5-2

文字数 2,938文字

 ――孤児院施設の応接室。

 走り梅雨の、陰鬱な霖雨の中。
 家財道具の殆どを売り払ったその部屋にあるのは纏わりつく湿気、そして一つの粗末な机と二つの立派な椅子。

「てめぇ責任者だろ? 若いからって容赦しねぇぞ? お?」

 机に足を乗せ、威圧的な態度でその男はイツキの前に座っていた。
 色眼鏡に柄シャツのチンピラだったが、その隣にはイタリアン・スーツを着た身なりのいい男が立っており、それなりの地位と資金力も窺わせる。

「……責任者の俺が、断ったんだ。あとは、あんたが帰ってくれればいい」

 浮かない気分でいた。
 そんなイツキの厄介払いの言葉を、男は挑発的と受け取った。

「てめぇ舐めてんのか!」

 そう言われて、イツキはより面倒になる。

「あぁ……」

「このクソガキャ!」

 男はイツキの生返事に腹を立て、立ち上がってその胸ぐらを掴んだ。
 連れのイタリアンスーツの男は、微動だにしていなかった。



 このチンピラ男――三菅(みすが)政人は、非合法の臓器バンクを運営している。

 三菅は地方の弱小犯罪組織の長男として生まれ、後を継がせたくない父親の意向を無視して組織の長になった。
 「マフィアも時代に合わせるべきだ」という自身の考えの下、手段を選ばず金集めをした。

 馬鹿なりにも参謀に恵まれ、最終的に“楽に稼げる”商売として小児の臓器販売に行き着いた。
 子供の臓器はそれ自体が手に入り難く、移植用よりもむしろ観賞用としての需要によって異常に高く売れた。解体時の映像も添えればさらに高額をつけられる。むしろ複製が容易なその映像の方が、利益の大半を占めていた。
 流通・密造の点で麻薬よりもリスクが低く、同業者も少ない。効率が良かった。



「こっちは拉致ちまってもいいんだぜ?」

 座りなおした三菅のその言葉で、ようやくイツキの眼つきが変わった。今になってやっと目前の人間に興味を示したかのように。
 三菅は始め、孤児院にいる中学生以下の子供14名を、負債額の二割(つまり一億)で買うと申し出た。
 イツキはすぐに断った。

 三管はイツキの情報をペレストロイカ経由で得たのだろうと、イツキは考えている。
 同志リストの中に三菅の名前があった事を覚えていた。職業欄に“自由業”と書いてあったのが印象的で、記憶に残っていた。
 借金を負った孤児院など、三菅にとってはいい仕入先に見えたのだろう。

「……なら俺は、あんたを殺してもいい」

 その言葉にキレた三菅は、イツキを殴り飛ばした。
 倒れずに踏みとどまったイツキが三菅を睨み返し、それにより逆上した三菅はもう一度殴りかかった。

「……?!」

 が、その手が止まる――止められていた。
 イタリアンスーツの男は動いていない。三菅の腕を掴んでいたのは、“燕尾服”の白手袋――“リッター”と呼ばれる人間。

「それ以上イツキ様に触れるな」

 そう言って突然現れたその燕尾服の“女”は、三菅を背負い投げで床に叩きつけた。

(リッター……女?)

「イツキ様」

 苦しそうなうめき声を上げて床に転がる三菅を無視し、女はイツキを見た。
 長い黒髪を低い位置で結わった、イツキよりも少し身長の高い女。
 イツキに向かって“礼”をした。

「初めまして。これから先、イツキ様の護衛を致します“若葉”と申します」

「……あんたが?」

「イツキ様の身に危険が及ばぬよう、24時間つきっきりでお護り致します。ただ、それだけの存在です故。何もお気にはなさらず」

「……」

 少し反応に困ってイツキは、なおも動かないイタリアン・スーツの男に視線を遣った。
 その男は三菅の心配をするでもなく、イツキと視線を合わせると「やれやれ」と言いたげに肩を竦めて視線を外した。

(こっちの男はリッターじゃない……のか)

 三菅がようやく起き上がった。

「イツキ様、お下がりください」

 若葉はイツキの前に立ったが、三菅は観念したのか、立ち上がった後は殴りかかろうとはしなかった。

「てめぇ舐めてんじゃねぇぞ……追い込みかけて! ぜってぇ後悔させてやるからな! 帰るぞ蓮谷!」

 そう吐き捨て、イタリアン・スーツの男と共に施設を出て行った。

 残されたイツキと若葉。

「……」

 平日の、他に誰もいない時間。静寂が訪れた。
 イツキが困ったのはこの若葉、イツキの隣に立ったまま動こうともしない。

(この“若葉”とかいうリッターは……あの時、潤を連れていった奴じゃない)

 アテが外れた。しかし今更変更も出来まい。

「あー……若葉」

「はい」

「帰っていい。助けてもらった事には礼を言うけど、今は一人でいたい……」

「駄目です」

「え」

「同志の絶対的護衛が使命です故」

「……キャンセルは?」

「出来ません。それに“リッター”は護衛が主任務ですが、同志が滞りなくゲームが行えるようサポートするのも役目です故、いた方が便利な存在であると自負しております。特に“前の”主は大きく賭ける事が多かった故、“賭け金や賭け物の回収”もよく命じられました」

(……あのバーのマスター、イマイチ話が通じてなかったな……)

「主の命令は絶対とされています。貴方が命令を下されるのなら、私は遅疑なく確実に遂行致します」

「……じゃあ、護らなくていいよ」

「その命令は聞けません」

「……」

 会話が途切れた。
 静寂を嫌うイツキではないが、それは一人である時であって、他者と同じ空間での沈黙はあまり落ち着かない。

 だから何か話題を探すか、或いは何か考え事で気を紛らわせようかと思っていた。

「“前”の主に」

 しかし先に沈黙を破ったのは、若葉の方だった。
 それは話すべきか悩んだ結果の、迷いあるような声でもあった。

「……“貴方の父”に、同じ命令を受けました。結果は……」

「……」

「……貴方の、知っての通りです故」

「……そう、か」

 また少しの、沈黙が流れ、

「……目を、離してほしくなかった」

 今度は先に口を開いたのは、イツキだった。

「はい。ですから今回は、貴方から一時も離れないつもりでいます」

「え」

 が、自分の言った事を割りと後悔した。





 ――それからしばらくして。

 夕方になり、施設の子供達が帰ってきた。
 日が沈むかという時刻に琴乃が帰ってきた。

「ただいまー……って」

 いつものようにロビーのソファーにいるイツキの隣、その女を琴乃はすぐに見つけた。

「あれ、イツキその人……」

 別に何も後ろめたい事はないのだが、イツキは琴乃に向き直れない。
 “知らない女と一緒にいる”ところを見られたのが、何か良くない、気がした。
 しかし琴乃は。

「前いた職員さん、だよね? お父さんの送迎やってた……」

「……?」

 そう、意外な事を言った。
 言われてみれば父は行き先を言わずに何処かに出かける時(今思えばそれはペレストロイカへ行っていたのだろうが)、迎えの車に乗っていた。
 てっきりタクシーかハイヤーかと思っていたが、その辺りは節約する筈の父だった。

 イツキは、若葉に視線を送った。

「話を合わせろ……“命令”だ」

 小声で言った。

(合わせるも何も、送迎は事実ですが……)

 と思いながらも若葉は、命令と言われれば聞くだけだった。

「はい。今度はイツキ様の送迎を致します故」

「あ、そうなんですか」

「はい。24時間つきっきりで」

「え、24時間?」

 何か、話が拗れそうな気がした。
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