第11話 Going under    

文字数 3,166文字

 ハンスの証言で、ヴァンパイアハンターが殺されて、エリクソンがヴァンパイアだという話が村中に広がった。村人の殆どはエリクソンの存在を知らず、キリエが連れ去られたということだけが彼らの印象に残った。ハンスがいくらキリエは咬まれていないし、男に騙されているだけだと庇っても、キリエの妹のアンヌが好奇の目に晒されるのを避けられなかった。 
 街に住む彼女らの叔父は頼りにならなかった。キリエたちと関わり合いになるのは危険だと妻が主張し夫婦で揉めたらしい。資産家の妻に頭が上がらない彼は表立って何もできない。ハンスに金を渡し、孤立状態のキリエ一家の食料の調達など、何か困っているなら助けてやってほしいとだけ言われた。キリエとアンヌは身内に見捨てられたのだ。アンヌはいつも遊んでいた同じ年頃の友達とも会えず、一歩も家の外に出ることができなくなった。笑顔も失くなった。
 そのことにハンスは心を痛めていた。そんなとき近隣の修道院がアンヌを預かってもいいと申し出てくれたという話を使用人夫婦から聞いた。村に居て辛い思いをするよりもその方がいいかもしれないとハンスは思った。
 ハンスに説得されて、アンヌは家を出て修道院に身を寄せることになった。いつも世話してくれる使用人は健康に不安のある夫を置いていけず残った。アンヌ様も懐いているから安心して任せられますと彼女は言った。修道院は村の子供を集めて法話をすることがあり、アンヌも時々そこに参加していた。ごほうびに珍しいお菓子をもらえるので人気があった。そこで知り合った修道女の一人がアンヌを心配して申し出てくれたという。
 ハンスは修道院まで送って行った。副院長というその修道女の名はイヴリンといった。まだ若く美人だ。ハンスもイヴリンの美貌に圧倒された。カリスマ性もあるようだ。周りの修道女を見ていると判る。皆、彼女に憧れているような感じだ。
「あなたがハンス?親切な隣人がいるとアンヌから聞いています」
「アンヌは妹みたいなものです。赤ん坊のときから知っている」
「隣人に親切にできるとは良い心がけです」
「アンヌのことをよろしく頼みます」
「分かりました。きちんとお預かりします」
 一通りの挨拶が終わっても、イヴリンは何か言いたげだった。ハンスがそれを察したのを感じたのだろう。
「ひょっとしてあなたはアンヌのお姉さんのことを好いているのではないですか?幼馴染み以上の感情があるのではないですか?だとしたら、今回のこと、あなたはかなり辛いでしょう?」
 そんなことを訊いてきた。ハンスはまたかと思った。
「家族のように育ったので、そんなこと考えたことありません」
「アンヌのお姉さんもあなたを好きになったら良かったのにね。あなたはハンサムだし、優秀な鍛冶屋で将来性もある。お互いを小さい頃から知っていて、良い夫婦になっただろうに惜しいことだわね」
 こんな俗っぽいことを言う修道女もいるんだなとハンスは驚いた。そして彼女の言う通り、そういう未来もあったのかもしれないなと思った。
 ハンスはどちらかというと女性に声を掛けられる方だ。真面目な彼は鍛冶屋として独立するまではと思って、今まで女性と付き合ったりしなかった。彼のことを好きだと言ってきた娘たちは皆、キリエのことを気にした。否定しても彼女たちはキリエがいるからハンスは誰とも付き合おうとしないのだと言い張って、いつのまにか村中そう思うようになっていた。どうでもよくなって放っておいたが、そのうち家族の誰かがキリエと結婚したらどうかと言い出せば、プロポーズしたかもしれない。二人で平凡な家庭生活を送ったかもしれない。エリクソンさえ現れなければ…。
 二人はまだ見つからない。昼間に広大な森を村の男連中で探したが見つけられない。もうどこか遠くへ逃げてしまったのかもしれない。アンヌを置いていくことはキリエの本意ではないだろう。エリクソンとアンヌの間で板挟みになっているのではないだろうか。
 ハンスはエリクソンがヴァンパイアだとキリエは知らなかったはずだと村に報告したが、内心、ハンスがキリエの首を確認した時点で、彼女はエリクソンがヴァンパイアだと分かっていたと考えていた。だからこそ、そのあとすぐにハンターのことを知らせに彼の元に走ったのだ。彼女は俺に嘘をついたんだ。ショックだった。
 
