のこと、好きだろ?」
「……」
 今度は俺が口ごもる番だった。
 どんな意図で聞いているのかも量りかねる。
 暫く悩んだが、まずははっきり聞いて見ることにした。
「ああ。けど、それがどうかしたのか?」
 きっぱりと言い、真っ直ぐなその瞳を見返した。
 聞くぐらいだから、俺の答えは大体予想していた通りなのだろう。智也の瞳に悲しみとも、諦めとも見える複雑な感情が浮かぶ。
「そっか。いや、な。俺の思い違いだったら、この話は聞くだけで終わりにしようと思うんだけど、最近のお前を見ていると、どうしても聞いておきたくて」
「?何を?」
 回りくどい言い方に、ついつい声が荒くなってしまう。
 一体何が言いたいのだろうか?
「お前、俺が七穂に絡む度に、幼馴染以上の感情があるんじゃないかって、勘ぐってないか?」
「?!」
 思わず肩が震えてしまった。顔にも、驚きの心境が出てしまったのか、智也が困った様に顔を顰めた。
「やっぱりな。そうじゃないかなと、思っていたんだ。ここ最近のお前の俺と七穂を見る目が、何だかおかしかったから」
 がしがしと頭を掻き、智也が小さく笑った。
 その笑みが、一体どっちの笑みなのか分からず俺は食い入る様に智也を見つめた。
勝利の笑みか、困惑の笑みか。答えはすぐに出た。
「安心しろよ。俺と七穂の間に、幼馴染以上の感情はないから」
「……」
 困惑と俺を安心させるための笑みだった。しかし、そこにどこか諦めの色が含まれていることに、俺は感づいていた。
「少なくとも、七穂は俺を兄弟の様に育った、何でも話せる仲の良い男友達だと思っている。だから、それ以上の感情は全くない。これは本人じゃないけど、断言できる」
「そんなこと、何で智也が……」
 自信満々にそう言いきられ、困惑する。
 そんな俺の心情を読み取ったのか、智也が再び頭を掻いた。
「……やっぱり、言わなきゃダメか。そうだよな。俺にこんな事突然言われたって、信じられないよな」
「いや、そんなことは……。でも、何か根拠があるんだろう?」
 智也を、友達として信頼していないわけじゃない。そんな人の心を持て遊ぶような嘘は、絶対につかないと俺は思っている。少なくとも俺の前では、そんなことは一度もなかった。
 決心したように、智也が口を開く。
「俺さ、中学三年の頃に一度だけ、七穂に告白してるんだよ」
「え……」
 その言葉に、今まで感じていた智也への疑惑の思いが全て霧散していく。
 ただ、思いもよらなかった事実を告げられ呆然としてしまった。
「まあ、見事に振られたわけだけど。その時、さっきアキラに言ったことと、同じ事を言われたんだ。あくまで兄弟のようにしか見られないって」
「そう、だったんだ……。そんなことが」
 独り言のように呟く俺に、智也がへらりと笑う。
 いつもの自信たっぷりな彼の笑みとは違う、どこか頼りない俺みたいな笑みだった。
「そう。でも、変わらず幼い頃のように七穂が接してくれて。俺も最初こそ気まずくてギクシャクしていたけど、段々元の通り接することが出来るようになったんだ。俺としては結構まだ気負っているかなと思っていたんだけど、お前の反応からして俺も割かしもう大丈夫みたいだ
な」
 そう言って笑う智也はいつもの智也で、俺は以前とは違う複雑な感情が胸に生まれていた。
 振られていたことを安心する自分と、そんな俺を軽蔑する自分と。
「どう?安心したかい?」
 思考渦巻く俺に、頬杖をついてさっぱりした顔で尋ねる智也。
 大概こいつも意地が悪い。
 俺のそう言う気持ちを全部見抜いていて、そんなことを聞いてくるのだから。
「お前、自分をもしかしたら恋敵かもしれないと、疑っていた相手に対して言う台詞じゃないだろう。それ」
 ムスッとして智也をねめつける。今の智也には全く意味はないと思うが。
「まあ、まあ。そう言うなよ。おかげで胸の痞えがとれただろう?」
「それはまあ、そうだけど……」
 こんな形で、卒業式の前に疑問が晴れるとは思ってもいなかったのは事実だ。
「それで?」
「うん?」
「いや、うん、じゃなくてさ」
 腰を浮かせて椅子を引き、俺の方へと更に近寄って来た。
 何が聞きたいのだろう?智也は時々やる聞き方なのだが、きちんと主語を言って欲しい。
「もうすぐ卒業式だろ?」
「そうだな」
「で、卒業したら、俺たちみんなバラバラの大学へ進学が決まっているわけだろう?」
「そうだな。高取さんは東京の大学へ行くみたいだな」
「だろう?なら、チャンスはやっぱり明日しかないよな」
「……」
 自分で言って自分で頷く智也。
 その顔に、俺も言ったんだからお前も言えと書いてあるような気がした。
 ため息一つ。
「…そうだよ。明日、俺、笠間アキラは高取七穂に自分の思いを伝えるつもりだよ」
 聞くが早いか、何故かテンション高く肩を叩かれた。
「そうか、そうか。頑張れよ。アキラ」
「……うん」
 応援されているのに、なんだか嬉しくないのは何故だろうな。
 馬鹿にされているわけでもないし、同じようにフラれろという気持ちが智也から見えるわけでもない。自分のことのようにテンションを上げる智也が、何だか無理をしているようにみえ
てしまったからだろうか。
 誤解が解けた今でも思う。きっと智也はまだ、高取さんのことが好きなんだろうと。
「それに、アキラなら、きっと上手くいく気がするんだよな。俺」
 そう言って笑う顔はいつも通りなのに、智也のその姿が何故かとても切なく見えた。
 向き合う俺たちの上に、オレンジ色の夕陽が降り注ぐ。それは周囲も染め上げ、俺の心を余計に切なくさせた。


