第4話 The flame 

文字数 4,001文字

 キリエが自分のことを想っていてくれたことは大きな喜びだった。しかし、これからのことを考えなければとエリクソンは思った。期せずして、父と同じように人間の女性を愛してしまった。今まで母の人生をしあわせだったと思ったことはなかった。
 母はエリクソンを産んですぐ亡くなった。父を深く愛し子どもを望んだのは母だったらしい。
 ヴァンパイアと人間との子は難産、死産が多く、母は命懸けで出産した。死を覚悟していたのか、息子に手紙を遺しており、その中にはまだ見ぬ息子への愛が綴られていた。
 父には正妻がいて側室や人間の妻たち、その間にできた子どもたちがいる。母には父だけなのに。そして自分しかいない。不公平だ。
 そんな状況を受け入れ自分を産んだ母のことを軽蔑しながらも、産むのと入れ替りのように、あの世へ行ってしまった母を恋慕する気持ちも強かった。
 エリクソンは母の姓で、それを名乗っているのも母と繋がりが欲しいのかもしれない。ハーキュリーズなんて神話の英雄の名前をつけ、側にいてくれないのに期待だけかける父のことも好きになれなかった。
 それなのに、父と同じようなことを自分はしてしまうのではないかと彼は恐れた。
 違う、私はキリエだけを愛し、彼女をしあわせにする。父のようにはならない。
 エリクソンは育ての親のセイントジャーメイン伯爵に会いたいと思った。キリエのことを相談したかった。
 三日後、森の小屋の前に馬車が停まり、伯爵がそれから降りてきた。驚くエリクソンに、「ハーキュリーズ」と伯爵は声をつまらせ、彼を抱き締めた。二人は親子同然、一年近く会っていなかった。
「私が必要なのだろう。そなたが私を呼ぶ声が何度も聞こえた」
 伯爵は不思議な力を持っていて、たとえ遠くお互いが離れていても相手の思念を察知することができた。伯爵は手を尽くし、エリクソンの居場所を探りやって来たのだという。エリクソンはキリエの話をした。
「そなたがその女性と一緒にいたいというのはわかった。自分が何者であるか話したのか?隠し通せるものではない。そなたの時間は人間よりずっと遅く流れるのだぞ」
「まだ話していません。でも彼女ならそれでも私を愛してくれると思います」
「そなたには言ってはいなかったが、私には人間だった頃、妻がいた。私がヴァンパイアになったことを知ったあとも、彼女は私を愛し続けた。勿論、私も彼女を忘れることはできなかった。三十年彼女と連れ添った。やがて妻は自分もヴァンパイアになると言い出した。私は説得したのだよ。一緒にいたいからという理由で我々と一緒になるなど愚かな選択だとね」
 伯爵はせいぜい四十代後半くらいにしか見えないが八百年近くは生きている。いや、死ねずにいるというべきか。
 人は死を恐れる。しかしいつか死ぬという安息があるからこそ生きていけるのであって、終わりがみえないのは恐怖でしかない。伯爵は元々人間だ。そして、理不尽にも死ぬことを奪われた。ヴァンパイアという神の祝福から外れた存在になり、人間の生き血を啜り、彼らと敵対し追われ、闇に隠れて生きる。しかも愛する人や友人たちはどんどん先にいってしまい、取り残されてしまう孤独がずっとつきまとう。それこそまさしく地獄といえるだろう。
「私には妻を私と同じような目に遭わせる気はなかった。でも妻は私のいうことをきかなかった。別のヴァンパイアに自分を転向させるように仕向け、そして死んだのだ」
 人間からヴァンパイアに転向できるものはほんの僅かしかいない。死ぬ、もしくは自我や知性を失ってしまう者がほとんどだ。伯爵はそういうことにならずに人間から転向した数少ないうちの一人だった。
「何もヴァンパイアにならずとも、一緒にいることはできたではありませんか?実際三十年連れ添ったのだし……」
「女心なのだろうな。我々と人間では時間の流れる速さが違うため、自分だけが年を取るように思ったのだろう。彼女がどんな老いても私の気持ちは変わらぬのに……。私は今でも妻を愛しているのだよ。私にとって彼女は最初で最後の妻だ。彼女との思い出が今の私を支えているといっていい。それに私にはそなたやそなたの父上もいる。そなたたちは私にとって家族同然なのだ。そなたに愛する女性ができて、私は嬉しいよ」
 エリクソンは自分への伯爵の愛情の深さを今更ながら実感した。
 この人に育ててもらった。自分だって同じようにキリエを愛し続けることができるはずだとエリクソンは勇気づけられた。何もずっと一緒にいられると思ってはいない。自分はまだ二十歳にも満たず、不死というものを、伯爵の苦しみを実感できていない。でも伯爵が妻にヴァンパイアになって欲しくなかった気持ちは十分理解できる。
 キリエを妻とし、死が二人を別つまで連れ添う。キリエを失うとき、自分はどうなるかわからない、狂ってしまうかもしれない、それでもいい。一緒にいたい。可能な限り。
