すれ違う二人 ─プロローグ─ Rev3

文字数 2,476文字

一般小説:『四人の彼』

プロローグ より抜粋、加筆修正

(彼が来る)
(彼が来たらどのような顔をしたらいいのだろうか。うまくすれ違えるだろうか。)
(………)
(…)
私たちは「今」、昼休みにすれ違うだけの仲だ。
(私は今日こそ話しかける)
(…)

あと30メートルくらい。


彼は床を見て歩いている。

もしかしたらあちらも私に気付いているのかもしれない。


私は一瞬目をつむってしまう。


話しかけるということがこんなに『怖い』と思うとは。

~さん!
私と彼はようやく50センチの距離まで近付いた。
私が最後に送ったメールですが、急ぎではないのでゆっくりで大丈夫です!
これが2年ぶりの会話のはじまりか…


正確には再会後に何度か声は交わしたがじっくり話すレベルには至らなかったから。


まともに話すのは本当にひさびさかもしれない。

自分で検索してみましたか?
(え?会話を繋げた?)
予想では「分かりました」で立ち去るはずが

彼が会話を繋げてきたから私は少し動揺した。

直近でメールしたあの問題は、彼に投げっぱなしで自分では試していない。
ただ、少しでも長く話すには話を合わせるしかない。

はい、自分なりに頑張ってみましたが

~さんが「やってみたことはありませんが、難しいと思います」と返信されていたので、急ぎではないことを言わなければと思って。

私は罪悪感からか彼から目をそらしながら話し続けた。
私ばかり話してる。

違う、私は彼の声が聞きたいだけなのに。

~さんはどうしてやったことがないのに難しいと分かったのですか?

経験からです。
そう言って彼はにやりと口角を上げた。
そうだった。


彼の笑顔はにっこりとかにこにことかそういう種類ではなかったことを思い出した。

すごい、プロフェッショナルって感じですね。

私は仰々しくならない程度に笑顔を作った。

社内でのマスク着用は任意だが、彼はしておらず、私はしていた。


現在6月も後半。

暑い…

べたつく…


汗がマスクに染みているんじゃないかと不安になるが会話のチャンスは少しでも引き延ばさないと。

(また無言になってしまった)
話せるネタもないので、前回最後にメールした内容を口頭でも伝えることにした。

あの…

~さんには、聞きたいことがたくさんあるんです。


でも私のメールを書くスピードが追いつかなくて解決できない問題が山積みになっていて…


メール、ちゃんと書きますので……

相手してください。

私は彼の目をはっきり見た。

私は、彼が美しい切れ長の目の持ち主であることを思い出した。

そして忘れていたけど鼻筋も通っていて、私の思い出の中にいる彼よりずっと整った顔をしていたことが分かった。

だめだ、このままだと見とれてしまって話に集中できない。

それどころか
(何も話さないでいいから、ただじっと彼を見ていたい。)
そして、彼からもただずっと『見られていたい』と思った。
彼はにやにやとした表情で私を見ていた。
(…)
彼の癖なのか、彼は私の目を長い時間見ていることが多い。

普通の人でも似たような人もいる。


ただ彼は…

(…)
不自然なほど目を見つめる時間が長い。
(…)
彼は何も話さない。

その代わり、のぞき込むようで見透かしてきそうなくらい私を見つめ返していた。


彼はかすかに笑っていた。

何も話さないのに余裕そうだ。

(まるで私の心の中を読まれているみたい。)
(なんだかいたたまれない。)
まるで何分も見られたような気がしたが、きっと1分~2分くらいだったろう。
彼を突如下を向いて、手で一瞬口元か頬をこすった。
(今、何をした?)
(もしかしたら私のマスクに汗が滲んでいたのだろうか。)
最悪だ、化粧室に今すぐにでも逃げ出したかった。
~さんの担当のヘルプデスクに言ってください。

え?

