長安奪取

文字数 2,278文字

 建武二年(西暦26)一月、ついにそのときが来た。
 この月、鄧禹はあらためて劉秀から梁候に封じられ、四県を与えられたが、それを越える朗報が長安に忍び込ませている斥候から入ったのだ。
「赤眉が長安を去るか!」
 今の鄧禹にとってこれ以上の朗報があろうはずもなかった。
 赤眉はついに長安を食い潰し、別の土地へ移動せざるを得なくなってしまったのだ。
 方向は彼らの故郷のある東ではなく西、右扶風(ゆうふふう)(長安のある京兆尹(けいちょういん)の西にある郡)へ向けて。東へ向かえば兵の帰心が刺激されて脱走兵が増えるのを懸念してのことだろうが、その先はどう考えているのか。おそらく大略は何も考えていないのだろうが、ついに長安が「空家」になったのである。
「よし、長安へ向けて進軍!」
 大要で待ち構えていた鄧禹は、赤眉が長安を完全に退去したところで、出撃を命じた。さすがにその表情は喜々としており、それはこの遠征に参加している将兵も同様であった。


 長安に入った鄧禹たちに感慨はなかった。正確には揚々としていた意気も、その荒廃ぶりにしおれてしまったのである。
「報告は聞いていたが、これほどとは…」
 もちろん人はいる。それも多数。赤眉が立てた傀儡皇帝・劉盆子が、無能ではあっても非情ではない為人(ひととなり)と聞いて、一度逃げ出していた民もかなりの数が戻ってきていたためだが、赤眉や更始帝に抄掠(しょうりゃく)された(あと)はそこかしこに見える。
 一時期長安に遊学し、その活気あふれるにぎわいを覚えている鄧禹には、街の傷ましさがより痛感された。
「よくもここまで…」
 更始帝や赤眉に対する憤りも湧いてくるが、それが偽善であることを鄧禹は知っている。なにしろ彼らの暴掠を放置して自らを食い潰させる戦略を取ったのは、鄧禹自身なのだから。
 軍を進め、皇宮が視界に入ってくると、ほとんどすべての将兵から「ああ…」という悲痛な嘆きが漏れた。
 皇宮は赤眉に焼かれ、黒く焦げた残骸しか残っていなかったのである。
「……」
 鄧禹は在りし日の皇宮を見たことがある。だがそれは新の王莽の居城となっており、漢皇室としてのそれを見ることはついにかなわなかった。その事実にかすかな無念を覚えながら、表情や声に変化は出さず、鄧禹は将兵に命令した。
昆明池(こんめいち)へ」
 それは長安の西南にある周囲四十里を越える池で、過去には水戦の訓練もおこなわれたほどの大きさがあった。鄧禹は斥候から聞いた長安内の様子から、ここを駐屯地にするとあらかじめ決めておいたのである。池といってもその周囲も広く、大軍を置くのに不都合はない。また水が近くにあれば食事や洗濯等の生活用水にも困らない。本来であれば水近くに軍を置くことは危険なのだが、今回は周囲に敵もおらず、安全であった。


 昆明池に到着し、兵は急ぎ自分たちが生活する駐屯基地を造り始める。
 その作業の指揮は諸将らに任せて、鄧禹は兵を連れてある場所へ足を運んだ。
 高廟(こうびょう)である。
 高廟とは漢初代皇帝である高祖をはじめ、十一の皇帝の神主(しんしゅ)(位牌)が祭られている廟のことで、鄧禹が真っ先にここを訪れたのには意味がある。彼は廟の周囲を丹念に確認し、つい最近どころかここ数か月以上、誰も扉を開けてすらいないことを知ると、大きく息をついた。このことは斥候からも報告を受けていたのだが、自分の目で確かめるまで安心できなかったのである。
「ここをしっかりと守れ。あとで交代の兵もやるゆえ、気を抜くな」
 連れてきた兵へ厳重な警備を命じると、鄧禹は昆明池に戻り、駐屯準備の指揮に加わる。そしてそれを終えると、大いに兵たちをねぎらった。
 なにしろついにこの遠征の目的を果たせたのだ。鄧禹をはじめ他の将兵もこの時ばかりは皆で大いに宴し、喜びあう。
 劉秀に兵を授けられ出立してから、一年余のことだった。


 鄧禹は長安の情勢をあらためて調査し、治安を維持しつつ、諸将とともに斎戒(さいかい)を済ませると、吉日を選び、礼に則り高廟を謁祀(えっし)する。そして正式に十一帝の神主を収め、それを洛陽にいる劉秀へ送った。


 この行為には意味があった。
 歴代皇帝の神主となれば、それは漢皇室の心臓であり、正統性の象徴と言っていい。皇帝の象徴としてのレガリア(正統性を象徴する物品)には玉璽(ぎょくじ)の存在があるが、これは今、劉盆子(赤眉)が所持している。これもいずれ赤眉と雌雄を決して入手する必要はあるが、神主も充分にその効果は期待できた。むしろ各陣営が「漢再興」を大義名分に鎬を削っている以上、神主は、より「漢皇室の後継者」としての正統性を示す存在になりうる。
 それゆえ鄧禹は長安進入早々、高廟を確保し、今日を迎えたのである。


 だがこれは、長安がいまだ争奪の対象であるとの認識を鄧禹が持っていることもあらわしている。これからどの陣営が長安を我が物にしようと進撃してくるかわかったものではない。そのような争乱の中で神主を保持し続けるのは難しいだろう。それゆえ早々に安全な場所である洛陽へ送り、劉秀の手元で保護してもらおうと考えたのだ。洛陽周辺にも争乱はあるが、各陣営から()の目鷹の目で狙われている長安に比べればまだましである。
「さあ、これからが大変だ」
 神主を見送り、一つの大仕事を終わらせた鄧禹は、大きく伸びをして心機をあらためた。


 このときより鄧禹は長安の主として京師(みやこ)の経営に入ってゆく。
 鄧禹の政治手腕であれば、荒廃した長安を再興し、劉秀がやってくる頃には安定させることもできたかもしれない。
 だが長安は漢帝国の中心であり、その周辺はそれだけで争いと諍いの巣窟となる。
 赤眉が去っただけで、長安は安定などとは程遠い状況だった。



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