第8話 束の間の自由
文字数 2,123文字
久しぶりの休日。ルディは、基地の外れに巡らされたジョギングコースを走っていた。砂漠の星の基地ではあるが、この一帯には地下水が満たされた湖があった。
その周りを取り囲むようにして樹々が植えられ、木陰の下を縫うように整備された小道には、爽やかな風が吹いていた。
汗に滲んだシャツがまとわりつく。ルディは湖畔の草原にどさりと寝転がった。大きな樹がきらきらと木漏れ日を落とし、湖面から吹き上げてくる風に身を任せているとやがて汗がひいてきた。
ルディは、相変わらず突っ走ることをやめないラヴィのことを考えていた。あいつは走り出したら止まらないらしい。走っていないと自分を保てないらしいと。
亡命者であることは基地の誰もが周知のこと。ラヴィの士官学校時代の成績についても皆が知っていた。
期待されてることは確かだ。しかし反感も持たれている。それをふるい落とすかのように、ラヴィは任務以上のことに挑み続けていた。
「あれじゃ、いつか倒れるぞ」
この星を離れるまでの時間はあとわずかではあったが、それまでに体力や気力が持つのだろうか。
自分の感情が単なるお節介だとルディには分かっていたが、ラヴィをここに呼び寄せた責任感もあって心配が募っていた。
頭上で鳥が鳴いた。
疲れを癒すには、こうして好きなことをしながら大地に身を任せているのがいい。ルディは樹々の葉から漏れさす柔らかな光を見上げた。
一瞬の睡魔が襲いかけた時、遠くの方から走ってくる音が耳に届いた。足音はすぐ近くで止まり、顔を向けた先にはミューグレー大尉の姿があった。
ルディに気づいた彼が、汗を拭いながら湖畔まで降りて来た。立ち上がろうとしたルディを手で制すと、隣に座り込む。
「休日なんだから階級はどっか置いとけよ」
そう言って目を細めた彼は、日頃の冷めた印象とは違っていた。
ミューグレーはワンショルダーのバッグから水の入ったボトルを取り出すと、それを半分まで一気に飲み干してからルディに差し出した。
「飲むか?」
受け取ったルディが礼を言って水を干すのを、ミューグレーは見つめていた。その黒髪は汗に湿り、薄い茶色の瞳はルディから離れることがない。
「お前ら、仲がいいな」
ミューグレー大尉の言葉がラヴィのことを指していることは、ルディにはすぐに分かった。新人研修後のラヴィはルディと同じチームに組み込まれ、二人はいつも行動を共にしていたのだ。
「同い年ですので」
ルディの無難な返事に、大尉は薄く笑った。
大尉が特殊能力者なら言わずとも知っているだろうとルディは思う。今まで抱えていた疑問を口にしてみようかと迷ったが、上官にその質問を向けることはやはり控えたほうがいいと思い留まった。
「ハイトはシルバー少尉を失ったことをいつか悔やむだろうよ。亡命で才能が開花したのなら喜ばしいことだ」
ミューグレー大尉の言葉は、周囲から漏れ聞くラヴィへの反感とはまるで別物だった。
大尉の視点は広い範囲に向けられている。彼の頭脳が明晰であるだけではなく、その志の高さが垣間見えるようでルディは感嘆した。それ以上にミューグレーがラヴィのことを認めているという事実を嬉しく思う。
「セルディス少尉。聞いてもいいかな」
そう前置きをすると、ミューグレーがルディの視線を捉えた。
「はい」
何を訊かれるのだろうと思いながらルディが応じる。
「君は特殊能力者か?」
そこからきたかと思いながらルディは頷く。自分の昇進速度を見れば大抵の者には知られているだろうと思っていた。
「A級と認定されてます。それで幼年学校を出てすぐにスカウトされました」
事実をありのままにルディは答え、そしてもう一つ付け加えた。
「幼年学校の最終学年に、両親が事故で死んだんです。一人残された時に、ここにいた知人が拾ってくれた。今年、俺が成人するまで後見人にもなってくれたんです」
ルディの告白の途中から沈痛な面持ちでミューグレーは聞いていたが、静かに話し終えたルディに包み込むような穏やかな声でこう告げた。
「君は強いね」
その言葉にルディはこれまで得られなかった労いをもらったと感じた。
大尉は自分に自信があるのだろう。他人との比較で卑屈になるよりも、もっと別にしなければならないことを知っている。
しかし次にミューグレーの告げたことは、ルディから言葉を奪った。
「私は、シャルー星に渡った後に退官する」
ミューグレーは、寂し気な表情を浮かべていた。
「家は、近々貴族の称号を賜る。父は今まで築いた事業を拡大する予定で、私もその計画の中に組み込まれているんだ」
ミューグレー家が情報企業を営んでいることはルディも知っていた。長年この国の経済発展に貢献してきたことも。
「空を飛ぶのはいいね。自由だ。あれだけ広くて果てないものを独り占めした気持ちになれる。自分の意思だけでどこまでも行けるような気持ちにね。飛んでいる間だけはどんな足枷からも解放される。私はずっとそうしていたかったな」
束の間の自由が終わるのを惜しむように、ミューグレーは小さく息を漏らすと空を仰いだ。
