第3話 亡命

文字数 3,327文字

「おまえ。ピオニーに亡命しろ」
 ふいにルディの言った言葉に、ラヴィは驚いて顔を上げた。
 怒りに震えるルディが、それに立ち向かうように砂漠の砂を掴んでは激しく投げていた。投げても投げても砂は熱風に巻き上げられ、ただ自分の身体に舞い戻ってくる。それでもルディは砂を投げ続ける。

「ピオニーに入れ。帰ったところでもう除籍されてるかもしれない。無線が途絶えたところで死んだことになってるかもしれない。こんな緩衝地帯に教官もつけずに放りだすなんて論外だ。もし間違って領空侵犯してたら、おまえは撃ち落とされるか捕まってたかもしれないんだぞ。この場所の正確な位置を知ってるのか?」

 ラヴィはその問いに答えられない。与えられたコースを辿ろうとした途端に全ての機器が故障してしまったのだから当然のことだと言えた。ここがピオニーとの緩衝地帯であり、どちらの国にも属さない場所だと信じて疑わなかった。

「ピオニーはほんの少し先だ。この機なら15ミリオンもかからない」
 ルディの言葉にラヴィがぞくりと身体を震わせた。何も砂漠に突っ込まなくとも自分は撃ち落とされていたのかと。相手にとってそれは正当な行為であって、領空を侵した自分のほうにこそ責任が問われる。
 与えられたコースは元々安全など考慮してはいなかった。それどころか、何をしたとしても全てが死に向かうように画策されていたのだ。

「ラヴィ、よく聴け。亡命すれば政府の管理下に置かれる。監視される。けれど年齢や生い立ちを考えれば、そんなに厳しいものにはならないはずだ。俺のいる軍に来い。俺の所属する特区は、特殊能力者を欲しがってる。一日も早くシャルーを独立国家にしたいからな。迫害するより利用したほうが合理的だと思ってるんだ。俺はそれを利用させてもらってる」

 独立国家。ルディの語ることはラヴィの知らないことばかりだった。つまりはそれだけハイトの言論統制が厳しく、国民に正しい情報が伝わらないように操作しているということだ。
 特殊能力者に対する迫害も表立っては出てこない。
 ピオニーの移民計画についても知らないわけではなかったが、まさか独立を宣言するとは思っていなかった。

 この星の二つの国は、いわば双子だった。一つの星を平等に分け合い、一つの衛星の糧を平等に分け合って、お互いに自立しながらもくっついて離れない双子の国。
 元々、二つの国の統率者は兄弟ですらあった。激しく反目したわけでもなく、ただその思想の違いから別の国家を築いていった二人。
 この砂漠の星では、お互いに助け合わなければ今までの文明は築いてこられなかった。オッジの開拓にしてみても両国家が共同で行ってきた。
 だがその関係性は、この国の技術力が成熟期を迎えた百年ほど前から変化した。
 長旅のできる宇宙船の建造に成功すると、ピオニーの目標はシャルー星への移民計画に傾いた。しかし同じだけの技術力を持ちながらも、ハイトはメーニェに築き上げた地下都市の発展に尽力した。

「なんで俺のこと助けようなんて思ったんだ?」
 ラヴィの問いにルディはまた肩をすくめた。
「目の前で砂漠に突っ込んでいくのを見て、何もなかったように素通りするようなヤツじゃねぇよ、俺は。それにあと少し行けば緩衝地帯を抜けてしまう。何を考えているのか確認する義務も俺にはあった。ちゃんと自分の基地には報告してるから時間なんて考えなくていい。ゆっくり考えろ。俺は待つ」

 そう告げるとルディは口を閉じ、引っ張り出したばかりの機体が砂に埋もれていく様を眺めた。風が吹き付けるたびに古い機体は少しずつ隠されていった。
 ラヴィも同じ光景を眺めながら、自分がもう死んだことにされているというルディの言葉を反芻する。

 隠されていく。特殊能力者は国に必要のないもの。いないもの。見つけると同時に消されていくもの。
 自分は居場所がほしかった。どんなに酷い目にあったとしても、いつか認めてくれる人物が現れて自分を救いあげてくれると願っていた。
 あの三歳の時に砂漠で拾ってくれた兵士のように、自分を助けてくれる人がまた現れるのだと願っていた。それなのに……。