 告白まで、あと一日。

  * * * * *

――おかいしい。
 そう感じたのは、今日が初めてではなかった。
 ここ最近、彼女の姿が見当たらないのだ。
 暗い地下研究棟の廊下は静まり返り、誰の気配もないことを確認する。
 足音をなるべく殺して歩いてみるが、その道のプロではないので上手くいかなかった。
 瀬戸内の姿は例の実験場所にいるのを見ているので、いないことは確かだ。妙にイライラしているような、ソワソワしているような雰囲気があるのが気にはなった。
 そう言えば、明日香もそんな感じが見受けられたなと、九谷は思い出す。
 恐らく昼間のこの時間は、実験場所とは別の教室で生徒に雑じり授業を受けているはずだ。
 勝手に被験体と接触し、寂しさを訴えた日から彼女はそうして午前中だけあの中で過ごすことを許されていた。別に授業を受ける必要はないのだが、その方が一人で勉強するよりも頭に入って来るらしい。実験への参加は許されていないが、何だかんだ同い年ぐらいの生徒とたわいのない話をするのが楽しいらしい。
 前よりも、彼女は明るくなったと九谷は思う。以前も笑うと向日葵の花が咲いたように、パッと周囲を明るくさせる子ではあった。今はもっと、年相応の表情を見せるようになった。
 やはり、自分たち大人では埋めてやれない何かがあるのだろう。
 そんなことを考えながら一人納得している内に、九谷の足は瀬戸内の研究室前へと辿り着いていた。
 鉄のドアに着いたすり硝子の向こうは暗い。
 誰もいないことが分かっていても、こういう忍び込むような真似は緊張を伴うものだ。
 息を吸って吐き出しタイミングを計り、ゆっくりと重たいドアを開けた。 何度か隣の事務机が置かれた場所には入ったことがあったが、研究室は初めてだ。
 持って来た懐中電灯を点け、辺りを照らした。
 大きく長い理科室に良くある白い備え付けのテーブルの上に、良く分からない様々な機械が置かれていた。アルミの棚が幾つ置かれた一角は、全て白い濁ったビニールのカーテンで覆われ、そこに何が置かれているのかまでは分からなかった。
 コポコポと空気の湧き出す音は、ドアとは向かいの棚に置かれた水槽の中から聞こえている。藻の生えたその中を、一匹の赤い魚が悠々と泳いでいた。金魚か鯉か…はたまた別の魚か。九谷には魚類に関する知識がないため分からなかった。
 その横には、透明な円柱状の水槽らしきものが置かれ、小石の敷かれた水の中を小さな亀が歩いていた。ゲージが幾つかあり、その中には白や灰色の小さなネズミが何匹もいた。部屋が暗いせいかおとなしい。
 光を忙しなく動かし、九谷は目当てのものを探す。
 ここ数日、白衣のあの女性に一度も会っていないことに気がついた。
 そのことを、彼女に教えて貰った同じ研究者の瀬戸内智也という男性に尋ねたところ、返事は「知らない」という素っ気無いものだった。
 それでもしつこく食い下がって聞いた九谷を、瀬戸内は怒鳴りつけて去って行った。
 しつこく聞いたのも悪かったが、彼のその態度に違和感を持った。怒っているというよりも、彼女について話をしたくないようなそんな感じだったのだ。確かに彼と彼女はそれ程良好な関係ではなかったと女性本人から聞いている。だからといって、あんな態度を取るだろうか?
 九谷は、それがもっと違う何かから来る恐怖によるものではないかと推測した。だから、その原因を探るべく、瀬戸内の研究室へと忍び込んだのだ。
 彼が彼女の失踪に関与しているとすれば、きっとここに証拠があるはずだと踏んで。ここならば、彼以外は早々中には入らない。明日香すら、物心ついてからは入れて貰えなくなったと聞いている。事務室の方への出入は二つ返事で許可するというのに。
 研究内容を盗まれないためとはいえ、あれだけ溺愛している明日香までとなると気になってくる場所だ。
「……知られたくないものを隠すには、絶好の場所だと思うんだけどなあ……」
 ぽつりと呟きながら、九谷は机のあちらこちらに積まれた資料や書類を覗いて行く。
 そのどれも、到底九谷には理解できないような専門用語で書かれているものばかりだ。複雑な数式が一体何を導き出しているのかさえ不明である。
「うーん。やっぱり見てもさっぱりな内容ばっかりだなあ」
 眉間に皺を寄せながら、それでも捲って行くと九谷でも知っている言葉が出てきた。

