第33話   第九章 『銀色の狼』 その1

文字数 2,141文字

「サアラさん・・どうしていつも、そんな被り物を深く被って美しい顔を隠すんです・・」

 サアラの仕事を手伝っていたダシュンはそう訊いた。が、サアラは黙っている。

「・・どこかの風習で、誰か身近な人が死んだ時には顔を墨で塗って、喪に服すって話は聞いたことがありますけど・・」
「・・ええ・・育ててくれた両親を、私も亡くしたんです」

(でも、それは・・何年も前のことなんでしょう・・)

 
 サアラの美しさと気立ての良さは、子供の頃から評判だった。
 養父母はそんなサアラが自慢で、ただそこにいるだけで幸せをもたらすという『森の精霊』の贈り物だと言って喜んだ。

 そんなサアラを嫁に欲しいと言う男達は数え切れなかったが、老齢の養父母によく仕え、数年前に二人が相次いで亡くなるまで献身的に世話をした。
 その間には、男達も他に相手を見つけて夫々の生活に入っていく。
 
 そんな中、二人の若者だけはサアラのことを諦めなかった。一人は幼なじみのヨウ、もう一人は二つ年上のマンザ。
 やや内気で穏やかなヨウとは仲の良い兄妹のような関係で、彼はサアラの言うことは黙って何でも聞いてくれた。マンザは、サアラの人生にヨウよりやや遅れて登場した。
 父親の死後、母親と一緒に『タンデの河』近くの町から祖父母の暮らす『春の森』に引っ越して来たマンザは、ヨウとは対照的に大柄で元気がよかった。

 が、そんな二人は親友になった。そして女性の好みに関してはピッタリと一致していた。
 従者の如く仕えるヨウに対し、腕っぷしの強いマンザは王女を守る勇者の役割をアピールした。

「どっちを選ぶんだろうねえ・・サアラは・・」

 養父母は、サアラが将来どちらかと一緒になると思っていた。

「でも、どっちと一緒になっても、きっとね・・」

 そう言って、お互いに微笑んだ。

 サアラは幸せになるだろう・・子供に恵まれなかった自分達の晩年を、こんなにも幸せにしてくれたのだから。二人は、そう信じて逝った。

 
 ところがその両親が相次いで亡くなった直後、サアラがどちらを選ぶか決める前に、一人の男が彼女の前に現れた。シュメリアの旅の僧でシャールと名乗った。

 春の森の愛娘・・そうサアラを呼んだ。泉に行こう・・そう言ってサアラを誘った。
 真っ直ぐな眼差しでサアラを見つめ・・神官の身ゆえ・・と、禁欲を装った、とりあえずは。

 そして或る満月の夜、突然、現れて・・。

「・・今宵は、とりわけ月明かりがきれいだ・・」

 そう言って、夜の森の清らかな泉の淵に誘った・・。
 そして・・何日も、何日も、何日も耳について離れない囁きを残して旅立った。
 そして忘れようと努めている頃、ふいと戻って来ては月夜の泉の淵に誘った・・。
 何ヵ月も、何ヵ月も、何ヵ月も、忘れられない面影を残しては旅立った。
 
 平凡だけど幸せな生活を約束されていた春の森の愛娘サアラは、その人生の早き頃・・妖しい月の輝く夜の森へと迷い込み、その手を取って誘う白衣の神官が銀色の狼とは気づかぬまま、より深い森の奥へ、より深い、深淵の森の奥へと分け入っていた・・。


 そして、律義に喪も開けたと思われる頃、ヨウとマンザはサアラに求婚した。
 二人共、それなりの青年期の魅力を持つ若者に成長していた。

「いいか、たとえサアラが俺達のどっちを選んでも恨みっこなしだ。断られた方は潔く諦める。そして選ばれた方は、絶対サアラを幸せにする。いいか」

 ところがサアラは、どちらにも首を縦に振らない。

「ええ、選べないって。気にしないで。俺達お互いに決意して来たんだ」
「・・ヨウもマンザも、二人とも好きよ・・でも・・」
 
 今はもう、どちらも選べない・・。

「何だよ、いったい。誰か他に好きなやつでもいるのか・・」

 どこのどいつだ。『春の森』の男達を全部数え上げても、誰もいない。
 
 初めはそれでも楽観していた二人だったが、いくら時が過ぎてもサアラの気持ちは変わらない。
 集落から離れた森の外れの一軒家にたった一人で住んでいる。若い身空で、美しい娘が。
 おまけに疑ってはみたものの、他に男が出入りしている様子もない。

 そのうち、おとなしいヨウの方が諦めた。彼を昔から好きだった娘が、サアラに振られたと見てアプローチし、若いヨウも徐々にほだされ所帯を持つことになった。

 そんな親友であり最大のライヴァルの撤退に、マンザが一抹の寂しさを感じたことは事実だが、その後は急激に希望と喜びが湧いてきた。

(・・これで、サアラは俺のものだ・・!選ぶ必要がなくなったから。そうか、サアラはどっちかが身を引くのを待ってたのか・・)

 喜びに満たされたマンザは眠れない。外を歩きたくなった。満月・・月明かりが美しく辺りを、世界を映し出していた。マンザの足は自然に森の外れに向かう。
 
 しかしもう眠っているのか、サアラの家には灯りも見えずしんとしている。

(・・こんな明るい月の夜に、どうして眠りになんて入れるんだ・・)

 そう思いつつ家を一周りし、足は自然と森の奥へと向かった。木々の葉陰から差し込む月の光・・森の中でさえ、その光を受けたところは昼間のように明るい。
 ・・せせらぎの脇の小道を行くと、その先に泉がある・・清らかな水の湧く、泉がある。

 ・・マンザの足が止まった。
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