「キリエに打ち明けようと思います。彼女に受け入れてもらえたら、私の父としてキリエに会ってください」
「そうだな。私も会ってみたい。ただし育ての父としてだ」
「実の父はいつも一緒にいてくれなかった」
「父上のことを悪く言うものではない。いつも我々の安全のために力を尽くしてくれているのだ」
「そうでしょうか……」
「そなたが知らないだけだ。それより、ハーキュリーズ、良い知らせを待っているぞ」
 伯爵が去ったあと、エリクソンはキリエに打ち明けに行く前に、異母兄のヘファイストスに会いに行こうと思った。頼みたいことがあったのだ。
 エリクソンを襲った兄達だったが、父からそれぞれ処分を言い渡された。アレスは追放を免れたが、父親から何か密命を帯びて異国へ旅立ったとの話だった。ヘファイストスは兄を止めようとしただけだとわかったので、まだ処分が軽かった。       ヘファイストスは器用な男で剣などの武器から工芸品や装飾品まで何でも造った。彼はエリクソンのために剣を造るように父親から命じられた。
 そういう経緯でヘファイストスと交流することになったエリクソンだったか、この兄とは不思議と馬が合った。一言でいうと趣味が合う。エリクソンは絵を描き、兄は美術品や装飾品に興味がある。二人とも芸術が好きなのだ。
 その兄にキリエへの贈り物、愛の証しとして、何か美しいものを造ってもらおう。母の形見の真珠を持っていこうとエリクソンは思った。父が母に送ったものだったが、それを兄に言うのはよそう。たとえそうだと知っても兄は引き受けてくれるだろうが、自分の父親が母親以外の女性に送ったものなど見たくはないはずだ。
 真珠を見せると、ヘファイストスは快諾し、さっそく提案してくれた。
「チョーカーにするのはどうだろう?」
「指輪ではなく?」
「指輪にするにはこの真珠は大きすぎる」
 たしかにその真珠はプラム大のサイズで指輪にするには不自然な大きさだった。
「我々種族にとって首につけるチョーカーは特別な意味がある。私も好きな女に送ったことがある。身に付けてもらえたら脈があると思うぞ」
 ヘファイストスはエリクソンの様子がおかしいと気づいた。
「どうしたのだ?他に何かあるのか?」
「兄上、キリエは人間です」
「人間を妻にするということか?それは後にその女を転向させるということなのか?」
「いいえ、人間のまま妻にします。転向はさせません」
「いや、それでは一緒に過ごせる時間はほんの僅かということになるぞ。構わぬのか?愛し合っているのだろう?」
「とても愛しています。でも私はキリエに人間のままでいてほしいのです」
 ヘファイストスは黙り込んでしまった。異母弟の恋が前途多難なことがわかったのだろう。
「そのキリエとやらはそなたがヴァンパイアということを知っているのか?」
「まだ打ち明けてはいません。私のことを人間と思っています。でも彼女ならきっと受け入れてくれると思います」
「上手くいくことを願っているよ。でもそなたも相手も相当苦労するだろうな」
 ヘファイストスとしては嫌なことは言いたくなかった。それにしても、父親とエリクソン、二人とも何故人間の女をわざわざ選ぶ?ヴァンパイアの女は男に比べて圧倒的に数が少ない。女が少ないから、その代わりに人間の女を求める、そういうふしもあるのかもしれない。だが、エリクソンほどの男ならば嫁ぎたいと思うヴァンパイアの娘もいくらでもいるだろうに、彼は人間の娘を選んだ。
 人間の血を吸って我々ヴァンパイアは生きるのに、その相手を愛してしまうなど、とんだ矛盾ではないか。
「キリエの首に噛みつきたいと思ったことはないのか?」
 やや間があってヘファイストスがきいてきた。
「ありましたよ。最初のうちは必死に押さえていました。この頃はようやく抑制できるようになった」
 キリエに触れる度、触れられる度、その誘惑が襲ってくる。彼女のほっそりとした、色が抜けるように白く血管が透けて見える滑らかなその首筋に、自分の犬歯を立ててみたい。彼女の血が欲しいと切望する。彼女の血で満たされたい。 
 実際、彼はキリエと会うときには飢餓状態に陥らぬようにしていた。もしそれを怠れば、彼女を危険にさらしてしまうかもしれないからだ。自分が彼女を傷つけるなど考えたくもなかったが、可能性をゼロに近づける努力は怠らなかった。
「よく我慢できるな。私なら無理だ。血を吸ってしまうよ」
「私は半分人間ですから……」
 兄上たち純血種ほどは血の乾きがないと言えなかった。純血種は人間の食べ物を口にしない。ダンピールは人間の食べ物を口にすることができ、とりあえず何日かは命は繋げる。ただ限界はある。血が必要なのは純血種もダンピールも同じ。変わりはない。
 エリクソンはキリエがチョーカーをつけることで自分の戒めになるのではないかと思った。キリエの血を決して吸わぬように。
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