「ルディ。あんた何歳?」
 ふいに口にされたラヴィの言葉に、ルディが唇をまげて苦笑いを返す。
「十六だけど? 入隊してまだ二年目の新人だよ」
 ラヴィは気後れした。ルディが自分と同い年だったからだ。ルディの話しぶりはきちんとしていたし、判断も的確だった。随分と大人な雰囲気を持っていると感じていただけに、自己嫌悪がラヴィを襲う。
 ルディは背も高かった。まだ少年の面影を残してはいたが、気の強そうな端正な顔はラヴィの目にはとても遠い存在に見えていた。

「ふぅん。それでもう上等兵なんだ。優秀なんだね。俺も同い年だよ」
「俺の国では特殊能力者の兵士は優遇されてるのさ。とっとと階級を与えるから、たくさん仕事をしてくれってことだ。それだけだよ」
「そうなんだ」
 それきり黙り込んでしまったラヴィに、ルディが問うた。

「あの国に、なんの未練があるんだ?」
 未練。ラヴィの脳裏に一人の少年兵の顔が浮かんだ。仕事の後、ささやかな水の流れる川の土手に座り込んでいると、そっと隣に座る人物だった。

 ハーブ・クレイスン。
 彼はいつも自分のことを心配し、気にかけてくれていた。上司の横暴に反発できないことに苛立っていた。
 彼は誰に対しても面倒見が良く、そして人一倍正義感が強かった。

 ハーブは俺の訃報を聞くだろう。ハーブは泣くだろうか。悔しがるだろうか。たった一人で俺を緩衝地帯に向かわせた上司に、怒りを露わにするだろうか。
 分からない。彼は俺が特殊能力者だと知らない。もし知ったとしたら、どういう態度になっていたのだろう。それも分からない。
 この国の人間に植え付けられた偏見がどれくらい根の深いものなのか、自分は知っているようで知らない。

 優しかったハーブに期待してみたところで、その期待を裏切られるかもしれない。そして万が一、ハーブが自分を庇ってくれたとしても、今度は彼が悪意の一端を被るだけだ。
 選ぶ道は一つしか残っていなかった。

「ピオニーに行く。亡命する」
 ラヴィはそう言葉に出すとルディを見据えた。蒼い瞳が最後の望みに縋るように見開かれていた。
 何も言わず自機に上がったルディが、すぐさま無線機で連絡を入れた。その様子を、まだ現実感のないままラヴィは仰ぎ見る。
 特殊能力者。受け入れがたい現実。だが亡命することで、それが自分を生かす手段になる。自分はまだ埋もれたくない。一縷(いちる)の望みであったとしても縋りたい。

 1ミリア後。ピオニー政府のヘリが上空に現れると、ルディがほっとした顔でラヴィに手を差し出した。握り返すラヴィに向けて、細められる深緑の瞳。

「おまえ、強いな」
 ルディの言葉にラヴィは苦笑だけを戻した。
「俺、強いやつが好きだ。俺もお前もこの星では歓迎されないものを持ってるけど、利用できるんならするべきだ。俺はまたお前に会いたい。俺はシャルー星の特区に行く。絶対行くと決めてる。だからそれまでにまた会おう。待ってる」
「分かった」
 それだけを返すとラヴィは手を握ったまま離さないルディを見つめた。ヘリが着陸態勢に入り、砂塵が二人に吹きつけられる。

「おまえ、死ぬなよ」
 念を押すようにルディが言葉を繋ぐ。
 あの蒼い星の海に触れるまでは死なない。そうラヴィは思っていた。シャルーの特区に行ければ、夢が叶う。ならばもう、そこに向かって進むだけだ。その自分に、死ぬなと念を押すルディをラヴィは不思議に思った。

 強く握っていた手をルディがぐいと引き寄せた。ラヴィはよろけながらルディの胸に顔をぶつけると、強く抱き締められた。
「死ぬなよ」
 もう一度、呟かれる言葉。その真意も、この行動の意味もラヴィには分からない。ただ吹き付ける砂塵の中で、相手の胸に顔を埋めていることに戸惑っていた。

「俺は強いやつが好きだ。だから死ぬな」
 名残惜しむように身体を離したルディは、祈るように三度繰り返した言葉を置いたままもう歩き出していた。
 最新鋭の大きなヘリ。そのカーゴドアから政府の役人が降りてくるところだった。


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