第22話   第五章 『リデンの森』 その3

文字数 2,249文字

 コウはミタンに帰された後、故郷の村に戻り、また以前のように樵として働いていた。
 しかし記憶を失くした上、些細なことにでも非常に脅えるようになっていた。虚ろな表情でフラフラとさ迷い、突然どこかに姿を晦ましては幾日も家にも戻らないことがある。
 そしてやっと姿を現した時には脅えきっている。
 
 不憫に思った年老いた祖母は、可愛い孫を守ってくれるように『森の精霊』の祭壇で毎日祈りを捧げた。そんなある明け方、夢に美しい女性が現れて優しい声で告げた。
 〝そなたの祈りは聞き届けました・・ご安心なさい・・〟
 
 喜びの思いで始まった一日は、思わぬ形で終わった。

 その日、安心して森に送り出したコウは・・再び行方不明となり、そして以後、何日経ってもその姿を現すことはなかった。
 
 祖母はまた毎日『森の精霊』の祭壇で、孫を帰してくれるよう祈りを捧げた。
 そして再び夢に美しい女性が現れ、前回と同じ言葉を優しく、そしてより力強い口調で告げた。
 祖母は思わずハラリと涙を流し、目を覚ました。しかし、心の何処にも・・それまで心のうちを占めていた杞憂は見つからず、その心に突き刺さっていた刺が涙で洗い流されたように感じた。・・夢の中で告げられた美しい女性の言葉が、その心の中で響いていた。
 
 〝そなたの祈りは聞き届けられました・・〟

 
 その日、沢から滑り落ちたコウは道に迷い、森の奥深くに紛れ込んだ。木の実や茸を食べながら何日もさ迷い・・いつしか、見知らぬ美しい豊饒の森に足を踏み入れていた。
 ・・一軒の小さな樵小屋を見つけ入ってみると、こじんまりとした室内には心地よさそうな藁の寝台があった。何日も野宿していたコウは、突然、猛烈な眠気に襲われ・・そこに横になった途端、直ぐに眠ってしまった。
 ・・やがて美味しそうな匂いに誘われて目を覚ますと、火の上には鍋が架けられ、コウの身体にも暖かな毛布が架けられていた。

「目が覚めたか・・」
 薪を抱えた男が入って来て言った。
「・・リデンさまが、近々客人があるはずだって言ってなさったが、どうやらお前さんのことらしいな」
 
 その後コウは『リデンの森』で、その森の番人をしている老人の手伝いをしながら樵として暮らすようになった。そして仕事の行き帰りにはいつも、『癒しの泉』で喉を潤す。その新鮮な湧水を一口飲むごとに、頭の中にかかっている靄のようなものが・・少しずつ・・取り払われていくような感覚を覚える。
 ・・そして忘れていた記憶も、また・・少しずつ蘇って来るようになっていた。


 カンとダシュンがリデンの許で過ごすようになってから、既に何度か月が満ちては欠けていた。ミタン王宮からの、〝ペルに危害が及ぶことはまず無い・・〟との知らせにやや安堵し、カンは治療に専念していた。
 その両目はひどい痛みも消え、今では人の表情が識別できるところまで回復していた。それでもまだ、日が陰ってからは著しく視力が低下する。

 そしてリデンの姿を拝することが出来るようになったカンは、ダシュン同様驚いた。その輝くような純白の髪と想像していた以上のその麗しさに・・。
 『精霊の森』の女王は、不老不死・・若い姿のまま何百年も生きるとは聞いているが、その肌にも眼差しにも、その伝説的な肩書にはそぐわないほどの清んだ若さが窺える。
 そして、正に純白の髪は年老いた賢者の叡智の象徴のようにも思えるが、輝き艶めくリデンのそれは、純粋に若さゆえの煌めきだ。
 稀有なる聡明さを伝える声質と純白髪の若い姿・・それらのギャップが、全て唯一無二の魅力を醸し出している。


 その日、カンは、『タンデの河』上流域に関するハルからの報告を泉の傍らで読んでいた。
 ハルの調査団はミタン側からのルートで、シュメリアとの国境の山岳地帯を捜索していた。

《・・その辺りに奇岩の連なる場所があります。昔からシュメリアの神官達が巡礼のように訪れている場所だそうで、どこかに神殿でもあるもよう・・。しかし一般には秘密にされているらしく、なかなかその場所を特定することが出来ません。しかし、現地の者達の証言によりますと、以前に比べ神官達の姿を目にする機会が増えており・・更に、最近になって、その数が膨れ上がっているとのことです・・》

 ふと目を上げると、森の奥からリデンが姿を現した。
 その出現の様に・・カンは改めて、精霊の女王には何処よりも深い森がよく似合うと思った。
 
「カン殿・・目の具合はいかがですか・・」
「おかげさまで・・最近、急激に視力が戻ってまいりました。こんなふうに報告を読むのも出来るようになりましたし・・。これなら近々、シャラとぺルさまの行方を捜しに出ることも可能だろうと思っております」
「それは、ようございました・・」

 些かのんびりしてしまったが・・この森での滞在は余りにも快適で、これ以上いたらすっかり戦意を消失してしまう。昔から『精霊の森』について語られる〝平和の森〟とは、こう云うことかと、身をもって実感していた。

「・・ただ、カン殿の目には、今でも〝月の欠片〟が残っているようですね・・」
「月の欠片・・ですか・・」
 そう言われると、あの時の衝撃は何か・・鋭い光の破片でも突き刺さったような感じだった。

「・・確かに視力は回復なされたようです。でも残念なことに、それは一時的なことなのです。もし完全にその欠片を取り除いて視力を回復したとお思いなら、今度はそのシャラの力を反対に貴方が取り入れて、自ら視力を奪い返さなくてはなりません・・」
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