十 推察

文字数 3,712文字

 窃盗事件は刃傷沙汰の強盗事件へ発展する事も考えられるため、町奉行は事件の采配を火付盗賊改方に渡さねばならなくなる。
 町方は文官の集団だ。
 一方火付盗賊改方は盗人との刃傷沙汰を想定した武装集団で、怪しい者は容赦なく捕縛して拷問にかけて、自白を強要する。事件解決どころか冤罪になる者が多く、解決した事件は数少ない。
 今のところ、町奉行が加賀屋の夜盗事件を町方に任せて、火付盗賊改方の介入を抑えている。


 文月(七月)二十二日、昼八ツ(午後二時)過ぎ。
 与力の藤堂八郎は、浅草熱田明神そばの日野道場に、道場主で特使探索方の日野徳三郎を訪ねた。藤堂八郎が奥座敷に入ると、岡っ引き鶴次郎の事前の知らせで、奥座敷には唐十郎たち特使探索方が控えていた。
 藤堂八郎は日野徳三郎に、加賀屋に夜盗が入って五千両が盗まれた事件を話して、加賀屋の御用改めの結果を説明した。
「主が両替屋から金銭を借りると見込み、小間物売りの与五郎を両替屋の手の者として加賀屋に潜入させて、加賀屋に夜盗の仲間がいないか探らせたい。
 日野先生はいかが思いますか」

 徳三郎は藤堂八郎の問いに答える前に、事件を推察して言った。
「加賀屋内部に夜盗の仲間がおるなら、最近、加賀屋に入った奉公人を探るのが筋に思う。
 誰ぞ、新たに奉公人が入ってはいまいか」
 藤堂八郎はなるほどと思った。しかし、最近加賀屋に入った奉公人は、上女中の多惠だけだ。多惠は来月、主の菊之助と祝言を挙げて菊之助の女房になる。多惠が夜盗の仲間のはずがない・・・。
「卯月(四月)初旬、主の菊之助の女房の八重が死に、皐月(五月)下旬に上女中の多惠が奉公に入りました。
 菊之助は女房の八重にそっくりな多惠に惚れて、来月、葉月(八月)初旬、多惠と祝言を挙げる運びと聞いています。
 新しく入った奉公人はこの多惠だけです」
「ならば、その多惠を探るのが先ではあるまいか」と徳三郎。
「そうは言っても、日野先生。
 多惠は菊之助の女房も同然の立場です。とてもそんな事は・・・」
「考えられませぬか」
 日野徳三郎はじっと藤堂八郎を見つめた。
「有りうる事かと・・・。
 私とした事が、多惠が菊之助の女房になると聞いて、まったく疑いもせなんだ。
 なんとした失態を・・・」
 藤堂八郎は自分の不手際に落ちこんでいる。

「藤堂様。お気にめさるな。まだ多惠が事件に関わっていたと決った訳ではござらぬ。
 多惠が夜盗の一味なら、いずれ連絡を取るはず。
 藤堂様の案のとおり、与五郎を潜入させて多惠を見張り、その間に多惠の身元を調べるのが賢明でしょう」
 徳三郎はこれ以上藤堂八郎が落ちこまぬよう気遣った。
「あいわかった。早速、出入りの両替屋に話をつけるゆえ、与五郎は加賀屋へ潜入して、多惠の身元を探ってくれまいか」
 藤堂八郎がそう言うと、
「わかりました。なんなりとお申し付けください」
与五郎は快く答えた。

「多惠は山王屋から斡旋されたと話したが、山王屋の探りはいかがしましたか」
 そう言って徳三郎は町方の探索を確認した。
 藤堂八郎は意表を突かれたようなまなざしを徳三郎に向けた。
「調べた方が良いでしょうか」
「山王屋が事件に絡んでいれば、探りを入れたとたんに逃げられてしまう。
 今は内密に、人別帳などで、多惠と与三郎の身元を探るのが先でしょう」
「そのようにしましょう」
 藤堂八郎はほっとしたようにそう言った。
「して、加賀屋に錠前を納めたのは、錠前屋の獅子堂屋の誰か、探れそうですかな」
「今、同心たちが手分けして探ってます」
「他にも、似たように夜盗事件がなかったか調べてくだされ・・・」
「なるほど、他の夜盗事件前に、山王屋の斡旋がなかった調べましょう」
 ここまでは考えもしなかったと藤堂八郎は思った。

「ところで、今日の藤堂様はいつもと違うが、どうなされた」
 今日の藤堂八郎はいつもの藤堂八郎とは違い、事件に関して頭がまわらない。徳三郎は、藤堂八郎が日野道場に現れた時から、その事を見抜いていた。
「実は、菊之助の亡くなった女房の八重は、かつて私の側室でした・・・」
 藤堂八郎が思ってもみない事を話しはじめた。