「私は、君やシルバー少尉が羨ましいよ」
返す言葉が見つからずに、ルディはただその横顔を見つめていた。
その周りを取り囲むようにして樹々が植えられ、木陰の下を縫うように整備された小道には、爽やかな風が吹いていた。
汗に滲んだシャツがまとわりつく。ルディは湖畔の草原にどさりと寝転がった。大きな樹がきらきらと木漏れ日を落とし、湖面から吹き上げてくる風に身を任せているとやがて汗がひいてきた。
ルディは、相変わらず突っ走ることをやめないラヴィのことを考えていた。あいつは走り出したら止まらないらしい。走っていないと自分を保てないらしいと。
亡命者であることは基地の誰もが周知のこと。ラヴィの士官学校時代の成績についても皆が知っていた。
期待されてることは確かだ。しかし反感も持たれている。それをふるい落とすかのように、ラヴィは任務以上のことに挑み続けていた。
「あれじゃ、いつか倒れるぞ」
この星を離れるまでの時間はあとわずかではあったが、それまでに体力や気力が持つのだろうか。
自分の感情が単なるお節介だとルディには分かっていたが、ラヴィをここに呼び寄せた責任感もあって心配が募っていた。
頭上で鳥が鳴いた。
疲れを癒すには、こうして好きなことをしながら大地に身を任せているのがいい。ルディは樹々の葉から漏れさす柔らかな光を見上げた。
一瞬の睡魔が襲いかけた時、遠くの方から走ってくる音が耳に届いた。足音はすぐ近くで止まり、顔を向けた先にはミューグレー大尉の姿があった。
ルディに気づいた彼が、汗を拭いながら湖畔まで降りて来た。立ち上がろうとしたルディを手で制すと、隣に座り込む。
「休日なんだから階級はどっか置いとけよ」
そう言って目を細めた彼は、日頃の冷めた印象とは違っていた。
ミューグレーはワンショルダーのバッグから水の入ったボトルを取り出すと、それを半分まで一気に飲み干してからルディに差し出した。
「飲むか?」
受け取ったルディが礼を言って水を干すのを、ミューグレーは見つめていた。その黒髪は汗に湿り、薄い茶色の瞳はルディから離れることがない。
「お前ら、仲がいいな」
ミューグレー大尉の言葉がラヴィのことを指していることは、ルディにはすぐに分かった。新人研修後のラヴィはルディと同じチームに組み込まれ、二人はいつも行動を共にしていたのだ。
「同い年ですので」
ルディの無難な返事に、大尉は薄く笑った。
大尉が特殊能力者なら言わずとも知っているだろうとルディは思う。今まで抱えていた疑問を口にしてみようかと迷ったが、上官にその質問を向けることはやはり控えたほうがいいと思い留まった。
「ハイトはシルバー少尉を失ったことをいつか悔やむだろうよ。亡命で才能が開花したのなら喜ばしいことだ」
ミューグレー大尉の言葉は、周囲から漏れ聞くラヴィへの反感とはまるで別物だった。
大尉の視点は広い範囲に向けられている。彼の頭脳が明晰であるだけではなく、その志の高さが垣間見えるようでルディは感嘆した。それ以上にミューグレーがラヴィのことを認めているという事実を嬉しく思う。
「セルディス少尉。聞いてもいいかな」
そう前置きをすると、ミューグレーがルディの視線を捉えた。
「はい」
何を訊かれるのだろうと思いながらルディが応じる。
「君は特殊能力者か?」
そこからきたかと思いながらルディは頷く。自分の昇進速度を見れば大抵の者には知られているだろうと思っていた。
「A級と認定されてます。それで幼年学校を出てすぐにスカウトされました」
事実をありのままにルディは答え、そしてもう一つ付け加えた。
「幼年学校の最終学年に、両親が事故で死んだんです。一人残された時に、ここにいた知人が拾ってくれた。今年、俺が成人するまで後見人にもなってくれたんです」
ルディの告白の途中から沈痛な面持ちでミューグレーは聞いていたが、静かに話し終えたルディに包み込むような穏やかな声でこう告げた。
「君は強いね」
その言葉にルディはこれまで得られなかった労いをもらったと感じた。
大尉は自分に自信があるのだろう。他人との比較で卑屈になるよりも、もっと別にしなければならないことを知っている。
しかし次にミューグレーの告げたことは、ルディから言葉を奪った。
「私は、シャルー星に渡った後に退官する」
ミューグレーは、寂し気な表情を浮かべていた。
「家は、近々貴族の称号を賜る。父は今まで築いた事業を拡大する予定で、私もその計画の中に組み込まれているんだ」
ミューグレー家が情報企業を営んでいることはルディも知っていた。長年この国の経済発展に貢献してきたことも。
「空を飛ぶのはいいね。自由だ。あれだけ広くて果てないものを独り占めした気持ちになれる。自分の意思だけでどこまでも行けるような気持ちにね。飛んでいる間だけはどんな足枷からも解放される。私はずっとそうしていたかったな」
束の間の自由が終わるのを惜しむように、ミューグレーは小さく息を漏らすと空を仰いだ。
「私は、君やシルバー少尉が羨ましいよ」
返す言葉が見つからずに、ルディはただその横顔を見つめていた。