第48話:熱海旅行と母との別れ

文字数 1,575文字

 中咲きの梅「呉服枝垂『くれはしだれ』」は、八重咲きの美しい花が特徴。足湯の近くなど、園内に5本植えられている。遅咲きの「思いのまま」園内に6本植えられている「思いのまま」は、1本の木に紅梅と白梅が混在して咲く珍しい品種。育てている人の希望など気にせず思いのまま咲き分けるので、このような名前がついたらしい。

 1輪1輪色が違っている事もあれば、1輪の中に紅と白の花びらが混じったものもある。毎年姿を変えて咲き誇るのが特徴。「中山晋平記念館」の入館は無料。梅まつり期間中は無休。中山晋平は、大正から昭和にかけて「シャボン玉」や「春がきた」などの童謡や「東京音頭」など数多くの大衆音楽を作曲した。

 第二次世界大戦が激化した1944年、東京中野から熱海市に移住し1952年に亡くなるまで熱海で暮らした。彼の別荘として1935年に建築された建物を1991年に「熱海梅園」に移築。ピアノなどの愛用の品々や直筆の譜面などを展示している。その後、来宮駅近くの来宮神社に、お参りしてきたのは言うまでもない。

 来宮神社には樹齢2000年と言われる大楠があり、人に願い事を言わずに幹を回ると願い事が叶う、幹を1周すると寿命が1年伸びるといった伝説が話題となり来宮神社に祀られている。神様は、3人。1人目は縁結びや営業繁栄の神様、大巳貴命「おおなもちのみこと」2人目は日本の木を植樹したと言われる生命の神様、五十猛命「いたけるのみこと」

 3人目は有名な武勇と決断の神様、日本武尊命「ヤマトタケルノミコト」で参拝方法は2拝2拍手1拝。見るものを圧倒する存在感!来宮神社の境内には、そんな驚くべきご神木がある。このご神木は大楠で日本では2番めの大きさ、本州でみるとNO.1の巨樹。来宮神社の大楠は“長寿の神木・成就の神木”とも呼ばれ、様々な伝説がある。

 この他にも、長い時代を生きてきた、ご神木なので、人生に迷った時に幹の周りを歩くと1歩踏み出す勇気をもらえるらしい。ちなみに大楠を回るルートは右回りでも左回りでもOK。最初に上り坂、後から下るコースが好きな方は右回りに。最初は、平たんな道で後から上ったり下ったりするのが好きな方は、左回りに進むと良いようだ。

 熱海の名所巡りを終えて午後16時過ぎに帰って来た。その後、風呂に入り、ゆっくりしてから夕食会場へ行った。2回目なので、母も慣れた様で好きな物を選らんで、ゆっくり食べた。19時過ぎに部屋に戻ると母に電話が入った。何やら話し、わかった明日帰ると言った。内容をそれとなく聞いた。電話で母が不在だと、十津川興業が、うまく動かなくて困っている様だ。

 明日、新幹線で夕方までに帰らなければならなくなったと昨日の笑顔からこわばった顔になった。それを見て無理しないで身体を壊さないでねと夢子が話した。すると、お前に、構ってやれずにすまないねと告げた。また時間が作って遊びに来るからねと言い2人で大泣きし、芝山伸吾は、困ってしまった。すると、しばらくして何もなかったように雑談を始めた。

 そこで、明日、何時頃に津軽に着けば良いと芝山伸吾が聞くと、遅くとも18時前と言ったので了解と答えた。その後、芝山伸吾は、熱海発10時で青森に15時前に着く列車をスマートフォンで予約した。そして、この日は、観光して回ったので疲れて22時には寝てしまった。翌朝、朝食後9時半にホテルを出てタクシーで熱海駅へ行った。

 そして購入した切符をもらい10時の熱海発の新幹線にのり東京駅に11時前につき東北新幹線ホームまで母を送り東北新幹線に乗せ芝山夫妻は家に帰った。すると15時、母が青森に着いたと電話が入った。この年、その後、特に旅行する事もなかった。夢子は、以前やっていた音楽教室に行き、娘と一緒に生徒にレッスンをしたり練習方法の指導をしたりしていた。
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