『クローン実験』

「クローンって、あの生物の細胞を使って人体の部分的な器官とか、全く同じ動物を作り出すあれのことだよな?」
 書類を一枚捲った九谷の手が止まる。
 その実験の被験者名の中に、明日香の名前を見つけてしまったからだ。
「……どういうことだ?」
 明日香は、瀬戸内の娘ではない。…ということだろうか。瀬戸内が、誰かの細胞から作り出したクローン人間ということだろうか。一番に浮かぶのは、元々娘がいたが何らかの理由で死に、その細胞を使ったのかもしれない。
 そう思いながらもう一枚捲ると、そこにもう一つ名前が載っていた、
 『高取七穂』と。
 それを見た瞬間、瀬戸内の明日香に対する今までの態度の意味が分かったような気がした。実験場で行われていることが女性の言った通りならば、彼女との仲が良くなかった理由も何となく理解できる。
「あいつ……」
 九谷は悲しそうに顔を歪める。
 瀬戸内が何をしたいのか。何のために明日香を作り出したのか。それは、白衣の女性のように険悪すべきことかもしれない。でも、妻を亡くしている身の自分には、分かってしまったのだ。彼の気持ちが痛いほどに。
 だからと言って、やはり許されることではない。
「こんなこと、あの子が可哀そうだろう……」
 あの子は、自分がクローン体であることを、何一つ知らないのだ。信じている育ての親に、誰かの代わりにされていることすらも。
 やりきれない思いで捲っていた書類を元の場所に戻し、乗っていた書類の束をもう一度乗せ直す。と、するりと一枚紙が落ちた。拾って見ると、それはまた別の研究資料だった。紙は茶色く変色し、書き込みがたくさんあった。端はボロボロになっており、大分古いもののようだ。
 書かれているタイトルは『Dawn of the world project』。日本語に訳すと、『(あかつき)の世界計画』と読めた。内容からして、それはあの女性が九谷に話してくれた、弟さんに関する研究の計画書のようだった。書き込まれた文字の多さから、当時は瀬戸内と協力して上手くやっていた様子が見て取れる。その書かれた文字の中で、最後に書き込まれたらしい言葉に九谷は眉を顰めた。
“薬のプロトタイプ完成。後ほど実験にてその効果を確認する。”
「薬?薬って、彼女の弟さんの薬か?」
 残念ながら、その後の記述は一切見受けられなかった。考えられるとすれば、彼がここで薬の開発を止めてしまったか、単に記入するのを止めたかのどちらかだろう。
「どっちにしろ、薬はまだ残っている可能性があるな」
 プライドの高い彼のことだ。自分の研究の成果を早々に捨てるなどという、愚かなことはしないだろう。
「……探してみるか。彼女には、随分とお世話になってしまったことだし」
 何だか、最初に忍び込んだ理由とは違うものを探しているなと九谷は苦笑を浮かべる。そうしてもう一度書類へと視線を落とし、記入された研究者名から九谷は初めて白衣の女性の名前を知った。
『笠間 茜』
 そこにはそう、書かれていた。
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