十五 番頭の安吉

文字数 2,069文字

 文月(七月)二十三日、夕七ツ(午後四時)前。
 正太が山王屋を訪れると主の与三郎は留守だった。正太は奥座敷へ通されて茶菓をふるまわられ、主の与三郎に代って番頭の安吉が正太の話を聞いた。

「お話はわかりました。
 藤正屋さんが御店を開くのは、いつになりましょうか」
 番頭の安吉は低姿勢だ。 
「はい、来月の二十日には開店します。
 その頃には、上女中を奉公させて欲しいのです」
 と藤正屋の番頭の正太。
 今日は文月(七月)二十三日だ。開店はひと月ほど後の、葉月(八月)二十日だ。

「わかりました。それでは、藤正屋藤兵衛様の、お亡くなりになった御内儀の似顔絵を作りたいと思います」
「今日は日本橋まで帰らねばなりません。また日を改めて主の藤兵衛とっしょに伺います。
 それでよろしいでしょうか」
「お話はわかりました。今日は主が留守ですから、私からお話を伝えておきます。ご安心ください・・・」
 番頭の安吉はしばらく考えていた。

 しばらくすると、安吉は何かを決意したように口を開いた。
「実は、上女中を捜すのに手間暇かかります。
 できるだけ早く捜したいと思いますので、ぜひとも明日、こちらにおいでくださいまし。
 主の与三郎とともに昼餉を食べていただき、似顔絵を作りましょう。
 主ともども、藤正屋藤兵衛様と番頭様をお待ちしております」
 そう言って番頭の安吉は正太に深々とお辞儀した。

「これはご丁寧に。こちらこそよろしくお願いいたします。
 それでは明日の昼四ツ(午前十時)頃には、こちらに参りましょう」
「お待ちしております。外までお送りいたします」
 正太は番頭の安吉とともに奥座敷を出た。
「明日のご訪問をお待ちしています 気をつけてお帰りくださいまし」
 番頭の安吉に見送られ、正太は山王屋を出た。

 一町ほど歩いて、正太は科野屋に戻った。
「とりあえず帰ろう」
 唐十郎たちは科野屋を出た。日野道場へ帰る道すがら、
「番頭の安吉と話しました。明日の昼四ツ(午前十時)頃に、主の与三郎が私たちに会ってくれるそうです」
 正太は番頭の安吉との話し合いを説明した。


 暮れ六ツ(午後六時)前。
 三人は日野道場に着いた。打ち合せ通り、あかねと綾は日野道場にいた。両替屋へ行っていた小間物売りの与五郎も、口入れ屋に出入りする者と口入れ屋の身元を探っていた飴売りの達造と毒消し売りの仁介も、すでに戻っていた。
「唐十郎さま・・・」
 山王屋与三郎の近辺を探っていた達造と仁介が報告した。
 二人の探索によれば、口入れ屋に出入りする者は、女房が健在な大店の主だけで、山王屋の近辺に与三郎の身元について詳しく知る者はいなかった。
「わかりました。ご苦労さんでした。正太と藤兵衛と私から、皆に説明する事があります」
 そう言って、唐十郎たちは母屋の座敷へ入った。

 座敷で、正太と藤兵衛と唐十郎の報告が終ると、徳三郎が言った。
「田所町の亀甲屋を一次的に借りる話は、儂から与力に話しておいた。
 与三郎と多惠は仙台から江戸に出てきたのであろう・・・。
 八重について藤堂様の説明から考えられるのは、唐十郎が考えたように、加賀屋菊之助に嫁いだのは八重さんではのうて、多惠であろう。八重さんを二年間監禁して殺害し、後に上女中の多惠として加賀屋に奉公して夜盗を働いたのであろう。
 しかしじゃ、八重さんを殺害する理由がわからぬ・・・」
 そう言って徳三郎は考えこんでいる。
「山王屋に出入りする客は羽振りの良い大店の主ばかりです。加賀屋も大店です。大店の御内儀の八重さんのままでは、上女中の多惠のようには動けなかったからでしょう・・・」 達造と仁介はそう言った。
 とは言え、働き者の八重の評判は単なる大店の御内儀とは違っている。多惠が八重に扮していたなら、それも頷けるかも知れないと唐十郎は思った。。

「私は両替屋佐渡屋の番頭として、明日(二十四日)から加賀屋に奉公に上がります。
 奉公人たちの動きと八重さんの死因を探ります。
 ところで、加賀屋に出入りしていた錠前屋は、獅子堂屋の番頭の番頭の安吉と聞いてます。山王屋の番頭の安吉と名前が同じなのが気になります」
 と与五郎。
「獅子堂屋の番頭の安吉が夜盗の一味だろう・・・」
 加賀屋の土蔵の錠前の件は納得できるとと唐十郎は思った。。

 徳三郎が言う。
「では、明日の手筈を確認しよう。
 藤兵衛と正太と唐十郎は山王屋に上女中の斡旋を依頼する。
 与五郎は加賀屋に奉公し、夜盗の一味と八重さんの死因を探る。
 達造と仁介は儂とともに田所町の亀甲屋を借り受けて藤正屋にする。
 すまぬが、穣之介と右近は唐十郎に代り、幕閣の剣術指南をしてくれ。よいな」
「わかりました。剣術指南の方が生に合っているゆえ、気にするな」
 徳三郎の子息、穣之介が坂本右近ともども徳三郎に答えて、唐十郎に目配せしている。

「みな様。そろそろ夕餉にしてはいかがでしょか」
 徳三郎の妻、篠が座敷に現れてそう告げた。
「ちょうど打ち合せがすんだところだ。
 さあ、みなも手伝え。夕餉にしようぞ」
 徳三郎は笑顔で皆に夕餉の膳を座敷に運ばせた。
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