この問題は彼のようなスキルのある人にしか相談できないのに拒絶されたと思った。
私たちの課は現在彼の元同僚がヘルプデスクの担当だが少々心許ないのだ。
(たぶん、プログラムの話は専門外として、相談には乗ってもらえないと思うな…。)
私はマスクの下でとても不安な顔をしていたに違いない。
~さんが「こきつかえる」ように、元同僚にはちゃんと『教育』しましたよ。
そう言うと彼はふっと小さく含みのある笑いをしながら私の元を立ち去った。
えー!?本当??
私は思わず大声を出してしまった。
元同僚さんには悪いけど、彼と同じスキルを数日で取り入れるなんて無理だもの。
彼はもう何メートルも先を歩いていて角を曲がってしまい、もうその姿は見えなかった。

(何を考えているのか、分からないまま消えてしまった…。)

そしてそれ以降は彼とすれ違うことはなかった。

彼は『文字の彼』に戻ったのである。

『文字の彼』とは、彼がメールでやりとりするときの『人格』を指している。

すれ違いに表れる『実体の彼』は今のようにつかみどころのない性格だが

『文字の彼』はいつも冷静で、的確で、迅速な返事をくれる、行動で示すタイプの優しさを持つ誠実な彼だ。

「~さん、VBAでこのような最終形にしたいということであれば、わり算と余りの考え方を利用すると良いでしょう。参考用のサンプルを添付しますので中身を見てください。」
「~さん、お問い合わせの設定の件ですが、まず状況を教えてください。~さんは個人PCから共有PCにリモート接続をしようとしていますか?それでしたら問題発生はこのチェックボックスが原因です。チェックをはずしてください。」

(文字の彼に戻ったあとは今までと変わらない。)

(どうして、そのように扱ってくれるのか分からないまま…)

(私にいつも安心と誠実さと信頼を与えてくれる存在としてずっとサポートしてくれる…。)

じゃあ文字の彼が完璧な理想の姿なのか?というと…
そうでもないのよね。
文字の彼の不思議なところは、『気持ち』に関する記述には『一切反応しない』ことだった。
そうされたとき、いままで共有していたやりとりの流れが全部虚構かと感じるようにすべて置いて捨て去られた気持ちになる。
私はその瞬間がとてつもなく悲しくさみしかった。
そして絶対そうならないように文字の彼とのメールには細心の注意を毎回払っていたのである。
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登場人物紹介

私:30代後半の女性

昔は綺麗だった。見た感じさほど変わりはないが、今は自分の加齢に悩んでいる。

年上が好みだったが、これから好きになるある男性は年が下かもしれないので落ち着かない。

彼:年令不詳だがおそらく私より年下

優しい、誠実な仕事ぶりの中途入社社員。

私は彼がどの程度年下なのかが分からず落ち着かない。

あるきっかけで私と長い期間社内メールでのみ個人連絡をする関係になる。

その後再会した彼は今まで私が知る彼とは違っていて…

理想の彼:理想化した彼

実体の彼に出来ないことは全てしてくれるが私はだんだん違和感と不安が膨れ上がっていく。

思い出の彼:私の思い出の中にいる彼。

数種類のエピソードを持っており、時が経つごとに輝きが増す。

誰にも共有することが出来ず、なんなら実体の彼すら忘れているエピソードもある。

文字の彼:私と一番長く過ごしてきた彼。

私は再会するまで彼の顔は思い出せず、『文字の彼』として受け入れていた。

私のトラブルをいつも気にかけ助けてくれる安心感のある性格。

彼のただ一つの謎はこんなに優しいのに『感情』が入った文章には一切反応をしないこと。

自称イケメン(ただし本当にイケメンです。)の先輩。

自分に自信があり、仕事も顔も自分が一番だと思っている。

ただ、既婚者なのに女の子をひっかけているところはクズである。

私にはないものばかりで、『ある意味』あこがれの先輩。

『彼』への想いの相談相手になってもらったが…

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