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文字数 2,866文字

 だから静かに深く息を吸い、静かに吐いた。
 手はゆっくり動かした。ミハイルのような機械的な正確性は必要ない。

 上から12枚、カードを取った。
 それをテーブルに置き、残りをその上に重ねる。
 イツキはただそれだけを行い、

「……始めよう」

 呟くように言った。

「ささやかだね。あぁ、それじゃあモデレーターを呼ぼうか」

「……モデレーター?」

 ミハイルが指を鳴らすと、階段を降る足音が聞こえた。
 やがて舞台右袖の拷問室に、三人の男達が現れた。
 三人とも白背広、無個性な体格。異様だったのは、白塗りの仮面で顔が覆われている事だった。

「審判が必要だよね。ペレストロイカ運営部に所属する“モデレーター”、勝敗のジャッジをする人間だ」

 何一つ模様のない、白塗りの仮面。それは男達を人間というより、“人形”のように感じさせた。

 三人のうち二人は拷問室に残り、一人だけが舞台上へと歩み入った。舞台を正面にして、テーブルの後ろに立つ。
 拷問室の二人は唯花の両隣に立っている。彼女を囚えているかのように。

 テーブルの後ろのモデレーターが、

「それでは、ゲームを開始します」

 抑揚のない、無感情な声でそう言った。

「安心していいイツキ君。彼らはちゃんと教育されている。私を贔屓したりはしないよ」

 イツキはミハイルを信じている訳ではないが、あまりに人形的で生気を感じないその“モデレーター”は、言葉に信憑性を持たせていた。

「それじゃあ、私が先攻だったね。カードを引かせてもらうよ」

 ゲームは始まっている。
 ミハイルは、積まれたトランプの山に右手を伸ばしていた。

「ミハイル」

 イツキは、その名前を呼んだ。
 ミハイルが手を止める。

「それからモデレーター。もう一度だけ確認する。“ジョーカーを引いたら負け”、でいいんだな?」

 イツキはモデレーターを見た。モデレーターは、コクリと頷いた。

「もちろんさイツキ君、それがルールだ」

 再び動き出したミハイルの手が、トランプに触れた。
 が、そのまますぐに引かない。

 ミハイルの右手はトランプの山札に置かれたまま、また動きを止めていた。
 ちょうどその大きな手のひらで、山札を覆っている。

「……何をしている?」

「ルールは、順番にカードを引いていく……としている。上から順番に、ね」

「あぁ」

「“一枚”、とは決めていないんだ」

「……?」

「一度に二枚でも三枚でも、望むなら53枚引いてもいい。そういうルールなのさ」

「……だったらそうすればいい。引いた中にジョーカーがあったら負けだろう?」

 イツキの中に、不安はまだ残る。
 ルールは確かにシンプルで、誰にでも理解出来る。だがそのルールを決めたのは自分じゃない。
 このゲームはミハイルが用意し、ミハイルが始めたゲーム。

「あぁその通りさイツキ君。何枚引いても、その中にジョーカーがあったら負けさ。だから」

 ミハイルは、手を山札から離した。その手のひらの中に、カードは一枚だけ。

「一枚だけにしておくよ」

 その右手に握り込んだカードを、自分で見るより先にまずイツキに見せた。
 イツキは。

「……!」

 零れそうな声を必死で飲み込んだ。

「さぁ、私は何を引いたかな?」

 ――クローバーのJ。

「……そんな筈……」

 あり得ない。
 イツキは思う。自分は確かに、山札の一番上をジョーカーにした。

「おや」

 ミハイルは自分の手札を見て、驚きもしない。

「一枚目からって事はないよね。さぁ、次は君の番だよ」

「そんな筈はない……!」

 立ち上がったイツキを見て、ようやく多少、ミハイルは目を丸くした。
 しかしそれにも余裕が見える。安全が確保されているような、まだ全てが予測の範囲内にあるような余裕。引いたカードの絵柄すら必然であるような、安全圏にいる人間の表情。

「どうして?」

「い、いや……」

 確かに“積み込んだ”。だがそうは言えない。
 イツキは、また座るしかない。
 自分の“目”は正しい筈だった。何処かでズレたのだとしたら、もうジョーカーの位置はわからない。

「さぁイツキ君、次は君の番だ。急ぐといい。一手は180秒以内としている。時間を過ぎても君の負けなのだから」

「……」

 そう言われても、すぐには動けない。
 イツキは記憶を必死で辿った。ミハイルのシャッフルを、間違いなく正確に記憶している。

「……実はね」

 戸惑うイツキを見かねたかのように、ミハイルの言葉。何処か優しく諭すような声。

「シャッフルの前、広げたカードをまとめた時にね。一番上にあったカードを――まぁそれがジョーカーなんだけど、それをどうも中程に入れてしまったようでね」

「……何……」

「私自身、もうどの辺にジョーカーがあるか予想もつかないんだ」

「…………!」

 イツキは、動揺を顔に出さずに抑えた。
 だとしたら。
 全て無意味だった事になる。
 ミハイルの動きを覚えた事も、ジョーカーの位置を追った事も。
 ゲームは始めに意図された通りもっと原始的になり、より強い“運”を持った者が勝利する。
 ミハイルの言葉の通りなら。

「勝敗はもう誰にもわからない。でもそれが正常だろう? “ギャンブル”なんだから」

 山札に手を伸ばし、イツキはまた思考を巡らせる。だが有用な策など浮かばない。
 ミハイルの言葉は何処か虚構じみている。言葉も、動きも。

(嘘だ。ミハイルは何処か、虚構だ。この場所も、今の俺も……)

「いや、ギャンブルに限らない。それはきっとこの世界のシステム――生まれながらに神に愛され」

 ミハイルが言葉を続ける中で、イツキは山札に触れた。

「祝福され、幸福な家庭で育ったのなら。きっと、この世界で勝利出来る」

(夢……どんな悪夢でも、いつかは覚める……だから)

 “何枚引いてもいい”。そのルールがあって、二枚以上引くわけがない。
 イツキが引くのは、一枚だけ。

「だけど」

(引くしかない、カードを……一枚ずつ引くしか勝ち筋がないのなら……)

 あの“動画”が脳を過る。
 目の前の男は、きっと約束を違えない。ミハイルが勝利すれば間違いなく、確実に、唯花は解体され殺害される。
 自分を「お兄ちゃん」と慕ってくれている女の子が、自分の行動如何で拷問され死に至ると考えると、心が軋む。

 イツキは手にしたカードを手元に寄せて、指で持ち上げ、

「地下室に、神はいない」

 絵柄を確認した。

 イツキの思考は数瞬の間停止した。カードを持つ手はより大きく震え、顔からは血の気が引いていく。

「ねぇ、イツキ君。君は何を引いた?」

 力を失ったイツキの手から、カードが滑り落ちた。

「……違う」

 拷問室の唯花が、仮面の男達に連れられ、薄暗い拷問室の奥へと消えた。

「…………これは、間違っている。何処か…………そうだ、ずっと……」

 ――脳が灼かれ始めてからずっと――

「……夢の中にいるようだ……」

 イツキが絞り出すようにそう言うと、ミハイルはやはり優しく、諭すように――震えるイツキの顔に“左手”をそっと伸ばし、頬を撫でた。

「現実さ」

 テーブル上に落ちたカード。描かれていたのは微笑む道化師と、“THE JOKER”の文字。
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