第15話 Annihilation 

文字数 5,808文字

 エリクソンとエンジェルが国境に続く森に差し掛かったとき、まるで邪魔をするように、何かが空を切って二人の前に落ちてきて地面に突き刺さった。柄に赤いサファイアと金の装飾が施された剣。そして栗毛の馬に乗った赤毛の騎士が現れて、その剣を引き抜いた。
「エリクソン、待っていたぞ」
「アレス様?」
 エンジェルが不思議そうに呟く。一方のエリクソンはしっかりと異母兄を見据えて言った。
「アレス、今はお前の相手をしている暇はない」
「俺とお前、どっちが強いか、ハッキリさせようじゃないか」
 アレスはその緑色の目を大きく見開いた。異様な輝きを放ち、狂気じみたものを感じさせる。エリクソンはますます嫌な予感がした。こんな都合よくアレスが現れるなんて、始めから仕組まれたことではなかったのか?
「ハーキュリーズ様は先をお急ぎください」
 エンジェルは黒い馬を一歩前に進めようとした。エリクソンは彼を止めようとした。いくら優秀なエンジェルであっても、アレスが相手では部が悪すぎる。
「邪魔だ。去れ!」
 アレスがそう言うと同時にエンジェルの片腕が吹っ飛んだ。剣で斬りつけたわけではない。血潮が勢いよく吹き出し、あまりの激痛にエンジェルがのたうち回る。
「意外か?お前にできることが俺にできないとでも思っていたのか?」
 アレスは愉快そうに笑った。誰にも負けたくなかった。だから必死でこの能力を身につけた。同じ父親を持つのだから、俺にも素質はあるはずだ。誰にも教わることなく、アレスは特訓を重ねた。最初は物を動かすことから始め、ここまでにするのに一年近くかかった。だがまだ不安定だ。エリクソンのように人体丸々を破裂させるような力を出せたことはない。
「アレス、伯爵の従者にこのようなことをしてどういうつもりだ?」
 エリクソンの声が一段と低くなった。だが、彼の神経を逆撫でするのをアレスは楽しんでいる。
「知るか!そいつもヴァンパイアなら腕なんで後で生えてくるだろう?」
「いい加減にしろ!」
 エリクソンのその声が物凄い圧で襲いかかってくるように感じ、とっさにアレスは両腕で顔や頭を守るような構えをとったが防ぎ切れなかった。その可愛らしい顔に傷がついたが、一向に意に介する様子はない。
「いいねぇ。怒りは力を発揮させる」
 そう言うアレスを無視し、エリクソンは自分の剣を抜いた。
「隠れている連中はお前の母親の手下か?」
「俺とお前が闘うのを高見の見物して報告するつもりなんだろう」
「相変わらず母親の言いなりだな。今度私に手を出せば殺すと言ったはずだ」
「殺せるのか?」
「どこからその自信が生まれるのかわからんが、これだけは言える。お前の力はまだ安定していない。短期間でここまでになるとは驚いた。だが、まだまだ私には敵わない」
「うるさい!勝負しろ」
 アレスがエリクソンに斬り込んでいった。風を切る音、剣のぶつかり合う音が聞こえ、火花が見える。だが、ヴァンパイアの優れた動体視力でもってしても、二人が剣で斬り合う姿をとらえるのは難しい。その速さに圧倒されてしまう。
 それでもアレス様をお助けしろとの声が上がり、見ているだけだったヴァンパイアたちが二人の闘いに参戦しようとするが、誰もついてこれるものはいない。それどころかお互い接触しそうになり、邪魔をするなとアレスに斬られてしまう者までいる。
 エリクソンもアレスに幾つか深く斬られた。致命傷ではないが、このところ血も十分接取できず、体力も回復しきれていない彼には辛い。次第に膠着状態になってきた。間違いなくキリエに何か良くないことが起こっており、これ以上時間を無駄に食うことだけはしたくない。
