第13話 Run for your love 

文字数 1,931文字

 伯爵の元へ向かう道中、途中馬を替えながら、昼夜問わず走り続け、並外れた体力を持つエリクソンといえどもさすがに疲労感を覚えていた。しかも伯爵へ念を飛ばしながらだから、そちらにも集中力が要り神経をすり減らされる。気持ちばかり焦ってしまう。体力も気力もかなり消耗してしまった。出発前、ヘファイストスから血を分けてもらい備えてはいたが、三日近く血を一滴も飲んでいない。エリクソンは飢餓状態に近くなっていた。それでもキリエのことを思い、何とか踏ん張った。
 それはちょうど隣国に入る国境辺り、あと半日程で伯爵のいる城に着けるだろうと思ったところで、エリクソンは強い不安に襲われた。それは初めて経験する感覚だった。疲労で鈍くなっていた頭が急にハッキリし、それを感じた。何か音を聞いたのかと思ったが違う。念?いやもっと原始的な何かだ。後々気付くことになるが、彼はキリエの身に起きたことを感じ取ったのだ。何か良くないことが起きたのだ。それだけは分かる。とにかく急がねばとエリクソンはますます焦った。
 
 国境を越える山の入り口に、黒装束の何者かが立っていた。夜なのに、松明すら持っていない。そして両眼が光っていた。当然人間ではない。エリクソンは速度を緩めることなく近寄っていった。何故か危険だとは思わなかった。黒装束の方も飛び出してきて、エリクソンの前に跪いた。
「ハーキュリーズ様!わたくしでございます。エンジェルです」
 頭巾を払うようにして見せた顔は、セイントジャーメイン伯爵の従者だった。伯爵の元で育てられたエリクソンは勿論彼を知っている。エンジェルはまだ少年のような容姿をしているが、もう百歳はとうに越している。かなり有能で、伯爵の信頼も厚い。彼に再会して、エリクソンのささくれだっていた気持ちが少し和らいだような気がした。
「伯爵からハーキュリーズ様への伝言と領主様への手紙を預かっております。伯爵は今こちらの領主様の奥方のお産で手が離せず、ハーキュリーズ様にお会いなれませんが、事情をお察しになられ、既に手紙を用意されております。それだけでは領主様が信用されないかもしれないとのことで、わたくしに貴方様のお供をするようにお命じになりました。わたくしのことはあちらの領主様もご存じでございますので、ご安心ください」
 やはり思念は届いていたのだ。エリクソンは安堵のため息を漏らした。エンジェルが封蝋で閉じられた手紙を差し出した。封蝋とはワックスのような物に熱を加え、まだ柔らかいうちに家紋などの印を押し、手紙が相手に届くまでに誰かに開けられないように封をするためのものだ。確かにセイントジャーメイン伯爵が使っている蛇と杖のシンボルマークだった。
「エンジェル、君と伯爵を巻き込んでしまい、すまない」
 エリクソンはそういうのが精一杯だった。胸が一杯になっていた。伯爵はいつもここぞというときに手を差し伸べてくれる。
「いいえ、ハーキュリーズ様のためでしたら、このエンジェル、どのようなことでも致します。この手紙はきっと貴方様やその女性を守ってくれます。伯爵もそう仰っていました。領主様もあの伯爵に頼まれれば断れないですからね」
 エンジェルはエリクソンを励ますように言った。
「さあ、一刻も早く出発しましょう。近くに馬を用意しています。少し食事も取られたほうがいいでしょう」
 食事とは勿論血のことだ。何でもお見通しだなとエリクソンは思った。エンジェルから水筒を渡され、エリクソンはそれを一気に飲み干した。決して多くはない。完全に本来の力が戻ってくるには足りないかもしれないが、今は本当に有り難かった。これは人を殺めて手に入れたものではない。
 古来より、貴族と呼ばれるヴァンパイアたちは人間の有力者たちとある種共存関係にあり、取引によって血を確保してきた。貴族は人間を襲わない。セイントジャーメイン伯爵は元々人間で純潔種ではないから、厳密には貴族ではない。だが、医者である立場上、血を手に入れやすい。貴族たちを始め、その他、人間を襲いたくない穏健派ヴァンパイアたちの血液供給元の役割を果たしている。その伯爵に育てられたのだから、エリクソンは始めから恵まれていた。伯爵の庇護を離れ、それを実感した。貴族のコミュニティ外のヴァンパイアは生命維持に欠かせない血の確保が難しいのだ。そういう連中が血の渇きのせいで人間を襲う。そして人間に忌み嫌われる。追われて狩られる。
「さあ、先を急ぎましょう」
 エンジェルがそう言ったときには、白い馬と黒い馬が彼の左右に並んで静かに佇んでいた。エンジェルは白い馬に乗るようエリクソンを促し、自分も黒い馬に一瞬で飛び乗った。そして二人とも猛スピードで駆けていった。
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