 
 お姉ちゃんが約束を破った。また私を置いていった。あの男のところに行って帰って来ない。あたしを一人にしないと約束したのに。
 あの男はヴァンパイアで、お姉ちゃんは無理矢理連れ去られたとハンスは言うが違う。お姉ちゃんはあの男に夢中で、あたしはお姉ちゃんに捨てられた。みんな嘘つきだ。アンヌは怒っていた。
 イヴリン様が言った。ヴァンパイアに逆らえる者はいない、ヴァンパイアに魅入られた女は何でも言うことをきいてしまう。彼女のために祈りなさいと言われた。
「お姉ちゃんもあの男も死ねばいい」
 思わずアンヌが呟いた言葉を、イヴリンは咎めなかった。
「ヴァンパイアが死ねば、お姉さんも元に戻るかもね」
「本当?」
「多分ね。その代わり治療を受けなきゃ駄目よ」
「治療ってどうやるの?」
「教会にはね、そういう治療を専門にしている人がいるの。あたくしの知り合いにもいるから頼んでみてあげる。お姉さんが見つかってからでは遅いから、今日にでも手紙を書くわ。但しアンヌにもやってもらいたいことがある」
「それは何ですか?」
 アンヌが尋ねると、イヴリンは身を屈め低くしアンヌの目を覗き込んだ。アンヌの心臓の鼓動が高鳴る。何て綺麗な人なんだろうと思った。イヴリンの美しいブルーの瞳に吸い込まれそうだ。
「特別な治療だから誰でも受けられるわけじゃないのよ。条件があるの…」


 次の日、アンヌが実の姉を魔女として告発したことが村中に広がっていた。ハンスは慌ててアンヌに会おうとしたが、修道院が許さなかった。キリエは見つかり次第、魔女裁判にかけられるという。アンヌも告発者として証言台に立つらしい。何が一体どうなってこんな残酷なことを幼い子がしようとするのか、アンヌの考えとも思えず、ハンスは戸惑った。
 とりあえずイヴリンに面会を申し込んだ。多忙を理由に断られたが、修道院の外で待ち伏せし、彼女が修道院から出掛けるときに無理矢理近づいて行って話しをしようとした。周りの修道女たちが大騒ぎしたが、ハンスは構わなかった。イヴリンは動揺するわけでもなく、一緒に馬車に乗るようにハンスに言った。
「確かめたいことがある。アンヌがキリエを告発って、そんなことするわけないだろう」
 馬車が出発してすぐハンスが口を開いた。苛立つ彼を見てもイヴリンは艶然と微笑んでいるだけだ。この修道女はおかしい。
「アンヌはキリエがヴァンパイアの男といつも夜一緒に森に出掛けて人間や動物の血を吸っていたと証言したのですよ。看過ごすわけにはいかないでしょう」
「今まで一度もあの子の口からそんなこと聞いたことはない」
「でも聖職者である私の前で告白したのですよ。皆私の前では正直になる。ハンス、お前もいい加減、認めたらどうだ?」
 途中、彼女の口調が変わった。驚いて、ハンスは彼女の顔を見つめた。彼女もブルーの瞳で見つめ返してくる。吸い込まれそうな美しい瞳。眩暈がする。彼の頬に彼女の指先が触れたことに気づいた。冷たい感触、でも心地よい。次に彼女の唇が触れそうで触れないギリギリまで迫るのを感じた。彼女の唇はさぞ柔らかいだろうと思った。
「キリエをあのヴァンパイアに盗られたことが悔しくてしょうがないだろう。お前のものになるはずだった女だ。よいのだ。悪いことではない。男が女を求めるのはごく自然なことなのだよ」
 妙に頭の中に響く声だった。そこからハンスは何も分からなくなった。












ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み