 エリクソンは念を込め、地面に向かって拳を突き立てた。ボンっと爆発する音がして瞬時に巨大な穴が空く。不意を突かれたアレスも他のヴァンパイアたちも土と一緒に吸い込まれてるように落ちていく。エリクソンだけがエンジェルを抱えて跳躍し、上へと駆け上がっていった。
 意識混濁状態のエンジェルに回復のため自分の血を分け与え、森の一角に隠した。それから一人帰路を急いだ。キリエの元に一刻も早く戻りたかった。
 キリエが匿われている異母兄のヘファイストスの屋敷に向かうと、これまでと様子が違った。屋敷は閑散としており、兄の姿はなく、違うヴァンパイアの気配が至るところに残っていた。美術工芸の優れた職人でもあるヘファイストスの工房に行ってみると、似つかわしくない身体拘束用の太い鎖が落ちていた。何気なくそれを拾い上げたとき、突然それが訪れた。
 キリエは村にいる。一刻も早く村へ行かなければ!
 兄の身に何かが起きたのだ。キリエは村に戻っている。そして複数のヴァンパイアが関わっている。多分父の正妻が関わっている。
 キリエ、告発者、魔女、裁判、処刑。
 それらの言葉が次々浮かんだとき、エリクソンは冷静ではいられなくなった。馬に乗り、急ぎ村に向かう途中、雨の匂いのする風も吹き出して天気が悪くなってきた。強い雨が降ってきそうな中、エリクソンは何人かの人間たちと追い越した。彼らは一様にまるで祭りに行くかのように興奮しており、異様な熱気を放っていた。彼らを追い越してから数百メートルと大分離れても、ヴァンパイアの鋭敏な耳は彼らの会話を聞くことができる。まだ十六歳の年若い娘、異形の者と交わった、正午、処刑などと聞こえてきた。
 それを聞いた途端、エリクソンは自分の心臓がドクンと音を立てたのが分かった。
 キリエが殺されてしまう。何故こんなことになってしまったんだ。兄上にあれほど頼んでおいたのに。
 その後のことは記憶にない。気が付くと、村の広場の入り口にいた。血塗れで剥き出しの刀身を握った男に、集まっていた見物人たちが圧倒され潮が引くように道をあけた。数メートル先に兵士が五名、村の有力者と見受けられる連中を守ろうとしている。裁判官、聖職者、村長といったところだろうか。皆、戸惑った様子で茫然とエリクソンを見つめていた。
「領主殿にお目通り願いたい。私はセイントジャーメイン伯爵の手紙を持っている。伯爵は我が父。私はその子ハーキュリーズ。領主殿にこの処刑の中止を訴え出る」
 伯爵の名や堂々としたエリクソンの態度に連中は安心したのか、一人の男が一歩前へ出てきた。服装から裁判官だと思われる。
「領主様はこの場にはおられぬ。この裁判は私に一任されている。まずはその手紙というのを拝見できるか?」
 エリクソンはその男に手紙を手渡した。男が手紙の封蝋を見た。
「確かにセイントジャーメイン家のものだな。伯爵に奥方はいないはず。息子がいるとは知らなかった」
「私は庶子だ」
「全然似ておられないな」
「母親に似たので」
このやり取りにイライラしながら、キリエを探した。そして見つけた。群衆の向こう側に柱に縛り付けられたボロボロの人形のようなもの。変わり果てたキリエの姿だと気付くのに数秒掛かった。
「この者がキリエを連れ去ったのです!」
 女の声がし、スッと一人の修道女が群衆の中から進み出てきた。エリクソンはその顔を見たときに、その正体が異母姉ユヴェントスであることに気付いた。