 四年前の、卯月(四月)初旬。
 与力の藤堂八郎は町人の八重と相思相愛で契りを交した。その事を八丁堀組屋敷の両親に説明した。
 元与力の父の藤堂八十八と従叔父の藤堂八右衛門によって、八郎と八重の関係は町奉行へ報告された。その結果、町奉行立合いの元で、吟味与力である従叔父藤堂八右衛門による八重の父の源助(元仙台藩士の佐藤源之介)と八重の吟味がなされ、元仙台藩士の佐藤源之介の娘の八重は、藤堂八郎の側室として町奉行に認められた。町人風に言うなら妾である。(江戸期の妾は現代の愛人とは違う。江戸期の妾は、夫の家族や一族から認められた、れっきとした第二の妻である)
 そして、八重の父の源助は長屋の別棟に移り、藤堂八郎は日本橋元大工町の八重の長屋から北町奉行の役目に出仕していた。
 しかし、藤堂八郎が八重と暮した一年余り後に、八重の父の源助が故郷の仙台で他界して、八重が気を病んで三行半を求めたことから、藤堂八郎は仕方なくこれを承諾した。

 その後。藤堂八郎は風の噂に、八重が加賀屋に嫁いだ事を知り、その二年後、八重が亡くなった事を知った。今年卯月(四月)初旬ことである。
 そして、八重の死から半年も経たぬうちに、夜盗被害に遭った加賀屋で、藤堂八郎は八重に瓜二つの多惠を見いだした。しかも多惠は来月早々、加賀屋の主の菊之助と祝言を挙げると聞いたのである。


 藤堂八郎が説明を終えた。
「うむ・・・。藤堂様は、多惠が八重だと思うておいでか」
 徳三郎はそう言って藤堂八郎見つめた。
「めっそうもござらぬ・・・」
 藤堂八郎は返す言葉がない。
徳三郎は諭すように言う。
「姿形が似ていても、心まで同じ事など有り得ませぬ。夜盗の一味ならばなおの事。
 八重の仕草、立ち居振舞、心配りなどを真似て、加賀屋菊之助に取り入って加賀屋に入ったとも考えられましょう」
「では多惠を詮議しますか」
「そう早まらず、証拠を見つけるのが先でしょう。
 私の方は山王屋を探る方策を練ります。
 藤堂様は錠前屋と、これまでに起きた夜盗事件と山王屋の関係、そして、与五郎を加賀屋へ潜入させて、内部にいるであろう夜盗の一味を探ってください」
 徳三郎は、その場に控えている小間物の辻売りをしている与五郎を見て藤堂八郎にそう言った。
 徳三郎の話を聞いていた与五郎が意を解して頷いている。

「多惠の身元はいかがに・・・」
 藤堂八郎は多惠をどう調べてよいかわからなかった。どうしても、八重だと思ってしまい、取り調べるなどできそうにない・・・。
「藤堂様による多惠の調べは、奉行所の人別帳の調べまでに留め、その後の調べは我らに・・・」と徳三郎。
「多惠を探る事から、私は外れろと言うのですか」
 藤堂八郎は苛立ちを覚えた。町方では手に追えぬと言うのか・・。
「そうではござらぬ。今回の御用改めで、町方の顔は多惠に知られたはず。
 多惠が夜盗の一味なら、多惠の探りに町方が動いている、と夜盗たちに知れます。
 与五郎を加賀屋に潜入させて、夜盗の一味がいないか探るは、夜盗たちに気づかれまいとする藤堂様のお考えのはず」
 探り一つかけるのに、町方を納得させねばならぬとは・・・。
 徳三郎は、やれやれと思った。
「わかりました。内密にですな・・・」
 ようやく藤堂八郎は納得した。

「では、打合せますか・・・」
 と言う徳三郎の提案に藤堂八郎が納得して言う。
「あい、わかった。
 我らは、過去に山王屋から上女中を斡旋されて、その後、夜盗被害にあった店がなかったか調べ、錠前屋を探る。
 加賀屋が出入りしている両替屋に説明して、与五郎を加賀屋へ潜入するよう話をつける。
 与五郎は加賀屋に夜盗の一味がいないか探って欲しい。
 承知してくれまいか」
 そう言って藤堂八郎は小間物の辻売りをしている与五郎に頭を下げている。
「ようござんす。このあと、藤堂様に同行いたします」と与五郎。

 藤堂八郎に代って徳三郎が、とんでもない事を言いだした。
「儂に考えがある。まずは、多惠の身元を探り、その後、藤兵衛に御店を開いてもらう。
 唐十郎が表立って動いたら、加賀屋の事件で特使探索方も動いている、と夜盗たちに感づかれてしまう。ここは穏便に山王屋と加賀屋を探るに限る。
 唐十郎は稽古から遠ざかっておるゆえ、道場の師範代補佐に加え、柳生宗在様の指南役補佐を勤めるように・・・。探りをあかねと相談するがよいぞ・・・」
 徳三郎は妙な事を言っている。
 徳三郎の甥の日野唐十郎と、子息の日野穣之介、門人の坂本右近は、ともに日野道場の師範代補佐であり、柳生宗在剣術指南役の配下で指南役補佐を勤める、特使探索方である。
 そして唐十郎の妻あかねは、今は亡き堀田正俊の義女で忍びである。

「わかりました」
 辻売りたちと藤兵衛、唐十郎はそれぞれがそう答えた。
「では日野先生。探りの結果がでたら連絡いたします
 藤堂八郎が与五郎を連れて、岡っ引きの鶴次郎とともに日野道場を去った。
 八ツ半(午後三時)を過ぎていた。
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