第33話 人の心

文字数 2,042文字

「リリスよ、お前の中に眠っているのだ。リリサレーンが。それは悲しいことではない。」

母の手が、優しくリリスの手に添えられる。


「うそだ!」


思わずその手を払い、立ち上がって顔を覆ったままフラフラと窓辺へ歩いてゆく。
なにか大きな叫びを上げたい衝動に駆られた。

「リリス!リリス!ピピッ!」

心配して、ヨーコがクルクルと頭上を回る。

母が何を言っているのかわからない。
いいや……いいや、わかっている。
覚悟は出来ていた。出来ていたけど、これで決定的になった。

リリサレーンの本当の姿は、誰も知らない。
誰しもが凶悪な魔物と言い伝えても、元が優しく愛された巫子だとは知らないのだ。
自分は、本当の、間違いなく国を荒らした魔女の生まれ変わりと思われてしまう。
今以上に嫌われてしまう。

恐い、恐ろしい。怖い。

知られると、今よりもっと、人々の風当たりはひどくなるに違いない。

もう、帰れない、どこにも行く所なんか、僕には……誰も頼れる人も、友達も、すべていなくなってしまう!

「リーリ、いかがした、しっかりせよ。」

オロオロと、セフィーリアがその場に立ち上がった。
手を払われたことなど、これまで一度もない。
それが彼女にもショックで、リリスの心の傷の深さがどれほどか思いもよらなかった。

「うそ、うそだ、僕は……嫌だ、嫌だ!」

「リーリ!リーリ、前を見よ!リーリ、危ない!」

手を伸ばすセフィーリアの先で、顔を覆うリリスの身体が、よろめき窓のさんから外へ飛び出す。
ここは城の2階、母の言葉を聞き我に返ったリリスが、叫びを上げた。

「あっ、ああっ!」

「リリス!」
セフィーリアが動転し、突風があたりを吹き荒れる。

「ピピーーッ!リリ……キャアッ!」

リリスの髪を引くヨーコが、風に耐えられず飛ばされる。
しかしその風が、不運にもリリスの身体のバランスを奪った。

「リーリ!!」

「ごめん!」

突然部屋にガーラントが飛び込んできて、落ちるリリスの腕を掴み、グイと引き上げた。
力強く、リリスの体重など無いように室内に戻され、床に崩れ落ちた。

「馬鹿者!死ぬ気か?!」

放心のリリスが、泣きはらした目で彼を見上げて両手で顔を覆う。

「私は……僕は……もう、もう、」

「何をしている!しっかりするのだ!男だろう!」

「いやだ…………ああ…………
うそ、うそだ、そんなこと信じない…………」

「信じなくていい。しかしお前の身体を借りて現れる、それは事実だ。そうして我らを救ってくれた。」

「だったらこんな身体いらない、いらない!こんな、こんな!いやだ!嫌だ!!」

泣き叫び、狂ったように首を振るリリスに、ガーラントがたまらず抱きしめた。
苦しいほどに、大きな体で力強く。
しがみつき泣き叫ぶその身体は、それはひどく小さくて、あの器の太さを感じさせたこのリリスが子供だったことを思い出させる。

この小さな身体に、何と重い宿命を背負っているのか。

「リーリよ、リリサレーンは……」

セフィーリアがそれを見つめたまま、がっくりと声を失う。
リリサレーンは、死ぬ間際自分は魔女でよいと言った。
その魂はアトラーナを末永く見守り、この罪を償うであろうと。

しかし……

死して復活してなお、罪を背負わねばならぬのか。

異形の子が生まれたと王の側近より相談を受けたとき、なぜか自分には、これはリリサの生まれ変わりではないかと言う予感がわいた。
それまでは赤い髪の子が生まれると代々殺されるのが常だった。
それが王族の掟だったのだ。

しかしこの子は違った。
今の王は、殺すことだけは頑として許さず、里子に出したいと周囲の反対を押し切った。
その運が良さが、何かこれまでの子と違う印象を持った。
迫害とも言える人間どもからの害悪をはねつけ、曲がることを知らず前を向く強さ。
魔導を教えれば、体中がそれを待っていたようにすべてを吸収して行く。
自分の中で確信に変わった時、フレアが欲しがるだろう事はわかっていた。
しかし、リリサレーンの不幸を思い返せば、だからこそ今度は、今度こそは自分の手元に置き、幸せに、人に愛され、そして静かに暮らせればと願ったのに。

人間は、この子を受け入れようとしなかった。

王子の旅を無事終えて、変わることを期待していたのに、人間どもは見事に裏切った。
支えなければ、またあの不幸が襲ってくる気がしてならない。
リリサレーンは、国を、なにより一族の安泰を思う父親に殺されたのだ。
王は、父でありながら彼女が王族であることを民に知られることを恐れていた。

人間は変わらない。
現王も、生かしたとは言え、我が身可愛さにこの子を切り捨ててしまった。
そして……
母である王妃は、この子の姿を見て悲鳴を上げた。
たかだか赤い髪と色違いの瞳をしているだけではないか……
なんと人間は、心が狭い

「いっそ、この国を捨て異世界に逃れようか。
のう……リリスよ……」

セフィーリアは、今のリリスになにもしてやれない。
逃れることしか考えられない自分も、何と頼りない物か。
堂々と生きよと言ってきた自分は、間違っていたのだろうかと、セフィーリアは胸が痛んだ。
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