(お前の仕業だったのか?)

(今ごろ気付いたのか?愚か者め。どのみちあの女はもうすぐ死ぬ。愛する女を助けられず絶望するがいい。エリクソン)

 二人は念だけでのやり取りをした。人間には分からない。
「その者こそヴァンパイアです。キリエの妹のアンヌが証言しています」
 群衆がざわめく中、ユヴェントスは彼女の後ろに隠れるようにいたアンヌを促して自分の前に立たせた。そして彼女の肩に手を置く。アンヌの顔は真っ青だ。
「正直に言いなさい。アンヌ」
「でも……」
 アンヌは脅かされている。エリクソンはそう実感した。

 (下手に動くとこの子も殺す。いくらお前でも止められない。今私の手はこの子に触れているのだからね。それにお前が人間でないとわかってしまうよ。よいのか?)

「彼がお姉ちゃんを連れていった」
 アンヌが下を向いたまま小声で答えた。
「裁判官殿に聞こえるよう大きな声で答えなさい!」
「そいつがお姉ちゃんを連れていった!」
 アンヌが怒鳴るように返すと、再び群衆がざわついた。数人の兵士がエリクソンを取り囲んで間合いを図っている。そのタイミングで雷鳴が轟き、雨が激しく降りだした。村人たちは口々に悲鳴を上げ逃げ惑った。揉み合い転倒する者、凍りついたように動けない者、気を失う者、失禁する者までいる。まるで地獄のようだ。私を恐れているのだとエリクソンは思った。彼らにとって私は怪物なのだ。しかし彼らこそ怪物なのではないか?同じ人間であるキリエを魔女だとろくに調べもせず殺そうとしている。
 ドクンとまたエリクソンの心臓が大きく音を立てた。
キリエ!!
 次の瞬間に大きく跳躍し兵士たちの頭上を飛び越え、彼女の傍に到達した。手足の拘束を解き、抱き起こしたときには彼女はもう衰弱しきっていた。振りだした雨のせいだけではあるまい。握った手はもう冷たくなり始めていた。エリクソンの声が届いているのか、いないのか、彼女の反応は薄い。手足に殴られたような痣が幾つもあるのに気付いた。拷問されたんだ。こいつらキリエを拷問したんだ。あんなに可憐だったキリエをこんな目に合わせた。
 キリエ!目を開けてくれ!頼む!私だ!エリクソンだ!君のもとへ戻ってきたんだ!
 心の中で叫びながらエリクソンは心も身体も千切れてしまいそうだった。
 彼の思いが届いたのだろうか、キリエが薄く目を開いた。呼吸が辛そうだった。
「キリエ!すまなかった。私のせいで君をこんな目に合わせて、本当にすまない」
 数秒、何の感情もない瞳で彼を見つめてからハッとしたような表情を浮かべる。そして青ざめた唇からか細い声を発した。
「ごめんなさい……」
「なぜ君が謝るんだ。君は悪くない」
「あなたに愛される……資格がない」
「どうしてそんなことを?私は君なしで生きてはいけないのに……」
 キリエはエリクソンがそう言うのを黙って聞いていた。雨のせいで分かり辛いが彼女は泣いていた。それで最初意味が分かっていなかったエリクソンもようやく悟った。
「ああ……そんな……なんてこと」
「あなたは逃げて……」
「嫌だ!君を置いていくことなどできない」
「わたしは死なない。この穢れた身体を捨てるだけ……」
 苦しそうな息をしながらも、はっきりとした決意を感じさせられる声だった。
「わたしは必ず、必ず戻ってくる。わたしを愛しているならば、あなたは生き延び、新しいわたしを探して」
「嫌だ。私を置いていかないでくれ」
「約束する……。わたしたちはまた会えるわ……愛してる」
「私も愛している」
「あなたも約束して……」
「君を愛している。これからもずっとだ。そして必ず君を見つける」
 エリクソンはそう言ってキリエを抱き締めた。キリエが満足げに頷いたような気がした。腕を解いてエリクソンがもう一度キリエを見たとき、彼女はもう旅立ったあとだった。それがわかったとき、エリクソンは身体中の血液が一気に降下したように思った。  立っていられないほどの衝動、そして獣のような声、それが自分から発せられたものと最初気付かなかった。
 周りを取り囲んでいた兵士たちはエリクソンの髪が逆立ち、彼の両目から血の涙が流れ、異常に強い光を放っているのを目撃したはずだ。眩しいと感じるほど……。次に人々はドンと下から突き上げられるのを感じた。さらに次の瞬間には足元が激しく揺らぎ、立ってもいられず、身体の自由がきかなくなった。皆、今、自分がどういう状態にあるのかも確かではなかった。ただ自分の周りに次から次へ何かが落ちて来るのを感じた。地震だった。ものすごい音を立て、建物が倒壊していく。多数の人間がそれに巻き込まれた。
 エリクソンは完全に正気を失っていた。
 何故だ?キリエは何も悪くないのに。何故キリエがこんなひどい目に合わなければいけないんだ!何故!何故!

 時間にしてはほんの数分だったかもしれない。だが村一個を壊滅状態にするには十分な規模の地震だった。セイントジャーメイン伯爵一行が駆けつけたときには、村は瓦礫の山と化していた。エリクソンだけがキリエを抱き締めたまま、何もなくなった広場だったところに座り込んでいた。だが、彼の全身から異様なまでの殺気が伝わってくる。
「ハーキュリーズ!」 
 伯爵が真っ先に駆け寄っていく。その後から黒装束のヴァンパイアの騎士たちがついていく中に、一人だけ白一色で一際立派な身なりの美丈夫がいる。四十代くらいに見え、金髪碧眼、エリクソンによく似ていた。彼は腰の剣の柄に手をかけようとした。それを悟ったのか、伯爵が立ち止まって振り返り、彼に言った。
「陛下、頼みます。ハーキュリーズはあなたのお子ではありませんか」
 彼こそがエリクソンの父親、ヴァンパイアの王、皇帝その人だった。
「この惨状を見て、それでもハーキュリーズを許せというのか?」
 口調は冷静だったが、伯爵を見る眼差しは厳しい。美しいブルーの瞳が底光りしたように感じたが、二人は長年の朋友、そんなことで臆するような伯爵ではない。
「そうは申しておりません。今この場で彼の命を終わらせるというようなことはお止めいただきたいのです。失礼ながらこの件には奥方もご息女も関わっておいでです。ハーキュリーズは愛する娘を目の前で殺されたのですぞ?」
「……生け捕りにせよ」
「有り難うございます」
 伯爵は皇帝に頭を下げた。でもヴァンパイアの騎士たちもエリクソンを恐れて躊躇している。近づいたら何が起こるのか予測がつかないからだ。
「それにしてもこれは本当にハーキュリーズの仕業なのか?」
 皇帝は眉をひそめた。この後部下たちに生きている人間を探しに行かせるが、あまり希望は持てないと感じていた。
「陛下のお子ですぞ。不思議はありますまい」
 伯爵が応える。
「母親が人間なのに、ハーキュリーズは純血種のどの兄弟よりも色々な能力を持っている」
「純血種ばかりが能力を持つのでありません」
「そうであったな。そなたは元人間であったな」
「はい……随分と昔のことでございますが……」
 伯爵は懐かしむような遠い目をしていた。
「皆、下がっておれ」
 皇帝がそう言い、一拍置いて雷がエリクソンに命中した。エリクソンは失神した。
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