第2話 Creep

文字数 1,827文字

 彼女のことを考えると、泣きたいような気分になる。彼女は他の誰とも違う特別な存在。エリクソンは神を信じないが、女神とか天使とかいるのなら、キリエのことじゃないかと思う。
 繊細で奇跡のように美しく完璧な存在。いけないと思いながら、彼女の傍にいたいと思ってしまった。
 キリエに愛されたいと望んでしまった。自分は彼女のいる世界の忌むべき呪われた存在なのに。
 人間の血を吸わねば生きていけぬ吸血鬼なのに、人間の彼女をどうしようもなく愛してしまった。

 あの日、あの夜、エリクソンはストレイヴァンパイアを狩ろうとしていた。
 ヴァンパイアには四種類いる。ピュアブロッドと呼ばれる純血種。ダンピールと呼ばれる人間との混血種。コンヴァーテッドと呼ばれる人間からヴァンパイアになったもの。ストレイは吸血鬼に噛まれた人間が自我を保てなくなり、見境なく人間を襲う状態になったものを指す。
 吸血鬼に噛まれたからといって、簡単に吸血鬼になるのではない。転向(コンヴァート)は人間の身体に様々な変化をもたらす。物凄い苦痛に耐えて、自我と知性を保った存在でいられるのは一握りで、後はすぐ死ぬか、ストレイヴァンパイアになるか。
 見境なく血を求め、人間や動物、時には同族ですら襲う彼らは迷惑でしかない。とりわけ、エリクソンたちのようなできるだけ目立たぬように生きているヴァンパイアにとっては。
 行く先々で彼らの痕跡を見つけると、エリクソンは彼らを狩った。その過程で人間を救うこともあった。大抵の人間はパニックに陥っているので、エリクソンのことを覚えていない。その人間と交流するようなことはまずなかった。まして親しくするなど、キリエが初めてだった。
 エリクソンの母親は人間で、彼自身はダンピールだ。母親は彼を産んですぐ亡くなったので、父親との事情はよくわからなかった。しばらくは母方の祖母に育てられ、血の渇きを覚えた頃、父の使いという迎えが来た。父の親友だというその男はセイントジャーメインと名乗った。物静かな知的な男で、元々人間で医者だという。彼はその職業柄、血液を手に入れられた。人を襲わない生き方をしていた。
「元々は君の父上が考えたことなんだ。我々は取引によって血を確保している。人間と共存していきたいんだ。父上と私の目指すところは同じで、父上は君に期待しておられる。他の誰でもない。君にだ。ハーキュリーズ。私はかれこれ五百年は人間を襲うことなく生きている。そして、他の凶暴な吸血鬼たちからも身を守る方法も知っている。君が望むなら、私の知識、経験全てを君に教えよう。父上の後継者となることを考えてみないか?」
 そのとき初めて父が名付けた自分の本名を知った。父親が純血の吸血鬼たちを束ねる存在で、皇帝と呼ばれていることも。
 セイントジャーメインはヴァンパイアの貴族や人間社会、双方に繋がりがあった。爵位を持ち、伯爵と呼ばれていた。両方と上手くやっていく方法をエリクソンは彼から学びとっていった。
 暗雲がただよい始めたのは、エリクソンが成長した頃だろうか。
 とてつもなく強いダンピールがいるとヴァンパイアの貴族社会で彼のことが取り沙汰されるようになると、父親の正妻の執拗な嫌がらせが始まった。刺客を送り込まれるなど、日常になり、その度にエリクソンが返り討ちにしていると、とうとう正妻の産んだ異母兄たちが彼を殺しにやってきた。
 一番上の兄のアレスはエリクソンの母を侮辱したため彼を激怒させ、二人は死闘を繰り広げることになった。
 アレスはエリクソンを半分人間ではないかと侮っていた。だが、彼の強さ、スピード、持久力、どれをとっても純血種のアレスにひけをとらず、むしろ彼を上回っていた。
 エリクソンは銀の杭をアレスの心臓に打ち込もうとしたが、二番目の兄のヘファイストスが敗けを認めるので、アレスを助けてほしいと泣いて止めた。
 同じ血が流れる兄弟なのに、致命傷を負わすようなことを父上がお望みだろうかとの伯爵の説得もあり、エリクソンは思い止まった。
 アレスとヘファイストスは反省しており、以後、エリクソンや伯爵に手を出さないと誓ったが、正妻が暗殺を諦めたとは思えなかった。自分がいるせいで伯爵まで危険にさらすのではないか、何故父上は何もしてくれないのだろうと不安と不信が募り、エリクソンは伯爵の下を去った。
 そして、旅の途中、キリエに出逢った。そんなときだったからこそ、彼女の存在は慰めになった。
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